つやっつやの男。

8 つやっつやの男。

 玄関が閉じる音を聞いてから家のなかを片づける。
 ほこりがたまっていない。大きい乾燥機つき洗濯機のなかは空、かびもなし。

 どうして料理だけできないの?

 いまはまだ満員電車。せっかくの休み。朝、座ってみたい。
 せわしない時間帯にモニターを視聴。実にひさびさ、学生以来。ああのんびり、いいなあ。

 午前9時すぎ、形跡すべてを消し、荷物を持って山本の家を出た。
 鍵を捨ててやろうか。
 腹いせに社内で昨夜のことを声高に吹聴されては困る。持つだけにして、もうこなければいい。

 1時間かけてアパートに帰る。やっぱりわが家はいい。ちょっと予算オーバーの、入居時築2年、2階の角部屋一間。ぎりぎりで入れた、手ばなしたくない。
 さっそくオンラインゲームに興じる。

 熱中して、気がつけばもう昼だった。携帯電話が鳴る。まさか山本?

「どうですかひさびさの休みは」

 渡辺だった。

「満喫している。ゲーム中」
「せっかくの休みに?」
「日中やるのがいいのよ。ごめんね突然穴をあけちゃって」
「いいってことですよ、先輩とおれの仲じゃないですか」

 山本の話がでない。単に休む、まわりにはいわなかった程度かな。よしよし。

「だよね、堂々と休んじゃった。渡辺君も休んでいいよ」
「ですね、おれもやっと有給休暇をとれる身になったんで。
 ところで、耳より情報なんですけど」

 渡辺の口ぐせ。

「今回はなに?」
「あの、鬼の山本先輩が、今日は朝から大のご機嫌で。もう社内全員びっくりしていますよ。
 さらには大きい弁当を持ってきて、恋人が作ってくれたっておのろけですよ! どうです、驚いたでしょう」
「はあ。誰かな」
「先輩の同期ですよ、出世頭の! いよいよ木下先輩と決まりらしくて」
「あらら、じゃ祝電のひとつも打たないとねえ。私も誰か欲しいなあ、また合コンがあったらよろしく。じゃね」

 ひとの弁当は作って自分のはなし。平日昼から外食するか。ああぜいたく。
 携帯電話が鳴った。はいはい次は誰?
 山本だった。

「さぁや……通話中だった……? お弁当もおいしいよ……」

 すがる度満点、投げキスの音まで聞こえてくる、つやっつやの甘え声。

「……どこからかけてるの」
「むろん、社内から。今日はなぜか皆に注目されている」
「二度とひとの名前を呼ぶな」

 通話をぶった切った。電源も落とした。
 
 

 コンビニでおにぎりとお茶を買って夕食後もゲーム。経験値がかなり上がった。平日は集中できるな、もっと休みをとろうか。今月はもうむりか。

 外の共用廊下からどかどか、重い足音がした。隣人か、うるさいな。
 玄関のドアが激しくたたかれた。大きな音。なに、新聞の勧誘? カメラつきドアホンがあるのに。
 隣との境、壁のむこうからもどんどんとたたかれた。うるさい、静かにしろという意味。隣人ではないらしい。

 迷惑な相手は山本だった。

「やめてください、近所迷惑です」
「部屋に入れてほしい」

 小声なのはけっこうだが、またほしい欲しい。

「通話は切る、返事もない、家に帰ればいない。独りではもういたくない、俺と一緒に帰って、さや」

 目が血走っている。

「呼ぶなといったはずですよ。明日どういう顔で仕事しろっていうんですか」
「すまない、怒らせてしまったか。あまりのうれしさに」
「ついうっかり? よく出世できましたね。帰ってください、二度とくるな」

 ドアむこうからあせりの声が聞こえた。

「怒らないで、許して」
「帰ってください」

 冷たく言い放つ。

「開けてくれるまでここにいる」
「なんて迷惑な」

 腕力があったらふっ飛ばしてやりたい。

「ここを開けて、さや」
「帰ってください」
「鍵を持ってくれた意味がない、俺を独りにしないで。許して」

 ドアにすがっている。
 明日は仕事、いずれ顔をあわせてしまう。

「さや……」

 涙まじりの声。

 共用廊下に居座っている。アパート内の隣人が見てしまう。
 絵に描いたような迷惑の極み。最悪、大家に通報される。

 しかたがなくドアを開けた。

「やっと逢えた、うれしい……」
「ひとの家の前で泣かないでくださいよ」

 室内が散らかっているのに。まったく、こっちこそ誰かを連れこんだのは初めてだ。

 山本の格好は今朝見たスーツのまま。ゆるめたネクタイ、外した第一ボタン。家のなかを見まわさない。目的はただひとつ、目線態度で一間にくる。

 お気に入り、パイン材デスクセットの椅子にふんぞり返って座った。山本はフローリングの床に直で正座。

「明日私はどういう顔して仕事すればいいんですか」

 服を着替えておけばよかった。

「……すまない」

 さすがの山本もうつむいていた。

「さいわい。ほとんどは私をきよこかせいこと認識しているでしょうから、何食わぬ顔をしますが。
 間違っても話しかけないように。機会があっても無視してください。そちらさんからお願いばかりですからね、こっちの願いも聞き届けてもらいますよ必ず」

 顔をあげた山本は真摯な瞳できっぱりと、

「わかった。さやの願いはひとつ残らず聞き届ける」
「鍵をお返しします」
「いやだ」
「5秒前になんといいました?」

 返答内容は予測済み。鍵をデスクの上においた。

「すまない、前言を撤回する。できることとできないことがある」
「なんて頼りない。そんな男は大嫌いです」
「傷ついたがしかたない。さやの好みの男になりたい、どんなのがいいだろうか」

 そうきたか。同期、同い年でも仕事の話はないだろう。

「料理ができて年下がいいです」
「……ほかには」
「ほかは眼中にございません」

 条件にあうのは渡辺か。話もあう、相手がいなければなあ。

「わかった、料理しよう。さやの誕生日は11月4日、俺は11月14日だ。好みになれたな」
「うそ……」

 可能性はあった。まったくうかつ。
 いいや、気にしない。好みかどうかではない、関係ない。

「社内では話しかけない、さやとも呼ばない。俺と一緒に帰ろう」
「家政婦を雇えばいいでしょう」
「さやの手料理が食べたい」
「ああ、セックスもできる奴隷が欲しいと」

 山本は、お客さまに対し失礼な対応をした後輩へ、客がいる場できちんと叱るあたりまえの先輩のように、

「いくら俺でも怒るが」

 社会人2年目。失言はわかる、指摘されればなお。

「……すみません」

 学校で隣の席になった子から声をかけられ、いい友だちになりかけたときはあった。
 ささいなことでも言い放ち、クラス替え、年替わりののち話す機会はなくなった。

「……あのですね」
「なんだろう」
「私に対してのそのような感情を、どのように持ったのでしょう」

 話を変えたかった。

「なるほど。当然の質問だ」
「お答えいただけますか」
「了解した」