無防備な男。

12 無防備な男。

 朝、アラームが鳴る。
 しっかりしなければ。

 昨夜、荷物を寝室においてもらったとき。山本が自分の部屋に対し、

「入ってもいいだろうか」
「どうぞ」

 使用形跡はきれいに消している。
 これから気が変わるまでの短い期間は、入ってこられては困るが。

 昨日のよそゆきとは比べ物にならないやぼな服を着る。
 朝の支度ポーチを持って洗面所へ。
 歯をみがき、顔を洗って化粧。くしでとかして髪を結わえ、タオルで洗面ボウルをごしごしふく。いつでも帰れるように整理整頓、寝室を出た。

 朝食を作ってから起こしにいくか。

 たしかに新婚めいている。
 いやいや、そのうち通常に戻る。

 わびしい朝食しか作れない。せいぜい大量なだけ。おととい買った安物の包丁はあとでアパートに持って帰ろう。さっそく高級包丁をとりだす。昨日使ったら切れ味にしびれた。さあトマトをきれいに輪切りしよう。

 山本の食事事情だと野菜をたくさん食べさせなくては。万全な体調で本物のお相手さんにお願いだ。
 しかし量がすごい。皿は全部大盛り、自分が小食にみえた。
 みそ汁をとろ火に、ほかはすべて盛ってテーブルに並べる。

 玄関すぐそばの六畳一間へ。そっと戸を開ける。

 家の主はあおむけにすうすう眠っていた。

 手入れしているようにはみえない整っている眉毛、濃い影を落とすまつ毛。ひげがちょっと伸びている。少し赤い、色めいたくちびるがちょっと開いていた。男性の朝の生理現象つき。

 掛けぶとんから素肌が見える。パジャマを着ていない。まさか裸で寝ている?

 首にあるのがネックレスとやらか。首の横のほう、ペンダントトップのようなものがタグらしい。認識票だ。軍隊や自衛隊などで支給されており、アクセサリーとして一般人が着ける場合もあると聞く。
 なま肌にネックレス、ねえ……。

 これはなに?

 肩口から見える、ふとんで隠されたところまで続いているような、肌に刻まれた痛々しい傷痕。どうしてひとつだけじゃない? 待てよ、こめかみにも……。
 規則正しい呼吸。よせてはかえす穏やかな波のよう。

 吸いこまれるようにくちびるをよせた。

「起きてくださーい、朝ですよ」
「ん……」

 けだるそう、平日でなかったら。

「起きてください、えー。……ただひろ?」

 がばっと起きる山本。目をしばたたかせ、いまの状態がなんであるかを必死に理解しようとしている。

「え? あ? ……さぁや?」

 やはり上半身裸だった。視界に入れまいとしても意識がくぎづけになる体。
 よくひきしまっていて、ほどよく日に焼けている。筋肉質でがっしりとした体躯。正直、どきりとする。

 なによりも目をひいたのは傷痕。
 大中小、全部深い、治っているかもわからない、体中……。

 すぐに立ちあがり、

「朝ですよ。ごはん、できています」

 戸に手をかける。

「待ってさや。いまなんとなく、俺の名を呼んでくれたような。気のせいか?」
「気のせいでしょう。眠れましたか?」
「とても、ぐっすり。やはりさやがいてくれないと。おはようさや、好きだよ」

 男のつや、たっぷりの声。

「上、着てきてくださいね」
 
 

 キッチンでみそ汁を盛っていると、重い足音がして山本がパジャマ姿でダイニングにやってきた。無精ひげはそのまま、髪は手ぐしをとおした程度。まったく素のまま、完全に無防備。

 テーブルに全部並べ、いただきますと合唱する。

「ここからいつも何時に出社していますか」
「最近は午前8時」
「うらやましい……」

 午前7時にはアパートを出ていた。朝の1時間がどれだけ貴重か。信じられなかった。

「近いところにして正解だったな。さあ引っ越して」

 なんとなく、その気になってしまった。
 でもだめだ。どうせ一時の家政婦、すぐに気が変わる。敷金礼金もろもろかかる。
 待てよ、

「……それも、いいですが」
「うれしい、よかった。いま引っ越し店の友だちに連絡する、さっそく」
「本物のお相手さんを見つけた際は謝礼金をください。ここを出る引っ越し資金がなくて」
「怒るぞ」

 血も凍るような低い声、はっきりと怒りの表情で、

「確かに同情してくれとは言ったが、第一段階だ。性急は嫌いなのだろう、徐々に好きになってくれればいい。
 ……そのいいようでは、また鍵を捨てる気だな」

 山本のすごむ視線にもひるまない。誰を敵にまわしたっていい。

「私はそちらさんの所有物ではありません、自由意思があります。眠れないと聞いて多少同情しただけです。どうするかは私の自由、違いますか」
「……必ず好きといわせてみせる」

 これはまた。自信たっぷりにらんでくれる。

「ありえませんよ」
「だったら眠らない。永遠に」
「だったら同情してもしようがないですね。帰ります」

 ソファーから身を起こした。なにせ準備は万全、いつでもどうぞ。よっこいしょ。
 山本はすぐにがばっと立ちあがり、ふれるかふれないかの直近に迫って両膝をつき、

「待って、そんなこといわないで、ここにいて、帰らないで」

 とたん態度が一変。懇願の声、すがる甘えた表情。勝った。
 ひとまずソファーに身を預け淡々と、

「私は不滅の平社員、一足先に出社します。帰宅の時間は確実に違うでしょうから勝手ながら先に夕ごはんを食べています。ご希望がある際は食材の関係もあるのでお早めに」
「よかった、機嫌を直してくれた……」