きりりと沈みがちな男。

13 きりりと沈みがちな男。

 山本が、テーブルの横に準備していたらしい小さめの紙袋を差し出す。

「さや、使ってくれ。受け取って、今度こそ」

 なかには一束の現金が。

 クレジットカードは、使うときはいいがのちにくる請求額の通知にびっくりする。
 ひとさまのカードは恐ろしくて使えない。もろもろ一気に買ったあのときは支払いを現金にした。帯封を切り、残りはちゃんと返したのに。別の一束?
 新卒1年半で200万円をためるには単純計算で毎月10万円以上の貯金が必要。まさか。

 しかしお金は必要だ。なにせ食材をほとんど毎日買う。
 朝の卵でさえ1回でパック半分を使ってしまう。魚は6切れを1パックではまず売っていない。
 さすがに自腹はむり、いくらなんでもそこまでの義理はない。
 どうせ少々使った時点で気が変わる。たっぷりな残金をそのまま返せばいい、家計簿でもつけるか。

 金の算段上受け取っただけで山本は喜色満面。またぽろっと余計なことをいいそう、くぎを刺さなくては。

「言葉には気をつけてください。間違っても私がこちらにおじゃましていることを他言しないでください」

 でなければ即座にお帰りですよ、そちらさん。

 山本は真摯に、

「わかった、十分気をつける。ほかに注意点があればいつでも言ってほしい、全部そのとおり……いや、できることはそのとおりする」

 前半はきりりと、後半は沈みがち。

「そのほうがいいでしょうねえ。片づけますので支度してください」

 山本はパジャマ姿のまま。

「待って、片づけくらいはする」
「鍋、包丁、まな板の洗いかた。知っていますか」

 さわったこと自体、あるかどうかもあやしいとみた。

「……すまない。お願いする」

 やはりか。

「寝室以外の掃除とごみ出しをお願いします。洗濯は自分の分はしてください。いいですね」
「まるで新婚だ、うれしくて言葉にできない」

 なにをいうか。たんに最低限のルールをいいわたしただけだ。

「朝食後にコーヒーを飲む習慣はありますか」
「そこまでやってくれるのか……なんと家庭的なんだろう」

 問いに直接答えないのはずるい。政治家を筆頭に、立場の複雑なお偉いさんがよくやる。
 山本の場合はうれしいことに気がむいているだけ。

「質問に答えましょう。ありますか」
「実はないが、習慣にしたい」

 インスタントなら、水しかわかせないといいはる男でもできそうだ。

「私は一人暮らしを始めて以来、あまり歩きまわっておらず、気に入った豆を売っているお店を見つけられないんです。
 そちらさんも、お気に入りはなさそうですが」
「いや、情報は収集できる」
「だったら都内一と豪語できるほどの豆を買ってきてください、マンデリンで。料理は手抜きしかできませんがコーヒーはうるさいんです、父が躾けました。仕入れてもらえれば豆から挽いて淹れます」
「すごい……まるで喫茶店のマスターだ」

 缶コーヒーもインスタントもきっぱりごめん、会社ではもっぱら日本茶ばかり飲んでいる。

「お金もなくて最近はほとんど淹れていませんが。
 カップにもうるさいです。持ってはいますが品がよくないんです。指輪にお金をかけるくらいならマイセンのとても高級なものを買ってください。飲むとき最高に気分が違います」

 最初は父に、コーヒーを淹れることだけ教わった。
 子どものころからあった4客分のマイセン。父は家族のためにだけ使い、ほかの来客・親戚には絶対に使わなかった。

 大学3年生のとき、講義で隣同士になった子が話しかけてくれた。つきあいたてのお相手さんが山岳部という。よほど誰かに言いたかっただろうのろけをしばし聞いて、きっとうまくいくよと励ました。
 次の日、二重構造の厚手のチタンコップをお相手さんから強奪してプレゼントしてくれた。登山道具で時価3万円。いいすぎだろうがありがたく受け取った。のち、その子とは続かなかったが。

 後日、実家に持って帰ってコーヒーを淹れてみた。
 まるで違う。熱さがそのまま、冷めない。

「薄っぺらなステンレスで飲みやがって。邪道だ」

 目ざとくみつける父に、違うチタンだ、いいから飲んでみろと押しつけた。
 あの父がうなった。

「本当に3万円するかもな」

 このときカップの価値に興味を持った。
 4客のマイセンがいくらか聞くと、

「知らねえだろ、1客50万円だぞ」

 チタンコップを知らなければ歯牙にもかけない言葉。
 本当かもしれない。

 あとで陶器について某店で催し物があると聞き、でかけた。
 100万円超の品が平然と並んでいた。
 ただ見るだけではなく、係の人にあれこれ質問した。

「マイセンの仕入れなら都内某所に知る人ぞ知る店がある」

 実際にいき、高くて買うどころではなかったが何度も通い、少しは目をこやした。
 
 

 カレー用の皿も買えない山本が、

「指輪の資金は絶対に崩さない。そのうえで、いくらでも高級なものをそろえてみせる」

 親の金ではないだろうに。

「肩書は違えどしょせん同期、手取りはそう違わないくせに……お手並み拝見です」

 豆もカップもまったく縁がなさそう。
 仮にそろえられたとしても時期はかなりあと、とうに熱も冷めたころ。これでよし。