陽光。

46 陽光。

 淡い朝だった。

 リムジンを降りた先は5階建て。しゃれた洋館のよう。
 歩くと扉がひとつ開き、次も開く。誘われるように入った。1階の家、玄関へ。

 開けたすぐそこに、

「忠弘!」

 広くて温かくて大きな背中。抱きついて甘いにおいを吸いこんだ。頰で髪の毛をなでる。
 髪にキスして、耳に、頰に。きれいに剃られたひげのあたりに舌を落とす。

「忠弘、すき、好き……愛している……」

 いったん腕を解き、真正面にむきあう。
 目をつむっていた。まつ毛が濃い影を落としている。

「……忠弘?」

 組む脚の上に乗ってついばむようにキス。

「忠弘。ね、忠弘?」

 口を真一文字に結んだまま。

「私に、……あきた? 捨てる?」

 がばっと抱きしめられた。強引で激しく熱い、忠弘そのもの。守られている、大切にされている。

「誰がさぁやを捨てる!!」
「やっと声、聞けた」

 腕すら回せないほどぎゅっと抱きしめられる体格差。厚い胸板、たくましい腕。
 組み伏せられたい、攻められたい、むちゃくちゃにされたい、征服されたい、犯されたい。
 なんでもして。

「どうしたの? ね、忠弘。すき。……して……挿れて……」
「……さぁ、や……」
「……ん?」
「俺……」
「ん……」
「……俺」
「ん……」

 声まで好み。耳もとでささやいて、私を落として。

「情け、……ないだろ」
「なんのこと?」

 肝心の顔が見えない。

「……いいんだぞ」
「? なにを?」
「……情けないって、……言っていい」
「えっと、……なに?」

 少し、間があって。

「……鼻血」

 がっっっくり。

「……いいんだぞ。情けない男は大嫌いだ。鼻血男は嫌いだ。格好悪い男は大嫌いだ」
「忠弘が好き、あと知らない!! だから連絡しても出なかったの?!」
「出られるか!!
 ……そちらさんのような情けない男は大嫌いと……いわれるかと……」
「愛している忠弘! じゃなに、忠弘の妻は夫をこけにする最低女?!」

 ぎゅう抱きしめられる。見えなくてもわかる、困った顔してすねている。

「忠弘のさーやはそんな女?! 言って!!」
「……違う」

 小声で慄えておびえている。

「ちゃんとごはんを食べているかって、眠っていなかったらどうしようって、ずっと心配していたんだから!!」
「……うん。……さぁや、……愛している……」

 ほっぺで髪をすりすり。甘えてすがる忠弘の十八番、声まで5歳児。

 腕をゆるめて、性に濡れた瞳で一瞬見つめあい、すぐ目を閉じて、舌の分だけくちびるを開けて舌を求めあった。重ね、奪いあい、角度を変え、吸ってからめてはなさない。甘い唾液を飲みあった。

「ん……ん」

 舌と同じ熱さの唾液がぷっつり切れても。

「さぁや」

 見とれるほどいい男。心配もふっ飛んだ。

「……ん?」
「最終確認だ」
「……ん?」
「俺がいいんだな」
「うん!」
「もう聞かないぞ」
「うん」

 なんのことやら。

「……よし。話をしよう」

 立ちあがり、妻をひょいとお姫さま抱っこした。

「?」

 まさか、こんなに自然な動作でロマンティックする?
 メインリビングルームという空間は生成り色とオフホワイト。繊細なレースのカーテンから光がもれ、空間を淡く照らしていた。

「いいたいことがあるだろう。聞きたいこと、したいことがあるだろう。俺もだ」
「うん」
「まず俺が順に。ところどころでさぁやに質問するし、さぁやも聞きたければ言ってくれ。俺の話がおわったら、さぁやが言ってくれ」
「うん」
「俺は昨日朝、鼻血大出血のあと」
「もう……いいのに」

 忠弘が左手をとって、指輪をなめあげた。

「……ぅん、もう。すき、忠弘」

 まつ毛で濃い影を落とす目を閉じて、角度を変え、左手薬指をくちびると舌でもてあそぶ。ちゅっちゅ、音をたてて。

「さぁやにあわせる顔がなく、上司を説得することもできず」
「いいのにもう……すき、忠弘」
「とたんに奇声でフランス行きだ」

 そんなのもあったな。

「頭にきた。俺は周囲を怒鳴り飛ばすくせがある、らしい。かげでうわさされている。
 なにがファーストクラスだ、どうせ一課長と秘書の陰謀だ。週末のさぁやのヒントでわかった」

 当たっている。

「案の定、ビルの出入り口にあの大きい車が停まっていた。
 そんなに怒鳴られたいか、よしわかった。乗りこんだら車内に先客がいた。便宜的に案内役と呼ぶぞ、誰かはわかっているだろうが」
「うん」
「案内役が、

引っ越しだ、新居へ案内する。なかを見て、旧宅からなにを運べばいいか選択しろ。

 プライドずたずただ」
「え?」

 どうして?

「予測はしていた。
 さぁやは甘い初夜を求めていただろう? あれ以上くどくど言って雰囲気を壊したくなかった」
「……そう」

 ロマンティックができるかも。きざな忠弘というのもいい。見たい。

「案の定新居とやら……、ここだが。は。
 ……文句なしだ。少しでも威圧感、高飛車、華美、豪勢、などをにおわせたらすぐ引き返したがな。
 なんらプレッシャーを感じない。最高級のものしかないのに存在を主張せず控えめで、どこかレトロでノスタルジックで……ほっとする空間とは、こういうことをいうんだな」

 人造コンクリートの冷たさがない、あったかい建物。

「俺が多少凝っている音響機器にしたところで完敗だ。
 いくらいい性能のスピーカーを持っていても、それなりの音量を出せなければ意味がないだろう? 一般的な構造のマンションで大音量などもってのほかだ。
 ここの防音設備は完璧だそうだ。スピーカーもスクリーンも視聴室形状専用に設計した映画館並み、広さもなにもかも文句なしだ。
 肝心要の愛の巣、寝室だがな。俺が不眠症だと友だちは全員知っている。あのベッドは寝具店の友だちが同情して用意したものだ。いくら横になっても俺の症状は変わらず、友だちにはいえん。
 ここのはクイーンサイズ、シーツはシルクだと。どこで調べたんだか俺とさぁやの、なんだかに基づき枕もスプリングも専用設計。寝たが確かに気持ちがよかった。実はすぐに熟睡した。
 服にしても案内役は、さぁやが天井知らずな一点物しかまとわん、隣に立つ俺はどうだと。……俺のスーツは紳士服店の友だちがきちんと仕立てたものばかりなのに……。
 転職で必要だろうと、案内役にしか権限のない、大会社のデータ閲覧権レベル10、つまり全部だ、を一課長と秘書には内緒でもらった。さっきまで見ていた。
 俺の持ち物で旧宅から持ち出したのはバックアップメディアだけだった。案の定プライドずたずただ。悔しくて眠れなかったがさぁやが心配するかところり寝た」
「じゃ、私のは?」
「強硬に反対した。さぁやのだぞ、なにがあっても手出し無用だ。
 んなもん当然だと文句をいわれた」
「え?」

 なんだろう。

「台所まわりだ。俺はさっぱりわからん、さぁやの領分だ。
 料理ができなくともどこで器具をそろえたかは知っているだろうと。
 ここのはぼうる、だかなんだか知らんが一品ごとにこの国に数点しかないものだそうだ。なぜ料理のりの字も知らん俺が台所まわりの話でまで黙らされる。
 案内役は、どこで買ったかは聞かんでやるがどうせ新居のものを使うはずだ。愛着はあるだろう。新居の荷物置場に、どこになにを運んだかわかりやすくおいたらどうかと。……命令されたら反発したが……。
 さぁやの持ち物、台所まわりのものはなるべくわかりやすくおいたつもりだ。あとで見てくれ」
「……うん」

 主婦の領分を気づかってくれる。なかなかいい人?

「旧宅で、さぁやの弁当を独り泣きながら食ってあの家とお別れだ。その後どこぞの高飛車な衣服店に連れられ採寸。なにが悲しくて体のすみずみを測られなければならん。裸なぞもうさぁやにしか見せんぞ」
「うん、お願い」

 ひとの夫の体を他人に見せたとは。前言撤回、悪い人決定。

「案内役は旧宅にも新居にも入らなかった。当然だが。
 広い車内で引っ越し以外の話があるという。
 案内役は本社ビルに専用部屋がないそうだ。あの大会社の最高職位は代表取締役社長だった。案内役のためだけに、創業以来初めてあの職を設けたそうだ、一課長がな。
 案内役は肩書立場になんら固執しておらず、一筋という夫人のそばにいたくてさっさと引退したかった。困る、名誉職でいいから残れと一課長が懇願、むりやり創ったそうだ」

 偉いやつと肩書は大嫌い。忠弘の仕事、考えを切り替える。

「車内だ、密室。あの野郎と2人でなどいやだったが、最初からなにひとついいかえせなかった。しかたがなく話を聞いた。
 転職をすすめられた。内容を聞く前に断った」
「え?」