不幸な男、見参。

45 不幸な男、見参。

 着いた喫茶店は店外からでもコーヒーのかおりがただよっていた。うぅんいいぞ、琥珀色は熱い。
  
「っぎゃあああっっっーーー!!」

 もういいや。さっさと帰って家に閉じこめられよう。
 目の前には立ちどまる椎名の背。

「好きよーーー結婚してーーーー!!!」

 しおりが絶叫。

「ぅぉおおおいぃちょっとお客さん?!」

 別な絶叫。ひとごとでいいよね。

「どっっっっひえーーーーー!! あっっっぎゃああああーーーーー!! そ、そんなぁああああああ!!! やゃゃゃゃやめてくださいよぉおおおお!!!」
「やっっっっっっかましい!! こんな美女がまたいでやってんのよ、いいから結婚しなさあぁああああいぃいいいいい!!」

 絶叫が交錯、まばらな店内の客は脱走した。私も逃げていいよね。
 椎名と計3人でドアに背を向ける。なんとなく横一列に並んだ。なんとなく。

「どうなっているんだって。聞いて、いいかい」

 マスターさん、かな? 椎名が、

「前略すると」
「しねえでほしいんだが……」
「私の隣の大切な友人が、こちらのお店の味を気に入ったので実際にコーヒーを淹れるところが見たくておじゃましましたの」
「全然、現状に即していねえが……ああそうかい。光栄だ。
 残念だったな、わけわからねえがいま戻ったら誰でもじゃまだ」
「ちょっと事情があって、今日しか時間がとれないんですの。なんとかならないかしら」

 そうよ、そうそう。

「だから……全然、現状に即していねえんだが……」

 いや椎名が正しい。

「こちらのお店は日本一の喫茶店とうかがいましたのよ。美技をお見せくださらないかしら」

 気分は馬手めてにサーバー弓手ゆんでに豆。

「はぁ?! にっぽんっておいおい、下から数えたほうかよ」

 味を探求し制服のとき行ける範囲の喫茶店はほとんど回った。
 ここは実家に近い、きたのは初めて。大学入学後にできた店か。

「このぶんだとしばらく営業不可能ですわ、なんとかなりません?」
「……待てよ、お客さんを前に見たことがあるような……」
「さすがですわね。ええ私、そちらさんのお友だちの部下ですの」

 椎名の上司。課長の上といえば次長か?

「にっぽんいち、部下……あの野郎か」
「おわかりいただけたようですわね。
 ご協力願えます? なにせ隣にいる私の大切な友人はあの方を動かして、結果夫人をひとりおき現在単身都内におりますのよ」
「本当か?!」

 知り合いかな、面とむかって話せばいいのに。

「ご興味おありでしょう? お話もしたいですし、なんとかなりません?」
「……了解、俺んちにきてくれ……あーああ」

 交渉成立。
 自宅らしき、電車を降りたすぐ近くのFというアパート。

「いっておくが俺は所帯持ちだ。いまここにはいねえけどよ」

 かまわずおじゃまする。
 喫茶店内と同じにおいがただよう。常時淹れている証拠だ、鼻がぴくぴくする。

 手招きされた。さっそくか、手順がいいじゃないか。
 はいと返事して台所らしき空間へむかった。
 深々と頭を下げ、

「よろしくお願いします。つきましては、授業料を」
「いらねえ、コーヒー一杯分のお代でいい。なにがいい?」
「マンデリンで」

 ずらり並んだガラス瓶が全部大きい。さすが。

「了解。一度だけだ、気合で見てくれ」
「はい」

 いい挑発だ、気分よくのれる。

「サイフォンか?」
「いいえ、フィルターです」
「よし」

 水は冷蔵庫からレトロな銅ポットに。どれだけ使いこんだか。マンデリンを銅のスプーンで量り、挽く。カッティング式の音も心地よい。

 外は明るければ、一面の空と海。
 
 

 3人、ともに座ってカップをかたむける。

「ん……」

 すばらしい。まだまだだ、待っていてね忠弘。

 さいごまで飲んでも熱さは変わらなかった。ほどよい重さのカップ、最高に気分がいい。これぞコーヒー。
 ソーサーにかちりとおいて、

「ごちそうさまでした。お代は?」

 支払いの際、携帯電話をちらりとみる。通知なし。
 
 

 目的は果たした、さっさとお別れ。

「でさあ。
 所帯持ちの俺が美女2人を夜自宅に連れこんだのは問題があるんだ、わかってくれ。手短に頼む。
 さっきのあれはいったいなんだ?」
「さっきの美女は私の大切な友人よ。名はしおり。プライドがとても高くて根は寂しがり。やまほどまたいできたけど」
「あのなあ……」
「意中の相手を見つけたら即行でものにする、その場で結婚すると決めていたらしいの。
 以上がさっきの現場ですのよ、おわかりいただけまして?」
「だから……」

 たぶん説明がたりないよ。

「自己紹介が遅れたわねえ、椎名玲と申します。とても味が気に入ったので、またまいりますわ。
 ただし通常営業がいつできるかは、しおりの気分次第よ」
「あんたんちはどういう社員教育なんだ……」

 同感だ、忠弘大丈夫かな。

「お友だちにどうぞ、いま都内にいらっしゃるわよ」

 社長をおつかいに出すしおりを誰がどう教育できるのだろう。次長じゃむりだ。

「殴り倒す。じゃなにか、俺んちはしばらく都合により休業か」
「ええ。補償はお友だちが喜んでしますわ」
「そういう問題じゃねえ。俺んちは気分次第の経営で臨時休業が多いんだ。行けばいつも休みの店に固定客がつくか。見たろ、客はいつもまばらなんだよ、どうしてくれるんだ!」

 味がいいのに客はほとんどいない、喫茶店あるある。

「しおりの配偶者のプロフィールをうたってくださる?」
「何用語だあの野郎……」
「手短に申しましたわ?」
「へいへい、うたうよ、うたいやすよ……あの野郎は必ず殴り倒す。えーっと、名前は」

 まったく興味ない、聞き流した。

「俺はいとこと呼んでいる。ウェイターだ」

 臨時休業が多いのに人を雇っている。すばらしい。

「いとこをどうこうできんのは俺じゃねえ、くされ縁のほうだ。気まぐれでな、自慢じゃねえが俺の意見も聞かねえよ」
「気まぐれさんとは日本一の調理師ですわね?」

 さすが椎名、人脈が広い。

「大丈夫ですわ、そちらさんのお友だちのお友だちですもの。恋が成就したんですのよ。じゃまするなど、どこの誰でも馬にけられて死んじまえですわ」
「いやそれだと友だちとか全然関係ねえような……」
「式と披露宴はどこかしらねえ」

 きっと招待される。ご祝儀で金欠になるんだ。
 迷惑そうなあの表情、実はこっそり憧れていた。相場はいくらかな。

「俺の意見はいわせてもらえねえんだろうか」
「ええ」

 3万円じゃたりないか、先月使いすぎたしな。しまったお給料いりませんって言っちゃった。どうしよ。

「問答は無用よ。たとえ誰が出てきても、椎名玲の名にかけて婚姻は成立させます。というか成立しちゃったわ?
 清子さん、連れこまれるのは少年だけでいいでしょう? 話は決まったわ、帰りましょう」
「うん」
「いやだから、あんたらなにしにきたんだよーーー!!!」

 リムジンが夜目にも光り輝いていた。白手袋をはめた制服の人がドアを開けてくれる。ぺこりと目礼、2人で後部座席に乗った。
 
 

 車がゆっくり動きだす。
 椎名が貫禄たっぷりにほほ笑んだ。

「清子さん。あなたはまた、とーーーんでもないことをしちゃったのよ。もういい加減、自覚してね?」
「えー……っと」

 ぽりぽり頭をかいた。

「あの老人、長男。会長、大切な友人、私。
 一日にこれだけ動かせばもう十分よ。まさかほかにもなにか予定が?」
「いえあの……」

 早く帰りたいという予定なら朝からありますよ。

「負けたわ、完敗よ。弊社の取締役に招でいかがかしら。会長に報告しがいがあるわねえ」
「えー。ですから……」
「ごはんにしましょう。この件がなければあなたをもっと早く解放してあげなかったけど、やはり解放できないわ」
「そろそろいい?」
「やっと?」

 観念した。

「ラーメンが食べたいな。忠弘にはのびるから作れなかったの。いきつけのお店、炒め野菜山盛りみそチャーシュー。おごって?」
「了解」

 ラーメン店の真ん前にリムジンで乗りつけ悠々と降りて店内へ。

「あぁらおいしいわねえ、ラーメンはひさびさよ」
「でしょ? この細麺がいいんだよね」

 秋の夜とはいえまだまだ暑い。ふうふういいながら汗だくで食べた。

「バーに戻るわよ」
 
 

 超高層ビル最上階のもとの席に座る。

 モスコミュールを頼んだ。椎名の手つきも慣れたものだった。

「まさかこんな時間帯で、本題を私から話すことになるとはね」
「えーっと……」

 日中のようながぶ飲はしなかった。一口だけ、含むように。

「あなたはしおりの命の恩人よ」

 違う、偶然、私の力じゃない。

「想いを遂げたいまのあなたなら意味、わかるわね」
「……うん」
「あとでしおりから直接、感謝の言葉を聞いて。お願いよ、このとおり」

 椎名がゆっくりと頭を下げる。

「やめて、玲さんは忠弘の未来の上司でしょう? それも雲の上の」
「ええ、こうなったら肩書をふりかざして前言を撤回するわ。
 お願いよ、少年とともにしおりと会って。どうしてもお願い。式にも、披露宴にも出てちょうだい。少年が就職したら暇はない、どうしてもあの家から出てきて」
「うん」

 しおりの花嫁姿はどれほどきれいだろう。

「……さぞ、少年を説得しづらいでしょうね。いいの?」
「うん」
「……ありがとう。ほかに言葉がない……一日に何度いわされるやら。連絡するわ、抜いたら返事してね?」
「うん。それでね」
「なにかしら。なんでもするわよ」
「なんでもはいわないほうが……えっとね」

 真摯な慈愛の瞳。うまく返せない。

「忠弘と流れで、いつかどこかで飲もうって話したの。
 私と忠弘、玲さん。しおりとお相手さん。5人で飲まない?」

 忠弘と一緒にしおりの話を聞こう。

「とてもいい案ね。ありがとう……」

 椎名のグラスの氷がからんと鳴った。

「どうしても貸し切りにするわよ、建物ごと」
「え?」

 そんなに多い人数ではないのに。

「不特定多数が行き来するところは警護しにくい。お願い、丸ごと貸し切りにさせて」
「友だちでしょう、お願いじゃなくていいよ。私のいきつけはどうかな」

 店の名前と住所を教えた。

「了解よ。一晩中つきあってもらうわ。少年は営業畑、酒はざるでしょうね。事前面接してあげる」
「ははは……十日間で大きいごみ箱3つに500ml缶いっぱいだったな」
「まだまだね」

 笑いあって、しばし酒と景色を堪能した。
 
 

「少々……うたっちゃおうかしら」

 今日は何本空けたのやら。いくら飲んだのやら。

「少年の友だちをひっ捕らえて吐かせたの。少年の大学時代。
 快楽にまったく興味がなかった。聞いたそうよ、まさか知らないのかって。

知っているが、どうでもいい。

 遊び盛りの年ごろ、つきあわせて某所へ連れていった。複数の店員がすぐに群がった。誰もがわれ先にと少年を脱がせた。少年は誰も見なかった。

皆俺にこうしてくる。なんの意味があるのだろう。

 初体験も似たようなものだったでしょうねえ。
 つまり初恋の君はあなた、清子さんなの。
 気づいてはいたでしょう? 少年の愛しかた。惚れた相手を見つけたらその人にすがって、ほかは見ない」
「子どものころに逢っていたらなあ……救ってやれたのに。救うなんて、傲慢かな?」

 立ちふさがってあげたかった。笑顔を奪い、あんな瞳にさせた者たちすべてから。

「いいえ、あなたの場合は違う。本来は99%傲慢だけど。
 少年は人生に意味を見いだせなかった。ヤクザはよく学校の勉強をさせたわ。自活する意味、できる意味。稼げば自力で世間の視線を気にせず屋根の下にいられること、寝具にありつけることを教えていった。
 少年は大学に合格してすぐバイトを始めた。ほぼ寝ずに肉体労働だけを選んで何箇所もかけもちしたそうよ、無尽蔵の体力持ちの理由。
 引っ越し店の友だちがいるわね? 引っ越しもやっていた。自動車会社の友だちがいるのは工場ラインで働いていたから。そうして友だちを増やしていった。学内だけじゃなかった。大学の勉強をいつやっていたのかしらねえ。最低限の単位だけはとって、試験結果は極上だった。
 少年は大学時代、貯蓄がかなりあったのよ。一切無駄金を使わずにね。
 どんなに愛せといっても実態はお疲れなのよね、少々助け舟を出すわ。3週間に1回程度、エステにきて? ふたり一緒に」
「え?」

 もう気力も尽きかけて、ぼうっと聞いていた。

「散髪よ。髪ぼうぼうはないでしょう? 少年はあなたに惚れてほしくて外見を保つことにはかなり気を使っていたはず」
「ああ……」

 最初の朝を思い出す。びしっとスーツ。

「半日かかるわ、その間体を休めて。眠っていればいいわ」
「……うん」

 椎名が少々うたう。
 一杯のお茶事件がおこるきっかけとなった、直前のキャンセル。
 椎名の大切な女性という会長夫人から、家族3人がひさびさにそろったからお話がしたいと、あのタイミングで聞いた。即座に補佐へかわりを命じた。
 補佐でなめるようなら椎名は女性でより年上。ひょっとして、頭から茶をぶっかけられたかもしれないと笑った。

「少年はあなたをとても過保護に扱っていない?
 箸より重い物を持つな。料理以外の家事そのほかをするな。俺に愛される以外なにもするな。どう?」
「極端だねえ。食材は私が買って毎日重いものを持っているよ」
「過保護ではない?」
「ううん、忠弘は自分を過保護に扱ってほしい男。連れこんだ日から全開で私にすがっているし」
「予言するわ、きっと近いうちに過保護になるわよ」
「……そうかなあ」

 中身は5歳児、かまってかまってと甘えすがる姿しか想像できない。

「かなりの心配性になるわ、断言できてよ」

 自信満々だ。

「どうして?」
「兆候があるでしょう?」
「私、家を出ないよ」
「一歩も外に出さず、浮気不倫もない引っ越し先に閉じこめても心配するわ。自分がいないあいだ、高価な食器を割ってけがしていないか。部屋を歩いているとき意味もなくけつまずいて床に頭を打って昏倒していないか」
「極端だなあ……」

 風がふいてなにかがもうかりそう。

「一代で名をなした大人物の二代目は、多くが凡人でしょう。
 大人物になれたほどの凄惨な生きかたをした人物は、かえってわが子を甘やかしてしまう。大昔から時代、国を問わず多くみられた例よ。
 逆もある。わが子にもっと凄惨な人生をくれてやった牙持ちもいる。
 それでも、聖域と定めた恋する相手だけは違うのよねえ。愛情多過だからこそ、蝶よ花よと扱うのよ」
「ないない、忠弘は私を荷物みたいに運ぶんだよ。ロマンティックのかけらもない。初夜くらいはって頼んだら誰がするかって断られた」
「常に一緒にいられる4か月間はね。
 中途入社後はどうかしら? 私たちにこき使われながら、営業先で愛嬌をふりまきながら頭のなかはあなた一色よ。ちゃんと食べているか。眠っているか。逢えない時間が長くなれば、いま生きているか心配するわ」
「極端だなあ……」
「仕事を再開すればわかるわ。あなたのほうから連絡してあげて。
 お昼はなにを食べたか。夕ごはんはなにを食べたか。なんでもないことでいいの。毎日同じ内容でいいの。きっとよ?」
「……うん」
「もう時間も遅いわ。スイートでお風呂にゆっくり入って眠って、朝食をとって帰って。
 なかなかな一日だったわ。まだまだね、私も。
 ありがとう。ほかに言葉がないわ……」