どじを見たい。

2 ごちそうさま。

 マンションに着く。動けない麻衣子を恭しく、優しく車外に出し、横抱きして部屋に連れていった。
 玄関の扉を開ける。互いの靴を脱ぎ、居間のソファーに座らせる。紅茶を淹れた。

「飲め」

 ティーカップをテーブルにおき、すたすたとキッチンへ向かう。

 いいにおいにつられ、感情抜きにカップをあげ、かたむけた。水分なら入る。あたたかいし胃に悪いコーヒーでもない。

 たまらなくおいしかった。やっと人心地がついた。
 しゃべってみる気になった。無視、されるだろうか。

「あの」

 背に向かって。

「なんだ」

 答えは返ってきた。

「ここ、どこですか?」
「俺の家だ」
「ごはんというのは……」
「俺がつくる」

 意外だった。てっきりどこかの、とても高そうな店に連れられて、外国語が飛び交うなかメニューを注文されて、無知で恥をかくだけとばかり。

「あ。ありがとうございます」

 なぜか感謝する。

「嫌いなものは」

 ああそうか、さっきのが。

「えっと」

 思いつく限りを伝えた。

「わかった。できるまでなにか見るか。風呂に入るか」

 いまなにか、なぞの単語を聞いたような。

「あ、あの」

 キッチンから出てきて別室へ向かった。ちっとも説明がない男である。

「着替え。タオル」

 渡されたのはふかふかの大小タオル2枚ずつ。着替えはたった1枚の服。まったく理解不能。

「あ、あの。ご、ごはんを食べたら私、すぐおいとま……」
「帰さん」

 なんですって?

「風呂に入れ。家のなかのものはなにを使ってもいい、なにをしてもいい」

 理解不能のままかたまっていると横抱きに抱えあげられた。

「きゃあ!」
「さっきからだ」

 意識を持ってされたのは初めて。

「俺の首に腕を回せ」

 できません。

「でないと落ちる」

 困る。

「いいから回せ」

 顔から火が出たままそのとおりにした。顔が近づく。ほとほと困った。

 バスルームの前でおろされ、タオルと着替えを押しつけられた。なかに入れて扉を閉め、すぐにすたすたとキッチンに戻っていった。

 見わたすと脱衣場。
 広い。壁面に大きな鏡。レトロな洗面ボウル。籐で編み上げられた背もたれなしの椅子、かご。服を脱ぐ。

 奥の扉が風呂場らしい。入ってみると広かった。床は暖房つき。お湯はすでにたまっていた。新卒でお金がなく、入社してずっとシャワーだけだった。ひさびさに湯船につかれる。

 シャワーを浴びた。洗面ボウルと同じデザイン、レトロでどこかノスタルジック。ちょうどいい温度のお湯。思わずずっと浴びたくなった。
 湯船にえい、とつかる。ひさびさに脚をのばす。気持ちよくて眠りそうになった。
 適度にあたたまり、湯船を出て、シャンプーらしきものを手にとり髪を洗った。

 恋愛経験者なら、一人暮らしの家に夜上がるのは食われると知っている。よそで泊まったことがある者なら、少なくとも下着の替えは用意する。
 麻衣子はわからない。今日は突然のできごと、考えが回らない。

 お風呂は命の洗濯と誰かがいう。まさにそのとおり。

 ふたたび湯船につかったあと、さっぱりして風呂をあがった。体を拭き、髪を乾かし、着替えに手をつけた。
 夜ブラを着けずに眠るからなくともいい。

 あれ。ぱんつは?

 脱いだパンツをまた穿くのは嫌だった。

 ちょっと待って。ぱんつが。な、ない?

 脱いだ着物も消えている。残っているのはさっきの着替えとタオルだけ。

「え、え、え?!」

 急いで着替えてバスルームを出ようとした。

「な、なに。これ」

 着替えは大きい、男性用のパジャマだった。上衣だけ。下がない。
 こ、このままお風呂場を出ろと?

「どうした」

 すぐ近くで今村の甘いバリトンの声がする。ひょっとして扉一枚向こうにいる? ひえー。

「あ、あの課長! わ、私の服を知りませんか?」

 おばかな問いだった。

「洗った」
「えーーー?!」
「着替えたか」
「え」
「来い。飯だ」

 こ、こんな格好で。ぱんつも穿かず、ブラも着けず、乳首が浮き、えりが大きくてへたするとおっぱいぽろりみたいな格好で出ろと?

「いやです!!」
「なぜ」

 なぜ? そんなの聞くか?

「さ、寒い!」
「わかった」

 バスルームの扉が開く。ひえー。

 スーツから私服に着替えていた。今日が初対面でどちらの姿も初めてみた。

 理由もわからずただ見とれた。シャツをばりっと脱いで着せる。

 今村、上半身真っ裸。

 ついついその体を凝視してしまう。息をのんだ。
 プロ並み、いやさプロ以上の、鍛え抜いた鋼鉄のような体だった。むきむきではないものの信じられないほど逆三角形。どんな重いものを持ってもびくともしないような血管の浮く両腕。体脂肪率1桁は間違いない。

「ひ、ひえー!」

 よく卒倒しなかった、えらい。
 ぐらりと体がゆれた。すかさず横抱きにされる。

「腕を回せ」

 言外に、何度もいわせるなという響きがただよっていた。誰に教わらずともわかる。真っ赤をとおりこし、恐怖でたくましい今村にしがみついた。

 ソファーにゆっくり座らされる。扱いがとてもとても優しかった。慈愛に満ちて。愛情あふれて。

 あい、じょう?
 まさか。

 目の前には湯気だつ食事。サラダもあった。いちから手づくりのドレッシングがかけてあった。

「あ、あの」
「なんだ」
「お料理……できるんですか」

 おばかな問いだった。

「一人暮らしだ」

 もう少し説明してほしいものだ。

 ぱくぱく食べている。さっきからおなかが鳴る。いつのまにか吐き気は消えていた。
 ぱっくり食べた。おいしかった。

 食べおわると入社以来一番の笑顔で、

「ごちそうさま! おいしかったです!」

 うれしかった。金曜日夜の食事は生命線、これがいままでで一番だ。
 上半身真っ裸の今村が立ちあがりそばによってきた。

 こんな人とこんな状況。私は下半身になにも穿かず、この人は上半身裸。
 えっと。頭を整理するのよ麻衣子。どうしてこの人は私のそばによってくるの? あの、近いんですけど……。

「麻衣子」

 初めて名前を呼ばれた。知っていたの、私を。
 状況はそんなものではなかった。

 ひざまずく今村。両手を恭しく頰にそえ、よく見つめさせて、

「よく聞け」

 なにがなんでも凝視せざるを得なかった。その表情。
 人見知りではなくとも、逢ったばかりの他人の顔をしげしげとみられない、まして今村の顔は。

 初めて真正面に向き合った。

 きりっとした意思の強そうな眉。眼力の強い瞳。すっととおった鼻筋。きりっと結ばれた唇。気高さ、毅然とした迫力。ノーブルさまでただよわせる。総じて極上の男前。
 麻衣子だけを見つめている。真剣そのもの、ほかが目に入らないような。

 教わらずともできる、わかることがある。麻衣子でも。

「俺は麻衣子を愛している」

 まさか。
 もしや。

「今村麻衣子になれ」

 許容範囲外ふたたび。

「ここに引っ越して住め。肩書で呼ぶな。敬語はいらん」

 耳もおこさまだった。

政人だ。呼べ」

 あのー……。

「君だのさんだのつけたら殺す」

 ひえー。

「麻衣子。呼べ」

 ひえー。

「麻衣子」

 また言外な。

「ま、まままま……政人さ……ひえー」

 視線がまさに殺気。

「麻衣子」

 今日で絶対10kgはやせた、いやさ髪が真っ白になったと述懐する。

「ま。ま。ま。……まさ。と」

 呼んだらすぐに大人のキスがきた。
 恋愛初心者、初恋もまだ。キス? なにそれ。そんなおこさま。こんな極上テクニックを必要とする、慣れまくった、うますぎるキスは卒倒とイコールだった。

「ん、ん、ん……」

 卒倒寸前に唇が解放される。

「鼻で息しろ」

 なるほど。またあのキス。

 どれだけされたかわからない。なぜ解放されたのかも。

「ん……」

 上気した表情で息も整わぬ麻衣子を抱えあげ、寝室へ連れていった。
 恭しく、優しくベッドにおろされる。いくら麻衣子でも、これからなにをされるかわかった。
 上衣だけは百戦錬磨の政人にとって着ていないも同然。するすると脱がし、胸をもむ。

「ぅン!」

 左胸だった。心臓をわしづかみにされた。

「優しくする……」

 政人にしては珍しく、声がかすれていた。
 言葉とは裏腹に次にきた感覚は痛いだった。

「あ! んー!」

 首筋にかみつかれたかのよう。

「い、痛いで」
「殺す」

 ひえー。

「な、なん、で痛いの、や、やさしくするって」
「すまん。いまのだけだ」
「あ、あの!」
「なんだ」

 いましかなかった。

「あ、あので、ひえー。あのね、こ、こここういうことは、もっと段階をふんで行うのが普通じゃないでしょ、ひえー、普通だと思うの!」
「気にするな」

 します!

「麻衣子は俺を愛している」

 なぜ私が現在形ですか?

「普通というが、経験ありか」

 うっ。

「な。ないで、ひえー。ないもん」

 おこさま麻衣子。

「ならなぜ普通という」

 うっ。

「だ。だって。ね?」
「怖いのは最初だけだ」

 いえ、最初からいまもですから。

 両脚をがっぱり割る政人。

「い、いやー!」

 つつー、と指を下にはわせ、

「だ、だめだめだめ!」

 指がしげみの奥に。

「あ、ぅー、うー!」

 息がそこに。

「ちょ、ちょっと! かちょう!」
「殺す」

 ひえー。

「麻衣子。呼べ」
「よ。呼べばやめてくれる?」
「まさか」

 そうでしょうね……。

 やめるわけがない政人に、あっけなく最後までやられた。