23 愛情多過な牙持ち男。
出社し、更衣室で着替える。
「……具合、大丈夫?」
はれものにさわるかのよう。
「あ……っと。大丈夫です、ご心配をおかけしました」
頭を下げ、急いで着替えた。
自席にむかうと渡辺が、
「きょうこそ休んでください、おれがやります」
育ったなあ……。
「大丈夫、このあいだごろごろしたくて休んじゃったしね」
「……そうですか」
当社は有給休暇をとりづらい。
直属、課が違う上司もはっきり、有給で休むなと口には出さない。
上層部は恨めしい。お上は決定を下すだけ、補塡しない。とらせなければ会社にとって益。残業代さえ出さない、損を可能な限り回避する。
入社すればそんな雰囲気も感じとる。
昼となり、社員食堂へ。ランチを頼んで食べていると携帯電話がふるえた。有給休暇をとってくれた他課のひと。

きょうは朝一番で営業に出ている。いまは出先から。お弁当を食べている。いつも、とてもおいしい。好きだよ、さや。

お疲れさまです。お帰りの時間はわかりますか。

すまない、顧客次第だ。わからない。

帰宅の際は連絡をください。夜10時ごろまでは起きています、以降は先に休みます。

わかった。なるべく早く帰るが、10時をすぎたら携帯電話を気にせず眠って。待たせてすまない。好きだよ、さや。
返事はしなかった。ずっと続けるのもなんだ。むこうもわかってくれるだろう。
金曜午後。あと数時間すれば二日間休める。月曜日朝を考えなくていい時間帯。
定時を誰もがいつもにも増してわくわくと意識しながら淡々と業務をこなしていた。
15:00、化粧室へちょっと失礼。個室にこもって省略、声が聞こえてきた。
「もう、あたしぃ。あったまにきてぇ」
総務は内勤が主、社員の声すべてを把握していない。課内の者と同期以外、声だけ聞いて誰かはわからない。
「えぇ。だって相手、あの一部上場の大会社、うちの一番のお得意先でしょう? いいの?」
「だぁってぇ。現場で一番の花形っていう営業課長さんがわざわざきてくれるっていうから、かわいいネイルにしたのにぃ。きたのは下の、課長補佐だったんだよぉ」
「あんな会社って課長になるのに有名大学卒でも20年はかかるんでしょう? 下だって悪くないんじゃない?」
「でもきたのはおやじでさぁー。つーい」
個室を出た。すれちがいざまちらりとみる。
営業事務の女性たちだった。春先、営業課に何度かヘルプに呼ばれたので顔を覚えていた。
お茶くみは女の仕事と決めつけている当社。女性が営業課に出社して在席中なのに、なぜ。
彼女たちはやぼな制服の平社員に気づかず、話を続けていたもよう。
待ち望んだ金曜日17:00。脱力感、解放感。
男性はすぐに帰宅、女性の下っ端だけが茶碗ポットそのほかを片づける。
バスを降りてスーパーへ。
土鍋も必要だったな。待つのもめんどう、買ってしまおうか。ひさびさに作るから味見が必要。
両手いっぱいに荷物を持ち帰宅。化粧を落として楽な服装に着替え、さっそく料理を開始。煮えにくいものから順に。
なかなかうまくいった。
玄関が開く。
「さぁや! どうして出ない!!」
またビジネスバッグをぶん投げて。商売道具じゃないのか?
「すみません、お風呂に入っておりまして」
パジャマ姿が目に入ったらしい。深くふかく息をはき、心底ほっとした表情で、
「ああ……よかった。ただいまさぁや」
重い足どりで近づいてくる。
日を重ねるごとに熱くつやめく。迫ってきて直近で、
「好きだよ」
言霊と雄弁に語る双眸。
「さぁや。好きだ……」
「ごはんの支度、できています。温めるだけですよ」
「うん。わかった」
大食漢が喜色満面でスーツ姿のままリビングのソファーに座った。
「さぁや。それは土鍋に見えるが」
「はい」
火を使っている、ふりむかない。
「重い物をひとりで買ったのか。俺が持つのに」
「一足先に食べたかったのです」
「……すまない」
「仕事ですからね、しようがないです。われわれは働いたサラリーで食べております」
「……確かに」
より重くなった土鍋をコンロからリビングのテーブルに運ぶ発想もないらしい。
たしなめ、頼む気はなかった。
忠弘にかかれば大きい土鍋も小さいもの。たいして時間もかからず空、まだまだたりないもよう。3杯は食われるな。どんぶりでジャーのご飯を全部食べさせた。
がつがつをみておかわりを盛る。次はなににしようか。
「グラタンはいかがですか」
「おいしそうだ。山と作ってくれ」
数えるほどしかないリクエスト。10皿は作ってやろう。
昼、日曜日はなににしよう。検索するか。
今度の週末は先週と違い、用事やでかける予定があるとは聞いていない。
友だちが大勢いる忠弘。
「週末、なにか予定はありますか」
「……いや」
「先週いろいろありましたが」
「……あれで、だいたい済んだ」
家政婦は必要か。
「あすは起こしませんから、のんびり眠ってください」
無視してしまった三日はともかく、ほかはぐっすり眠っている。
不眠症が気持ちよさそうに熟睡。たっぷり眠って自然に起きるのは爽快だ。
「起こしてはくれないのか?!」
飯つぶを飛ばす勢い。
「えー? ……っとですね。
おたがい、自然に起きるまで眠りましょうよ。せっかくの休日なんですから。私も時間を忘れて、思う存分のんびり眠りたいのです」
「存分……のんびり……」
伝わったもよう。
「そのとおりだ。すまない、さぁやには苦労ばかりかけて」
「……いいえ、別に」
家事を済ませ、指輪周辺をていねいにふいて寝室で服を用意する。歯磨きセットをとりだし洗面所へ。
寝室の掃除は家の主がやってくれた。休みのうちやるべき家事は料理をのぞけば洗濯だけか。
干していた下着も見られてしまった。はぁ……。
寝室で携帯電話をとりだす。
不在着信、未読。いっぱいの通知。

いまから帰るよ。

好きだよ。

返事して。

どうしたの。

答えて。

さや。