水腹。

43 水腹。

「いいでしょう、実況中継は勘弁してあげるわ」

 本当か。

「でもねえ。少年は眼中にない、大嫌い。いやいや襲われ、疲れてもうしたくない。4か月間も一緒は勘弁してくれ。
 としか、聞こえないわよ」
「清子って本当に山本某が好きなの? どこがいいのよ」

 ワインをがぶ飲みした。

「ほほう。申しましょう、夫のいいところを。
 手抜き料理をおいしいって喜色満面で食べてくれること!
 いっぱい作ってもぜーんぶ食べて、もっとないの、もっともっとってこどもみたい。かーわいい! もふもふころころ明るく笑って目がきらっきら。ぎゅーって抱きしめてあげたくなる。あーもっとうまくなりたいっ」

 苦手分野を克服しよう。
 教科書にしか書いていないことをやる気になるとは。

「プロポーズの言葉以外で、忠弘が私をどう口説いたか。
 自分はこれだけすごいから惚れて、が一切ないの。仕事ができて見ためもよくて、アピールし放題なのに、ない。自慢しない男なの。いいでしょ?
 ちょっと観察したのね、ずっと一緒に住んでもいいかなって。好き以外もないと長続きしないでしょう。
 たぶん比べるってこと、知らないんじゃないかな。そういう意識がないの、あの男。
 比べる、比較の代名詞といえば、数。
 絶対で残酷だよね。あの人より少ない、だったら認められていない。劣っている。存在しちゃいけない。生きたくなくなる。
 忠弘の愛は数じゃない。
 迫るのが大好きな男でしてねえ。好きすきいいつづけるのは必ずキス一歩手前ってところでなの。惚れた男に0ゼロ距離で、いますぐ欲しいって言われたら濡れますよ。気持ちをいっぱいぶつけられて、ぺらぺらくどいこといわないの。ねらってはいないだろうけど、素のままの自分を見てほしかったんじゃないかな。
 ずっと独りでいたのに、いい友だちが大勢いてすっごい協調性がある。
 生活のほとんどを私にあわせてくれた。譲れないことはちゃんと主張した。私は受け入れられた。すごく大事で重要でしょう?
 見ためがいいは第一印象。大事なのは次、それからといま。一緒に暮らして全部見た。魅せられた。だから私、応えたの」
「いいわねえ」

 椎名もグラスをかたむける。

「次はこちらから誘導尋問するわ」
「ええ……」

 取調室か。

「なぜ少年は、あなたの手料理以外いやなの?」
「ああ……。
 私は母から中途半端に料理を習って手抜きなの。母の味こそ忠弘にとっては手料理でしょう。自分の親だけど、母は手抜きしないし。
 実家で忠弘に食べさせたの。
 ……結果はだめ。どうあっても私が作るもの以外、味がしないって……大後悔。もうしない」
「そう。
 あなたを家から一歩も出さない? なぜかしら。恋をすれば独占欲はわくでしょうけど、かなりいきすぎよ」
「禁句を言いすぎたから。出ていってやるって……突きささったはず。私がきれいだから嫉妬する、は単なるうわべの言い方で、……行いが悪くて信用されていない」
「そう……じゃ、浮気の心配はない?」
「ああ、うん。浮気と不倫だけはない。断言できる」
「けっこう。少し仕事の話に戻すわ、弊社の営業一課では不倫浮気した者は即馘なの」
「ふうん、いい職場」

 常日頃、職場内外でよく聞く話。はまるとそうとう泥沼らしい。やらないしやられたくない。

「営業三課では女や男を食ってノルマを達成という者もちらほらいるわ。長く続かないでしょう。
 営業一課は歴代情熱的な者たちばかりよ。不文律を設けてはいても、破った者はひとりもいないわ」

 未来の就職先はいいところらしい。

「少年とはいっても実態は大人。それなりに、プライドという感情に関して、なにか言っていなかった?」
「ああ……確か、俺からプライドと牙をとったらなにも残らない。
 だったかな。いい雰囲気のときいわれたから意味がわからなくとも聞きかえさなかった」
「プライドはともかく、牙という男は知らないんじゃなくて?」
「うん。新入社員が青くて尖っているって意味じゃないよね」
「ええ。
 闘えばどれだけ大勢を相手としても圧倒する。屈服させる。真底しんそこ敵わない、歯向かってはいけないと思わせる力のことよ。
 牙を持つ男という存在は、とてもまれよ。牙は生まれたとき生えていない。強烈に自覚しなければだめ。ちょっとずつしか生えない、鋭くならない。研ぐためみずから地獄に堕ち、生死に関わる修羅場から帰還しなければいけない。
 あなたの夫の牙は返り血で染まっているのではない、自分の血だらけ。普通は逆よ、じゃないともう死んでいるわ。
 まれな牙持ち男のなかでもさらに特殊よ、あなたの夫は。手綱をとれる?」

 ゆっくり首を横にふった。

「あなたには牙をむけないわ。殺してしまうから。死なれたら最期、自分も死ぬから」

 そうかもしれない。違うかもしれない。

「少年を好きなんでしょう? 愛しちゃっているんでしょう? いいわねえ。
 たがえたとき少年は牙を剝くわ。一緒に凄絶に死になさい?」
「ありえない」
「即答させるために誘導尋問したのよ」