お説教。

91 お説教。

 目が覚めてひとり。

「?」

 ……トイレかな。
 勘で5分待ってみた。戻ってこない。

 さすがに愛の巣を出た。いない。どこにも。
 音がした。……誰の声?

 まさか誰かが……いやいや、忠弘は書斎にいた。手に携帯電話を持って、耳にあてて立ったまま。

 ……何語?
 日本語じゃない。英語でもない。フランス? イタリア? ドイツ?
 椅子に座らず起立姿勢のまま、なんと下を穿いている。

 ……ひょっとしてもう、仕事している?
 じゃまできない。

 買っておいた甘いお菓子を食べた。
 あとで怒られてもいい、わけさえいえば。水分を補給し、トイレを済ませ、マスターベッドルームに戻って眠った。
 
 

 目が覚めてひとり。すぐに部屋を出る。
 夫が上下、服を着て立っていた。

「忠弘!」

 抱き返してこない。

「どうしたの?」
「お風呂に入ってごはんを食べよう」

 表情のわりに即答。

「……うん?」

 致されてばかり、大汗をかいて熟睡後。
 まさか。

 ひょいとお姫さま抱っこ、バスルームへ。

「ダイニングで待っている」

 すぐに脱衣所から出て、扉を閉めた。

「……臭い?!」

 即、髪から体からすみずみまで洗い、湯船には少しつかって短時間であがった。
 ……いない。

 メインダイニングルームはクラッシックすぎない、レトロでノスタルジックな、ほっとする空間。

「手料理を食べさせて。待っている」

 表情が違う。
 
 

 ひとまず手抜きその1、簡単パスタを作る。もうだめになっている食材があったから。
 この1週間、夫婦の営みは四十八手か九十六手か……なんなのあの男、数え切れない。

「できたよ。お盆にのせたから持っていって」
「わかった」

 料理中、なにもしない。
 ……まずは腹ごしらえといきましょうか。
 
 

 水分補給もしっかりと。食べおわり、歯をみがいて、メインリビングルームへ。愛の巣に直行しない。

「鎌倉の実家へいこう」
「……どうしたの。へんだよ」

 中身が別人とか?

「熱はないか」
「え?」

 会話になっていない。

「さぁやはいつ、妊娠してもおかしくない状態に、俺がしている。いま、もう妊娠超初期かもしれない。つわりはひどく、いつ出てもおかしくない。根性精神論では決して抑えられないと聞く。
 どうだろうか」

 目を見開いた。

「仮にいま妊娠しているとしよう。中途入社後すぐは育児休業をとれない、まだ。残業せず帰るとしても、さぁやをひとりにしたくない」
「だから、実家?」
「そうだ。お母さんは2児の母、経験豊富だ。男の俺はどう調べ、どう知識を得ようと妊婦にはなれない」

 そっと下腹部に手をあてた。

「ゆっくり運転するから、実家へいこう」

 忠弘が鎌倉の実家に連絡した。俺の責任だ、俺がと。

「はい、あなたの加納です」
「忠弘です。これからいきます、しばらく泊まります」

 リムジンでいくという忠弘。

「荷物が多い、ゆれが少ない」

 そこまで……。

「お母さんが料理するところを見たいのだろう。
 ただし体調が最優先だ。着くまで時間がある、話そう」
「うん」

 恋に燃え沸騰し、生涯新婚と豪語する忠弘が。

「生理がとても重くて困っているのだろう。紹介された総合病院でピルを処方してもらう」

 この男からこんな言葉が出ましたよ。

「もし仮に、次の生理がきたら家に帰ろう。むろん致す」

 いいきりましたね。

「もし仮に、妊娠していたとしたら。
 1. 実家ですごす。
 2. 家に使用人を雇う。
 3. 各種専門医・医療従事者がそろっている父さんの家に引っ越す。
 どれがいい?」

 いきなり……いやしかし、喫緊の、現在進行中の問題かもしれない。

「実家でって。忠弘、鎌倉から都心まで遠距離通勤?」
「可能な限り在宅勤務とする」
「人を雇うって、あの家に?」

 ふたりの象徴の新居。
 妊婦でもし、なにかがあったとしたら。

「おじいさんの家? 私たち、また引っ越しちゃうの?」

 でももし……。

「父さんの家にはたいていの物がそろっている。人もプロがずらりだ。産科医も助産師もいる。ついでにいうなら獣医師もいる」

 これっきりがまるでうそのよう。

「あの、……私自身のことだって、わかってはいるけど……すぐに返事ができない」
「次の生理まで時間がある、考えて。俺と一緒に実家でゆっくりしよう」

 ふたりで都内有数の総合病院へ。
 説明された超初期の症状にあてはまる項目はなかった。

 初めてピルを処方される。
 次回月経が開始してから朝食後に飲む。すでに妊娠していれば無用のもの、まったく知らなかった。もらえればその場で飲めばいい程度、はっきりと無知だった。

「俺が時計にアラームをかけるから、必ず飲もう」

 総合病院をあとにして乗車。

「結婚式の話を。
 妊娠していたとしたら、式はそのへんの小さな教会でしよう」

 うなずいた。海外どころではない。

「そうでなかったら。フランスにしてもいいだろうか」

 忠弘の目がなにやら速そうな車の形に。

「はい、いいです」

 どうとでもなれ。

「海外だったら。
 招待客は最低でも三日以上は休む必要がある。さぁやの客は家族以外、勤め人だそうだが。
 連続で休暇をとれるだろうか」

 海外往復を三日? どこのスポーツ観戦か弾丸旅行か。
 椎名、しおり……は相手次第だが、あの2人なら。問題は木下。きの字も口にしてはならない。
 あとは仕事を教えてくれた先輩、お茶淹れを教えてくれた人、渡辺。
 三日以上となれば、総務の仲間には悪いが渡辺が代表だ。
 あの3人ならおそらく、

「とりにくい……」
「やはりか。
 フランスで式を挙げるのなら、客は全員プライベートジェットで優雅にご招待、は覚えているだろうか」
「う、うん」
「俺の友だちはどいつもこいつも悪ふざけが得意な悪友で、特殊空間に何時間もいればここぞとばかりに上を下へのどんちゃん騒ぎをする大酒飲みなやつらばかりだ。
 さぁやの客を同席させてもいいだろうか」
「むり」

 いい人そうだったけど即答。

「やはりか。
 ご機嫌をそこねたくはないが……式がフランスと聞いて、兄さんがさぁやの招待客へ、ファーストクラス往復券と五ツ星ホテルを用意するという。
 だめだろうか」

 小首をかしげ困った顔。

「……いいよ」

 もし入社式で。仮に、視線だけだったとしても。

生理的にも受けつけない女だ。

 一生の傷になる。

「おたがい、へんに遠慮しあっているよね。長く続かないよ。
 理由は私。自信がなかった。臆病だった。知っていたでしょう。私、忠弘の真心を試した」
「さぁや」
「好きと言ってくれた。想いつづけてくれた。手抜きでしかない料理をおいしいって食べてくれた。きれいって、愛しているって」

 想いの嵐。

「信じられた。諦めなくてもよかった。がんばらなくてもよかった。忠弘が、私を好きでいてくれるから。
 私、もう自分を信じている。忠弘を好きな、私を信じている。私を好きな、忠弘を信じている」
「……俺は」
  
 プロポーズを、君へ。

「受け入れてもらえたのだろうか」
「うん。全部、ありったけ信じて」

 やっと言える。
 最高の笑顔で、今度こそ。