大開脚。

52 大開脚。

 走った。
 目標、海を見る。

 致しつづけて怠けていた。
 筋肉がひさびさにアスファルトをとらえる。早朝から行動を開始しているお仲間の迷惑にならないよう、ゆきかう人々を気づかって。信号では足ぶみのまま。
 南下する。
 帰巣本能、時刻・方向感覚。忘れない、奪われない財産だ。

「はっ……、はっ……、はっ……」

 視界に入るものが移動しながら変化する。空が白んで明るくなる。消えゆく星はあえて追わない。

「朝陽にむかって走れ!!」

 ひた走ること数十分、目的地に到着。息があがる、筋肉が悲鳴をあげる。
 寝転がった。まぶしくて、視界を腕でさえぎった。

「はー、はー、はー、……はー……」

 のどがかわく。
 むちゃしてお助け連絡は情けないから、途中自動販売機のお世話になった。体にいいらしい液体は、透明な砂を胃につめこんでいるようなもの。

「甘えよう」

 プレゼントしてもらおう。買い物といえばデートだ。水筒を買って、水だけといわずつめてもらえばいい。ふたをするとき口をつけてほしい。感慨無量の味がする。
 自転車やバイクで移動、という考えはなかった。基本は足だ。営業でたたきこまれる入社前から移動手段はランニング。ほかは電車、まれに遠距離バスだった。車、タクシーで出社したのは鼻血を出したあの日だけだ。

 いかん、人生の真っ赤な歴史は封印しなければ。

 いやしかし、妻の扇情を見られないのは実にもったいない。大っ嫌いからあの姿はまさか想像できなかった。まったくうかつ。
 この弱点、必ずや克服しなくては。反復練習でもしようか? こうなったら新たな家を恐怖の館にしてやろうか。

 22歳で意を決し新築で買った住み処を2年もたたず旧宅と呼ぶことになるとは。人生なにがあるかわからない。

 予想もしなかった。未来は自分のなかになかったから。
 なぜと問われたとき、答えられなかった。からっぽのまま生きた。家を持ってなお家をやるといわれ気づいた。

 いっぱいやろう。拾った命だ。もらった命だ。やれるだけやってやろう。

 あったかいものを得た。おもいのたけ守って、やれるだけやってみる。

「でかけよう」

 遠出して、野原のにおいを知ってほしい。貝塚までの道のり、森や林のなかの道ならぬ道を一緒にいきたい。葉にさえぎられた木もれ日と樹がつくる影、おそろしいほどのコントラスト。手に手をとって走った先、波煌めき緑混じる青い海をふたりで見たい。

 そろそろ帰るか。

 料理中、小さくうなっているのが気になる。さて……。
 ブリッジ一発立ちあがり、わが家を目指して再び走りだした。
 
 

 生理です、致せません。言ったが最後、忠弘がどう出るか。

 あっさり、わかったでかけてきます。
 広い新居にぽつんと取り残され、まるでいままでがうそのようでしばしぼうぜんとした。

 まさかこんなことになるなんて。

 いや待て、前にもあった。致されそうな際どい週末。今回もひょっとして。
 愛の巣でひと休みした。
 
 

 忠弘はさわりの1週間、ずっとごはんを食べてはひとっ走り。日中でかけ、夜になると勉強した。なんという勤勉良夫。
 触発され、まじめに料理の勉強を。
 こうみえても好きで結婚した。きっぱり日中不在はとても寂しい。少しは近くにいたかった。近すぎると体力を心配するのに、離れられればころりと変わる。恋の正体はわがままとみたり。

 横からうかがう。
 同じ営業とはいえ、いままでとはまるで違うはず。あの猛者ぞろいの大会社に投げこまれるのだ。いったいどう挑むのか。
 忠弘のモニターには複数のウィンドウが。自動でスクロールさせているらしい。流れつづける情報、速度は一定でなく全部高速だった。一見してただながめているだけ。
 まさか全部一度に見ている?

「さぁや」

 まばたきを忘れて目がかわいていた。

「ん?」
「飯」
「うん」

 そろそろ手持ちの料理ねたが尽きた。
 切実に母に教わりたい。食材を見て料理する母。料理名なし、まさに家庭料理。いまさらながら大後悔、もっと習っておくんだった。
 家庭を渇望している男が家庭の象徴、母と通話もだめとは。

忘れた。

 キスしたい。頼りたい。
 でもまだだめ。1週間、きちんと時間をとらなくては。

 検索していろいろ悩んだ。配送先の新居の住所を知らない。
 おそるおそる聞いたら、

「いっぱいでかけよう、さぁや。あらゆる市区町村、都道府県、国で致そう。首都攻めなんていいと思わないか」

 いやです。

「致したくなったので気分を変えよう」

 うれしいです。

「飯のあと視聴室で映画を見ないか。
 こうみえてコメディが好きでな。ギャグ映画をよく見る。ホット・ショットはどうだ? 俺は2から見たのでそっちがいい。いやか」
「……ううん。見る」

 意外な提案。

「あとでさぁやの趣味を教えてくれ。俺の趣味はこちらブルームーン探偵社、ポリス・アカデミー、たどりつけばアラスカ、摩天楼はバラ色に、キツい奴ら、裸の銃を持つ男、ビーナスハイツ、課長バカ一代、聖☆おにいさん、極主夫道等々。情けない、思わず吹きだしてしまうのがいい」

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 少し知っているタイトルがあった。楽しそうだ。

「さぁや、頼むからあの下着は着るなよ」

 情けない、がひっかかったな。

「ほかの下着は?」

 言葉責め、ならぬ下着責め。したいよ?

「……いうな。鼻血だ」

 忠弘が視線を斜め下に落とした。勝てそう。

「じゃ処分しちゃう?」

 その前に絶対着てやる。

「……いや。最初のやつならなんとか耐えられる」
「ほかにはどんなのがだめ?」
「最初の観音様で十分鼻血だった……まさに気合だったな。さぁやは刺激が強すぎる」

 緩急、落差をつけたかいがあった。

「じゃ、ほかにはないの?」
「想像するだけで鼻血だ」

 でしょうね。

「じゃ、聞かない」
「聞いてくれ」
「もう。どっち?」
「鞭とろうそくというのは……」

 さっさと席を立った。
 
 

 ハウスウエアに着替え、玄関へむかったら滂沱のぱんだが気落ちして待ちかまえていた。
 手をつなぐととたん忠弘は喜色満面、これ以上の喜びはありませんと体いっぱいで表現する。

 コンビニで、すぐになくなる食料品の補充を。

「にんじんくらいは知っているんだよね」

 食材がなにか少しは教えよう。

「形状からしてきゅうりも入れていいのでは」
「仕事で商品を扱うために原材料を熟知する必要があるように、食材も名前と商品を結びつけて覚える、ってできるんじゃない?」
「ああ……なるほど」

 初めて思いついたな。

「たとえばね。たとえばだよ。私がどうしても家から出られないとき、なにか食べなくちゃいけないでしょう? 食材を買うリストのメモを渡すから、買ってきてほしいの。いい?」
「うん」

 素直ないい男。
 買い物のしかた、食材の名前を教えた。

「これが卵、わかる?」
「うん。入れると中で割れて痛そうだ」
「……あのね。油をひくの油って、なにかわかる?」
「ガソリン?」

 論外だ。先は厳しいぞ。

「じゃ、卵を割るって聞いてどう想像した?」
「握りつぶす」

 以下同文。

「お肉は難しいな。豚、鶏、牛。違い、わかる?」
「聞くほうがやぼだ」

 そうでしたね。

「営業的感覚で、覚えて?」
「まさか仕事ができん男がどうのと……」
「いわない。研究。課題。得意でしょ?」
「得意だが、このままだと料理しろといわれそうだ」
「どうしてかたくなに料理しないの?」
「んなもんしたらさぁやに捨てられる」
「……は?! どうして?」

 なにをいまさら。

「料理してくれとプロポーズしたんだぞ。できないから同情してもらったんだ。奇跡的に料理してみろ。ああそちらさんできたんですね、即お別れだ」

 なにかいっぱい全部間違っている。

「俺は死んでも料理せんぞ。カップラーメンがない、手料理は精液だけだ。死んでも飲め」
「ん、いいよ」

 うまいと思いこんで勢いでなんとか……まずいです。

「お勉強再開。はい、朝のわびしいマンネリ食材。庶民の魚もちゃんとあってよかった。高級魚ばっかりだったらたいへんだよ」
「まったく見分けがつかない。実に難しいが研究しがいがあるな。みていろよ、料理はしないが情報だけはさぁやより持ってやる」
「うん、その調子」

 いっぱい作ろう。
 でもなんにしよう。

「これはどうだ」

 なんと、あの忠弘が料理の提案だ。ああ驚いた。

「なすを握りしめてなにか意味があるのかな」
「やはりこれが」
「だから……バナナがどうしたの? 食べたい?」
「聞いたところによると、さつまいもを加工するといいらしいが、どこにある?」
「誰に聞くの? このあいだからなにやらかにやら……そういうお友だちがいるんだ。ふうん。
 私がなにをいいたいか、わかるよね」

 さっさとおいていったら捨てないでとすがられた。

 忠弘に後ろから抱きしめてもらって料理開始。かなり余裕を持てた。いつもこうだったらなあ……むり?

 歯をみがき、ホット・ショット2を鑑賞した。
 いわく、ラマダよりミシェルがいい。あの意味のない後方宙返り、ショーツなしによる生足360度大開脚はやってもらいたい、して? さーや。だと。するかできるか。
 好みを聞かれた。映画、ドラマも恋愛もの。主演男性俳優の優しくてセクシーな笑顔がいい。

「そうか、さぁや。俺の目の前でんなこというか」
「さっきミシェルのほうがいいって……」
「生足360度大開脚をさぁやにしてもらいたかったんだ」
「だから2のほうがいいの?」
「それ以外あるか」

 よく仕事できているなあ……。俺の気合! だそうです。