家事。

92 家事。

「結婚式で重要なのはいつにするかだ。フランスとなればもう時間がない、日程を決めよう」

 声をあわせて、

「月末と年末年始はさけよう!」

 うーん夫婦。

 12月の上旬か、年を越すか。
 正月休みからすぐに1週間くらい休む? 海外で結婚式直後に中途入社?

「……年越し前がいいんじゃない?」
「同感だ」

 もし妊娠していたら年明けだ、これ決定。

「正式な招待状の前に、状況を気軽く受け取ってもらえるよう、まずはメッセージでおうかがいをたてるのはどうだ」
「渡辺君、……だめ?」

 めいっぱい気を使っておうかがい。

「そのへんの小さな教会はとにかく、フランスはどうかな」
「ん?」

 招くこと自体は反対していない。
 
 

 退職した会社の現況を教わった。
 売り上げが単純に倍。対応する従業員も単純計算で倍にしなくてはならない。
 なんてこと。やっと気づいた。

「俺たちが退職した日、常務取締役は社員の前で奇声を発した」

 謝罪もしなくては。あの調子だと……。

「兄さんの会社の某部長が俺たちのもといた会社に在籍出向し、執行役員に就任した」

 事態はすでに動いていた。

「前社長の親戚は後ろ盾を失い辞任した。営業事務の3人は、懲戒処分とはするが懲戒解雇にはしない」
「……そうなの?」
「あくまで会社側からみればだが。仕事しないから解雇としても不当解雇という判決が出ている。
 3人は服務規律を破っていたが黙認したのは会社側。有給休暇の取得にあたり不当な圧力をかけていた。残業代も出さない。
 非は会社側にある。
 経営者が気に入らない従業員に退職をうながす、まして解雇が出発点ではない。従業員のためになにができるかを考え、まっとうに、就業規則の改定からはじめた」
「ふうん……」
「顔で選んだという秘書課は廃し全員異動。総務もほぼ異動、渡辺君もだ。現在は営業だ」

 渡辺が……。

「会社は人でできている。人は替え放題の歯車でも、数字でも、費用でもない」
「……うん」
「人を、命を大切にせず費用とみなし、削れば内部留保を、役員報酬を増やせるとほくそ笑む会社に未来はない。
 現在の渡辺君は三日以上、休暇をとれる心境かな。そのへんも考慮して連絡してくれ」
「……ありがとう」

 あとの2人については、

「それでさぁやはあんなに家庭的で控えめなお茶の淹れかた、出しかたをするんだな」
「えっ……」

 最大の謎。別人だと苦々しく疑ってさえ……。

 たんなる偶然、話のついで。

 あれがなければ、いまでも瓶底眼鏡でアパートにこもっていた。恋を殺して。
 
 

 リムジンが実家に到着。
 ゆっくり降りるあいだ、忠弘が荷物すべてを運び、義母と話しあった。

「わかりました。私が忠弘君と清子の家へいきます」

 もし妊娠していたら、母が都心一等地へ遠距離で通う。臨月出産、出産後しばらくは山本家のマンションに泊まりこむ。その間、万年係長な夫と成人してもまだまだ手のかかる息子には自活してもらう。

「妊婦を短期間で何度も引っ越しさせてはいけません」

 きっぱりといいきった。

「よくあることよ、気にしないで」
「ありがとうございます」

 忠弘がざぶとんを外し、両手をついて頭を下げた。

「台所にきてもらおうかしら」
「はい」

 迫力を感じる。

「清子はここに座っているのよ、のんびりしていて。はっきりわかるまでは不安定期の妊婦扱いとします。母体がむりしてはいけないわ、いいわね」
「はい」
 
 

 加納家の台所に、主婦道を極めた2児の母と、料理のりの字も知らない男が立った。

「忠弘君。これを見て」
「……?」
「種類を覚えてという意味ではないのよ。
 たとえば砂糖、塩」

 やかんに水を入れてわかす以外なにもできない忠弘には酷な話だった。

「位置が問題なの」
「……??」

 忠弘は人生もうすぐ24年、ありとあらゆる知識と経験を総動員してあえなく敗退。

「……すみません。わかりません」
「いいこと。この2つを、逆におく」

 あわれ忠弘は理解不能。

「これだけで」
「だけで?」
「その昔は……嫁・姑戦争がおきたのよ!!!」

 棒立ちの忠弘に母はたたみかけた。
 台所は主婦・主夫、料理する人の領分。なにがおいてあるかはさておき、位置を変えるなど言語道断。

「ということは先日、皿を片づけたのは……」
「ふっふっふ。ええ。大・迷・惑!! よ!!!」

 忠弘はよかれとほめられようと、結婚の許可こと結果報告にきたとき、主に自分が食べつくした皿、飲みつくしたビールジョッキなどを洗い、ふいて食器棚にしまった。

「位置、ぜんぶ! だめ! やりなおーーーし! したわお母さんが!! ぜーーーんぶ棚から出して入れ直したのよ!!
 大・重・労・働! だったわ!!!」

 説教は長々と続いた。
 
 

 夕方すぎ、父と弟もそろい大歓迎。5人で食事をとった。

 料理は全部忠弘が運んだ。黙って母の手料理を食べている。おかわりを盛る忠弘を初めて見た。
 食後、忠弘は母とともに台所へ消えた。もれ聞こえるなにやらな音声。
 
 

 翌朝、目が覚めてひとり。
 もう起きて台所へむかったのだろう。さみしい。

 心がけてゆっくり着替えた。ふとんはそのまま。気をつけて階段を下りた。
 いいにおい。

「さぁや、おはよう」

 台所で夫がきりりと家事していた。母が作った料理の皿を台所から茶の間へせっせと運んでいる。

「俺はわがまますぎた。深く反省した。いままで苦労をかけてすまない、これからは俺が家事する。俺の領分だ」

 うれしい。きりりな夫も大好きだ。
 ……でもね。

営業マンは使い捨ての駒。

 たとえどこまで堕ちていっても。

「忠弘、ありがとう」
「うん!」
 
 

 朝食後、父と弟を送りだしたあと、忠弘が嬉々として家事開始。実にうれしい、うん。

「妻は、お仕事もしてほしいな」

 ほめてくれる乳房の前で両手を組み、おうかがい。

「そうか?」
「うん」

 忠弘がちらりとみる。母は、

「……そうねえ、お仕事もしてもらいます。どうなの? 忠弘君」
「端末なら持ってきました。お母さんさえいいのなら」
「たぶん、……横にいてみえちゃったり音声が聞こえちゃったりはだめだよね」
「うん。たぶん」

 確定だ。

「こうしないか。
 俺は家事。お母さんの許可あるときは2階で在宅勤務。
 さぁやは1階でのんびり」

 ちらり流し目。わかっています、同じ空間にいると襲いたくなるんでしょう。

「私はいいよ。お母さんは?」
「ええ、いいわ」
「もう1つ。在宅勤務あるある、運動不足。眼精疲労、肩腰膝」
「ええ。聞くわね、よく」
「俺はずっと座っていません、適宜外に出てひとっ走りします。いいですか」
「けっこう」

 招待客にメッセージを送った。
 椎名は即断即決オールOK、いつでもどこでもよくってよという返事。
 しおりは返事なし。相手が原因だな。
 渡辺にも送る。営業か、どうやってお客さまをみつけるのだろう。

 三食ありがたくごはんが出てくる。
 ……なんてすばらしい!!

 ああ私、里帰りしているのね。滂沱で食べるよ毎度、わかる!

 後日、住所が判明した大切な人生の先輩2人へも手紙を書いた。返事待ち。
 母がはすむかいに座った。

「いい人をつかまえたわねえ、清子」
「うん!」

 いろいろ、おかげさま。

「妊娠と育児の心がまえを教えるわ。あと、料理もね」

 深くふかーくうなずいた。

「忠弘に家事を教えてくれて、ありがとう。お母さん」
「それほどでもないわ。掃除も洗濯も以前からやっていたようだし。
 台所まわりは苦手のようね。やっぱり清子の料理以外、味がしないのでしょう?」
「うん」

 家事に仕事に大忙し。
 でも……ピルシートを手にしたとき、なにかが変わった。

「妊娠出産となれば、料理もなにもできないわ。夫を立てながら頼って甘えることも必要よ」

 心からうなずいた。
 
 

 夕方、なんとなく外に出てみた。危ないからたんに玄関を出ただけ。
 月が出ていた。真正面に白い三日月、クレーターまでが裸眼でよくみえる。
 ゆっくりと西へかたむき金色に変化する。左手の薬指をかざしてみた。石の青と月の金があい、より煌めく。淡いブルー、エメラルドグリーン、プラチナ。
 たがいに色を変え、角度を変え。夕日も沈む。ああ、秋が深まる。

 忠弘が、走って帰ってきた。

「おかえりなさい!」
「ただいまさぁや! もう寒いぞ、外に出るな!」

 なんとまあ過保護な。でもいいか。
 甘えましょう。信じているから、いとしい君を。