悩み。

2 悩み。

 年度が改まり半年以上が経過した11月、土曜日。
 会社近くのコンビニでコーヒーを持っていたとき携帯電話が鳴った。

「申し訳ありません……」

 こみいった話だ。
 現在地から一番近い喫茶店にきてくれるよう頼んだ。家にうかがう申し入れは断った。
 
「……全部落ちました」

 苦い2杯目のコーヒー。
 低い一言目。顔もあげず。

 ほとんど筆記の一次で落ちた。2つだけ二次試験に進めた。
 どちらも面接。うまく答えられず、予想どおりだめだった。
 趣味を聞かれ、読書と答えたら、どんな本かという。
 知らず実の父親とそういう仲になってしまうという内容。そのまま答えてしまった。面接担当者の顔から表情が消えた。

「預かったお金以外は、ないんです……安定が、欲しいんです……」
「就職浪人する気かな」
「……お金がありません」
「おじさんが出すよ」
「ねだりたくて連絡したんじゃありません……」
「いいじゃないか、公務員にこだわらなくとも」
「欲しいのは安定だけじゃないんです。気持ちの……心のありようが欲しい」

 親がいなくなって、ぽっかりと空いたなにか。
 息を引き取った病室にあった。病院に預けているだけ、お世話しにいくんだ。
 納骨も済んでしまえばどこかへ消える。
 
 涙を流し、うつむいたまま。

 なぜ助けてやれなかった。なににおびえた? 他人にどう疑われようと、会話してはげましてやればよかった。

「公務員一本は変わらないんだね」
「はい」

 さぞライバルが多いだろう。
 正規雇用、安定。どんな代償を払っても欲しいもの。

「公務員専門学校は考えていないのか?」
「考えました、お金がなくてむりです。これ以上たかるつもりはありません」
「たかられていない。いいから専門学校へいくんだ」
「お金をたかりにきたんじゃありません!」

 話はわかっていたはず。予定どおりの返事だっただろう。

「おじさんはね」

 座らせた。

「あしながおじさんのつもりなんだよ」

 おっさんと名のったことはない。なぜか。
 なんと色気のある言葉だろう。くたびれた中年、いいじゃないか。それだけのことをして初めて呼ばれるのだから。

「初志貫徹。安定して働けるようになったらお金のことを考えるんだ」

 しばし中座、お金をおろして渡す。
 わけありげな会話、妙齢の男女。通報されてもかまわなかった。もう後悔はしたくない。
 年が明け季節がめぐる。

 やっと達成したノルマが非情にもリセットされる暗鬱な春。3月になったころ二係長に呼ばれた。

 所属の課には一から三まで係がある。特段の別はなく、学校のクラス分けのようなものだと最初に聞いた。意味はあまりなかったらしいにがかりというひびき。気に入っていた。

「はい」
「なにか悩みがあるな」

 さすが上司、一切口にしていないのに淫行疑惑を見抜くとは。

「ありません」

 いやいや。そんな、いたいけな未成年の少女の連絡先を知っているとか、たまの休みにもんもんとどうしようか考えているとか。

「ないなら、この席に座ってみる気はないか?」
「ありません」

 健全な話、即答した。

「色気がないなあ」
「おじさんですから」
「職場は年齢、性別、容姿の話をするところじゃない」
「ノルマは10倍ですか」
「甘くみるなよ、100倍だ」
「もうすぐ桜が咲きますね」

 暗喩としては重い言葉。

「悩みがあるのはわかっている。ちょっとこい」
 
 同じフロアにある社員食堂ではなく同じビルにある酔興な酒場に連れられ一言目、

「悩みってなんだ?」
「ひっかけですか」
「そう」

 話していいものか、通報されるか。

「いえないか?」
「二係長席に私を? 係長はどうなさるんです」
「決まっている、辞めて道楽生活に入るさ。使う暇のない金はたまった、妻とは会話があるし子どもも手がかからなくなった」

 独身の佐藤、あきれてあさってを向いた。あとで深酒してやる。

「がんばったな、そろそろ役付になったらどうだ」
「係長には一係と三係のを抑えて課長補佐に昇進していただかないと」
「がらじゃないよ」
「私もです」
「俺の道楽はどうなる」
「私のノルマはどうなりますか」
「悩みってのはなんだ。誰かか?」

 きた。

 言い訳の返事は淫行野郎。

「ひとりで結果を出すように。情にほだされるな、就職できたら遠くへ引っ越ししろ」

 ひょっとこのお面が似合いそうな上司。華やかに昇進してほしかった。

「結果が出なかったら? 就職浪人はもうさせたくないんです」
「ふたりきりでなにをする気だ。面接の練習か? 世間は淫行という」
「……わかりましたよ」
 
 3月決算の会社で4月、平社員のままだった。

 勉強は確かにしているという。面接で落ちるのならたりないのは人生経験だ。
 子のつとめをはたした。同い年が社会に出てあせっている。金がなく誰にも頼れない。
 せめて成功を体験してほしかった。

「性交じゃないぞ、俺!」

 社外のどこかで宙に叫んだ佐藤に課された今年度のノルマも膨大だった。
 係長はあれ以降、人事にも私事にも口を出さなかった。
 事前面接か? 係長候補は大勢いる、一人ひとりあたっていたのだろう。
 
 なにが道楽生活だ、うらやましいよ!