43 水腹。
MON, 20 JUL 2009
「たしかに事前にいわなかったわ。でもねえ。
少年など眼中にない。疲れてもうしたくない。4か月どころかその先だっていや。
としか、聞こえないわよ」
「どこがいいのよあんな男」
ワインをがぶ飲みした。
「ほっほーう。申しましょう、夫のいいところ。
手抜き料理をおいしいって喜色満面で食べてくれること!
いっぱい作ってもぜーんぶ食べて、もっとないの、もっともっとってこどもみたい。かーわいい! もふもふころころ明るく笑っておめめきらっきら。ぎゅーって抱きしめてあげたくなる。あーもっとうまくなりたいっ」
苦手分野を克服しよう。
教科書にしか書いていない。
「ちょっと観察したのね、一緒に住んでもいいかなって。好き以外もないと長続きしないでしょう。
自慢しないの、あの男。
たぶん比べるってこと、知らないんじゃないかな。
比べる、比較の代名詞といえば数。
安易で残酷だよね。どうしてもしちゃう。
あの人より少ない、認められていない。劣っている。存在しちゃいけない。生きたくなくなる。
忠弘の愛は数じゃない。
生活のほとんどをあわせてくれた。譲れないことはおたがいちゃんと主張できた。とっても重要でしょう?
見ためは第一印象。大事なのは次、それからといま。
全部見た。魅せられた。だから私、応えたの」
「いいわねえ」
グラスをかたむけ、
「お待たせ、誘導尋問のお時間よ」
「取調室か」
「あなたを外に出さない、の意味は? 独占欲にしてもかなりいきすぎよ」
「……禁句いいすぎ、行い悪すぎ。信用ないの」
「浮気の心配はないわね?」
「うん。不倫もない、断言できる」
「けっこう。少し仕事の話に戻すわ、弊社の営業一課では不倫浮気した者は即馘なの」
「ふうん」
はまるとそうとう泥沼らしい。ぜったいやらない殺される。
「営業三課では太客を食ってノルマを達成という者もちらほらいるわ。課しているからあまりうるさくいえない、ただし長くは続かない。
営業一課は歴代情熱的な者たちばかりよ。不文律を設けてはいても破った者はひとりもいないわ」
未来の就職先は珍しいところらしい。
「プライドのある大人、だったわね。数や比較に興味がないのに、どうしてそう感じたのかしら?」
「……たしか、俺からプライドと牙をとったらなにも残らない?
だったかな。いい雰囲気のときいわれて、意味がわからなくとも聞きかえせなかった。
新入社員が青くて尖っているって意味じゃないよね」
「ええ。
闘えばどれだけ大勢を相手としても圧倒する。屈服させる。
真底敵わない、歯向かえない力のことよ。
牙を持つ存在はとてもまれ。
生まれたとき、誰しも牙などない。強烈に自覚してもちょっとずつしか生えない、鋭くならない。研ぐためみずから地獄に堕ち、生死に関わる修羅場から帰還しなければいけない。
あなたの夫の牙は返り血ではなく自分の血だらけ。普通は逆よ、とうに死んでいるわ。
まれな牙持ち男のなかでもさらに特殊よ。手綱をとれる?」
ゆっくり首を横にふった。
「少年を好きなんでしょう? 愛しちゃっているんでしょう? いいわねえ。
たがえたとき、少年は牙を剝くわ。一緒に凄絶に死になさい」
「ないから楽しみ。どんな殺し愛してあげようか?」