いただきます。

8 いただきます。

 返事はない。抱きしめてもそのまま。
 ひとまず玄関を開けた。素子を抱きあげ寝室に横たえ掛けふとんを。暖房をつけて家をいったん出て、おきっぱなしの荷物を拾って戻った。

 つい、急いてしまった。キスひとつで驚いていたのに今度はプロポーズだ。

「……勢いじゃない」

 今晩は赤魚の煮つけ。副菜にほうれん草とカニカマの和え物、みそ汁、ごはん。買ってきたたくあんを切る。
 まだましな内容だろう。
 緩慢に目が覚め、意識が戻ると急いで目を開けた。

「……あっ!」

 化粧を落とさず横になってしまった。

 社会人、20歳もすぎた。飲み会後に化粧を落とさない不手際をした。だめだ、5つは歳をとる。急いで立ちあがった。

「……あれ?」

 ここはどこ。

 明るい部屋へそっと移動する。

「佐藤さん……」
「ああ、起きた? 座っていて。夕ご飯がまだなら、作っているんだ。一緒に食べよう」
「私、やります!」

 早足で近くまでくる。

「? いいよ、座っていて」

 すすんでやりますなんてえらいなあ。

「あの、本当に、やります……やるから。ね?」

 小首をかしげて、かわいい。

「すまない……ご飯を炊いていない」
 
 順番をすべて間違えて作り始めた圭佑の現在地・素子のアパート前。鍵を持たされ頼まれた。

「調味料を段ボールにつめて持ってきて」

 独身女性が独身男性へ自宅アパートに入っていいという。相当いろいろかなり自信があるのでは。

「失礼します……」

 ノックして入る。奥の六畳一間を観察しない。

「いっぱいあるな……」

 スーパーの、決して通らないコーナー。
 調味料売り場。多彩すぎて素人は勝てない。

「流しの下にしかおく場所がないの。かさばらないが種類だけはけっこうあって。重いものを持たせてしまってごめんなさい」

 さきほどの言葉。
 途中からなにに使うか考えるのをやめ、いっぱいにつめてアパートを出た。
 
 たがいにぼろ借家、どんなマイホームにしようか。
 いやいやキスに慣れてもらうところからだ。その前にせめて手を握って。

「ただいま……」
「おかえりなさい! 重かったでしょう」
「いや」

 料理の手をとめてきてくれる。いいなあ。

「たぶん全部つめてきた。どこに運ぶ?」
「うん。冷蔵庫とか棚のなかとか、見ていい?」
「いいよ」

 友だちの家に行ったらさっさとやっている。

「引き出しのなかとかに、調味料を勝手に入れていい?」

 ゆっくりやろう。とりあえずまともにデートするところから。

「いいよ。遠慮はいらない」

 待てよ、素子が家で料理できないのでは?

「ひょっとして……作りにきてくれるのか」
「うん。圭佑に、ずっとご飯を作ってあげたい」

 どうしよう……もう返事をもらってしまった……。
 うれしさいっぱいの崩れた表情を見せられない。素子の背を見ながらご飯が出てくるのを待った。
 せわしなく動いている。むだなく行動する後ろ姿。

 どうしよう、襲いたくなったらどうしよう。
 五七五、字余り。

 おっさんの煩悩はともかく、素子に少なくとも今日、泊まる気持ちはなかった。化粧品がない。化粧を落とせない、ケアもできない。長居すると襲われるという経験値もなかった。

 圭佑の料理の腕前。しょうゆさえほぼ使えない状態だった。毎日自炊していない。
 ほんの少しの積み重ねが健康を、命を削る。

「できたよ」

 お盆にのせて持っていく。圭佑が腰を浮かせた。手伝おうとしている。

「いいから、座っていて」

 そうか? という顔で素直に座る。
 いいかえす、話を否定する、ほとんどしない。
 話をよく聞いてくれる。会話泥棒しない。自慢話、繰り返し、説教、指示命令を一切しない。

「いただきます」

 ふたりで食べた。