感情を制御できない男。

26 感情を制御できない男。

 なめていた。自分が上、いうことは必ず聞く。襲うもありえない。
 全部甘い見通しだった。
 性欲をむける人物と密室にいたら、引っ越したらどうなるか。わかっていたようでわかっていなかった。

 忠弘は完全な愛情多過だ。つらすぎる幼児体験に起因しているのは明白。あってしかるべき愛情を突然奪われ押しつぶされて約20年。

 ひとつ屋根の下で……せきを切るようにこうなった。

 忠弘はいつ捨てられるか怖れている。防ぐためならなんでもする。間違いなく、どう拒否してももう聞かない。泣いても怒っても。
 逃げられない。出ていったとしても全力で捜される。見つけられたが最後、取り返しがつかない。
 
 

 月曜日朝。
 寝室で、目が覚めても忠弘に抱きしめられていた。愛液精液汗だらけの体でがっちりぎゅっと。

「おはようさぁや……好きだよ……」

 愛欲に濡れたつやのある声がすぐ後ろ。熱い大きな手が肌を淫媚になぞる。おしりにあたる何度も咥えた怒張。

「さぁや……69シックスナインしよう、抜いて……」

 花びらも中も忠弘の指と舌でぐっちゃぐちゃ。恥ずかしい水音を聞きながら、体の芯から頭の先、つま先まで快楽をもたらされながら咥えた。
 下にいて頭を動かせない。上の忠弘がみだらな腰づかいで怒張を口に押しこめる。あまりの苛烈さ、時間の長さに涙がにじむ。のどの奥にねばつく白濁が直撃した。

 おなかが鳴る。まともに食べていない、作れない。慣れない動きで体中がくがく。
 忠弘が裸のまま一緒にキッチンへいって後ろからぎゅっと抱きしめた。
 逃がさないためだ。

 いつもと同じマンネリ朝ごはんでなければ作れなかった。お弁当も持たせなければ。
 今日は平日、会社へいけさえすれば……まさか月曜日朝を渇望する日がくるとは。

「さぁやはなぜ、コンロに火を入れただけで魚を焼ける?」

 まだ、料理に興味を持ったほうだろう。
 腕の力、声までも生きいきとして元気そのもの。どこにこんな体力があるのか。

「……前から、思っていたのですが」
「うん、俺を想っていたんだよな」
「……どうして皿だけがそろっていたんでしょう」

 ほこりをはらった形跡はあったものの、動いた形跡は見当たらなかった食器棚。

「俺の食生活を知った友だちの、不動産会社の息子がそろえてくれた。冷蔵庫も準備してもらった。ほかは恋人とどうぞ、だそうだ。
 皿を使ったのはさぁやを連れこんだあの日が最初だ」

 思った以上の壮絶さ。

「さぁや、一緒に出社しよう。もういいだろう?」

 よくない……。

「これでもがまんして、キスマークをつけなかった。一緒に出社しないならいますぐつける」

 忠弘の携帯電話が鳴った。
 仕事関係の着信音という。得意先からは出なければならない営業職。
 ぐいっと体が浮く。抱きしめられたまま。
 携帯電話のあるところまで一緒に移動する気だ。

「魚を焼いている途中……」
「とめて。出ないと」

 焼き直しは難しいのに。生焼け、黒こげの魚は食べたくない。
 一瞬だって離れたくないらしい。忠弘は幼稚園児の言葉づかいをどこかへ飛ばして、

「いますぐむかいます」

 通話をおえ、

「さや、すまない。仕事だ。いますぐ行かなければならない、ごはんも食べられない。寂しいだろうががまんしてくれ。連絡する、返事して」

 ねっとりとキス、名残惜しげにソファーにおく。
 すぐに風呂場に直行、シャワーだけを浴びて着替え、センスのいいスーツを身にまとい、ビジネスバッグを持って出た。

 助かった……。

 残ったのは大量の、中途半端な食事。
 どうでもよかった。だるい体を総動員し、ありあわせで作って食べ、汗を流して身支度した。
 体中が愛撫のあとだらけ、キスマークとどこが違う。

 瞳、表情、全身が愛欲に濡れているのは忠弘だけではない。
 化粧のとき鏡を見ざるを得なくて、強烈に自覚した。このまま出社すれば、いままでなにをしてきたのか皆に知られてしまう。

 いつものとおり。
 もとに戻れ。もどれ。戻れ。
 
 

 会社へむかう。もう濡れていた、とまらない。
 渡辺が、

「おっはようございまーす、せんぱーい」

 まぶしいあいさつ。見られない。
 同棲中。ひょっとして、熱い週末をすごしたの? 皆、こういうことをしてきたの?

 仕事しながら頭のなかまで忠弘に愛されていた。
 熱い舌、激しい指を受け入れつづけた箇所がじくじくする。激しく攻められすぎて反応しつづける体。潤んでしまう、ショーツライナーにたまる。
 電話に出れば、誰かと会話すれば忠弘のくちびるが追っているよう。話せば舌をからめとられ、書類をさばくあいだも乳房をもまれる。敏感にさせられた乳首。
 座っているときも、歩いているときもじゅくじゅく激しく突かれる。いっときも離れてくれない。

「申し訳ありませんっ!!!」

 突如響いた大声。
 現実にひきもどる。なに? 誰?

 フロア中の誰もが注視する先は、いい貫禄のいつも偉そうににふんぞり返る、当社の社長。

 社長は平社員と会話もあいさつもしない。取締役たちがとりまきへつらい、ハラスメント全種が大の得意。関わりあうなどまっぴらごめん。
 実態は一国一城の主、常に堂々としなければ。会社の内情がたとえ火の車でも、社員の前では泰然とするのが上に立つ者の度量。

 なにがおこった?

 社長は立ちあがって受話器にむかい、持ったまま何度も頭を下げ、

「も、申し訳ありません、申し訳ありません、どうか!!」

 通話はむこうから一方的に切られたらしい。力なく、会社で一番豪勢なビニール張りの肘かけつき椅子にくずおれる社長。

「……なんですかね」

 隣の渡辺。どの社員も同じ表情。
 社長は頭をかきむしり、おかしな声でしばしうなり、叫んだ。

「営業部長を呼べ!!」

 全社員が疑問符を浮かべた。

「部長はまだ出社しておりません」

 社長は周囲を取締役で固めている。次に近いのが顔で選んだとやゆされる秘書課。次が営業課。社長に答えたのは営業課の者らしかった。普通の声で内容が聞こえない。

「なんだと! 金曜日におこったというじゃないか!! 報告もなしだ、E社の社長がわざわざ教えてくれて初めて知ったんだぞ!」
「な、なにがおこったのですか?」
「ええい! 副社長、専務、人事部長こい!」

 社長の声だけがフロアに響く。いったい?
 渡辺が、

「先輩、いってきます」

 相当な事態と判断し、情報収集しにいくという意味。

「お願い」

 小声で短く答えた。

 総務むきにはみえなかった渡辺。新人研修後やってきたとき、女が教育係? おれが総務? そんな表情だった。
 教えた。単純作業がいかに大切か。

 半年後には、

先輩とおれの仲じゃないですか。

 全幅の信頼をよせ送りだした。

 頼んだからには渡辺の分の業務もこなさなければいけない。
 もともとやってきた仕事、内容はわかっている。1.8人前の業務をすればいい。午後5時までに納品、という仕事でもない。

 会社の代表が社員の前で醜態。理由を知りたい、いくらお代が出なくても残業してもかまわない。

 総務課の社員も渡辺の仕事放棄を黙認した。誰もが情報を欲しがっている。
 いまは仕事するだけ。集中した。
 
 

 昼となって、休憩が欲しくて社員食堂へ。
 ろくに眠らせてもらえず休みなし、水分補給も不足。体はくたくた、仕事量は倍増。
 いったんほっとすると週末の行為がありありとよみがえる。

 忠弘……そうだ、連絡。急いで返事しなければ。

「?」

 なにもない。通知なし。

 12:43。連れこまれて以降、平日にはありえなかった。
 早朝呼びだされた忠弘。

 どんな経緯であっても仕事の話はしたくなかった。課が違う、仕事内容が違う、偉そうに口を出したくなかった。
 いまは。

 待てよ、金曜日のトイレでの会話。

 ひらめいたが、情報があまりにも飛びとび。点在しているにすぎず、判断という線にするには中間情報がたりなかった。

 ごはんを流しこみ社員食堂をあとにして、営業課に顔を出してみた。営業事務の社員たちの様子を知りたかった。

 出社していた彼女たちは椅子にふんぞり返って座っていた。制服がある会社なのにいやがり、服務規律に背いて私服を着用。スカートは社会人にあるまじき短さ。化粧は派手、髪を明るく染め、キーボードも打てなそうな爪の長さ。
 うち1人が電話を受けていた。

「えー。なんでぇー。あたしがぁー。謝らなくちゃいけないんですぅー?
 えー、解雇ぉ? できないはずですよねー、労働契約法第16条って知ってますぅー? 訴えてやるー」

 ひきかえした。
 判断するにはまず分析。情報がたりない。

 自席に着く前に素早く携帯電話で渡辺に、知っている限りの情報を送った。いまどこでどうしているか。
 仕事に集中した。できることをやる。

 渡辺が戻らない総務課は、仕事に集中できないようだ。気持ちはわかるがあせってもしかたがない。
 ほかの課でも動揺は同じく広がっていた。
 
 

 定時になっても本日分の仕事はおわらなかった。周囲はざわつきながら、だんだん帰宅していった。
 そのまま仕事を続けていると、携帯電話がふるえた。

渡辺
渡辺

まずいです。社内じゃ話せません、いつもの酒場、2階奥の個室で大至急。

 仕事をなげうちフロアを出る。更衣室では、

「なにがあったんだろう、知っている?」
「ううん、知らない」

 社員がひそやかに、抑えきれず言葉をかわしていた。誰も事態の全容を把握していない。

 忠弘からの連絡がない。早く帰らなければ、でもいまは。
 話せばわかる。酒場に急いだ。

「お待たせ」

 渡辺は酒も頼んでいない、ネクタイを外していた。

「まずいです」

 静かな声。

「先輩の情報で点が線になりました、やっと。いいですか」
 
 

 先週、金曜日午後。

 一番の得意先、都心一等地の超高層ビルをまるまる所有する一部上場の大会社で、現場一の華といわれる肩書を持つ営業一課長が、わざわざ弊社にくるという。実態は部長以上だそうだがあちらの会社には営業部長という役職がないらしい。

 お得意さまへは出向くもの、迎え入れるまでただ待ちはしない。

 課長が訪問したいとみずから連絡してきた。大会社でも一、二を争うほどのスピードで出世し、華とまで呼ばれる役職に就いた経歴を持つ、東大出の超エリート。

 当社上層部は歓待しようと色めきたってお出迎え。社長、専務、営業部長が万全を期して待っていた。そのときお茶出ししたのが営業事務の社員だった。

 ところが、直前になってこられないという課長。かわりにむかわせたのは肩書としては1つ下の課長補佐、有名大学卒でも15年かからなければなれないエリート。
 社長は、

「下の者をさしむけたな」

 憤慨し、営業部長にあとを任せ、3人ともいったん席を立ってしまう。

 やってきた課長補佐は、迫力はあったがもうすぐ40歳。営業事務の社員も下にみてしまう。茶をテーブルにどっかりおいてしまった。
 全部こぼれ、品のいい課長補佐のスラックスを水ならぬ熱湯びたしにした。こぼれた茶はテーブルにも及んだ。

「ごめんなさぁ~い」

 営業部長だけが応接室へ。テーブルには空になった茶。

全部飲んだんだな。

 すぐそこの課長補佐のスラックスは変色していたのに。茶托ちゃたくもなくテーブルに直おきされていたのに。

 課長補佐はきびきびと業務を遂行した。急遽でも約束の時間どおりに来社、情報を完全に掌握したすばらしい交渉。

「たいへんな失礼を。誠に申し訳ございません」

 冒頭で深く頭を下げて謝罪。
 営業部長は、

当然だ。自分からくるといいながら直前にキャンセルとは。なぜ下の者をよこした。

 下にみて接してしまった。誰がこようと一番の得意先、本来は弊社が出向き頭を下げるべきなのに。

 ふんぞり返った態度でエリートと別れた営業部長はテーブルが濡れていることに気づいた。

「なんだあいつ、茶の飲みかたもへたくそか」

 回収にきた営業事務の社員が、

「やっと帰ったんですかぁ~、あの人ぉ~」
「やっとはないだろう、一番のお得意さまだよ」
「えぇ~、たかが課長補佐なんでしょう。部長のほうが偉いですよぉ~」
「そうだな。見ろ、茶も満足に飲めないらしい」

 こぼれた茶を指し示す。

「ああ、それぇ~。あたしがぁ~」
「……は?」

 やっと気づく。すぐに追いかけて謝罪しなくては。
 だが2人とも、

エリートだから気にしていなかった。課長補佐だからなんともない。

 事実を誰にも報告せず、黙って帰宅した。