重要な儀式を行う男。

17 重要な儀式を行う男。

 定時に仕事をきちんとおえ帰宅。携帯電話がふるえた。

「さや。返事は?」
「ということは、社外ですか」
「うん、いまビルを出た。さや、どこにいる?」
「……家の前のバス亭に降りました。スーパーへ」
「まさか荷物を両手に抱える気? 重いよ、俺が持つ。一緒にいこう、家のなかで待っていて」
「荷物なら、そちらさんの帰りが遅いときいつも持っていますが」
「すまない、気づかなかった。必ず荷物持ちするから言って」

 ほとんど毎日買う、言っていられるか。
 スーパーは会社から歩ける距離にはないが、間違って誰かに食材購入中を見られたらアウト。なるべく、いや、できる限りひとりで買おう。

 化粧を落としてリビングで待つ。ほどなく重い足音がして、

「さや!」

 内面、深層心理のところどころが5歳でとまっている。かけらがちらほら表面化してきている。
 赤ん坊を抜けただけのころ突然成長をとめられた。両親の死を理解できる歳でもないのに。
 容貌・スタイルがいい大人の男性が幼稚園児の言い方。さすがに母性本能をくすぐられた。

 ビジネスバッグを空き部屋においた忠弘が、

「さあ行こう!」

 うれしそう。
 手首をつかむどころか手をつないで楽しく歩きたい雰囲気満々。ふりきって走って逃げるのも疲れる、隣に並ばせて歩いた。

 スーパーに着く。今晩はなににするか。
 たまにできあいの総菜に頼って料理しない。毎度だと高くつくから自炊してきただけ。
 そうだなあ、

「スパゲティとかどうです」

 乾燥パスタをゆではするがレトルトソースを温めてぶっかけるだけ。忠弘でもできそうな手抜きの真骨頂。

「とてもおいしそうだ。山と盛ってくれ」

 ウニのスパゲティだのレアで高級なのもあっただろうに。
 残念ながら今晩はレトルト。まずいと言ったら明日の引っ越しはなし、さっさと帰ろう。

 ゆでる用にいい品の深鍋も買っておいて正解だった。本物のお相手さんどうぞ。
 百円ショップで2・3人前のレトルトソースを4つも買った。この手のスパゲティは1.5人前を食べたのが最高記録、これ以上はあきる。
 
 

 マンションに帰る。さあゆでよう。

「さや、ごはんの前に宝飾店へいくぞ。やはり車は必要だ、明日は引っ越しだがあさってディーラーへいこう」

 札束、カップ、指輪、引っ越し、車……まさか全部ローンとか? いやその前に、人生で一番の買い物といわれる家、家族用マンションは?
 1つだけでも十分散財・破産する。手取りはそう変わらないはずなのに。

 確か、突進してくる相手は金をくれ、高いものを買えというだけの存在、だったな。そのうちの1人か。
 なんだこの手があるじゃないか、さっさと熱を冷ましてもらおう。
 
 

 宝飾店に着く。忠弘と、父が店長という友だちがグータッチをかわす。

「俺の大事な妻の婚約指輪だ。一番いいのをそろえてくれ」
「いいのしかないよ」

 初めての宝飾店。
 隣にいるのは未来の夫と豪語する他人と割り切って、純粋に好奇心で店内の品を見てみた。

 うぅん高い。眼鏡のフレームと桁が2つ違う。購入の意思ありとみられては困る、ひとりでは絶対に入らない。

「さや、これなんかどうかな」

 ジュエリートレイに華奢できれいな指輪が10個ほど美しく並んでいた。値札はなし。んなもん見たら選びはしない。

 1つだけ、主色は一見淡いブルー、角度を変えるとエメラルドグリーンという不思議なものがあった。
 ほかは無色透明。

「……これ」

 婚約を意味するものとか忠弘の下心とか、さっぱり忘れて選んでしまった。

「わかった。さや、左手を出して」

 つい差し出す左手をそっと取られた。指にめがけている。純粋に好奇心で、重要な儀式をただながめた。

「ぴったりだ……!」

 あとで忠弘と友だちが、聞こえないところでこんなやりとりをしたという。

ふつう採寸が先、いきなりはめようとしてもまずあわない。サイズ直しが必要。一度でぴったり、まずありえない。
山本の妻を待っていたんだな、あの指輪。

 どんな石か、名前かも聞かなかった。
 単純に好奇心で、さまざまな角度でながめた。より鮮明に、色が美しく変化する。

 タクシーに乗せられたのもわからないほどあくことなくながめた。薬指がくすぐったい。プラチナの輪が華奢で、石の色がきれいに不確かに変化する。
 昨日から視界が変わった。前見た風景と比べてだった。ガラスを通してものを見ているからかもしれない、光りものこそよく見えた。

 石の輝きは格別だった。

「さや、着いたよ。降りよう」

 うながされても見つづけた。
 タクシーの外は暗く、家のなかに入るまで指輪が見えない。しかたがなくエントランスを通った。

 家に入り、キッチンにさっき買った食材の入った袋が。
 やっと足が地に着く。現実に戻って料理開始。まずは大きい深鍋にいっぱいの水を。
 鍋を持つときも左手を意識する。コンロにのせて水をわかすあいだ、ずっと見ていた。

 気になって、

「さびたりしない?」

 座って待たせたパジャマ姿の忠弘に聞いた。

「さびたりしないよ。大丈夫」

 よかった。料理を続行。
 ほかの麺ものと違って熱いままざるでお湯切り。大きい皿3つに大盛りで持っていってフォークと箸をそえる。忠弘はどちらで食べるか。
 迷うことなく箸で食べた。勢いがすさまじい。
 外面も営業成績もいい。口まわりを一切汚さない、テーブルマナーも完璧だろう。高い店で高い相手や接待先と食事しても恥をかかないだろうに。また幼稚園児の表情のかけらを見てとった。

「ごちそうさま、おいしかったよ。先にお風呂に入って」
「お風呂、このまま入っても大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「先に入って。食器を洗うから」
「すまない、お願いする。じゃ先に入るよ」

 食器をシンクに運ぶという発想もないらしい。なぜ皿がおいてあったのか。
 本当に、手料理を食べたことがないのだ。
 くすぐったい。

「そのまま眠っていいから。明日は休みだし、ゆっくり眠って。遅めに起こすから」
「うん、おやすみさや。好きだよ」

 男のつや、たっぷりの声。
 
 

 食器を洗っているあいだも指輪が気になる。
 洗いおえ、食器よりも先に指輪周辺をていねいにふく。明日の朝食の支度中もその都度ふいた。
 家の主が風呂場を出て空き部屋へ入っていくのをみてから風呂場へ。

 シャワーを浴びるときも、湯船につかるときも指輪を気にした。ベッドのなかでも。
 自然にまぶたが落ちて、眠った。