成田梅子、こける。

 こけちゃった。

 朝。あ~でこ~で。旦那様をお見送りして。ちょっと足腰がああなので、電蓄のお部屋へ行ってうとうとして。旦那様がつくった(……)お揃いのお昼を食べて歯を磨いて。プールでぷかぷかの後。
 居間へ向かったらつるっとこけました。
 ……。
 わたしはこの星一番のぱ~なので、ぽてっと意識を失いました。なにも考えてはいけないのです。特に、まさかこの瞬間に限ってカメラを覗いていませんように、な~んて思ってはいけません。そんなのをしていいことはなにもありませんでした。す・べ・て、この星一番にかっこいい旦那様におまかせしておけばあ~んなことやこ~んなことは有り得なかった、ということだけはうーんとうーんと学んだのでそうしました。
 こんじょうでボタンを押し、その後の展開を考えたくなくて、それでもあ~んなことやこ~んなことになるとは予測がついて、つい思わず真っ青になってぶっ倒れたわたし。
 でも。
 そ~んなことをすればどうなるか。もうちょっと考えてからぶっ倒れなくてはならなかったのです。だってですよ、カメラ越しにこけて。でもボタンだけは押して。なのにすぐ真っ青になって、どう観ても意識がぽてっと無くなった、な~んて場面、が。
 この星一番の過保護な旦那様に、どう思われたか、なんて……。
 ……。
 ぁー。ぅー。
 うめこのばかー……。

斉志

 その場面は俺の人生最悪の瞬間だった。一見単にコケただけ、しかしてその実体は思わず本音がこんじょうでボタンを押した直後顔面蒼白の意識白濁、ピクリとも動かず。
 俺はそれを観た後の記憶が飛んでいる。こんな事は以前にも腐る程あった。全てがヘマに直結した独身時代。だが俺も既に社会人、とっくの昔にガキは卒業。聞けば俺は相も変わらず下らん上司部下同僚どもをしばき倒し、全開マシンガン命令トークで仕事を山程押し付けたあと体よく早退したらしいがそんなものはどうでもいい。

梅子

 目が覚めるとベッドサイドでせいじが泣いていた。すすり泣き。
「梅子──」
「……せい、じ……」
「梅子梅子、俺のこと解る? スキスキ? 惚れてる? アイシテル?」
「……うん、わかり、ます。せいじは、なりたせいじ、です。うめこの亭主です。この星一番なの。うめこせいじのことすきすきほれてるあいしてる」
「──よか、った──」
「あ、あの、わたし……」
 躯を起こそうとしたら、せいじにやんわりと止められた。
「まだ起きちゃ駄目だ梅子。無理しないで。もう、しばらく喋らなくていい。じっとしてて。今飯食わすから、躯起こさなくていいから」
 あ、あの、あの……。
「大丈夫だ梅子、安心していい。ちゃんと準備した。おまる」
 がばっと起き上がって立って歩いてベッドサイドのあひるを無視してトイレへ向かいました。
 そしたら斉志に背後から縋り付かれて泣かれてしまったー。
「ひどい梅子俺の言うこと聞かないで!!」
 ぅー。
「よくも俺に黙って勝手にコケやがったな!! そんなことすればどうなるか分かっているのか!!」
 やっぱりこけたときも観ていたのですね……。
「何だと」
「ぅ。わ、分かっています。おしりぺんぺん」
 冷や汗です。
「んなもん当然だ。とっくにした。たっぷりヤった」
 ぁぅー。
「まさかそれだけで済むなんざ思っちゃいまいな梅子……」
 ま、まさかじひょうまでなんて、なんて……
「出して来たに決まっているだろ!!」
 ぁーぅー。
「な、なんどめですか……あきられない?」
「あきられた」
 わたしのこの星一番の過保護な旦那さまは、わたしの身に何かあればすぐに辞表を職場に叩き付けて来るのです。当人曰く。
 その実態は、わたしがやれくしゃみをしたとか、ちょっとつまづいたとか、箸より重いものを持ったとかを、おうちのすみずみに設置してあるカメラごしにせいじが察知した途端、書きためてある(……)封筒のうちのひとつを今だけ上司さん(……)の机の上に勝手に置いて来る、というものなのです。
 さいしょに出したときは当然、大騒ぎでした。あ~でこ~、なんてもんじゃありませんでした。
 なのにいまとなってはこの程度。時候の挨拶じゃないんですよせいじ……。
「よくそれで……しゅっせできますね……」
「関係各者全員からな。女房に、頼むから元気でいてくれと懇願された」
 ソウデスカ……。
「俺を妬んでいるやつらはさっさと辞めろと思っているようだが」
 ぅぅ……。
「俺の地位にまで追い付いてもどうせ適わん、散々較べられてその程度かと言われるのは分かっているからな。表立っては口に出さんから安心していい」
 いいとかいう問題では……。
「せいじ」
「何だ」
「辞表。取り下げて来た?」
「……」
 む。無言でおへんじなんかしていいと思っているのかー……。
「なんだと」
「おはなしそらさないの。ちゃんとやぶってきた?」
「……」
 むー。そのままにして来ちゃったな……。
「……女房が脳震盪で倒れた、危篤だ、んなもんやっていられるかと言ってだな」
 マタデスカ……。
 わたし、何度きとくになったんでしょう……その実態は、単にぐーたらおひるねしているだけだというのに……。
「俺の分の仕事はうんと片して来た。やつらなんぞがあれを処理するにはよくて明後日まで連徹だ」
「斉志」
「……」
 無言ですか……。
「……大体、……大体梅子が悪いんだ、何だ部屋のど真ん中でコケやがって! これで熱い飲み物なんか持っていて、それ被ったり、は、……破片でなんとか、……だったりしたらどうなるか分かっているのか!!」
「せいじ」
「なんだ!」
「わたし、……どこかけがとか、した?」
「……」
 無言ですか……。
「ひとりで勝手に全部やっちゃったりしないで、ぜーんぶせいじにお願いして、ちゃんとこんじょうでボタンを押して、へんに動いたりしなかった、です。わたしはこの星一番のへましまくり女房だし、ちょっとしたことでこけますが、実をいうと中学時代、ちょっとバレー部をやっていて、受け身を習っていて、ああいうスポーツって床をこけてボールを受けるのです。長いずぼんなんて穿いていないし、そういう時のこけ方は上手いって前言いました。われながら、せいじのわたしを傷ひとつつけてません。どうだー」
 ふんぞり返って自慢してあげました。
 そうしたら。
「真っ青になりやがっただろ!!」
「……それはその、……せいじがまた辞表を出しちゃうな、とか、関係各者さんまたお騒がせしますとか、斉志の事後展開の見事さが、ですね……」
 ところでわたし、縋るせいじをひきずっておトイレ扉の前まで来ているんですが。
「剥いて、はどうした」
 ……。
「言え。トイレのふたをかぱっと開けて、パンティーずりおろせって。ちゃんと見守って、俺の拭いて水流して、その場で剥いておっぱい無茶苦茶にしてなかぐっっちゅぐちゅにして尻ヤれって言え」
 せいじのお手てをはなして扉を目の前でぱたんと閉めました。

斉志

 俺は厭々辞表を取り下げた。というよりも、梅子に仕事のさぼりがバレた挙げ句、厭々職場へほっつき出されたら連中に「辞表? なにそれ」扱いされていたというだけだったが。そうか判ったこの俺の辞表を受け取らんとはな、といつものごとく上司部下同僚どもをしばき倒した。後でやつらは陰でコソコソ「これ程辞表の扱いが軽いキャリアも珍しい」なんぞ言っていた。どうでもいいが。
 それにしても梅子……。
 何が上手いだ。コケ方逃げ足黒板拭き、照れる惚れさす黙らすがこの星一番なんざどういう了見だ。ちっともじっとしとらん。さっぱりぐーたら寝てくれん。気がつくとちょこまか尻振って歩きやがって。やはり鎖の導入を検討するか? いや駄目だ、梅子コケる。足枷があると顔面から床に突撃しやがるからな。……まさかわざとじゃあるまいな梅子……。

梅子

 別に鎖で繋がれても、檻に入れられてもいいんだけどな。斉志が安心するならなんでもいいけど、でもわたし、われながらどんな状況でもせいじを心配させちゃいます、斉志わたしのこと心配するの生き甲斐だもんね、わたしは斉志の生き甲斐取りませんって言っちゃった。

斉志

 義母ちゃんは言った。手がかかるからこそ何とやら、と。一般論ではなく梅子を評して。
 ……まさにその通りだ。思えば梅子がちょこまかせず、じっとして、あ~でこ~だったら……
「大丈夫だ斉志、安心していい。斉志がいなくともひとりで勝手に生きてやる」
 なんぞ言うかもしれん……いかん、誰が言わすか。
 梅子は何をしでかすかわからん。それがいい。俺はその度舞い上がり。それでいい。
 しかしコケるのは許さん。
 こうなるとうちが広いのは逆に悪点だ。とは言え、狭いうちだったら壁のひとつもぶっ壊すな。
 暴力女、か。その通りだなんざ言っちまったら、……。

梅子

 おしりにはおっきなお手ての型がくっきり残っていました。ええ、どうみてもぺんぺんの痕じゃありません。あの、そのー……。
 ……。
 ちょっと反省をばいたしまして。素直にお寝むをすることといたしました。可能な限りじっとして、ごはんのときとお風呂にはいるときとトイレに行くときだけ静かに静かに壁をつたってそそっと歩き、CDも本もおにわもプールもすっとばして寝てました。
 ぐうたら。ぐうたら。気が付くと髪もからだもさっぱりしていて、おくちすーっきり。おうちもちゃんとしていて、シーツだって替えたことなくて、日用雑貨の入れ替えもしたことなくて、お掃除もお洗濯もさぼりまくってごはんはたっぷりつくりおき。
 こうすると斉志は安心する、のだけど。わたしは、わたしはーー……。

斉志

 俺はこうして、梅子がずっとグータラして、俺にヤられるのベッドで寝て待ってもらうのがいい。襲い甲斐があるからな。
 だが。
 思えばじっとしているなぞ梅子の性分じゃない。ちょこまかされんというのも……。
 だがそれ言っちまうと梅子何しでかすかわからんし……。

梅子

 ぐうたら。

斉志

 ……。
 何だか俺……。
 俺が反省させられているみたいだ……。

梅子

 こういうことは前にもあった。はな歌のとき。
 食材になんとかが並ばなくなって、それどころかはな歌禁止。って言われちゃって。
 それで静かに静かにじっとだまっていたら、珍しくごはんつくっていいよって言われて。じっとだまって料理していたら、背中に縋りついていた斉志に泣かれちゃって。うめこうめこはな歌うたって、ふんふんっておしり振って歌って、泣きながら料理しないでって言われちゃって。泣いてはいなかったんだけどな。
 だからねせいじ。わたし泣いてませんったら。あのねせいじ。うめこうめこいいから暴れてって、……そりゃないでしょう……。

斉志

 俺は最終的に、こう言われた男になる。
「せめて月イチで辞表を出してくれんと、逆に何かあったんじゃないか、おかしいんじゃないか、本当に辞める気になったかと皆が思うのできっちり出してくれんと困る」
 ……。
 俺は梅子が何をしでかすか分かると困る。逃げ足を披露されれば今度こそ確保、いや違った掴まえる。照れるのも惚れるのも黙らされるのもドンと来いだ。
 どこからでもかかって来い、梅子。

梅子

 あばれてやりました。ベッドで。
 ……。
 そしたらせいじ、せいじ、……
「俺、……俺梅子征服している……」
 って、……あばれるわたしを取り押さえて言うんだもの……。
 おく。に。いっぱいしながら。
 いっぱい。せいじ。せいじいっぱい。ぜんぶぜんぶ斉志。
 ……。

 しあわせ。

斉志

 尻にあてがったら逃げられた。
 悲鳴を上げられた。怯えられた。泣きじゃくられて、こわい斉志、と舌っ足らずに詰られて、寝室の隅で泣かれた。
 ……。
 とっ捕まえたら暴れられ、ぎゅって抱き締めてベッド連れ戻し、ずっとちゅーをしまくり、耳元でうたうと、やっと落ち着いてうとうとしれくれた。俺のことって訊いたら、アイシテルって言ってくれて、それで眠った。

 これが日常。