ばきゅんと一発。

9 ばきゅんと一発。

 急いで炊いたはずの米はきらりとつやつやに光っていた。ぼろ家で気分は高級料理店。

「あの……ですね、三井さん」
「? へん?」

 自信が相当ある返事。

「とてもおいしい……です」
「よかった!」

 笑顔がまぶしい、うれしそう。

「あの、どこかで……習ったとか……」

 バイトかなにか? 趣味は読書じゃなかったのか。

「10歳のころから料亭で修業していたの」
「……」
「父のつてで。母が寝たきりになる前は市場とかにも行けた。どんなに早起きでも朝ご飯とか作れるよ。
 お弁当も。帰りがいつになるかわからないんでしょう? 折につめてあげる」

 こんな生活スキルの人に、なにをどんなことを……。
 その後、ぎこちない、つきあい始めてから常、会話した。

 通った高校は食物科。就職先に公務員は誰も選ばない、カリキュラムがない。筆記に落ちるのはあたりまえ。
 周囲からは、どこかのおに就職するようさかんにすすめられた。父が亡くなって何年にもなり、話しづらかった。
 しょうじき、無理とわかって試験を受けた。

「……ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」

 テーブルを片づけ明日の食事の支度にとりかかる。

「冷蔵庫のものを使っていい? 朝ご飯いつ食べる?」

 うわあ新婚、上の空。
 調理師免許まで持っているんですって。どうしよう。
 襲う予定がすっかり吹き飛んでアパートまで送った。

 拝啓お父さまお母さま、不肖の息子はいつ狼になればいいのでしょう……。

 アパートのドア前で現実に立ち返る。さきほど借りた鍵。渡せばたぶん。
 握りなおす。

「素子」

 寒いところ、長話はできない。

「次の非番はいつだ?」
「五日後かな」

 待てない、もとに戻るだけ。

「……俺の家に引っ越さないか」
「え……」
「わざわざきてくれるのが申し訳ないとかじゃなく……。
 ずっと一緒にいたい」

 ポケットにしまって、素子の手を握って家に引き返した。
 とまったらやめるつもり。ゆっくり歩いた。
 ほとんど引っ張っている状態。後ろは見なかった。

「いやなら手をほどいて。……むりはいわない」

 手があたたかい。

「あのね……」
「うん」

 後ろは見ない。

「……いやじゃ、ないの……。
 いいの?」
「いいよ。拝み倒したいくらいだ」
「私……」
「いやか?」
「そうじゃなくて……」
「なんだ? 教えて、俺はなにも知らない」
「……あの」
「うん」
「……だって」
「うん」
「……お化粧品とか、ないし」
「とか? ほかには?」
「え、……と、シャンプーとか……」
「ほかには」
「ほか……ぜんぶ。ないと……」

 困る。下着とか。

「わかった、五日後に引っ越そう。段ボールの準備と荷物運びは俺がする」

 もう一度引き返す。素子のアパートの玄関先で名残惜しくふれた。家に押しこめる。
 閉じたドアに背を預け、天を仰いだ。
 翌日、どうやって起きたかわからなかった。化粧は落としていた。
 休みをとってくれた同期の友だちは心配して、

「どうだったの」
「よく……わからない」
「キスくらいはしたんでしょう」
「……たぶん」
「じゃあ、もう全然違うでしょう」
「……うん」
「どうだったのよ」
「……ごはん、作ってあげられなかった」

 支度だけして結局作れなかった。得意の早起きもできなかった。

「素子が?」
「だって……」
「相手にも2浪させたいの?」
「……ううん」
「なにかいわれたでしょう」
「……うん」
「いい加減すぐに動け!」
 
 優しい、いまのままではだめですか。