擬ぱんだ

2 わけありに近づく相手がいる同期の男。

 翌日、午後5時。定時ださあ帰ろう。
 着替えに手間どった。早く帰ってオンラインゲームの続きをしたい。

 出るとすぐのところに見覚えのある社員が。
 女性更衣室前。男性はなかなか近寄れないのに。周囲も奇異の目で見ていた。

 まったく意に介さない山本が、

「残業してくれ」

 当社は手当が出ない。サービス残業。

「はい」

 課が違うのに。まるで待ちかまえていたかのよう。大嫌いは聞こえたはず、仕返し?
 いや、仕事だ。割り切って従った。

 渡されたのは分厚い資料。残業内容、手書きの書類をデータ化。
 ごまかしのきかない単純作業、量が多い。いいたくはないが汚い字、一番困る。ひょっとして午前0時をすぎる?

 ワープロ検定1級程度の打鍵スピードをもってしても最終確認をおえるのに午前2時までかかった。

「おわりました」
「ありがとう。助かった」

 こういう反応ならまだいい。

「とっくに終電も出た。君の家は電車で1時間だったな、タクシーも深夜割り増しだ。もう今日になった、申し訳ないが俺の家で休んでくれ。これが鍵」

 ……はい?

 わざわざ目の前で本物を。複製ですらない。

「俺の家だと車で10分だ。マンション1階一番奥。ベッドだけは大きい、3時間程度しか眠れないかも」

 相手がいる他人の家に?

「そのへんのカプセルホテルにでも」
「金がかかるだろう」
「知らない人の家に泊まりたくありません」
「君と俺は同期、同い年だ」

 多少は知っているらしい。確かに入社式で顔はあわせた。

「とっくに肩書が違います」
「お礼がしたい」
「いりません。ただ仕事しただけです」
「残業代も出ない。頼むから泊まってくれないか、あとでうめあわせする」
「必要ありません」

 その後も押し問答があり、結局鍵とタクシー代を押しつけられてしまった。肩がごりごりにこっていてこれ以上疲れたくなかった。

 ロッカーに入れていた非常時用着替えを持って連絡先をすべて書いたメモも持たされタクシーに乗った。
 さすがに眠い。

 暗くて街灯だけではわからない。ともかく山本のマンション、エントランスへ。
 管理人はとっくに帰っていた。オートロックを解錠。1階、階段を使わず。一番奥というドアを開ける。
 必要最小限の明かりだけにしようとしてもどれがどれかわからず全部つけるはめに。室内の構造を聞かなかったのでひと部屋ずつ見てしまった。

 一本の廊下をはさんで左手前に六畳程度のなにもおいていない和室。
 むかいが八畳程度の和室、荷物が入っている。物置として使っているようだ。
 奥には寝室、仕事部屋。風呂場、トイレ。一番奥がキッチン、リビング兼ダイニング。
 先には1階のみにあるちょっとした庭。

 余計に使いたくない、手をつけたくない。風呂には入らなかった。シャワーも浴びなかった。洗顔だけはした。

 相手がいる寝室には間違っても入らない。ほかに寝具がなければ即座に出ていった。玄関から入ってすぐ手前、六畳の和室の押し入れにふとんがあった。
 きれいですれちがうたび香った心地よいにおいがない。ほとんど使っていないか。
 ひっぱりだして敷き、ふとんにもぐって目を閉じた。
 
 

 朝、3時間後の午前6時すぎに携帯電話の目覚ましアラームが鳴った。

 眠い、頭もまぶたも肩も顔も重い。気分は最悪。

 なんとか起きてふとんをていねいにたたんでもとの位置に戻す。
 着替えて洗顔、化粧。タオルでしつこいくらい洗面ボウルをふき使用形跡を完璧に消す。
 メモとタクシー代の札の入った袋を玄関の靴箱上におきドアを閉める。昨夜は暗くてほとんど見えなかった集合ポストに鍵を投げマンションをあとにした。

 このへんの地理がわからず電車には乗れなかった。タクシーを使用。結局カプセルホテル代とあまり変わらず。コンビニによりゼリー状の飲み物を朝飯がわりにした。

 通勤時間が単純計算で50分違う、一番に出社したらしい。もうちょっと眠っていればよかったか。

 フロアへ。誰もいない……いや、ひとりいた。山本だ。
 自宅に戻らなかった、徹夜か?

 さすがにそばによってみた。

「帰らなかったんですか」

 山本はマシンにむいたまま。

「情報収集、資料作成」

 任されたことがない、できない仕事。

 せわしなく打っていたキーボードから指を離しむきなおす山本。身長はおそらく180cm以上あるだろう、30cm近く差がある。
 徹夜しただろうにくまもできていない。対照的な下から見あげる表情。

 真摯だった。まっすぐな視線がつやを帯びていた。

「昨夜はありがとう。週末、うめあわせを」
「いりません。私、そちらさん生理的に受けつけません、大っ嫌いです」

 フロアを出た。時間まで更衣室でうとうとした。