奪わないで。

54 奪わないで。

 帰宅して、まずは妻を休ませる。
 書斎でひとりウィンドウをながめた。携帯電話がふるえる。

「山本です」
「少年? 椎名よ。いま当社の社長室にいるわ、部屋の主はじゃまなのでけり飛ばしました、2人きりよ。
 あちらの会長が土下座しているの。応じてはもらえないかしら」
「わかりました」
「はじめまして」

 名のった70歳近い人物は涙声。

「できたての末の弟に対し、私はなにができるだろうか」
「3つあります」
「すべて叶えよう。この身をもって、あらん限り」
「俺からさぁやを奪わないでください」
「了解した。たとえ誰が出てこようとも、この先なにがおころうとも」
「さぁやから俺を奪わないでください」
「了解した」
「もう誰にも頭を下げないでください。兄さん」
「そう呼んでくれるか……了解した。予定はあったのだが。……必ず」
「じゃ」
「待ってくれ! まだ話は終わっていない!」
「聞かれたから答えた。以上だろ」
「まだだ、口頭だけで父のあんな……とうてい済まない。直接会って思いを伝えたい」
「いいよ、忙しいだろ」
「いまが最優先だ。済むまでほかはけり飛ばす」
「じゃ、もう1つ頼んでいい?」
「待っていた、いくらでも」
「さぁやは権力が嫌いなんだ。偶然にしかすぎないのに、兄さんをはじめ大人物ばかりをたてつづけに動かしたといわれうんざりしている。
 全員に考慮させてほしい。それまで俺たちは誰とも会わないし、一歩も外に出ない」
「了解した。会ってくれるな、いつだろうか」
「飲み会の誘いの知らせがきていた。詳しい日時場所はそこにいる、俺の雲の上の上司に聞いてよ。じゃ」

 マシンに再びむかう。
 兄と呼びたての人物から、さらなる質量の情報が怒涛のように押しよせてきた。
 案内役が情報だけ押しつけ、あとはおまえ次第とつきはなしているのに対し、兄はいつなんでも仲介してやるという。のったが最後、公式に養子になったと認めてしまうことになる。
 ながめつづけた。
 
 

「あの、……ね」

 食事中、聞かれた。

「うん?」
「どうして……お握りまで、だったの?」
「初恋の味が仮に70年前のできごとだったとしよう。そんな時代に現在の世界最高である茶葉は存在しない。
 同じく70年前の茶葉は現存するはずがない。
 初恋の人が生存していたとしても初恋の味は再現できない。
 もとから存在し得ない話だった」

 皿に野菜炒めをたっぷり移した。

「父さんの子孫は父さんの求める味を血眼になって探した。条件にあうだろう者たちを次から次へとさらい、巨大邸宅の調理場で茶を淹れさせ飯を握らせつづけた。その者たちは一度で用なしになった。
 仮に人数が3桁にのぼるとしよう。対して食するはただひとり。
 誰がまずいだけの同じ飯を食いつづけたいものか。父さんはほどなくこの話題をタブーとした。
 なぜさぁやの茶、飯が?
 初恋の味とは70年前の現存し得ない再現不可能なものだ。
 完全に、忘れていたのさ。父さんの忘れた記憶だけが頼りだった。
 これぞ初恋の味だ、やっと思えた。理由は恋と同じだ、理屈などない」
「どうして……」
「営業は毎日がいの連続だ」

 失敗とはずれの毎日だ。

「配属されたとき、俺むきの職種とは思えなかった。ひとりで生きてきたからな。出遇いなどいらなかった。
 あのときもう、さぁやと逢っていた。それがすべてだ」

 きっと聞いてくれる。妻に愚痴を。

「俺がなぜ1年間さぁやに対しなにもしなかったか。
 手取りが月額10万円台だったからだ。大学時代、多少バイトしていて、多いときの月収はそれ以上あった。不遜なものいいをする、これではさぁやを守れない。新人で仕事も半人前以下。とてもさぁやを口説き落とし、守るから結婚してくれとはいえなかった。
 ゆっくり知り合えばよかったな。少しずつでいい。同期だからと近づいて、そこらの酒場で一杯やって……。
 恋愛より生活だった。金をためてさぁやと逢おうとしていた。その間さぁやが誰かとくっついていたら……」

 後悔どころじゃない。

「さぁやの友だちから知らせがあった、約束の飲み会の件だ。明日夜7時だ、どうする?」
「忠弘がいいなら」
「いい。もう3人、関係者を連れてきても怒らないなら」
「え? 3人、も?」

 多過ぎると驚いている。

「酒やさかなを出す酒場の店主役が必要だろう? 案内役が立候補した」
「ええ?!」

 あの野郎が酒場でねじりはちまきというのも一興。

「むろん、一課長がとめた。
 そうほっとするな、案内役はもうフランスに戻っている」
「ふうん……」
「店主役には、俺に引っ越しと転職を説明する予定だったあの大会社の営業一課長補佐がなるそうだ。名刺を交換しただろう、覚えているな」
「うん」

 補佐にどう謝っても、当事者がいないようですが? 軽くかわされた。当然だ。

「じゃ、あとの2人は?」
「渡辺君とやらだ」
「!」
「俺も多少借りがある。さぁやも、お茶事件の際飲もうと約束したそうだな。
 あの情報収集能力については多少興味がある。俺の営業トークで情報源を吐かせ飲ませつぶす」
 
 

 先日のランニング中。
 名義を変えないままの携帯電話から連絡してやった。

「せんぱーーい! 待っていましたよ! どうです、鬼の山本先輩のテクは!?」
「山本だ」
「……ひ。卑怯じゃ、ないですか……?」
「なにをいうつもりでいた」
「……あのぉ、ですねえ、恫喝とか脅迫とかは、やめていただけると……」
「吐けば先輩とやらに会わせてやろう」
「……うっわー……怖ぇ……って、会わせてくれるんですか?」
「いまどう吐くかによっては」
「……怖ぇ……」
「吐け」
「いやだから、往年の落としのナカさんじゃないんですけど……はあ、なにを吐けばいいんでしょうか……」
「なにをいうつもりでいた」
「いやだからその、どういう経緯でくっついたんですかとか、どうです感想はとか、今後のご予定はとか、……あたりさわりのない内容ですって! 遠慮したんですよこれでも! こっちから連絡しなかったじゃないですかぁ~~、社の皆にも伝えて回ったんですよぉ、するなってぇ~~」
「いい心がけだ」
「で、でしょ? だからその、会わせていただけるとありがたいんですけどぉ~~……」
「一杯のお茶事件の情報源を吐け」
「そんな! おれみたいな情報屋はそれ吐いたら終わりなんですよぉ~~??」
「吐け」
「だ、だからそのおおおお!!!」
「5回言ったが?」
「すみません吐かせていただき……はぁ、あの大会社の営業三課の社員とまあ、その……でして……って、先輩にはいわないでください! 軽蔑されます!!」
「軽蔑させる。続けろ」
「……怖ぇ……であの……」
「営業事務の1人ともそうだった、だな」
「……怖ぇ……」
「先輩とやらは渡辺君とやらを式に招くつもりでいたようだが。
 むりのようだな」
「いやあの、勘弁してくださいよぉおお……って、とやらが多過ぎますよ山本先輩!!」
「鬼がどうした」
「……どっひー……」
「多少は感謝しよう。俺の個人情報をどこで知った」
「……すみません、人事ともその……」
「この通話は録音している。渡辺君とやらの同棲中のお相手に」
「ひえええええええ!!! それだけはご勘弁をぉおおおお!!!」
「いま送った、死んでこい」

 飲み会の日時場所は教えてやった。修羅場のひとつもくぐってきやがれ。
 
 

「3人目は、父さんの長男だ。さぁやは直接会った、見たことがあるな」

 あの不遜な人物か。顔にかいてある。

「会いたくないな」
「うん」
「兄さんは」

 想いが通じれば守るものができる。

「さぁやと初対面時、にらみ殺したことをたいそう後悔している。謝りたいと」
「いらない。最近、直接謝りたいとか、直接感謝したいとか多過ぎる。いらない。私、忠弘だけ欲しい」
「わかった。
 公式でない弟になったばかりの俺とさぁやに、結婚おめでとうとは直接いいたいそうだ。それもだめか」
「……私、その人となんの関係もない。一度会ったからわかる、別世界の人だよ」
「父さんもか」
「……どうしてあのとき、いいよって言ったの」
「俺は20年間独りだった。父さんは30年間、想像を絶する。同情した」

 反論はなかった。

「まさか息子になれ、とはな」
「……うん」
「父さんは、あの偉大な超大物は権力を身にまとって生きている。
 権力を求めしがみつく、欲望ばかりを要求する人間を誰よりも唾棄する。周囲はそういった者ばかりだったろう。
 俺が欲望をかけらでも持てば、父さんどころかあの家の使用人たちが俺を一歩も近寄せない、ただ帰らせない。兄さんも、末の弟と呼びはしない。
 俺に私心はない」

 バスルームで一緒に歯をみがいたあと。

「……明日は、いいだろ」

 意識してほしい。

「眠って。……これ以上言わせるな」
「……うん」

 もう、独り寝はもうしたくない。
 午前0時で限界だった。愛の巣で、真っ裸で待ってくれる妻の脚を広げた。

「……ぁん」
「やっと……ないたか……」
「だぁ、ってぇ……ん、……ん……」

 びちゃびちゃ、じゅるじゅる、吸いまくった。

「ぁん……ぁん……あ、……う……」

 舌を、

「指か……俺か……ああ、全部欲しいか……」
「そう、だよぅ……」
「待てん……」
「きて……」

 あてがった。いつまでもせまい中をむりやり奥まで。

「ん……ぁううううう!!!」

 なかせてイかせた。何度も中に射精した、1週間分。

 やっと一緒に朝を迎える。

「おはようさぁや……愛している……」

 傷にキスしてくれる。がばり襲い、時間を忘れ、てもいいだろう……。
 
 

「忠弘ったら! もう18:30じゃない!!」
「いいだろあんなの。さぼろうさぁや」
「だめ! 営業が約束の時間を守らないでどうするの?」
「……またか、俺はいったい……」
「ね、香水を貸して?」
「貸してだと?」
「ん、もう。じゃ使うよ。えっと、挿れて忠弘?」

 時間まであと10分という、車のなかで。

「……たまったぞさぁや」
「忠弘の雲の上の上司が、今回は一晩中飲むわよって」
「……そうか。さぁや。わかった。よぉーーーーーっくわかった。
 覚悟しろ」
「いいよ、ベッドで火ぃふいちゃう」