狼です。

10 狼です。

 仕事をおえ、署から家まで歩いた。

 どうしよう……。

 アパートに着く。おなかが空いた、

「……あ!」

 調味料がない。
 そのころ圭佑は仕事で、社を出て部下と一緒に海外出張するところだった。ノルマが現時点で3割にも満たず、苦しい状況だった。
 二係の者たちのノルマは同じではない。どのくらいかは平社員には伏せられている。年度末までに達成できなければ退職願にサイン、退職金もない。代わりに賃金が高い。

 特進、エースの実態は社一番のブラック部署。

 身の丈にあった生活をし、いつ首になってもいいよう遊興に走らず貯蓄していた。
 とても気軽に使えない、ローンを組むのは最後の手段だ。

「申し訳ありません、係長」
「いい。行くぞ」

 もうすぐ空港行きの電車がくる。
 携帯電話がふるえた。

「素子」

 隣の部下ははっとしてすぐ列を離れた。

「……うん」
「どうした。いまどこ? もう夜だぞ」
「……うん」

 返事を待つ。

「なあ、寒いだろう? 家に入ってくれ」
「……入れない」
「どうして?」

 誰もが携帯電話をみて操作している。

「……鍵がないから」
「俺の家のか? 素子の家の郵便受けに入れた」
「え……」
「そのくらいはするよ」
「いつのまに……」
「いまから出張だ、四日後には帰るよ」
「うん……」
「どうした?」
「あの、……ごはん……」
「うん」
「つくれなかった……」
「うん。いい」
「もう……」
「うん?」
「つくってあげるひと……いなくなって……」
「俺がいるよ」
「……いいの?」
「いい。頼むから作ってくれ、素子の腕前には脱帽だ」
「……そう?」
「うん。おいしかったよ」
「うれしい……」
「なあ、頼むから家に入ってくれ。寒いぞ」
「……いい?」
「いい。冷蔵庫のなかをからにして、もったいないから」
「うん。そうだね……じゃ、入るよ……?」
「頼んだぞ。じゃあ四日後」

 すぐ部下のほうへ歩いた。

「悪い」
「いやあの、……いいんですか? 帰らなくて」
「いい」
「それらしくは……」
「大丈夫だ。安心して任せられるんだよ」

 これ以上は聞けない。こらえてともに機上の人となった。

「海外出張で四日後帰宅はかなり厳しい日程では……」
「見ていろ」

 断言して座席に体を預けた。
 たぶん今日帰ってくる。

 圭佑の家に、いつのまにか手にした鍵で入っていた。
 あのとき駅にいた。いかに忙しいか、つきあった数か月でよくわかった。帰りの時間はまったくわからない。

 だめにしてもいい、夕ご飯を。

 傷が癒えないまま次々と死なれ、生きる気力もなくなった。
 信じられないほどお金が飛んでいった。たちまち貯金は底をついた。独り立ちできる娘だとわかっている、親戚は誰も手を差しのべなかった。一緒に暮らしていない、空いている部屋もない。共同生活できるほどの余裕は誰にもなかった。

 家事しているとね、いつか必ずいいことがあるよ。母の言葉。
 料理ができれば、将来困ることはない。父の言葉。

 携帯電話がふるえる。

「いま最寄り駅だ、どこにいる?」
「……圭佑のおうち」
「最高だ」
「うん……うん、あのね、……ごはんは?」
「食べていない。空腹だよ」
「本当? だめよそんなの……」
「すまない。素子のが食べたくて外食がいやになったんだ」
「……うれしい」
「歩きながらはだめだから、いったん切るよ。楽しみにしている」

 よかった。
 ぼろ一戸建ての玄関を開ける。

「ただいま」
「おかえりなさい!」

 台所から駆けよって重いキャリーケースを受け取ろうとする。渡さず玄関におき、引きよせてキスした。

 まだ驚くか。先は長いなあ……。

 玄関を上がり、手を握って台所に連れていく。後ろから抱きしめて支えた。

「いいにおい」
「……」
「おなか空いたよ」
「……! うん」

 意識が戻ったらしい。そっと離し、ネクタイをゆるめて着替えにいった。
 おしゃれな人。服装や身なりにいつも気を使っている。いまも家のなかで、くつろぐ空間で普段着にも使えそうな、ジムでトレーニングするような黒のジャージ姿。ちらっと鎖骨と喉仏がみえる。

「時間をいわなかったのに、作ってくれてありがとう」

 3回目のキス。

「もーとーこ」
「……あ! うん。うん」

 意識が飛びそう。あたたかいうちに。

「……すごいな」
「ううん……」

 せいいっぱい、テーブルにところせましと並べた。

「いただきます」

 しばらく無言で食べた。
 
「なあ……材料費いくらした? かなりかかっただろう」
「未払いの多額の借金があるよ」
「なしだよ」
「じゃあ私もなし」
「そうはいかないよ」
「じゃあ私もそうはいかない」
「……わかったよ」

 折れるのはいつも圭佑のほう。

「勤めて2年くらいたつから、今日こそお金を返しにきたの」
「なしだよ」
「一度に100万円以上借りたよ」
「俺の月給はそれ以上だ」
「……え?」

 食べかたが上品、理にかなっている。調べて実践し、相当教わったかたたきこまれたのだろう。

「昇進して賃金が上がった。まえ渡した名刺はもう古い。いまのは役がついている」
「……」
「金の話はもうおわり。
 寂しかっただろう。いつも出張、泊まりこみ、仕事……言い訳ばかりだ」
「ううん、私も仕事……しているから」

 話があう、よかった。

「うれしかったよ。家にいてくれる、掃除もしてある、ご飯はプロ級……いうことなしだ」
「……ううん……」
「何日も家を空ける。できればいつも出迎えてほしい。……いやか」
「ううん、いやじゃない。ずっとしたかったの。誰かにいわれるの、ずっと待っていた……」

 ただ待って喪った。見送るしかなかった。

「じゃあ明日の引っ越しは気合を入れよう。がんばるぞ」

 部下には少々見せすぎた。

「した」
「……。ん?」
「お引っ越し。した」
「はい?」
「四日かけて、ちょっとずつ荷物を運んだの」
「……」
「もう住んでいる」

 それって……。

 いつ襲ってもいいですよ、という意味ですよ。
 というのを。

 いつ教えれば……いいですか?