熱く告げる男。

9 熱く告げる男。

「入社式でさやと逢った。

ああ、いいな。

 俺は人一倍自活しなくてはならない。入社後すぐに新人研修、営業に配属。あの時期はおたがい恋愛の余裕はなかっただろう」
「確かに」

 総務課にひとり配属された緊張の春。
 多少顔見知りになった同期の桜の記憶はすぐに飛び、見知らぬ上司先輩だらけの職場で、誰より早く出社し掃除から始めた。頭を下げ、教えを乞いつづけた。
 恋愛以前、仕送りのない自活そのものに余裕がなかった。

「取引先に顔を覚えてもらうため、3か月間毎日外回りに連れだされた。朝9時前に出て午後5時すぎに帰社。さやはいつもいなかった」
「なるほど」

 外勤の営業ならではだ。
 内勤の総務は社内で上司先輩の顔を覚え、商品名、顔が見えない取引先名を覚えるのに必死だった。

「あとはひとりで出た。
 たまに社内にいても一日中机に座ってさやのほうばかり見ていられない。電話が鳴ればわれ先に出る必要がある。
 先輩は次々と命じる。顧客から呼びだしがあれば即座にむかわなければいけない。自分の意思ではスケジュールを決められない。新人だ、1年間ずっとだ。
 さやも似たようなものだっただろう」
「そうですねえ」

 指揮命令系統が一本化していなかった。先輩が命じる話し中、上司も命じた。ひとによって答え、方針はばらばらだった。
 男性上位の当社は女性を下にみていた。直接の指導者をさしおき、目の前で、男性たちは平然と命じた。

「さやの誕生日はどうにかして知った。宝飾店に勤めている友だちに頼んで俺とそろいのタグを作ってもらって準備は万全、あと当日渡すだけ。
 前日、突然1週間の福岡出張を命じられた。机においても誰かに盗まれるかもしれない。まさか女性更衣室に忍びこんでロッカーに入れておくわけにもいかず」
「ですねえ」

 やったら逮捕だ。

「他人に頼むのはまっぴらごめん、渡すタイミングを逃した。ネックレスのようなものだ、家にある。受け取ってはもらえないだろうか」
「続きをどうぞ」
「俺の誕生日、なにかくれはしないかと期待した」
「ほう」
「日曜日だった」
「あらら」
「いまでも待っているが」
「ありえませんね。続きをどうぞ」
「イヴもクリスマスも体をあけていた」
「大勢のお美人さんに囲まれてハレムを築いた」
「独り寂しく1ホールケーキを買った。さやは家にきてくれなかった。初めて食べて、胸焼けして一口で捨てた」
「もったいない。私が作っても同じですね、いや残念」
「さやの手作りならどれでも食べる」
「続きを」
「会社の忘新年会もさやはこなかった」
「ああ」

 残業代も出さない会社。忘年会と新年会をひとくくりに、金曜日ではない平日に開催する。宴会場費を安く抑えられるから。

 酒は飲む、嫌いではない。行ってもよかった。先輩が辞める直前で、さすがにお酌したかった。

「女の新人が飲み食いする暇はない、ハラスメント放題だ。行くな」

 翌日、会社の行事にこなかったなと叱る上司に対し先輩が、

「私が休めと命じました。おわびは私が辞めることで」

 毅然と盾になってくれた。
 心で泣き、次にこんな場面があったら自分が。心に固く誓った。

「バレンタインも期待して待っていた」
「私以外の社員からチョコをいただいて食べまくった」
「机に山と盛られていた。きっとある、必死にさやのを探した。
 包みを開けつづけ、なかのカードを読みつづけていたら周囲が誤解した。さや以外のはいらないと言うわけにもいかず」
「賢明な判断ですねえ。続きを」

 言ったらその場で大嫌いだ。

「さやのがなかった。誤解を解くため、周囲が見ている前で社内のごみ箱に全部捨てた」
「もったいない」

 おばけになって出てやるぞ。

「来年は期待して待っている」
「ありえませんね。続きを」
「1年下働きすれば後輩ができる。仕事だ、割り切ったつもりでも、後輩の渡辺君とやらには現在も嫉妬中だ。さやはなぜあの者とだけ楽しく会話するのだろうか」
「続きを」
「人を使えるようになった、多少余裕ができた。
 あのあたりからアプローチしていた。誰にもおはようとあいさつしなかった、後輩同僚先輩直属の上司社長にも。わざとさやの席へいってあいさつした」

 覚えている。
 最初は、こいつ同期だったかな、程度だった。課の違う遠いはずの席から毎朝こられなければ。

「毎度無視。続きを」
「なんとか客に顔を覚えてもらった。むこうから俺指名できてくれるようになった。すかさずさやに茶を淹れてもらった」

 営業のヘルプのとき、応接室に必ず山本がいた。
 まさか? いやいや自意識過剰だ。
 無視できたほかと違って仕事。まだまだ入社2年目、拒否できなかった。

「営業の連中ってどうして自分でお茶を淹れないんでしょうねえ。絶対総務事務経理を下にみていますよ。続きを」
「多少出世した、ほめられると期待した。辞令交付のあとさやの席へいった」
「毎度無視。続きを」
「7月、営業先から帰ったら、ビルの出入り口でさやが俺の話をしながら楽しそうに俺にむかって歩いていた」
「脚色しないように。続きを」
「期待して、さあおいでと両腕を広げたらとたんに大嫌いと言われた」
「ああ、あのとき」

 近くにいたとわかっていれば、おそらく口にしなかった。

「続きを」
「奈落の底に突き堕とされた。1週間飲まず食わず眠れなかった。体重が10kg落ちた」
「……は?」

 飲まず食わずの世界記録は一説に約18日間。獄中に忘れられ、餓死寸前で発見された男性は24kg痩せた。
 飲まず食わず眠らずだと9日間の難行に挑む僧もいる。究極の極限状態。体重がどうのという以前に一歩間違えれば、一般人には絶対不可能。

「仕事しない男が嫌いなのだといいきかせて休まなかった。
 あの時期は周囲に、目がうつろだ、むりしているな、誰かにふられたか、闇金に追われているか、おごってやるから食え、家に帰って寝ろ、病院へいけ、会社に出てくるな、救急車を呼ぶか、散々心配された。
 営業先では努めて愛嬌をふりまいた」
「……続きを」
「さやに近寄ったら地獄に堕とされる。あの時期だけはさけた。
 服があわなくなり、スーツが似合わないとさやにいわれたくなくて外でむりやり食べて体重を戻した。このあたりでいい加減、外食にあきた。いちおうの立ち直りをみるまで2か月かかった」

 ヘルプがぱったりやんだころ。

「……続きを」