初恋の味。

7 初恋の味。

 レンタカー内でふたりきり。

「あの……三井、さん」
「はい」

 いまだ名字呼び。さんづけ。他人か親戚か。

「あのアパート……引っ越しませんか」
「どうして?」

 親を喪い、逃げるように家賃の低い住み処にやっと落ち着いた。別の場所は考えてもいない。

「私も今の借家を出ますから……」

 渾身の一撃。

「えっ、佐藤さんお引っ越しするんですか?! 手伝います!」

 なにかが違う。

「どこにですか? 遠くに……なっちゃいます?」

 かわいい。
 かわいすぎて一撃はそよ風となった。
 
 しばし高速を走る。パーキングまで黙って待ち、ようやっと車をとめた。
 車内のまま、

「三井さん」
「はい」
「私と……」

 いましかない。

「俺と、……一緒に住みませんか。マイホームを買いますから」
「……え」
「このとおり……」

 シートベルトを外して、助手席に座る素子にキスした。

「返事を……いい返事をくれ、素子。……いやか?」
 翌日、仕事にならなかった。まったく別の、男の顔だった。
 足が地に着かず。同期の友だちは、

「帰りなさい。いまが肝心よ。犯人は逃げるけど、いい人は逃げるどころじゃなさそうね、逮捕しておいで!」

 午後に休みをとった。

 実感できなくてわからない。
 思い出す、落ちたとばかりの通話。
 
 して、みようか……。
 佐藤は仕事に集中していた。

 ノルマはもう達成した、来年度に回せばいい勢いで勤務した。実績を係内の後輩に分け与え、お礼は断った。
 
 連絡がない。

 怖くてぼろアパートをノックできなかった。連絡しなかった。現代のありとあらゆる通信手段をとらなかった。

 おびえていた。失うのは一瞬だから。
 帰途につく。健康のため、仕事のため歩く。体をめいっぱい使う、ジムにも通っていた。鍛えている自負はある。

 見せても、見られても……自信はあるのに。

 気分はとぼとぼ、かつかつと歩く。鍛えた足どりは変えられなかった。
 ある程度時間がたった、反応がなにかあるかもしれない。
 告白もむこうから。なにひとつ踏みこめなかった。

「あきらめないぞ……」

 つぶやいてスーパーで買い物した。デートではいつも外食、そろそろ家に上げたい。
 気配がした。

「……三井さん」

 自宅前で寒そうに立っていた。

「……っ」

 両手の荷物をその場において走り、

「素子!!」

 すぐに抱きしめた。

「なぜ……」

 連絡をくれない。なにもいわない。どうしていつも効率の悪いやりかたをする?

「私……」
「うん。……うん?」

 いわせるだけか?
 いまだけは、いってもらわないと……。

「びっくり、して……」
「いきなりだった、すまない」
「強いんですね、……圭佑は」

 はっとしてすぐに素子を手ばなした。

「痛いか、悪い……すまない」

 ああ、寒い。

「違う……」

 抱きしめた。教えてもらった、ついさっき。

「あったかーい……」

 手をいったんふりほどいた。

「素子!」

 思いっ切り抱きしめる。

「頼むから結婚してくれ」

 玄関前でふたり。

「料理ができるか? 俺はレシピどおりにしかできないんだ、小さじと大さじとカップと計量器が手放せない。実は仕事であまり暇がない、一緒に作ってほしい」
「……」
「一緒にいてくれ」
「……」
「家事はふたりでやろう。まずは引っ越しから……素子?」
「……」

 現実についていけなかった。
 出勤した朝。
 課長補佐からにこにことノルマを言い渡された。

「新年度は一係よりも三係よりも多く課そう」
「かしこまりました」
「即答か、すばらしい。私も新婚にしてやられたことがある。そちらもさぞ強かろう」
「ええ」

 余裕の笑みで答えた。このくそ上司が。