本当に好きなの?

56 本当に好きなの?

SAT, 22 SEP 20127

 2階個室の引き戸を開けた。

「あら清子さん、早かったわね。まだ途中?」
「俺が心配か? いいんだぞ、気にせずゆっくりして」
「ありがとう」

 隣に座った。夫の呼吸が変わる。

「ずいぶん感謝していたでしょう?」
「うん」

 きてよかった。

「なにか飲む?」

 2人同時。
 営業畑の皆さまの心強いことよ。できたら総務魂を見せてやりたい、負けないぞ。

「モスコミュールを」

 端末で注文していた。同じのが飲みたいもよう。
 ほどなくして店主が入ってきた。
 忠弘がすぐ席を立ち、頭を下げてグラスを受け取る。
 乾杯したくなった。

「いいわよ、新婚さんふたりでどうぞ」

 ふたり分だけ頼んだ忠弘がグラスをかかげる。

「私の隣に男性がいる理由をお聞かせしようかしら」

 どうでもいい。

「しおりのフィアンセよ」

 この味、濃さ。いつもの味だ。われながら舌は裏切らない。
 ひょっとして本物の店主に作りかたを聞いたとか? ……やりそう、営業畑おそるべし。

「しおりだけを迎えにいったのよ。ついてきちゃったの、しかたがないじゃない。
 清子さんをずっと待つつもりでいたの、あすの朝でも昼でも。
 暇でね、説教していたの」

 雲の上の上司のほうが断然いい男じゃないか。華麗な恋愛をくりひろげてくれないかな。

「なぜすぐに結婚しないのよ。
 しおりは気が移りやすい。すぐに興味がなくなる、後釜はいくらでもいる。なにをしているのよーーーっ!」

 鞭をふるう打つさまが似合っていれば、受けるさまも似合っている。酒場だぞ、場所が違わないか。

「……とか、しながらあなたを待っていたの。もうちょっと打っていたいのよねえ」
「じゃ、帰ろっか」

 やけに静かな夫に声をかけた。

「……一言だけ」

 暗い声。

「なに?」
「情けない……」

 戸を閉めたあとも鞭の音は鳴り響いた。
 
 

 出入り口にすっと現れる、ぜいたくの象徴のような大きい車。

「さっき、少し前まで渡辺君とやらがいた」
「あれっ?」
「俺と深く議論した末、思うところがあると帰った。さぁやによろしく伝えてくれと」

 ちょっとは会って話したかったな。
 忠弘が車のドアを開ける。なにか気配が。

「どうしても会ってほしい……兄さんだ」

 視界に飛びこむ真っ赤なバラ。

「えっ……」
「乗って、さぁや。なかで話そう」

 押しこめられても眉間にしわをよせる以外できない。
 かの人物が、

「新婚のところをおじゃまします」

 頭を下げた。
 むげにするのは心苦しい。ぺこりと会釈した。

「よければ受け取ってください」

 心地よい重みだった。いいにおい。

「ご結婚おめでとうございます」

 迷った。どう……。

「このあいだは本当に、いきなり申し訳ありませんでした」

 ゆっくり頭を下げてきた。

 否定してしまえばすべてがなかったことにされてしまう。つぶやきをぐっとこらえた。

「もしなにか困ったことがあったらお伝えください。あたうかぎりのことをします」

 あのときのことは怒っている、簡単には許せない。
 もう、そんなに意地を張りたくない。
 なにが正解だろう。即答できる人ってすごいんだな。

「……きれいな花束に免じて簡単に許してしまうと、また私や誰かにあんなことをしそうにみえます」

 声はなかった。

「ちゃんと謝ってくれましたから、そんなに気を悪くしていません。でも、それだけです。忠弘と話したいなら私だけでも降ります」

 隣の5歳児が悲しんでいる。

「道中、お気をつけて」

 ドアがわりとすぐに開いた。

「兄さん、じゃあ」

 車外は無風だった。
 
 

「いきなりなんだもん。びっくりするじゃない」
「すまない」

 手を握りなおす。

「私、感じ悪かった?」

 相手を気持ちよくして帰すのが労働者。

「兄さんはもっと感じ悪かったんだろう?」
「悪かった!!」

 お酒を飲んだあとの帰路もいいんだよねえ。

「むりやりすまなかった。妻と兄のあいだでゆれ動いたんだ」
「もう。妻をとってよ、い・つ・も」
「わかった」

 もう近いから歩いた。頰を冷やせて気持ちいい。

「きょうはそんなでもなかったよ」

 ああ解放感、軽口もす~るする。

「第一印象が悪いのはよくないかな」

 握られた手をぶんぶんふった。

「ねえ、敬語だった。絶対ふだん使わないよね!
 ……気を使っちゃって」

 手をつなぐのは大好きだ。好きな人にリードされて歩くのはとても自信が持てる。うれしくなる。

「ああいう言葉づかいはおそらく30年ぶりだ」
「さんじゅうねん~? 具体的だね」
「父さん以外に敬語を使ったことがないらしい。兄さんの会社では有名だそうだ」

 典型的な二代目のよう。

「もう、いいからね!」

 酔っ払いは話題をさらり変える。

「フィアンセ君って印象に残らなかったね」
「うん。秘書とはなにもかも逆のタイプにみえる」

 結婚は真っ赤な他人の長いながい同居生活だ、続くかな。忠弘の感想。

「意外に続いたりして」
「本当に秘書に惚れたのかな。聞きそびれた。違うならすぐにでも別れるんじゃないか」
「秘書はすっごい好きだって」
「相手の気持ちも大切だろう」
「自分だけを好きな人がいいって」
「現状を把握しているか疑問だ。ただまわりに流されているだけのような気がする」
「だってせっかく秘書が」
「他人にいわれて恋心は芽生えないぞ」

 人の恋路ひとごとは蜜の味