待ちつづけた男。

31 待ちつづけた男。

 ビルを出ると、さきほど乗った大きな白く輝く車が停まっていた。白手袋をはめた制服の人が後部座席を開ける。
 乗れという意味だろう。ぺこりと目礼した。

 慣れない広い車内に座る。携帯電話がふるえた。しおりから。

「清子。乗ったわね?」
「はい」

 タイミングぴたり。
 あの大会社の人たちに、その都度驚いてはいられないようだ。

「約束どおり、人生を変えてあげる。金曜日午後5時までつきあってちょうだい。山本某にもいわないように。でなければ御社は即倒産よ」
「……はい」

 忠弘にもだめなの?

 わけもわからず通話をおえる。
 今度は当人、忠弘から通知が入った。
 混迷極まる社内で私用携帯電話を使える状態ではないはず。

山本忠弘
山本忠弘

俺の妻へ。さっき突然仙台出張を命じられた。いま電車のなかだ。いつ帰れるかわからない。とても寂しい。好きだよ。帰ったらもうはなさない。言ってくれなくてもさいごまでする。もう眠らせない。

 あらら。こんな状況じゃ土日のんきに休めるわけがないか。甘かったな。

加納清子
加納清子

お疲れさまです。眠ってくれなければ同情した意味がないと何度も申し上げましたが。

山本忠弘
山本忠弘

さやを抱いて眠れるわけがないだろう。とっくに同情などでは済まないほど俺が好きなくせに。何晩でもなかせつづける。よく食べて、よく寝て体力を温存していてくれ。帰った日に結婚だ。結婚指輪を持って帰る、絶対に外すな。

 困ったなあ。

加納清子
加納清子

当社は未曽有の混乱中です、余裕はどこにもありません。

 返答は少し遅かった。

山本忠弘
山本忠弘

とにかく、帰ったら抱く。寝室で裸で待っていろ。

 仕事はいったいどこへやら。

加納清子
加納清子

風邪をひきます。

山本忠弘
山本忠弘

困る、風邪薬を買っておいてくれ。生理いつ?

加納清子
加納清子

そちらさんが帰るころに生理です。とても重くて困っています。

山本忠弘
山本忠弘

知らなかった、すまない。薬を……待て、帰るころにとはなんだ。メッセージでくらいただひろにしてくれ。

加納清子
加納清子

そろそろ駅じゃないですか。こちらも業務がありますのでこれ以上私用携帯電話を操作できません。
いつ帰宅できるかわかりません、疲れております。そちらさんがお帰りになるまで連絡はお控えください。

山本忠弘
山本忠弘

まったく休めない、はありえない。俺にさやの声すら聞かせない気か。以前どうなった。帰宅したらすぐに携帯電話を見ろ。必ず出ろ。必ず返事しろ。前にいったぞ。

 なにやら強気な。やっぱり大嫌いにしようか。

加納清子
加納清子

とにかく、返事はここまでです。鳴りつづける電話に出ず操作してばかりで上司同僚がにらんでいます、失礼します。

 車が停まり、後部座席が開いた。
 はいはい、失礼のないよう普通に仕事しますよ。

 携帯電話をバッグに入れ、慣れない車を降りる。
 場所はきらっきらの超高級店街。私になんの用ですか?

 白手袋をはめた制服の人が店の扉を開ける。階段を上がり、開き直って入店した。

 まぶしい絢爛豪華な店内にいたのはしおり。
 服が違う、お着替え後のもよう。髪形もメイクまで違った。深紅のシックなドレス、ハイヒールやジュエリーまでがしおりにかかればひきたて役。
 シャンデリアにらせん階段の店内。どこかのコレクション会場ですか?

「いらっしゃーい、清子。さっそく脱いで」
「……は?」

 すごいのだけは十分にわかった、ねえ説明がたりないよ。

「なにを恥ずかしがっているのよ。あたし、清子、店長。女性しかいないわ」

 しおりが視線をむけた先には業界独特の雰囲気を持った、いかにもプロ中のプロとおぼしき女性の姿が。

「いえですから。なにをなさるので」

 女性だけ、ということは、またプライベートか。

「採寸よ。ありとあらゆる服をそろえてあげる。下着もね。
 靴、バッグ、小物。ヘアメイク、メイクにネイル。レーザー角膜屈折矯正手術を受けてもらうわ。仕上げはエステ」
「私は仕事しろといいつかってきたのですが……」

 あの大会社へもう一度、じゃないの?

「これが仕事よ、いいから黙って脱ぎなさい。金曜日午後5時で解放してあげるから」
「いやその……肝心のあの人がいつ帰れるかわからない出張だそうで」
「こっちが手を回したからに決まっているじゃない!」

 自信満々の断言。
 しおりと椎名ならそのくらいはやるだろう。
 すごいのだけはもうわかった、ねえ説明がたりないよ。

「土日にふたりそろってちゃんと休ませてあげるわよ。手抜かりがあるわけないでしょ」

 本当にないですね。切実に。

「でもあの、……お金……」

 こんなとんでもないところで服を1着でも買おうものなら、ボーナスが全部飛ぶでは済まないことくらい知っている。

「だぁあーーーれに対しているのかしらぁああああ??」
「すみません、私が悪うございました……」

 観念して、実にしかたがなく脱いだ。

「あぁらいい胸しているわね。山本某、勃ちっぱなしでしょ?」
「あまり下ねたは……」

 体のあらゆる箇所を採寸された。
 高級な服を次々あてがわれる。とびきり上等で華奢な靴、バッグ、小物。ぴったりの下着は繊細できわどいレース。ストッキングまで一級品。
 しおりは確かな審美眼を持っていた。どれも最高にセンスがよく、少しでも下はなかった。

「チェーンと認識票、山本某とおそろいなのね?」

 そっと手をあてる。同じ熱でからみあった週末、何度もふれあった、裸でまとう番いの鎖。

「はい。もう私の名字は山本になっちゃっているらしくて」

 しおりは口頭で確認しただけで、打刻された文字を読もうとはしなかった。

「じゃ、その指輪も山本某から?」
「はい」

 いつから、同じ視線?

「もちろん、いい品だけれども。
 日本一の宝飾店を紹介するわ、次からはそこへ」
「あの、お金……」

 にらみかえす安い女性ではない。いろいろ観念。

「……はい、わかりました。えっと。
 よければ時計店を紹介してもらえますか。あの人、私に時計を贈るって。
 当人も腕時計していないんです。プレゼントしたいです」
「いい返答ばかりしないでちょうだい。日本一の店リストを送るから買いたい物はそこでそろえて」

 金を払って買えではなく、いただいちゃっていいらしい。まさに人生変わってしまった。

「はあ、あの……ではまず、金曜日までに包丁が欲しいです。あの人、大食漢なんです」
「キッチン用品もまるごとそろえるわよ」
「も、ってあの……とりあえず、包丁だけ。まるごとといいますか、大量の煌めくお品もうちにはとても入りませんが」

 高級な専用箱が山積み。
 家の物置部屋には荷物がある。空室がいくら必要か。

「都心一等地のマンション1階全部の家に引っ越しさせるに決まっているじゃない。週末の分以外はそこに運ぶわ。月曜日には移って」
「あの、ですねえ……」

 すごいのだけはもうわかった、ねえ説明がたりないよ。

「あの人が納得するでしょうか。だいいちどう説明すれば……」

 忠弘は一生で一番大きな買い物をすでに済ませた大人の男性だ。

「いいづらいようね。山本某には、いうことを聞かなければ御社は即倒産、で済むわ。簡単。
 あたし、職権濫用って言葉が大好きなの。覚えておいて」

 似合いすぎ。

「日本一でなくてもいいのでそろえてほしいものが……」

 

 煌めく高級品は増える一方。
 季節もの、流行もの。遠慮なく1日1着以上着るように。定期的にくるように。必ず同席するというしおり。
 審美眼はないも同然、お願いした。

 エステで頭のてっぺんから足の爪先まですみずみ磨きあげられる。お肌、ヘアカット・眉カット・ネイル、気になるむだ毛の処理、脱毛。全身マッサージ。高低差ありすぎる一日の疲れもとれた。

 夜になって、仕立ててもらったドレスに身を包み、日本一のホテルのレストランで椎名も一緒に3人で会食した。
 外国語のメニューは読めない、出されたら困った。
 椎名としおりは一般客むけの既存のメニューを出さないもよう。白く高い帽子をかぶったシェフが現れて、恭しく一礼する。

 料理の名前がなにか、考える必要はなかった。素直に食べた。
 ひとさまのごはんはありがたい、かみしめた。
 なめらかで舌にすっととけていく。おいしい。気分が軽くなった。楽しくなった。笑みさえ浮かんだ。忠弘と食べたい。

 ソムリエが持ってきてくれたのは白、生れ年のワイン。
 乾杯はしなかった。結果報告のときに改めて。椎名としおりは舌なめずりする勢いで挑発した。

 食後も帰宅は許されず、最上室のロイヤルスイートに泊まれとのお達し。どれだけ人生が変わったのやら。

 

 還暦前後の女性バトラーが恭しく案内する階は広すぎ豪華すぎ高級すぎ。気分は重役か賓客か。
 なんたらルームにしかたがなく入る。エステ後、お風呂は済ませた。周囲を見わたさず、休むだけにしてベッドルームへむかった。
 一息つけるはずの寝室も、やはり大きかった。

 どうしよう。変わっちゃったよなにもかも。

 男の顔が頭に浮かぶ。ドレスを脱いだ。
 デスクには明日のお衣装、靴にバッグ、寝衣。しおりが選んでくれたもの。脱いだものはそのへんに。ベッドサイドのテーブルにもらったばかりのバッグをおいた。
 ふわふわの羽毛ぶとんにはまだもぐらず、とりあえずめくって、なめらかなシーツの上に脚を投げて座った。とてもいいスプリングだ。

 大食漢のために携帯電話を見るか。
 せっかく決心した金曜日の夜に、機嫌悪く帰られては困る。ロマンティックにいきたいじゃないか。
 バッグからとりだすと案の定、不在着信・未読やまほど。仕事はとっくにおわった、すぐに連絡して。だって。
 はいはい。

「さぁや!!」

 すがる度満点、投げキスの音まで聞こえてくる、つやっつやの甘え声。危急存亡のが頭からすっ飛んでいる。

「やっと連絡をくれた、もうはなさない、好きだよ、早く抱きたい。さぁやも早く欲しいだろう? わかっている、死ぬほど挿れる。挿れまくる」

 だから。仕事の話をしてくれよ、どいつもこいつも恋愛話ばかり。

「えー。そちらさんの出張とは、どんなもので」
「忠弘だ。仙台市内の某温泉にきている」
「はあ。温泉」

 存亡はどこへ?

「温泉出張というとのんきな業務にみえて、実際は風呂に入らない。施設の資材をすべて検分する必要があるのでたいへんだ」

 なるほど、お仕事お疲れさま。

「といいたいが」
「は?」
「なぜか大浴場につからされた。客の立場にならなければ資材など選べるかだそうだ。温泉料理も食わされた。早くさぁやの手料理が食べたい」
「はあ」

 忠弘にも休みを与えているんだな、あの2人。

「温泉に着いたとたん風呂場直行を命じられ、すぐに部屋で休めという。
 さぁやと皆が仕事に追われているところを申し訳ないが、なぜか広い客室で飯を食ってもう休んでいる。
 俺たちの会社は経営が窮迫している、旅費規程内におさまらんのだが全部むこう持ちだそうだ。正直よくわからない」
「はあ」

 説明がほしいだろうなあ。

「さぁや。もう家に帰った?」
「はあ。まあ」
「さぁやからの連絡はとてもうれしい、逢いたいからカメラオンにするよ」
「はあ……」

 家族の顔も最近みていない。

「さぁや。やっと逢えた。好きだよ。いま家のどこにいる?」
「あー。えー。もう寝ています」

 すっぴんをみせている。いやかな。

「ちょうどよかった。さぁや。見せて」
「……は? みせていますが」
「さぁやの美乳を見せて」
「……あのー」
「さぁや……見せて?」

 機械越しでも伝わる、性に濡れた男のつや、たっぷりの声。

「……えっ、と……」
「さぁや……?」

 どきどき、してしまった。

「見せて……さぁや。夫に見せて……」
「……」
「濡れて……きただろ……?」
「……」
「いま言わなくていい、直接逢って聞く……」

 ……。

「いまパジャマ? 脱いで……さあ……」

 思い出す、じくじくする。熱くなる。
 携帯電話を離した。

「見えなくなったよ、脱いでいるな……? 早く……はやく」

 ローブのひもをほどき、するりと前を開け、携帯電話を再び持ち、かざす。

「きれいだ……」

 声が出そう。

「さぁや……自分でもんでみて……」

 もう、にじむ。

「ちゃんと……乳首もいじるんだ、俺がいつもしているみたいに……」

 だって、独り寝はベッドが広いから。

「勃っている……俺みたいにさぁやも、乳首……」

 とまらない。心音、声、あふれる。まるで制御できない男のよう。

「いいよ……もっと……俺はもっと激しい、それじゃたりないだろ……?」

 ……ん。

「いいよ……いい、もっと……」

 ……ん。

「さぁや……下、欲しくなったな? いいよ……ほら、俺がいつもしているみたいに、して……」
「そん、な……」
「したいだろ……さあ、指を……前から……」

 ……。

「……どうだ……ぬるぬるで、熱いだろ」

 ……ん。

「見せて……」

 そんな……。

「下着がじゃまだ、ずらして……」

 そんな……。

「そう……脚を広げて……」

 そんな……。

「指で見えない……抜いて……」

 そんな……。

「花びらを、指で広げて……奥をよく見せて……」

 そんな……。

「腰がひくついているな……いいよ、さぁやの一番の手料理、ぬるぬる光っている……」

 ……ん。

「入れたいな? いいよ、入れて……俺がやっているように動かせ……突き入れろ……」

 そんな……。

「そう……もっと手つきをみだらに……俺がしたみたいに」

 ……ん。

「たりないだろう、帰ったら……な?」

 ……ん。

「明日は俺のを見せる、あとはさぁやが咥えて……」

 ……ん。

「指……抜きたくないな? いいよ、そのまま眠って……おやすみさぁや、好きだよ……」

 ……ん。

 

 翌朝。

 ホテル1階の和食処でごはん。しおりが見事一点の友禅できていた。結いあげた髪、うなじまでも魔性。

「本当に、美女ですねえ……おはようございます」

 食べかたまで完璧。目の保養だ。

「もちろん。美女の文字はあたしのために存在する」
「あの、ですねえ……」
「あぁらなにかしら、エステ後さらにお肌つやつやでお食べのもうすぐ人妻」

 まずい、ばれている。

「この、あたしの目を逃れられる。とでも?」
「いいえ」

 しかたがなく即答した。

「月曜日の結果報告。まさか口頭で済まそう。とでも?」
「……どちらへうかがえば」
「日本一のバーで朝から翌朝まで椎名課長と3人で飲んで洗いざらいしゃべってもらうわ。山本某は引っ越し作業で汗だくにしてやる」

 忠弘に恨みでもあるのか。

「あの……遠慮とかいう文字をご存じで……すみません、私が悪うございました。いえるぶんだけは」
「山本某の粗●●写真をくれるというのなら、考えてあげてもいいわ」
「……すみません、全部しゃべります……でもあの」
「あぁらなにかしら」

 ぎらついた目はまるで獲物を落とすかのよう。

「月曜日朝は、首にキスマークをつけて夫と出社しますので」
「あたしからも一本取ろうって魂胆ね。
 その外見、今日で日本一の女にしてみせる。心は十分、あとはしかたがなく山本某にでも任せようか……」

 

 ちょうど午後5時に、夕食後の歯みがきをおえた。
 身にまとう服靴バッグのほかに、週末の食材、包丁、プレゼント品、月曜日朝の服靴バッグと、数種類の寝衣をもらった。

「裸で迫りたいのはわかるけど。
 美乳と局部を覆わないセクシーランジェリーもいいんじゃない? あたしの好みで黒と赤よ」

 着衣しないと全体像がまったくわからない代物。

「そのへんの趣向は聞いたことがないもので」
「二日とちょっと、ただつながれっぱなしじゃつまらないわ。変化があったほうがいいじゃない。破いてもらいなさいよ。山本某、鼻血を出しすぎて失血死するわ」
「あの人は私を連れこんだ夜から毎晩鼻血を出して眠っています。いまさら失血死しません」
「……二本目ね。いいわ、好きなように迫りなさい。気合で眠りこけないように」
「はい」

 リムジンに乗ると、とたん携帯電話が鳴った。

「さぁや!! いま出張から解放された、6割回復の褒美に週末は休みをとれって! 早退して!!」

 もういいや。

「そうですか。ちょっとお願いがあるのですが」

 忠弘は甘さのかけらもない禍々しい疑いの声で、

「……できることとできないことがあるぞ。まさかいまさら大嫌いだの……」
「ひとの話を聞きましょう。ひとつだけ。
 怒って帰らないでください。いいですね。でないと死ぬまで大嫌いと言いつづけてあげますよ」
「なぜいまさら怒る必要がある。気分は極上だ、なにせやっといまからさぁやを抱ける。月曜日朝の出社直前まで眠らせない」

 なにやら強気な。やっぱり大嫌いにしようか。

「お帰りというなら、お待ちの手料理を作りましょう。ご希望は」
「すまない、食わせられた」
「られた、というと」

 なんだ。食べさせたかったのに。

「大浴場につからされた。午後の3時にだ。その後も温泉料理だ。食わなければ褒美をやらんといわれてはしかたがなかろう。怒らないでくれ。しかたがなかったが結果的には家に帰ったらすぐにさぁやを抱ける」

 家、引っ越しますよ。

「実はいまフロアの外におりまして。
 自席にこれから戻りますが、いきなり早退といわれましてもいまの雰囲気では許されません。ま、同期のよしみということで、しかたがなく総務課長を説得しますが。
 私は総務一直線、営業トークができません。努力はするので、帰宅まで私用携帯電話の使用はお控えください」
「いまさらなにが同期のよしみだ。わかった、努力はしてほしい。だがメッセージは送る、総務魂で返事して」
「そんな魂はありません。では」
「待ってさや、切らないで!!」

 このまま営業トークにつきあったら口頭でいわされそう。直接逢って聞くんでしょう?

 マンションに到着、大荷物を降ろした。
 白手袋をはめた制服の人はいるが、室内に入ってほしくないのでひとりで何回か往復して運んだ。
 パジャマもどきを着る暇があるかな? 大食漢は一瞬だって手ばなしはすまい。

 明日の朝食を支度する。食べるときは間違いなく疲れ切っている。昼は……気力だな。夜は食べられない、確実に。ピザでもとるか。日曜日はもう、どうとでもなれだ。

 すべての支度を済ませて、忠弘にだけ見せる格好になってベッドにもぐる。やっぱりここがいい。においが甘くて、薫き染められて、香りも包んでくれる。

 ふるえつづける携帯電話を操作、山とたまる未読を読む。
 返事がないことに都度怒りが増していた。だから怒るなっていったのに。一度でも返事すれば営業トークが待っている。さて、どうしよう。

 次々と入る通知。既読をつけず読む。現在地、郡山、大宮……東京駅からはタクシーで、こうなったら先に帰って俺が裸になって寝室で待つ。だって。なかなかおもしろくなってきた。

 結婚指輪を持って帰るって話を忘れているな。

 月曜日朝まで眠らせないって、それまで結婚できないってことじゃないか。どうせ家から一歩も出す気ないくせに。気づかないとは、本当に仕事ができなそう。困った人だ。

 返事は送信しない。内容、たったいま会社を出ました。送るタイミングは忠弘が自宅のドアのノブに手をかけるとき。

山本忠弘
山本忠弘

さや、いまタクシーを降りた。

 直前の、まだ早退しないのか、魂はどうしたは無視。さっきのを送信する。携帯電話の電源を落としてベッドを出た。

 玄関が開く音がする。もどかしげに靴を脱いでいる。ビジネスバッグはぶん投げないほうがいい。
 重い足音が廊下に響く。一直線でここにくるだろう。

 待っていてね。