タイムアタック。

102 タイムアタック。

 You are cleared for takeoff.離陸が許可されました。
 ...
 We will land in about 30 minutes.30分後に着陸の予定です。
 
 

 初めて降り立った異国の地。
 なんにも、わかりませんでした。気分は仕事ができ部下をきちんと評価する上司を持つ新入社員。

「眠って、さぁや」
 
 

 目が覚めたとき、真正面にいた。

「おはよう、さぁや。愛している。息があうな」
「……いっぱい寝た」

 空が白んでいる。
 
 

 三日目、たぶん朝。
 ホテルはキッチンつきだった。

「どうだ?」
「いつもの朝のメニュー、食材を準備しているんでしょう? もったいないよ」
「さすがさぁやだ、朝からしびれるな」

 抱きしめられ、支えてもらう。ふんふんと鼻歌まじり、さっさとぱっぱとマンネリ朝食を。

「うれしそうだな」
「うん。いいホテルだね」
「よかった」

 勝手が違うソファーとテーブル。少しは慣れたかな。

「疲れているだろうに、ありがとう。死ぬほどうれしい、いただきます」
「だいぶいいよ」
「観光は?」
「さすがにちょっと。のんびりしようかな」

 ひとりでは絶対にたどりつけなかった。出口がみえないラビリンス。

 ホテルの従業員さんが室内を清掃してくれる。忠弘が1階ロビーに連れていってくれた。

「俺は清掃業のバイトもした」
「ふうん……」
「時給が高ければいいが、いつもうまくはいかない。清掃業の求人にも応募した。すぐに採用された。
 担当者からは、

この世に絶対はない。
資格も持たない若造が清掃業従事者となる場合、時給は最低賃金。これだけが絶対だ。

 清掃業従事者とみると誰であろうと勝手に仲間ときめつけ、必ず会釈して心のなかでお疲れさまですという」
「ふうん……」

 どんなバイト先でも確実にいただろう先輩。時給にかかわりなく賃金をもらっているプロ。清掃用具の正しい使いかたや方法をきちんと習ったのだろう。

「やはりな。美しいさぁやに見とれる男たちが多数だ」

 感心していたのに。

「あの野郎、さぁやを見ておっ勃」

 すかさずぶん殴り、ひきずって部屋に戻った。
 
 

 翌日朝食後、ふたりで従業員さんに会釈。1階ロビーで。

「交通誘導警備もした。手旗・丸棒・白手袋による誘導手法は芸術だ」

 うん、プロに習ってきちんと習得したのはわかった。

「あの野郎……! やはりさぁやを見ておっ勃」

 すかさずぶん殴り、ひきずって部屋に戻った。
 
 

 同じホテルで五日目。

「時差ぼけには慣れたか?」
「うん!」
「お待ちかねのドライブだ。好きな音楽を流してくれ、聞きながら走るぞ。いけるところまで」

 目が爛々としている。頼れる父親の別な一面。

 車を運転すると本性が出る、実父談。
 
 

 ふたりの三食分のお弁当は作った。あとはすべて忠弘色。レンタカー? は人生初、助手席が右側だった。
 景色が次からつぎへと変わる。道中何度もトイレ地点で休憩、こわごわやりすごす。

「水分を必ずとって。脱水症状は怖いから」
 
 

 やってまいりました、忠弘の目的地。世界中の垂涎の的、タックス・ヘイヴンの観光地だそうです。

「血が騒ぐ!!! ヘアピンカーブだ! トンネルだ! スタートラインだ! ポールポジションだ!!
 オールクリア! レッドフラッグ退去! ホールショット! テール・トゥ・ノーズ! サイド・バイ・サイド! スリップストリーム! ラインが違う! タイトなコーナリング! 金をかけたパワーの車体でパスしても乗り手の腕前次第のハンドリングでパスし返す! 周回遅れを2台諸共ぶち抜き! 最終ラップで3台ぶち抜き! ファーステストラップ連発! 最後までタイヤを温存! 最終コーナーを立ちあがる! チェッカーフラッグ! あの旗をふってみたい! 栄光のウィニングラン! ポール・トゥ・ウィン! 拍手喝采のシャンパンファイト!」

 うん、忠弘に料理はむりだな。
 
 

 夜になって、戻ったのは意外にもあのホテル。

「チェックアウトじゃなかったんだ」
「違うホテルは疲れるだけだ」
「ありがとう。
 いーーーっぱい、頼りにしています! うれしい、愛している!!」

 つやのある瞳、小首をかしげる。

「今夜も致さない」

 かっと目を見開き瞠目した。

「そこまで驚かなくともいいだろう。雑談しないか?」
 
 

 俺の趣味、ドライブ、車。四輪。

 レースがある。たいてい予選と決勝がある。
 予選で速いタイムを出した者がより有利なスタートラインに立てる。
 決勝は一番先にゴールテープ、チェッカーフラッグを受けた者が優勝だ。のち、シャンパンファイト、表彰台の真ん中に立つ。

 さきほど走った世界三大レースの地は、予選でもっとも速いタイムを出した者、ポールポジション、もっとも有利なスタートラインをとった者が決勝でも勝つことが多い。ポール・トゥ・ウィンという。
 決勝だけではなく予選でいいタイムを出すことにも集中する。

 どうやって? 走っているとき前にじゃまな車輌がいては速いタイムが出せない。わざと間をとる。クリアラップという。すかさずねらってタイムアタックする。
 誰かのじゃまをすれば誰かにじゃまされる。プロ同士、あうんの呼吸でわかる。おたがいを立てあい、ここぞというときベストタイムをたたきだす。
 プロのレースは二輪でさえ音速を超える。100じゃない、1000分の1秒差を争う。

 勝つためには?

 メーカーは沽券と体面を保つため車体、タイヤを作る。ピットクルーは業界でより長く生きていくため腕によりをかけ整備する。乗り手はプロ同士、あうんの呼吸はあるものの、コースに出れば転倒、接触、コースアウト、クラッシュ、事故は常。命を削って勝負に出る。
 たった .001秒差で勝敗が決する。1992年6月21日、全日本選手権ロードレース第6戦鈴鹿大会250ccクラスでは差さえ出ず同着優勝という前代未聞の事態もおきた。

 メーカー・ピットクルー・ドライバー・ライダー。
 プロぞろいだ。車体とタイヤにつぎこんだ金の差がもっとも出る。だがな、皆プライドが高い。金の差で勝ったが運転の技術では負けている。
 どれだけ屈辱かわかるか?

 1年間もただ見ていただけ、声もかけなかったのは理由がある。そのうちの1つ。

 さぁやはタイムアタックしていた。