不幸な男、見参。

45 不幸な男、見参。

SUN, 30 AUG 2009

 着いた喫茶店は外からでもコーヒーのかおりがただよっていた。うぅんいいぞ、琥珀色は熱い。

「っぎゃあああっっっーーー!!」

 もういい。帰ろう。
 目の前には立ちどまる椎名の背。

「好きよーーー結婚してーーーー!!!」

 絶叫するしおり。

「どっっっひえーーーーー!! あっっっぎゃあああーーーーー!! そ、そんなぁあああ!!! やゃゃゃゃやめてくださいよぉおおお!!!」
「やっっっかましい!! こんな美女がまたいでやってんのよ、いいから結婚しなさあぁあああいぃいいい!!」

 まばらな客は全員脱走した。私もいいよね。

「あなたはだめよ」

 椎名が強めに念押しする、おそらく店のマスターさんらしき人。

「……逃げていいよな?」
「残念ねえ」


 淹れかたを教わった帰り道。

「あなたはまた、と~んでもないことをしちゃったのよ。いいかげん自覚してね?」
「えー……っと」

 ぽりぽり頭をかいた。

「あの老人、長男。会長、大切な友人、私。
 一日でこれだけ動かせばもう十分よ。まさかほかにもご予定が?」

 早く帰りたいという予定なら朝からありますよ。

「負けたわ、完敗よ。弊社の取締役に招聘でいかがかしら。あ~ら臨時株主総会を招集しないとねえ」
「そろそろいい?」
「やっと?」

 観念した。

「バーに戻るわよ」


 超高層ビル最上階のもとの席で、モスコミュールを頼んだ。椎名の手つきも慣れたものだった。

「まさかこんな時間に、本題を私から話すことになるとはね」

 日中のようながぶ飲みはしなかった。一口だけ、含むように。

「あなたはしおりの命の恩人よ」

 違う、偶然、私の力じゃない。

「想いを遂げたあなたなら意味、わかるわね」
「……うん」
「あとでしおりから直接、感謝の言葉を聞いて。お願いよ、このとおり」

 ゆっくりと頭を下げ……。

「やめて、玲さんは忠弘の未来の上司でしょう? それも雲の上の」
「ええ、こうなったら肩書をふりかざして前言を撤回するわ。
 お願いよ、少年とともにしおりと会って。どうしてもお願い。式にも、披露宴にも出てちょうだい」
「うん」

 しおりの花嫁姿はどれほどきれいだろう。

「……さぞ、少年を説得しづらいでしょうね。いいの?」
「うん」
「……ありがとう。ほかに言葉がない……一日に何度いわされるやら。連絡するわ、抜いたら返事してね?」
「うん。それでね」
「なにかしら。なんでもするわよ」
「なんでもはいわないほうが……えっとね」

 真摯な慈愛の瞳が、

「忠弘と流れで、いつかどこかで飲もうって話したの。
 私と忠弘、玲さん。しおりとお相手さん。5人で飲まない?」
「ありがとう……」

 グラスの氷がからんと鳴った。

「一晩中つきあってもらうわ。少年は営業畑、酒はざるでしょうね。事前面接してあげる」
「ははは……十日間で大きいごみ箱3つに500ml缶いっぱいだったな」
「まだまだね」

 笑いあって、しばし酒と景色を堪能した。


「少々……うたっちゃおうかしら」

 今日は何本空けたのやら。いくら飲んだのやら。

「友だちをひっとらえて吐かせたの、少年の大学時代。
 快楽にまったく興味がなかった。聞いたそうよ、まさか知らないのかって。

山本忠弘
山本忠弘

知っている。どうでもいい。

 遊び盛りの年ごろ、つきあわせて某所へ連れていった。複数の店員がすぐに群がり、われ先に脱がせた。少年は誰も見なかった。

山本忠弘
山本忠弘

みな俺にこうしてくる。なんの意味があるのだろう。

 初体験も似たようなものだったでしょうねえ。
 初恋の君はあなたよ、清子さん。
 気づいていたでしょう? 少年の愛しかた。惚れた相手を見つけたらその人にすがって、ほかは見ない」
「子どものころに逢っていたらなあ……救ってやれたのに。傲慢かな?」

 立ちふさがってあげたかった。笑顔を奪い、あんな瞳にさせた者たちすべてから。

「あなたの場合は違う。
 合格してすぐバイトを始め、ほぼ寝ずに肉体労働だけを選んで何箇所もかけもちしたそうよ。無尽蔵の体力持ちの理由。
 引っ越し店の友だちがいるわね? 引っ越しもやっていた。販売店の友だちがいるのは工場ラインで働いていたから。そうして友だちを増やしていった。学内だけじゃなかった。いつ勉強していたのかしらねえ。最低限の単位だけはとって、試験結果は極上だった。
 貯蓄はもうかなりあったのよ。一切無駄金を使わずに。
 どんなに愛せといっても実態はお疲れなのよね、少々助け舟を出すわ。3週間に1回程度散髪にきて?」
「ああ……」

 忠弘と一緒なら。

「半日かかる、そのあいだ体を休めて。眠っていればいいわ」
「……うん」
「予言するわ、少年は過保護になる」
「ええ……?」

 中身は5歳児、かまってかまってと甘えすがる姿しか想像できない。

「かなりの心配性にもなるわ、断言できてよ」
「どうして?」

 自信満々だ。

「兆候があるでしょう?
 自分がいないあいだ、高価な食器を割ってけがしていないか。部屋を歩いているとき意味もなくけつまずいて床に頭を打って昏倒していないか」

 風がふいてなにかがもうかりそう。

「一代で名をなした大人物の二代目は、多くが凡人でしょう。
 大人物になれたほどの凄惨な生きかたをした人物は、かえってわが子を甘やかしてしまう。大昔から時代、国を問わず多くみられた例よ。
 逆もある。わが子にもっと凄惨な人生をくれてやった牙持ちもいる。
 聖域と定めた恋する相手だけは違うのよねえ。愛情多過だからこそ、蝶よ花よと接するのよ」
「ないない。私を荷物みたいに運ぶんだよ、ロマンティックのかけらもない。初夜くらいはって頼んだら誰がするかって断られた」
「一緒にいられる4か月間はね。
 中途入社後はどうかしら? 私たちにこき使われながら、愛嬌をふりまきながら頭のなかはあなた一色よ。ちゃんと食べているか。眠っているか。逢えない時間が長くなれば、いま生きているか心配するわ」
「……極端だなあ」
「お昼は、夕ごはんはなにを食べたか。なんでもないことでいい。毎日同じ内容でいい、連絡してあげて。
 きっとよ?」

 00:12。気力もつきた。

「なかなかな一日だったわ。まだまだね、私も。
 ありがとう。ほかに言葉がないわ……」