待ちつづけた男。

31 待ちつづけた男。

WED, 1 OCT 2008

 ビルを出ると、さきほどの大きな車が。
 乗れという意味か、ぺこり目礼した。

 携帯電話がふるえる。

「清子、乗ったわね」

 きた。
 毒を食らわば皿まで、かかってこい。

「約束をはたすわ。
 人生を変えてあげる。金曜日午後5時までつきあってちょうだい、山本某にもいわないように。でなければ御社は即倒産よ」

 当の忠弘から通知が入った。
 混迷極まる当社、どうやって?

山本忠弘
山本忠弘

俺の妻へ。さっき突然仙台出張を命じられた。いま電車のなかだ。いつ帰れるかわからない。とても寂しい。好きだよ。帰ったらもうはなさない。言ってくれなくてもさいごまでする。もう眠らせない。

 あらら。
 週末だのんきに休めるぞ~なわけないか、甘いなあ清子さん。

加納清子
加納清子

お疲れさまです。眠ってくれなければ同情した意味がないと何度も申し上げましたが。

山本忠弘
山本忠弘

さやを抱いて眠れるわけがないだろう。とっくに同情などでは済まないほど俺が好きなくせに。何晩でもなかせつづける。よく食べて、よく寝て体力を温存していてくれ。帰った日に結婚だ。指輪を持って帰る、絶対に外すな。

加納清子
加納清子

いま当社に余裕はありません。

 返答は少し遅かった。

山本忠弘
山本忠弘

とにかく、帰ったら抱く。寝室で裸で待っていろ。

 仕事はいったいどこへやら。

加納清子
加納清子

風邪をひきます。

山本忠弘
山本忠弘

困る、風邪薬を買っておいてくれ。生理いつ?

加納清子
加納清子

そちらさんが帰るころです、とても重くて困っています。

山本忠弘
山本忠弘

知らなかった、すまない。薬を……待て、帰るころとはなんだ。メッセージでくらいただひろにしてくれ。

加納清子
加納清子

そろそろ駅じゃないですか。こちらも業務がありますのでこれ以上私用携帯電話を操作できません。
いつ帰宅できるかわかりません、疲れております。そちらさんがお帰りになるまで連絡はお控えください。

山本忠弘
山本忠弘

まったく休めない、はありえない。俺にさやの声すら聞かせない気か。以前どうなった。帰宅したらすぐに携帯電話を見ろ。必ず出ろ。必ず返事しろ。前にいったぞ。

 強気だな。やっぱり大嫌いにしようか。

加納清子
加納清子

とにかく、返事はここまでです。鳴りつづける電話に出ず操作してばかりで上司同僚がにらんでいます、失礼します。

 車が停まる。
 はいはい、失礼のないよう普通に仕事しますよ。

 外はきらっきらの超高級店街。なんの用ですか?
 階段を上がる。ええいままよ。

 まぶしい絢爛豪華な店内にしおりが。
 服、髪形、メイクまで違いさらに変身。深紅のシックなドレス、ハイヒールやジュエリーまでがひきたて役。
 シャンデリアにらせん階段の店内。どこかのコレクション会場ですか?

「いらっしゃーい、さっそく脱いで」
「……は?」

 説明、たりないよ?

「なにを恥ずかしがっているのよ。あたし、清子、店長。女性しかいないわ」

 業界独特の雰囲気を持った、いかにもプロ中のプロとおぼしき女性の姿が。

「いえですから。なにをなさるので」
「採寸よ。ありとあらゆる服をそろえてあげる。下着もね。
 靴、バッグ、小物。ヘアメイク、メイクにネイル。屈折矯正手術を受けてもらうわ、仕上げはエステ」
「仕事しろといいつかってきたのですが……」

 あの大会社へもう一度、じゃないの?

「これが仕事よ、いいから黙って脱ぎなさい。金曜日午後5時で解放してあげるから」
「いやその……肝心のあの人がいつ帰れるかわからない出張だそうで」
「こっちが手を回したからに決まっているじゃない!」

 うわあやりそう。

「土日にふたりそろってちゃんと休ませてあげるわよ。手抜かりがあるわけないでしょ」

 なさすぎ。

「あの、……お金……」

 こんなとんでもないところでなにか1つでも買おうものなら、ボーナス全部つぎこんでもたりない。

「だぁあーーーれに対しているのかしらぁああああ??」
「私が悪うございました……」

 実にしかたがなく脱いだ。

「あぁらいい胸しているわね。山本某、勃ちっぱなしでしょ?」
「あまり下ねたは……」

 体のあらゆる箇所を採寸された。
 高級な服を次々あてがわれる。とびきり上等で華奢な靴、バッグ、小物。ぴったりの下着は繊細できわどいレース。ストッキングまで一級品。
 しおりは確かな審美眼を持っていた。どれも最高にセンスがよく、少しでも下はなかった。

「チェーンと認識票、山本某とおそろいなのね?」

 何度もふれあった、裸でまとう番いの鎖。

「そうみたいです」

 口頭で確認しただけで、打刻された文字を読もうとはしなかった。

「じゃ、その指輪も山本某から?」
「はい」
「もちろん、いい品だけれども。
 日本一の宝飾店を紹介するわ、次からはそこへ」
「あの、お金……」

 にらみかえす安い女性ではなかった。

「……わかりました、えー。
 よければ時計店を紹介してもらえますか。あの人、私に時計を贈るって。
 当人も腕時計していないんです。プレゼントしたいです」
「いい返答ばかりしないでちょうだい。日本一の店リストを送るから買いたい物はそこでそろえて」

 いただいちゃっていいらしい。

「はあ、あの……ではまず、金曜日までに包丁が欲しいです。あの人、大食漢なんです」
「キッチン用品もまるごとそろえるわよ」
「も、ってあの……とりあえず、包丁だけ。まるごとといいますか、大量の煌めくお品もうちにはとても入りませんが」

 高級な専用箱で山積み。
 家の物置部屋には荷物がある、空室がいくら必要か。

「都心一等地のマンション1階全部の家に引っ越しさせるに決まっているじゃない。週末の分以外はそこに運ぶわ、月曜日には移って」
「あのですねえ……」

 説明、たりないよ?

「あの人が納得するでしょうか。どう説明すれば……」

 忠弘は一生で一番大きな買い物をすでに済ませた大人。

「いいづらい? いうことを聞かなければ御社は即倒産で済むわ、簡単。
 あたし、職権濫用って言葉が大好きなの。覚えておいて」

 似合いすぎ。

「日本一でなくてもいいのでそろえてほしいものが……」
 
 

 煌めく高級品は増える一方。
 季節もの、流行もの。遠慮なく1日1着以上着るように。定期的にくるように。必ず同席するというしおり。
 審美眼はないも同然、お願いした。

 エステで頭のてっぺんから足の爪先まですみずみ磨きあげられる。お肌、ヘアカット・眉カット・ネイル、気になるむだ毛の処理、脱毛。全身マッサージ。高低差ありすぎる一日の疲れもとれた。

 夜になって、仕立ててもらったドレスに身を包み、日本一のホテルのレストランで椎名も一緒に3人で会食した。
 外国語のメニューは読めない、出されたら困る。
 椎名としおりは一般客むけの既存のメニューを出さないもよう。白く高い帽子をかぶったシェフが現れて、恭しく一礼する。

 料理の名前がなにか、考える必要はなかった。すなおに食べた。
 ひとさまのごはんはありがたい、かみしめた。
 なめらかで舌にすっととけていく。おいしい、気分が軽くなった。楽しくなった。笑みさえ浮かんだ。忠弘と食べたい。

 ソムリエが持ってきてくれたのは白、生れ年のワイン。
 乾杯はしなかった。椎名としおりが舌なめずりする勢い。

 食後も帰宅は許されず、最上室のロイヤルスイートに泊まれとのお達し。
 
 

 還暦前後の女性バトラーが恭しく案内する階は広すぎ豪華すぎ高級すぎ。気分は重役か賓客か。
 なんたらルームにしかたがなく入る。エステ後、お風呂は済ませた。周囲を見わたさず、休むだけにしてベッドルームへむかった。
 一息つけるはずの寝室も、やはり大きかった。

 ふう……。

 男の顔が頭に浮かぶ。ドレスを脱いだ。
 デスクにはあすのお衣装、靴にバッグ、寝衣。しおりが選んでくれたもの。ベッドサイドのテーブルにもらったばかりのバッグをおいた。
 ふわふわの羽毛ぶとんにはまだもぐらず、とりあえずめくって、なめらかなシーツの上に脚を投げて座った。とてもいいスプリングだ。

 大食漢のために携帯電話を見るか。
 案の定、不在着信・未読やまほど。仕事はとっくにおわった、すぐに連絡して。
 はいはい。

「さぁや!!」

 すがる度満点、投げキスの音まで聞こえてくる、つやっつやの甘え声。

「やっと連絡をくれた、もうはなさない、好きだよ、早く抱きたい。さぁやも早く欲しいだろう? わかっている、死ぬほど挿れる。挿れまくる」

 当社は危急存亡のですよ。

「そちらさんの出張とは、どんなもので」
「忠弘だ。仙台市内の某温泉にきている」
「はあ」

 秋ですが。

「温泉出張というとのんきな業務にみえて、実際は風呂に入らない。施設の資材をすべて検分する必要があるのでたいへんだ」

 仕事だ、お疲れさま。

「といいたいが」
「は?」
「なぜか大浴場につからされた。客の立場にならなければ資材など選べるかだそうだ。温泉料理も食わされた。早くさぁやの手料理が食べたい」
「はあ」

 忠弘にも休みを与えているのかな。

「温泉に着いたとたん風呂場直行を命じられ、すぐに部屋で休めという。
 さぁやと皆が仕事に追われているところを申し訳ないが、なぜか広い客室で飯を食ってもう休んでいる。
 俺たちの会社は経営が窮迫している、旅費規程内におさまらんのだが全部むこう持ちだそうだ。正直よくわからない」
「はあ」

 説明がほしいだろうなあ。

「さぁや。もう家に帰った?」
「はあ。まあ」
「さぁやからの連絡はとてもうれしい、逢いたいからカメラオンにするよ」
「はあ……」

 最近家族の顔もみていない。

「さぁや。やっと逢えた。好きだよ。いま家のどこにいる?」
「あー。えー。もう寝ています」

 すっぴんをみせている。いやかな。

「ちょうどよかった。さぁや。見せて」
「……は? みせていますが」
「さぁやの美乳を見せて」
「……あのー」
「さぁや……見せて?」

 機械越しでも伝わる、性に濡れた男のつや、たっぷりの声。

「……えっ、と……」
「さぁや……?」

 どきどき、してしまった。

「見せて……さぁや。夫に見せて……」
「……」
「濡れて……きただろ……?」
「……」
「いま言わなくていい、直接逢って聞く……」

 ……。

「いまパジャマ? 脱いで……さあ……」

 思い出す、じくじくする。熱くなる。
 携帯電話を離した。

「見えなくなったよ、脱いでいるな……? 早く……はやく」
 
 ローブのひもをほどき、するりと前を開け、携帯電話を再び持ち、かざす。

「きれいだ……」

 声が出そう。

「さぁや……自分でもんでみて……」

 もう、にじむ。

「ちゃんと……乳首もいじるんだ、俺がいつもしているみたいに……」

 だって、独り寝はベッドが広いから。

「勃っている……俺みたいにさぁやも、乳首……」

 とまらない。心音、声、あふれる。まるで制御できない男のよう。

「いいよ……もっと……俺はもっと激しい、それじゃたりないだろ……?」

 ……ん。

「いいよ……いい、もっと……」

 ……ん。

「さぁや……下、欲しくなったな? いいよ……ほら、俺がいつもしているみたいに、して……」
「そん、な……」
「したいだろ……さあ、指を……前から……」

 ……。

「……どうだ……ぬるぬるで、熱いだろ」

 ……ん。

「見せて……」

 そんな……。

「下着がじゃまだ、ずらして……」

 そんな……。

「そう……脚を広げて……」

 そんな……。

「指で見えない……抜いて……」

 そんな……。

「花びらを、指で広げて……奥をよく見せて……」

 そんな……。

「腰がひくついているな……いいよ、さぁやの一番の手料理、ぬるぬる光っている……」

 ……ん。

「入れたいな? いいよ、入れて……俺がやっているように動かせ……突き入れろ……」

 そんな……。

「そう……もっと手つきをみだらに……俺がしたみたいに」

 ……ん。

「たりないだろう、帰ったら……な?」

 ……ん。

「あすは俺のを見せる、あとはさぁやが咥えて……」

 ……ん。

「指……抜きたくないな? いいよ、そのまま眠って……おやすみさぁや、好きだよ……」
 
 

 翌朝。

 ホテル1階の和食処でごはん。しおりが見事一点の友禅できていた。結いあげた髪、うなじまでも魔性。

「本当に美女ですねえ……おはようございます」

 食べかたまで完璧。目の保養だ。

「もちろん。美の文字はあたしのために存在する」
「あの、ですねえ……」
「あぁらなにかしら、エステ後さらにお肌つやつやでお食べのもうすぐ人妻」

 ばれている。

「この、あたしの目を逃れられる。とでも?」
「いいえ」
「月曜日の結果報告。まさか口頭で済まそう。とでも?」

 しかたがない。

「……どちらへうかがえば」
「日本一のバーで朝から翌朝まで椎名課長と3人で飲んで洗いざらいしゃべってもらうわ。山本某は引っ越し作業で汗だくにしてやる」

 忠弘に恨みでもあるのか。

「あの……遠慮とかいう文字をご存じで……すみません、私が悪うございました。いえるぶんだけは」
「山本某の粗●●写真をくれるというのなら、考えてあげてもいいわ」
「……すみません、全部しゃべります……でもあの」
「あぁらなにかしら」

 ぎらついた目はまるで獲物を落とすかのよう。

「月曜日朝は首にキスマークをつけて夫と出社します」
「あたしからも一本取ろうって魂胆ね。
 その外見、きょうで日本一の女にしてみせる。心は十分、あとはしかたがなく山本某にでも任せようか……」
 
 

 17:00、夕食後の歯みがきをおえた。
 身にまとう服靴バッグのほか、週末の食材、包丁、プレゼント品、月曜日朝の服靴バッグと、数種類の寝衣をもらった。

「裸で迫りたいのはわかるけど。
 美乳と局部を覆わないセクシーランジェリーもいいんじゃない? あたしの好みで黒と赤よ」

 着衣しないと全体像がまったくわからない代物。

「そのへんの趣向は聞いたことがないもので」
「二日とちょっと、ただつながれっぱなしじゃつまらないわ。変化があったほうがいいじゃない、破いてもらいなさいよ。山本某、鼻血を出しすぎて失血死するわ」
「あの人は私を連れこんだ夜から毎晩鼻血を出して眠っています。いまさら失血死しません」
「……二本目ね。いいわ、好きなように迫りなさい。気合で眠りこけないように」

 リムジンに乗ると、とたん携帯電話が鳴った。

「さぁや!! いま出張から解放された、6割回復の褒美に週末は休みをとれって! 早退して!!」

 なんでもこい。

「ちょっとお願いがあるのですが」

 甘さのかけらもない禍々しい疑いの声で、

「……できることとできないことがあるぞ。まさかいまさら大嫌いだの……」
「ひとの話を聞きましょう。ひとつだけ。
 怒って帰らないでください。いいですね。でないと死ぬまで大嫌いと言いつづけてあげますよ」
「なぜいまさら怒る必要がある。気分は極上だ、なにせやっといまからさぁやを抱ける。月曜日朝の出社直前まで眠らせない」

 強気だな。やっぱり大嫌いにしようか。

「お帰りというなら、お待ちの手料理を作りましょう。ご希望は」
「すまない、食わせられた」

 食べさせたかったのに。

「大浴場につからされた。午後の3時にだ。その後も温泉料理だ。食わなければ褒美をやらんといわれてはしかたがなかろう。怒らないでくれ。しかたがなかったが結果的には家に帰ったらすぐにさぁやを抱ける」

 家、引っ越しますよ。

「実はいまフロアの外におりまして。
 自席にこれから戻りますが、いきなり早退といわれましてもいまの雰囲気では許されません。ま、同期のよしみということで、しかたがなく総務課長を説得しますが。
 私は総務一直線、営業トークができません。努力はするので、帰宅まで私用携帯電話の使用はお控えください」
「いまさらなにが同期のよしみだ。わかった、努力はしてほしい。だがメッセージは送る、総務魂で返事して」
「そんな魂はありません。では」
「待ってさや、切らないで!!」

 マンションに到着、大荷物を降ろした。
 白手袋をはめた制服の人はいるが、室内に入ってほしくないのでひとりで何回か往復して運んだ。
 パジャマもどきを着る暇があるかな? 大食漢は一瞬だって手ばなしはすまい。

 朝食の支度を。食べるときは間違いなく疲れ切っている。昼は……気力だな。夜は食べられない、確実に。ピザでもとるか。日曜日はもう、どうとでもなれだ。

 すべての支度を済ませてベッドにもぐる。やっぱりここがいい。においが甘くて、薫き染められて、香りも包んでくれる。

 ふるえつづける携帯電話を操作、山とたまる未読を読む。
 返事がないことに都度怒りが増していた。だから怒るなっていったのに。
 次々と入る通知。既読をつけず読む。現在地、郡山、大宮……東京駅からはタクシーで、こうなったら先に帰って俺が裸になって寝室で待つ? おもしろくなってきた。

 結婚指輪を持って帰るって話を忘れているな。

 月曜日朝まで眠らせないって、それまで結婚できないってことじゃないか。どうせ家から一歩も出す気ないくせに。気づかないとは、本当に仕事ができなそう。困った人だ。
 返事は送信しない。内容、たったいま会社を出ました。

山本忠弘
山本忠弘

さや、いまタクシーを降りた。

 直前の、まだ早退しないのか、魂はどうしたは無視。送って電源を落としてベッドを出た。

 玄関が開く音がする。もどかしげに靴を脱いでいる。ビジネスバッグはぶん投げないほうがいい。
 重い足音が廊下に響く。よかった1階で。

 待っていてね。