擬ぱんだ

1 入社した男。

 4月1日、23区の北はずれの会社に加納清子は入社した。

 かのうさやこと読む。両親が某宮さまにあやかって名づけた。愛称もさーやは畏れ多い。たいてい、きよこかせいこと呼ばれた。

 都内の4年制大学卒業後入った。入社試験の成績は下から数えたほうが早かったらしく、ほかの同期と配属時から差をつけられた。
 なんら気負わなかった。
 輝かしい才能はない。苦しみ否定されつづけて得たたったひとつの光、内々定。就職できたのは奇跡、ありがたく働かなければ。

 同期の首席はたいそう頭がよかったらしいが3か月で辞めた。理由、ボクこんなところあいません。
 
 

 配属後の仕事内容、最初は単純作業。ただ先輩のいうことを聞いていればよかった。
 3か月もたてばちょっとした判断を求められる。

「次はなにをすればいいんですか」

 まわりに都度聞いていた。直接の指導係である先輩から、

「自分で考えて行動しなさい」

 考えをあらためた。そうだ、社会人なんだ。

 先輩は社内恋愛中で退職を考えているという。その前に判断力を少しでもいい、身につけよう。
 電話、お客さま応対。ちょっとした気づかいが苦手だった。
 先輩はとても気がきいた。見習いたかった。いつしか単純作業を完璧にできていた。
 
 

 1年後、後輩が入ってくる。
 渡辺という彼は同棲しているらしい。ときおりおのろけがでる。

 先輩となった2年目の業務内容、単純作業とちょっとした判断。同期は最初の階級、チーフになる者もいた。差を気にもとめなかった。

 情報通という渡辺と組むと、いろいろな話が耳に入る。

 同期で入社試験時、上から二番目は美人聡明。三番目は端整な顔立ちで頭脳明晰。この2人が出世頭。
 ときたまいい雰囲気になっている。結婚も秒読み、かもしれない。三番目のほうがもうチーフ、来年には主任になれるかも。

 2人とは課が違う、机の場所も遠い。渡辺以外は同期であっても社用の話とせいぜいあいさつ程度。別次元だった。
 
 

 5月のある日、営業からヘルプ依頼がきた。
 内容は単純作業、お茶くみ。営業事務の女性社員が全員出払っていて男性しかいないからやってくれ。

 営業にだって新入社員はいるのに。

 重要な取引先、上から三番目くらい売り上げがある大のお得意先。お茶を淹れて応接室に持っていく。
 覚えのある心地よい甘いにおいがふわりとただよった。香水だ。
 つけすぎ、安物はいやなもの。ほのかでちょうどよかった、とてもいい。
 認識する気もない自社の社員の顔をついちらりとみた。
 渡辺がいうチーフとやら。

「ありがとう」

 応接室で声を出して返事する必要はない。心のなかで、はいはいお疲れさまですね。さりげなく出て自席に戻った。
 
 

 7月のある日、定時となり更衣室で着替えたあとビル1階出入り口までの道のり。
 ままある、当社社員の評論会のような話があった。誰それがいい、誰と誰がつきあっている。
 なかでも背が高く脚が長い、スーツのセンスもいい、声もよく、笑顔がすてきで端整な顔立ち、営業成績抜群という話のとき社員は色めいた。

「やっぱり山本君がいち推しよね!」

 あのチーフとやら、らしい。

 みかけは対照的だ。
 極端に視力が悪く、いまどき黒ぶちの瓶底眼鏡。腰までとどく黒髪を後ろひとつで結んでいて普段着もやぼな服装。Eカップでアンダー65のスレンダーボディ。誰にも吹聴していない。

「加納さんは?」

 ふだんは誰も話をふらないのに、なぜか今日は意見を求められた。

「ああ、その人同期みたいですけど。私、大っ嫌いですから」

 まわりが突然黙る。

 私、なにかした?

 覚えのある心地よいにおいがした。顔をむけると当人がいた。
 営業帰りか、ビジネスバッグを片手に持つ山本は明らかに不機嫌だった。しっかり聞いたらしい。

 誰にけんかを売ってもいい。かまわず横をとおりぬけた。
 
 

 8月下旬。まだまだ夏真っ盛りな時期に渡辺から合コンの誘いがあった。
 大学を出てから相手いない歴3年。悪くないならそろそろ。行ってみると伝えた。

 5人対5人で、そこらの酒場で行われた。なぜか相手がいる渡辺もいた。
 社交的ではない先輩のお守りをしてあげようときてくれたのだろう。

「あれ?」

 調子のはずれた声。

「どうしたの?」
「見てくださいよ」

 渡辺がさししめす方向にいたのは山本。

「むこうのメンバーは違ったはず、いつのまに……木下さんとつきあっているはずなんですけど」

 木下というのが同期入社、成績は上から二番目の美人聡明。どうでもよかった。
 ほかの3人はどうか。

 あ、なにかあの人、私を見ていそう。

 彼に山本が声をかける。

 知り合いだったのかな?

 2人ともどこかへいなくなった。なんだったのか。
 渡辺が次の酒、モスコミュールを運んでくる。
 とりあえず口をつけて、飲んでいたら忘れてしまった。その後山本がひとりで帰ってきたのにも気づかなかった。
 
 

 時間終了まで声をかけてくれたのは渡辺だけだった。
 山本は誰に話しかけられても一切応じずひとりで飲んでいた。なにしにきたのやら。

 渡辺とともに酒場を出る。

「結局私ははずれかあ」
「こんなときもありますよ」
「1組くらいできたみたいだね」

 駅で別れた。