at the coffee shop

 親父は何一つ喋らねえ無口な人間だった。そう頑固じゃねえが、ひたすら無口。必要なことにまで無口で、だからといって人様に誤解されるようなタチでもなかった。今からして思えば、それはすでに周囲との人間関係が確立されていたからこそだった。これが今じゃめっきり減っちまった、イナカのいいトコロだと思う。
 俺にしたってガキの頃から、親父はピーチク喋らねえ存在だとしか思わなかった。それ以外は考えもしなかった。ただ気付いた時にはもう茶を淹れていた。淹れ方がどうのなんて考えたこともねえ。ただそうしていた。修練していたという意識すらなかった。
 所詮この程度だった俺のキモチ。家を継ぐという意識もなく、茶に対しては特技という感覚もなかった。手先が器用というのも似たような感覚だった。
 逆に、サッカーや設計、空手は物心付いた後からの、意識した末での“技”だった。自然に出来た、なんてことはなにひとつなく、勉強と同じで、思えばイチからコツコツ積み重ねて“出来た”と意識を後から付け足していた。明らかに茶の方が“漫然”だった。
 この意識を変えたのが、珍しく帰省していた姉貴だった。丁度夏休みだった中一のある日、フラっと帰って来た姉貴は、長崎土産だと言って、どう見てもその辺のバッタもんとしか思えねえ、よく言っておもちゃの砂時計二つをポンとくれた。二つは微妙にでかさが違い、砂の色はケバいピンクとオレンジ。どう考えたっていいセンスとは思えなかった。なんでこんなものを。そう訊いた。姉貴はこう応えた。
“お父ちゃんは何十年と茶を淹れて来ただろ。ポットから葉を上げるタイミングはもう骨身に沁みて間違えようがない。目を瞑ったって耳栓したって警報が鳴り響いたって一秒たりとも違えない。なのに今でも砂時計で時間を計っている。狎れない為に。慢心しない為に。
 設計士になりたいんだって? だったら、うんとセンスのいい店を構えろ。この砂の色がいつまでも周囲から浮いて見える程の。そうすればいつまで経っても、時計を見ることを忘れない”
 以来これが、俺の唯一の宝モン。
 だった。
 姉貴がいるとはカミさんへも言うのが遅れて大層怒られた。親父もお袋も無口なもんで、ってイイワケしたらハリセンだ。今すぐ挨拶に行くわよとケツを叩かれ、渋々行った。ほんで姉貴に、宝モンが増えたと報告した。返答は、チビ助に惚気られちまったか、だった。
 姉貴は俺と違ってサバサバした性分。情に脆いもヘッタクレもねえ。淹れ方すら違う。あっちはサイフォンとサーバーを使うが俺は親父と同じフィルターとポット。両親は間違っても、コドモ二人の味を比較なんてしねえ。ほんで俺達ガキも、親と姉弟のそれを較べるなんてしなかった。
 店内のカウンターへ家族が座った。マスターに一番近い、左端の席へは緑が。ひとつ置いて哲也。じき隣同士はナニやらエンリョがあるようだ。俺にしたってそこまで仲良くやられちゃあ、ちっと平常心じゃなくなるかも。なんつって。
 棚からティーカップを二つ、気分で選ぶ。揃いのじゃなくてバラバラのを保温機へ。
 茶瓶を気分で選ぶ。なんとなくダージリン。ティースプーンで二つ、ポットへ入れる。
「知治は?」
 哲也だ。
「一緒に飲もうよ」
 リョーカイ。もう一杯分を足す。
 沸騰した湯をポットへ。砂時計をひっくり返す。
 茶が躍った。

 白い陶磁。銀ムクのスプーン。紅い茶がよく映える。
『ごちそうさま』
 おそまつさん。
 十一月二十二日は開店記念日。そしてずっと定休日。