4 欲しがらなかった男。
食器棚に皿だのが形だけはそろっている。使用形跡なし。
冷蔵庫はビールと特選秘境の水だけ。冷凍庫は氷のみ。コンロの上のやかんだけ使用形跡が激しい。シンクはきれい、使っていないだけ。
収納スペースには大きいカップラーメンが山、ほかはなし。
水切りかご・三角コーナー・ふきん等々存在せず。調理器具一切なし。
「同情してもらえたようだ」
「最低ですよ。誰かを連れこんでやる前に、そろえてもらってくださいよ」
「君にそろえてほしかった。連れこんだのは君だけだ。さっそくスーパーへいこう」
「スーパーだけじゃカレーも作れません」
家の外に連れだされる。
「カレーというと、中学校とかで作るあれだろうか」
なにをいっているんだろう。
「はいはいそんな程度しか作れません。高い店に高い誰かを連れて外食すればいいじゃないですか」
山本が立ちどまり、手首を口もとに持っていく。左手の薬指になにもないのを確かめたようで、
「俺は5歳で両親を喪った」
「は?」
まっすぐで真摯な瞳とぶつかる。
「以来天涯孤独だ。小学校も中学校も高校もろくにいっていない。17歳のときに赤の他人にめんどうをみてもらって大学だけは六大学に入った。
調理実習で出るようなカレーを食べるのが夢だった。作ってもらえるだろうか」
いくら、なんでも。
「同情してもらえただろうか」
「……じゃあ。そろえますから。お金がかかりますよ」
「いくらでも。やっと稼いだ実感がわく」
にこりと笑い小首をかしげた山本が満足げに瞳を細める。
手首ごと腕を下ろした。山本はDIY店に着くまで離さなかった。
台所には米すらなかった。ジャー・ボウル・鍋・まな板はおろか包丁までない。
「外食はあきた。カップラーメンもあきたがほかに作れない。君の手料理が食べたい」
「はいはい、荷物持ちをお願いします」
「いくらでも。あとで車を買おう。ディーラーへいきたい、つきあってもらえるだろうか」
毎日買いつづける気か。
「区内に住んで車がいるんですか。そのへんのお美人さんをつかまえてください」
選んで、後ろの山本が荷物持ちして支払う。手首をつかまれない、むかいあわずに済む。
「君が美人だ。俺の車の助手席は君専用だ」
つやめいた声がずっと後ろ。
「はいはい、寝言はきのうどうぞ」
「君の寝言が聞きたい」
「はいはい」
「俺は大食漢だ、たくさん作ってもらえるとうれしい」
「ああそうですか、じゃルー全部使いますか」
「あすの食事も作ってくれるとうれしい」
「あとはどこかのお美人さんにどうぞ」
「君が美人だ、君の手料理が食べたい」
「手抜き料理もどきしか作れません」
「君が作れば手料理だ。手料理は5歳以来食べていない」
「……本当ですか」
「同情してもらえただろうか」
ゆっくりでいいから食べてもらわなくては。きょうもビールなら間違いなく倒れる、いくらなんでも迷惑だ。
「目玉焼きくらいはできるでしょう」
「ひょっとして、フライパンとかを使うのだろうか」
「ひょっとしなくても使いますよ。油をひいて卵を割ればできます」
「卵を割ったことがない。油をひくとはどういうことだろうか」
論外だ。買わないと。
米、米びつ、みそだし、各種オイルに調味料、ルー、肉、福神漬け、甘らっきょう、にんじん、じゃがいも、たまねぎ、牛乳、卵、……
「カレーにキャベツを入れるとは知らなかった」
「あすのサラダの材料です」
「そこまで考えてもらえるとは。うれしい、泣いていいだろうか」
「お願いですからせめて家に帰ってからにしてください」
大荷物はタクシーの後部座席だけではとてもおさまらずトランクにもつめた。
山本だけが持って玄関へ。
「重いでしょうけど、私非力なので」
「君には箸より重い物を持たせるつもりはない」
山本は玄関前でドアを開けるために荷物全部を右手に移し、左手で鍵を使い、玄関を開けて先に入るよううながした。
手のひらをちらりとみる。赤くもなんともない。軽かった? まさか。
「たぶん1時間以上かかります、着替えて楽な格好になってください。お風呂どうぞ」
「まるで新婚だ。泣いていいだろうか」
「ああそうですか」