手も握らず。

4 手も握らず。

 初雪が降った日、自宅。
 
 隣の音が聞こえるのを少しでも減らすため、ぼろい借家一戸建て住まい。めったに暖まらない寒い家。
 天気予報が大々的に明日は雪と予報するので休んでやった。

「……いいんだ俺は」

 12月になっても携帯電話は反応しなかった。
 しょうじき11月前にノルマを達成するため必死になった。やればできる。最後のあたりはあっさりだった。
 たとえようもない達成感と焦燥。

 なんだ。どうした? 1000だぞ。
 予想の時期に連絡が入らないだけで。

「おじさんにはもう用がないのかな……」

 いいじゃないか、予定どおり。ひょっとこだって。

 さぼった翌日、出社したら周囲に悟られた。
 年が明けても連絡は入らなかった。課長補佐にもう笑うしかない量のノルマを聞かされた年度をまたいでも、なにもなかった。
「なにしに仕事してんだろ……」
「ふられるためにだろ」
 
 1年先輩がひょっとこに告げ口、同ビル内の酔興な酒場で。
 あれから1年が経過していた。

「見事に忘れられたな」
「……は」

 事実を他人にいわれるのはつらい。

「もういい歳なんだぞ、つりあう年齢のお相手と出会いを求めたら」

 歳の差はつらいよ。

「なんで俺が係長なんですか……」

 深酒をとおりこし泥酔していた。先輩が多い係内で持ち上げられるのはノルマと同じ重責だった。

「役付になると一気に老けるんだよ」
「おかげさまで……」

 口にしなくとも筒抜けだった。
 
 お金を出したから。まじめそうだったから。いつも連絡をくれたから。
 たくさんの言い訳。いっぱいの期待。目の前にいたのは不安でいっぱいの少女だったのに。

「少しは……」

 天を仰いだ。

「役に……立てましたかね……」
「だったら、卒業だな」

 ひとつの想いに。手に入らないなにかに。
 ひげもそのままの休日、5月。
 
 玄関のチャイムが鳴った。連休中、だらだらとすごしていた。ほのぼのとした春の空気が心地よくてとどまっていた。きのうスーパーで食材を買いすぎた。

「はーい……」

 女性警察官が立っていた。敬礼している。
 捕まえにきたのか? 捕まるのか?!

「おひさしぶりです、佐藤さん」
「えっ」

 公務員さん。陽光を背に輝いていた。

「み、……ついさん、ですか」
「逮捕も通報もしないので安心してください」

 少女、いや女性・三井が制服。

「やっと胸をはって逢えました」

 見事合格。春がきた。

「おめでとう」
「ありがとうございます。合格した日に連絡してもよかったんですが……」
 
 警察学校はとても厳しいところ。甘い考えでは卒業できない。出るまでは。配属先で安定して働けるようになるまでは。

「いっぱい考えて……考えすぎて、忘れていたんです」
 
 立ち居ふるまいは学生のころと違い、訓練を受けたものだった。

「? ……なにを?」

 わざわざきたなら。忘れても……いい? よ??

「佐藤さんを、ほかの人にとられるかも、って」
「は?」
「お借りしたお金を返せるようになるまでとか、のんきなことを考えていたんです。友だちが……同期が、盗られたらどうするのって」
「俺は泥棒ではありません……」

 頰を染めてうつむく、若く美しい女性。

「……あきらめていたのに」
「あきらめるなって、佐藤さんが」

 すっかり忘れていた説教。

「あの、誰か……いますか? お相手さん、とかが……」
「いません」

 自信満々、即答した。

「じゃあ」

 告げられた言葉。ほころんだ笑顔。向こうからきてくれた。
 うれしいなあ、

「手も握っていないのに……」