さっぱりした男。

5 さっぱりした男。

 山本が風呂から出てきた。にこやかに優しく、

「君も風呂に入って」
「作ったら帰ります」

 重い足どりが近づく。

「できれば、泊まってもらえるとありがたい」

 山本の声がすぐ後ろ、頭の上から。ふりむかない。

「おみそ汁を温めてください。そのくらいはできるでしょう」
「水しかわかしたことがない」
「慣れてください。仕事ができるんなら作ったものを温めるくらいしてください」
「できない。君にお願いしたい」
「甘えないでください」
「君に甘えたい」

 ふわりとただよう心地よい甘い香り。

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 地中海に浮かぶ幻想的な島をモチーフにした香り。深い情感をたたえた心地よい甘さ。

「いい加減にしてください」
「どうか泊まってほしい。もう帰したくない」

 後ろから抱きしめられそう。

「生理的に受けつけないほど大嫌いだといったはずです」
「理由を聞かなければ納得できない」

 強い口調。

「自分はすてきで誰もがなびくとでも? ふざけんな」
「君だけなびいてくれればいい」
「こんな瓶底眼鏡女のどこがいいのやら」
「やっと話をそらさず本題に入ってくれたようだ」

 満足げな山本が横から瞳をしっかり見つめ、直近で熱く告げる。

「君が好きだ」
「ああそうですか。もうすぐできますから座ってください」
「うれしい」

 にこやかに優しく、満足そう。

「さっき風呂場で号泣した」
「近所迷惑にならないといいですねえ。独りでせっせと泣いてください」

 ルーを割り入れよくかき混ぜる。米が炊きあがりそう。

「いいにおいだ。うちでも家庭的になれたんだな」

 ダイニングのソファーに座ったのだろう、仕事のときとは違う解放的な雰囲気。室内を見わたし、満たすにおいを存分に吸っている。

「そちらさん、お誘いがいっぱいでしょう。どこかの誰かを連れこんでやってくださいよ」

 鍋にむきあったまま。

「連れこむのは君だけだ。忠弘と呼んでほしい。君が好きだ」
「ああそうですか。甘らっきょうは食べられますか」
「君の手料理ならどれでも」
「毒でも入れますか」
「君と死ねるなら本望だ」

 牛乳を入れる。

「何皿入りそうですか」

 カレー用の皿はなかった、わざわざ買わない。とにかく、ルーがこぼれなさそうで、大きいのを山本にみせる。

「5皿はいける。大盛りで」
「信じられない……あのですね」
「なんだろうか」
「胃が小さくなっているでしょうから、ゆっくり食べてください」
「君に気づかってもらえるとは。うれしい、今夜も眠れない」
「まだ火曜日ですよ」

 山本用の皿は重く、一緒には運べなかった。普通の大きさの皿に盛ってダイニングへ。
 山本は先に食べず待っていた。

「君はその量でまにあうのか」
「私はいいですから食べてください」

 テーブルは1つ、ソファーは2つしかない。しかたがなく座ってむきあった。

「君の手料理を一緒に食べる。長年の夢を達成した」
「大げさな。いただきます」

 手をあわせる。
 山本がぽかんとした。

「どうしました?」
「その儀式をするのは、約20年ぶりだ」

 いくら、なんでも。
 
 

 山本の皿はすぐ空になった。おかわりを盛ってあげる。

「まるで新婚だ。うれしい。とてもおいしいよ、泣きながら食べてもいいだろうか」

 喜色満面、号泣一歩手前。

「がつがつ食べないでください、胃に悪いですよ」
「君が心配する俺の胃は幸せだ」

 食べているよりダイニングとキッチンを往復しておかわりを盛る時間のほうが長い。
 ごちそうさまを聞く前に鍋もジャーも空。末恐ろしい。

「幸せすぎて眠れない。とてもおいしかった、ありがとう。お風呂に入ってくれ」
「着替えがありません」

 社会人として最低限の身だしなみ、バッグにストッキングとショーツの替えくらいはしのばせている。口に出したくない。

「ああ……そうか」

 なにこの男。誰かを連れこんだことないの?

「24時間営業の衣料品店が近くにある、買ってこよう」
「いりませんよ。帰ります」
「帰らないでほしい」
「できませんよ、着替えがないんですから」
「買うから、帰らないで。もう独りには戻りたくない。20年間、独りだった。どうか同情してほしい」

 ……そればっかり。

「20年間ずっともてたでしょう」
「1年半前までは独りでよかった。君に逢えて気が変わった」
「まさかその歳にもなって、知らないとかいうんじゃないでしょうね」
「さすがにいわない。
 ただし誰とも1週間持たなかった。全部むこうからいわれた。二、三度会って別れた」
「私にだって相手がいましたよ」
「この歳でなにもない、はありえない。極論をいえば、君にセフレがいようと驚かない。むろんいまからは全員と別れてもらう」

 心外だ。

「そちらさんにはやまほどいそうですね」

 そのうちの1人か。

「いない。君でなければ勃つものも勃たない」
「なに下ねたかましているんですか。帰りますよ」
「すまない、性急すぎた。せめて寝室のベッドを使って。このあいだ空きの部屋のふとんを使っただろう。まだまともなベッドで眠って」
「そちらさんはどうするんですか」
「忠弘と呼んでほしい」
「質問に答えてください」
「君と寝たい」
「帰ります」
「すまない、本音が出た。俺が空きの部屋で寝る、どうか俺のにおいを感じて眠ってほしい」
「……帰ろ」

 残念ながら終電時刻をすぎていた。これ幸いとばかりに衣服店とやらへ行くという山本。

「君のブラのカップとサイズは」
「帰ります」

 アパートまで1時間のタクシー代の持ちあわせがなかった。渡辺に迎えにきてもらう? どこに呼ぶ。

 しかたがなく、米をさっきより多く研いでジャーのタイマーをセットし、座って待つ。
 帰ってきた山本は服が入っているであろう紙袋を手渡し、

「お風呂に入って眠って。おやすみ」

 空きの部屋に消えた。

 どんなものか。さすがに興味がわいてちらりとみた。
 センスのいい上品なツーピース、ちょっとシックで大人めいた秋色。
 下着は淡いイエロー+桃色と純白。
 身につける気はまったくない。

 必需品、パジャマがない。自分のを渡す発想もないもよう。
 しかたがなく、入浴後もとの服をきちんと着込む。汗ばむブラをいやいや着けて、ぱんつは自前の替えのものを。
 以前はさけた寝室に入る。内側からは鍵をかけられない。しかたがなく脱いで、パンツ一丁で眠るしかなかった。

 ベッドはふかふか。シーツ、掛けぶとんも清潔、よく干してあって気持ちいい。
 本当に山本のにおいがした。くるまれて、いつのまにか熟睡した。