忙しい男。

24 忙しい男。

 裸眼で遮光カーテンを開ける。ひんやりと風を感じた。
 空が青い。ひさびさの晴天。

 よく眠れた土曜の朝は爽快だ。

 玄関すぐそばの六畳一間へ。そっと戸を開ける。

 家の主はあおむけにすうすう眠っていた。

 隣に正座する。
 くちびるに人差し指ですこしふれ、静かに立ちあがった。
 
 

 眼鏡をかけて、着替えて朝食の支度を。みそ汁を鍋いっぱいに作る。卵と焼き魚は1人分。
 食べおわり、片づけてテーブルをふき、コーヒーを淹れた。

 1人分のときはサーバーを使わず直接カップに落とす。膨らむ豆にのの字で湯を注ぐ。右腕のつけ根の骨がこすれる。

 いまだ。
 ドリッパーをあげた。
 注いだコーヒーがカップのふちまで1cm。われながらお見事。

 ソファーに深く身を預けカップをかたむける。心地よい風。陽。のどごし、香り、味。
 いい朝……。

「さぁや?!」

 起きたらしい。頼むからあと10分待ってくれないかなあ。

「はいはい。いますよ、キッチンです」

 カップを持ちソファーに座ったまま、通常の声量。

「さぁや!! さぁや、どこだ!! さぁや?!」

 しかたがない。
 カップをソーサーにおいた。よっこいしょ。

「はーい、キッチンですよ。朝ごはんできています」
「さぁや! そこか!!」

 ここで会ったか福徳か。重い足どりで家の主が音をたてて戸を開けた。

「服を着てください!!」
 
 

 なかったことだ。忘れろ。
 前にもあっただろう、落ち着け。

 立ったままコーヒーを飲みほし、カップを洗って磨きあげる。
 無心で、高価なものほど曇ったまま。

 今日の空のように。
 
 

 重い足音が近づいた。
 直近まで迫る。左横から頰にふれるかふれないかのところで、

「おはようさぁや。好きだよ……」

 頼むから下だけは穿いてくれ。

「よく眠れましたか?」
「……寝覚めが最悪だった。さぁや、お願いだ。起こしてくれ。さぁやがいない朝は地獄だ」

 逆効果だったか。

「わかりました、起こします。私がアラームなしで自然に目が覚めてからとなりますが」
「うれしい」

 大の喜色満面、忙しい男だ。

「さぁや、よく眠ってくれ。俺も眠る。さぁやが自然に起きるまでぐっすり」
「洗面所にでも行ったらどうです」
「うん」

 直近で、

「いってくるさぁや。好きだよ」
 
 

 朝食を並べおえたころ忠弘が再登場。
 パジャマを下だけ穿いて上は真っ裸のまま。なま肌にタグつきネックレス、正直色気を超えている。

「俺の分だけ。さぁやは?!」
「食べたんですよ先に」

 忠弘が滂沱一歩手前でつめよった。

「お願いださぁや、一緒に食べて……仕事で昼も夜も難しい、朝だけは確実に一緒に食べられるんだ。家で独り食事はもうしたくない、させたくない、お願いだ、一緒に……」

 生身のまま地獄に堕ち天国へも昇れる男。

「……わかりました。サラダを食べていないので、いただいていいですか」
「うん」

 とたん喜色満面。
 感情を両極端に激しくふりきって、せっかくの休日に忙しい。

「いただきます」

 がつがつをみながらサラダをつまむ。おかわりを盛った。いい運動だ。

「いつもおいしいよさぁや。好きだよ」

 昼はなににするか、洗濯は。待て、家の主を先に。風呂と同じ、順番待ちがある。

「ごはんを食べたら洗濯機をお借りしたいのですが」
「うん。使うよ忠弘、挿れて忠弘と言ってさぁや」

 先に借りた。

 食後、コーヒーのあと忠弘が、

「今日はいい天気だ、ふとんを干そう。寝室から廊下に出してくれ、あとはやる」

 やはり睡眠に細心の注意を払っている。
 掛けぶとん、敷ぶとんを出した。洗濯のあいだレシピを検索。

 昼はざるそばとかいいな。天ぷらが欲しい。めんどうだが、たまには衣から作ってやるか。
 一番大きい海老を仕入れてやろう、ぶりぶりの。何尾売ってあるか。
 好みと作れる範囲を考え週末のレシピをメモした。

 アイロンがけ、洗濯物を干し、家事を済ませる。
 寝室を出ると、きれいに掃除機をかけたあとだった。ぴかぴか。

「さぁや」

 忠弘が物置部屋から出てくる。やっと着替えてくれた。
 ヘアスタイルはさっぱりと短髪。けっこう凝っているか。
 きりりとした眉、ガラス玉のように曇りのないまっすぐな瞳。すっととおった鼻筋、むだなぜい肉のない全身。

 下半身、脚も傷だらけ。

「えー。お疲れのところすみません、スーパーでできれば荷物持ちを」
「任せろ」

 天気がいい。どこかへでかけて遊びたい。
 ごはんまでいなくていいですよね~……むりそう。
 起こすのも飯もひとさわぎ、絶対ついてくる。
 
 

 車に関心も興味もなく、わからなかった。
 オープンカーを持つドライブ好きな男が休日に、どこにもでかけない心理を。
 
 

 スーパーから帰る。忠弘がふとんをベランダから下ろす。寝室に持っていってベッドメイク。お天道さまのにおいがした。

 さあ、作りますか。
 そばをゆでおえ水で冷まして水気を切る。衣をつけた海老を油に入れ、焦がさず生でもなく揚げる。ネギを切って刻む。大根をくり抜き唐辛子を入れておろす。そばは秋新が出ていた。竹すだれつきそば皿に5つ山盛り、1つは普通に。海老は3本ずつ皿に。つゆはいちから作れない、できあいを。
 
 

 すぐ後ろにいた。

 惚れた女と同じ空間。ふれずにはいられない。
 あたたかかった。ぬくもりを知ってしまった。2連休、時間は気にしなくていい。
 ごはんを作ってくれる。無防備そのもの。

 抱きしめたい。

 両腕を清子の腰に回そうとする。だが約束した、また手ひどく反撃されたら。上げた腕が下がる。
 抱きしめたい。腕が上がる。

 何度も繰り返した。
 
 

「うーん、こんなもんかな」

 ふりむくと0ゼロ距離、直近にいた。

「? できましたよ、座ってください」
「……うん」

 がつがつをみながら味わって食べた。実にいい海老、背わたをとったのはひさびさだったがうまくいった。よしよし。
 そば皿を1枚追加する。海老は12尾を揚げた。盛っていなかった残りのそばとともに予想どおり空。

 食器を片づけ、せっせと洗ってふいた。のんびり昼寝しよう。