梅子

 ここのまぶしい光量は、日中は自然採光。
 でも今日は突然おうちの照明がついた。……あ、雨だ。というより、雷雲? 通り雨、かな。突然お外が暗くなる。
 あ、ぴかって光った。
 音は光より遅いから、雷の落ちる音が遅ければ遅い程雷は遠い。
 でも、このおうちは外の音なんて一切聞こえない。
 だから、光の筋がはっきりと見える程の雷であっても、あの地響きのような音は聞こえなかった。
 そんななか、白電話の音がする。
「はい、成田、です。好き、斉志」
「うん、梅子。俺も。好きだ」
「斉志、雷だったね。雨でしょう、傘持ってた?」
「うん、持ってた。梅子、梅子雷怖くない? 俺に抱き着きたいだろ?」
「うん、いつも斉志に抱き着きたいけど、雷の落ちる音聞こえなかった」
「そう?」
「うん」
「雷、こわい?」
「ちょっと」
「うん。けど枕とかに抱き着いちゃ駄目だからな」
「うん」
「こわい時はふとんにくるまって寝て。修業休んで梅子。眠れなかったらちゃんと電話するんだぞ。俺、歌、歌うから。……な」
「うん」
「今なにしてる?」
「ソファに座ってる。これからお昼」
「うん。じゃあいい」

斉志

 通り雨は昼過ぎに止んだ。明日は休講日。雨雲が今日通ってくれてよかった。この手の雨が上がった後は快晴だ。庭の芝生も明日までには乾く。
 今度の生理中は大学の連中との付き合い飲み会だなんだで出掛る。俺の理性は最近殊にまるで無い、このまま行ったらうち中に着られる服が無くなって、生理だからと後ろからではなく後ろでヤるのは目に見えている。仕事もだ。生理期間中に休みは取らん。いざという時は当然別だが。
 部屋着の梅子が俺を出迎える。やはりこれが日常でいい。時間がなければここでズドン一発だが。悶絶一歩手前まであらん限り貪り合って、梅子をソファに横たえて風呂へ。シャワーを浴びた。
 飯食いながらヤる前に言った。
「梅子。俺が職に就いたら、休みの日は梅子も修業休んで」
「……」
「なんだその、むーと言いたいが無言、は」
「……」
「疲れているのに折角の休みで俺が飯作るなんて、か。じゃあ共同作業だ梅子。いいな」
「うん」
「当然台所でズドン一発、梅子イかせて結局俺がつくるがな」
「むー!」
「なんだ」
「ぅ。いい、です。斉志の思う通りです」
「そうだ。いいか梅子。今の俺は所詮ヒマな学生、時間はたっっっっっっぷりある。だが職に就けばそうはいかん。よって貴重な休日を、俺は梅子に甘えまくり、我が儘言いまくりの日とする。いいな」
「うん! あ、でも」
「いつでもそうして、か。いいか梅子。この俺が甘えると、我が儘を言うと宣言したからにはいかな梅子とて想像も付かん程たっっっっっっっっっぷり甘えて我が儘言ってやる。残念だったな梅子、これも俺にはまるで敵わん」
「そ、そ、そんなので競争しても……」
「厭だ。俺は梅子と競争する。墓に入ってもだ」
「ぅ。うん」
「いいか梅子。俺の休日は当然濃厚スケジュールだ、その前の日に飯作って食って出して風呂入る以外足腰立たす必要は無い、たっっっっっっぷりぐーたら寝てろ。お白州!」
「……ハイ……そうします……」
 飯を食いおえてヤりまくってイかせまくって一緒にイって出し尽くして梅子を悶絶、風呂へ。梅子さっさか洗って俺もそうして歯を磨いて俺もそうして、梅子にショーツ穿かせてパジャマの上下着せてベッドへ横たえおやすみのちゅーを落として鬱憤晴らし。起きたら梅子が俺を食ってくれる。時間が合わなくとも強引自己中で無理矢理食わす。これが日常。

梅子

 脱衣場でちゅー起こしされて斉志がすっぽんぽんでないとき今日は休講日ですって。
 ……ん? あれー、だとすると、お昼お弁当になるなあ。でも、いっか。
「梅子」
「うん?」
 さってお掃除を、と思ったら斉志、ソファに座ってておいでぽーずしてる。だから駆け寄って、斉志に乗った。
「梅子。梅子は最近俺が梅子に構って大集中の時間が減っていると思っているな返事はうんだ」
「……う、ん」
「いいか梅子。我ながら実にへんな言い種だが、俺にこの手のヘマはない。職に就くまでのこの時期にちゃんと時間を取れるようにと思っての、今までの爆発的大集中だ。そりゃ俺は梅子の想像を遥かに超えるこの星一番のばかだけどな、少しは考えている。心配するな梅子、返事はうんだ」
「……う、ん……」
「いいか梅子。俺が職に就くまで休講日は修業を休むの日。冬休みも春休みも以下同文だ」
「えーーー」
「なんだその抗議のえーは」
「だ、だって……」
「いいか梅子、俺は今はヒマな学生だから何日も帰れん、ということはない。だが職に就いたらどうなるか、分かっているな」
「うん。新入社員さんってうんと忙しいもん」
「そうだ。だから、……な」
「うん?」
「梅子が知っての通り、このマンションを囲む塀の中ならどこも警備万全だ。俺謹製の警備システムだ、梅子にだってふんぞり返って自慢出来る」
「あのー……」
「だからな。庭も、一階の店舗もひとりで行っていい」
「厭」
「……。時間は日中だけ、十時から十四時限定、必ず外出着で、晴天の日のみ」「厭」
「……」
「厭」
「……庭、散歩するときちらっと見えるだろうが、マンションの隣に二階建の建物がある。一階は警備に携わる連中の詰め所だ。そこへは絶対に行くな。だがな、……二階は、……病院だ」
「え?」
「結婚早々昏睡病院送りにした場所は、……うちの隣だ。すっ転んだ時も、このあいだ尻に注射させた時のも、……そこだ」
「……」
「なんで言わなかったか、か。そうだ、……もう梅子は分かっている。店舗もそうだがこれまで言うと俺が要らなくなる。俺が稼いだ金は要るかもしれんが俺自身はまるで要らなくなる。結婚当初どころかつい最近まで、……梅子が俺に躯で教えてくれた最近にならなければ言えなかった。なにせ梅子は俺に負担を掛けないで済むと思えば俺の想像を遥かに超えることをする、俺を置いてひとりでな。だから言わなかった」
「……」
「梅子がボタンを押せなくなる事態に陥ったらどうなるか、考えてただろ。救急治療が必要だ、いかな前野の女房と言えども医者じゃない、どうするんだと思っていただろうがそういうわけだ、あの看護婦さんと女医さんが即ここへ来て梅子を医療機器の揃っている隣へ搬入し対処する。その時の状況によって前野の女房が先に着くかも知れんが俺も必ず帰る」
「……」
「だからこのうちへは本当に緊急の場合しか、他人は来ない」
「……」
「梅子はそれでもボタン押してくれるよな。躊躇わず」
「うん!」
「よし。……じゃあ」「厭」
「……」
「厭」
「……じゃあ。じゃあ、……発信器、歯にも仕込む。いいな」
「うん」
「……なんで」
「え?」
「なんで、……うんって言う」
「うんって言いたいから」
「じゃあ、……じゃあ。……このうちに、……モニターカメラ付ける。見るのは俺だけだ。……トイレには付けないが……いいか」
「うん」
「……なん」「好き」
「……」
「好き、斉志。あのね、どうしてテレビ電話にしない、のー」
「……そうしたら俺仕事さぼるぞ、確実に」
「そう。うん、それはいけない。お仕事さぼっちゃ駄目ですよ斉志。わたしそんなのいっっっっっぺんもしたことないもん」
「……」
「緊急のときは別だけど、そうじゃないとき遅刻早退欠勤しちゃ駄目です。お白州」
「……ぅぅ」
「なんでううなんですかーーー」
「ううと言いたいからだ」
「むー。あのね、モニターカメラ観るっていうことは、結局はテレビ電話と同じになるのでは……」
「……音声は、無しだ」
「そぉ?」
「うん。……だから梅子」「厭」
「……何、で」
「我が儘」
「……梅子は散歩の重要性を知っているだろう。ちゃんと陽の光を浴びないと不健康だ。……それ俺に教えてくれただろ。だから」「厭」
「……」
「わたしはあの扉に手を掛けません。絶対です。誓います」
「……」
「もし斉志わたしのことひとりで勝手にどこかへほっつき歩かせたら、もうわたしどんなことするか分からないから。警備? 謹製? なにそれ。わたしの逃げ足はこの星一番です、誰だって何人だって撒きます。誰がそれ知ってるんですか斉志」
「……俺」
「わたし怒った。うんと怒った。よって仕事のお休みとその前後はいいとして、休講日も冬休みと春休みもちゃんと修業します」
「……梅子」
「俺は絶対うめこをほっとかない、ひとりにしない、なにがあってもうちに帰ると言ったでしょう。信じてるもん。だからそうじゃない話もう聞きたくありません、これで終了、いいな! 返事はうんだ!」
「……」
「へーんじ」
「……」
「おへんじ。して、せいじ」
「……」
「どうして無視するの。わたしのこと」
「好きだ。梅子、……好きだ。……修業するな」
「どうして」
「どうしてもだ。修業は休め。出来る事を出来る時にやろう、梅子」
「それはいいけど、……うんって言って」
「……梅子らしくないぞ」
「なにが」
「俺は梅子より忙しくなると分かっている筈だ。月イチのお出掛けは職に就けば、仕事のある日に朝連れて行って仕事して夕方仕事抜けてうちへ帰すことになる。食品日用雑貨の補填は出来るが日中の散歩は、……難しくなる」
「そう。じゃあこの星二番以下だね斉志」
「……分からず屋」
「なんで」
「いいのか」
「斉志らしくない」
「……」
「時間無くなるのは分かってるけど、斉志はそれでもきっちり出来るひとです。自信満々にちゃんとお休み取れます。なんですか、その辺の下らんやつらと同列みたいなこと言って。そんなにわたしのことひとりにしたい?」
「……いま何と言った」
「わざと二番以下なこと言って、わたしをひとりでほっつき歩かせたいと思っているんでしょう。返事はうんだ!」
「……うん」
「どうしたの斉志」
「……梅子は散歩好きだろ」
「斉志がいるところが好きって言った! わたしの厭がることしないで斉志。わたしは斉志がいるから、なの!!」
「……」
「何か悩んでるの?」
「……悩んでいる」
「なにを?」
「……確かに時間は取れる、自信満々にな。だが今までより減るのは事実だ。
 俺が自信ないのは梅子に関することだけだ。梅子の躯にわるいことは、……たとえ梅子が何と言っても出来ん。させん。……散歩は必要だ、陽に浴びることも。毎日浴びるのがいいんだ」
「斉志!」
「俺の、……こと好きなら散歩して」
「ずるい」
「そうだ」
「厭」
「駄目だ」
「厭」
「駄目だ。尻ひっぱたいても散歩させる」
「斉志が一緒ならいっくらぺんぺんされてもなにされてもいい」
「散歩しろ梅子。俺の言うこと聞け」
「厭」
「……分からず屋」
「うん」
「……よし、分かった。この件は保留だ。俺が職に就いたら梅子も考えを変える」
「斉志じゃあるまいし」
「なんだと」
「いーやーーでーーーすーーーー」
「梅子自慢の逃げ足でどこへ行っても必ず掴まえる。その為の発信器だ」
「鎖で繋いだ方がいいかも」
「……そうしてやりたいのは山々だが」
「しないの?」
「……それですっ転んだり、挙げ句鎖が梅子の躯のどこかに絡まって、……と想像がつく。却下だ。だからモニターカメラだ」
「むー」
「……よし、散歩しよう」

斉志

 俺に乗る梅子をだっこしてそのまま立ち上がる。一旦台所へ寄って、扉を開けてうちの外へ。
「え、斉志」
「なんだ」
「あの、ふく……」
「万全の警備だと言ったろ。じゃあなんで今まで、か。梅子すっぽんぽんにして着替えさせるも俺の生き甲斐だからだ」
「……そうですか……」
 庭へ通じる玄関へはまだ行かず、……店舗へ。
「目を開けろ梅子。ここが一階の、俺」「厭!!」
「梅子!」
「厭、厭、厭!!」
「梅子……」
「厭ぁ──」
「泣くな!」
「ぅぁあぁぁぁーーーーん──」
 俺の胸に顔、埋めて……。震えて、怯えてる……。
「泣くな、分かった、ごめん、庭行く。……泣くな」
「──、──」
「頼む梅子、泣くな……な」
「──」
「梅子、あのな、今日休講日だって言わなかったのはな、いまそういう季節じゃないけどな、庭でピクニックしようと思ったんだ。昼の弁当、ここで食おう。いい案だと思わないか」
「──」
「気温あんまり高くないけどな、……そりゃ外だからヤらないけどな、梅子、梅子俺に乗って食って。俺、梅子抱き締めてるから。寒くしないから」
「──」
「……いい?」
「う゛、ん゛──」
「よし。じゃあまず散歩だ。梅子、おろすぞ。手、繋ごう」
「う゛、ん゛──」
 梅子俺に、……俺の腕ぎゅっとして、震えて、怯えてどこも見ない。目、瞑ってる……。
「……そんなに怒るな」
 鼻、すすってる。
「ごめん」
 涙、舐めとる。梅子の味。
「……もう怒るな。……分かった。もうあんなことしない」
「──な゛ん、で──」
「うん?」
「と、つぜん、あんな゛こと、言ったの──」
「俺は梅子の躯にわるいことしないって言ったろ。ほっとくんじゃない、躯にわるいこと絶対しないからだ。いくら俺狂っても理性無くても梅子が厭がることしない、誓っただろ」
「さっきした」
「……ごめん」
「おこった」
「……うん」
「でも斉志になにされてもいいから、……いいもん、厭がることされても……」
「駄目だ! 梅子は俺を甘やかし過ぎだ、いくらなんでも厭がることされてもはないだろ! 梅子の意志は曲げるな!」
「曲げてなんかないもん。そんなことしたことない。わたしは、したいと思ったら斉志に、……ひどいことや厭なことまでしちゃうもん」
「梅子。梅子は俺を放って置いた時、確実に俺の立場を考慮して突き放しただろう。それが将来的には最善の道で、そうすれば俺も梅子も立場が確定されるから、誰に教わらずとも自分の意志で、俺なら出来ると信じて突き放しただけだろう!」
「……? なにを言っているの。あのときはなんとかれんちゅうになんとかなこともう言われたくないからそうしたんです。そしたらぴたりと止んだよ。うんと気分よかったよ、わたしだけ。斉志のことあれだけ傷つけてわたしだけがせいせいしたんだよ」
「そう言うならそれでもいい。だがな梅子。いいか、厭がることされてもいいなんざ言うな、思うな。ちゃんと俺に教えて、梅子」
「むー」
「なんだそのむーは」
「さいごはいいけど」
「お白州だ。厭がることされてもいいなんざ言うな思うな、返事はうんだ!」
「……」
「なんだその無言は」
「無言返し」
「むー」
「へんな話になってるってば」
「うんって言え」
「わたしのことひとりでほっつき出さないって言うんだったらうんって言う、無言は却下!」
「なんでこんな喧嘩してるんだ」
「そんなの知らない」
「俺のせいに決まってるだろ」
「え?」
「俺のせいに決まってるだろ、大体な、梅子のやることなすこと全部俺のせいなんだ、そうだろ!」
「ぅぅ……」
「確かにそうだとふんぞり返って言え」
「ふんぞり……。ぅぅ、確かにその通りですーーー」
「うんって言え」
「斉志も」
「……この件は保留だ、ひとまず以上! いいな」
「……うん」
「厭々言ったな」
「だってへんな話になってるんだもん」
「そりゃ、……そうだ」
「おさんぽ。しよ?」
「……うん」
 手を繋ぎ、木漏れ日の庭、樹々の間を縫うように歩く。
 このマンション建設当時、庭なぞ付ける気は無かった。うちに閉じ込め、鎖に繋ぎ、それから俺に都合の悪い話を言うつもりだった。どれだけ泣いても逃げられず、後ずさり、震えようが怯えようがここにいるしかないと精神に刻んでから。そう思っていた。出逢って逃げた瞬間、かっ攫った場合はそうするしか無い状況が出来上がった。だから本来、俺も梅子もここにはいない。
 現実は俺が梅子に闇を味合わせ続け、八年後の今がある。あの日のような眩しい日々、日常を齎したのはひとえに梅子が全てに逃げず立ち向かいその時その場で解決し続けて来たからだ。だから一緒に居られる時間が減ったとしても、闇だらけの俺は未来永劫温かい。
 梅子。温かくてやわらかくて、いいにおいがする。
 ちいさな手をそっと握る。少し力を入れれば途端梅子の顔は歪むだろう。そんな、いや、あんな表情は決してさせん。たとえ俺にどれだけ理性が無くとも絶対に。
 梅子はいま考え事をしながら散歩している。なんで俺がああ言ったのかと。うんと言えば梅子ではなく俺が傷つく、だからうんとは言いたくない。俺をひとりにしたくない、そう思っている。
 大丈夫だ梅子、安心していい。俺はひとりじゃない。ひとりとはどういうものか、梅子に諭され続けた十四年間。
 出逢ったあの日から、俺はひとりじゃない。
 出逢って一年間。三年弱。……それでも、もうひとりじゃなかった。
 正午きっかりまで庭をゆっくり散歩した。いつもは五分と経たずかっ攫うのに、と梅子はいま気が付いた。俺にその気配がなく、ハンカチを取り出して芝生に敷くのを見て、なんと本当にピクニックする気だったか、理性はなにそれじゃなかったのかと思っている。どうせ俺のことだ、すぐにかっ攫うからここで飯なぞ絶対無理と思っていたのに、と顔に書いてある梅子を俺に乗せた。
 弁当と箸を取り出す。
「いただきます、梅子」
「いただきます、せいじ、……」
「なんだ。まさか庭で剥かれるなんざ思ってるんじゃあるまいな梅子」
「えっと……」
「俺は梅子の。梅子は俺の。全部貰っている、いつも食べている。俺も梅子も、そうだろ」
「……その通りですーーー」
 観念したと言わんばかりにふんぞり返って言う梅子。可愛い。
 はい・あ~んで俺が梅子に食わす。梅子は毎度照れながら口をちいさく開けてぱくっと食う。おおきく開ける時は俺を食う時だ。
 梅子がもぐもぐ言ってる間、俺も食う。
「美味しい」
「……ヨカッタ」
 ほっとした笑みの梅子。ひょっとしたら二年の楽園生活中、ずっと梅子はこういう表情をしていたのかも知れん。たかが一高校の下らん試験の結果表とやらを見る時ずっと。まさか片手間過ぎて実に下らん目を瞑って書いている、なんざ同じ試験を受けていた逃げる性分の梅子に言えるわけないだろ……。だからあんなふうにしか言えなくて、いつも梅子を不安にさせていた。
 いま、梅子は毎日試験を受けている気持ちなのかも知れん。そんなわけないだろ梅子……。
 梅子はいまでもいつでも不安だ。だから職に就く前に、残る懸案は全て取り除く。必ずうんと言わせてみせる。
 梅子にうんと言えなくした俺がここで。

 忍耐のわけもなく食いおわり、弁当箱を片付ける。
「ごちそうさま、梅子」
「ごちそうさま、せいじ、……」
 なんとまあ滅多に言わん言葉を、と思っているな梅子。どうせ俺に理性は無い、悪かったな。
 弁当箱、ごちそうさま。まるで高校二年の時のようだと思っている梅子。三年になる前には確実に、これを言うのも今日が最後、今日が最後と思いながら食っていたであろう梅子。決して事態を後回しにしない、その場でたったひとりで全てを切り拓く梅子。
 だから梅子がさっき保留にした件をどう切り出そうか、と顔に書くのは分かっている。当然俺から言った。
「梅子。梅子は俺がかっ攫いもせず庭にいるならさっきのケリをここで付けようと思っているな返事はうんだ」
「……、……、うん、そうですーーー」
「うちのなかにいるから大丈夫、安心して仕事してくれ、と思っているな」
「うん」
「じゃあ散歩してくれてもいいだろ」
「……だって」
「食品日用雑貨洗濯物の入れ替えも、庭の散歩も全部梅子がひとりですれば俺は仕事に集中出来る」
「……」
「と、梅子はもう思わなくなった。そうだな」
「うん」
「そうだ。そう心底思って貰うまで、俺は言えなかった。と言い訳して、梅子をまた傷つけた」
「そんなことない」
「ある。結婚当初からこれを言えば、梅子はさっきみたいに泣かずに済んだ」
「……そしたら」
「それでも梅子はいまの時期、そういう心境になってくれただろう。そう分かっていても言わなかった。俺、こんなんだからな」
 梅子俺のことぎゅっと抱き締める。心臓の音が、よく聞こえた。
「……なんで、さっき泣いた?」
「……」
「なんで梅子は泣く時、俺に理由を言ってくれない?」
「……」
「そりゃ焦らしてる時は別だけどな、……哀しい時とか、そういう時は……せいぜい言って“厭”それだけだ。なにを、どうして、……言ってくれない。大抵無言だ。そういう時……泣いた後、梅子は必ず俺の目の前で笑顔を作る」
「そんなことしない」
「する。いつもだ。いつも、……本当に言いたいこと隠して、……俺の負担にならないよう、そう思って梅子ひとりで抱えるんだ。梅子は俺になにも晒してくれん」
「違う!」
「違わん」
「違うもん。言ってるでしょう。えっと、……つ、つめたくしないで、とか」
「“そんなことされれば哀しい、寂しい、もっと俺に構って欲しいから”つめたくしないで」
「……」
「理由、滅多に言わない……」
「……」
 俺の誕生日泣いた梅子、いや、俺が泣かせた。あの時は本音を言ってくれた。自分に責任を引っ被せず言ってくれた梅子。あの時のように。
「受かったって言った日から特に泣き虫だけどな。理由、言ったか?」
「……」
「俺が悪いことだらけだろ。ちゃんと言って梅子。俺、直す」
「そんなことない」
「ある。なんでか? ほら。……もう泣いてるぞ梅子」
「え」
「泣いてるって意識もないのか」
「え──」
 驚く梅子が一旦腕を解き、指先でほっぺを確認する。ぼろぼろぼろぼろ零れ、伝う涙を指に感じて初めて気付いた。そういう表情。
 それごと、梅子をいままでで一番強く抱き締め、言った。
「梅子が泣いている時は悩んでいる時だ。なのになにも言わず、笑顔を“作る”。そうやって、また梅子がひとりだけで解決するのか、そんなに俺は要らないか!」
「違う!」
「違わん。梅子はな、そうやって俺に絶対負担を掛けてくれん。迷惑も掛けない。甘えも頼りもしない、一度も!」
「違うったら!!」
「違わん。俺は何度もしているのにな。出逢った最初からそれが日常だった。
 どうだ、俺がいかに梅子を頼りにしてるか分かるだろ」
「──」
 再逢した時、既に梅子は痩せていた。一年振り逢った俺の目からは、退院後のような激痩せとしか思えなかった。
 一年間も梅子を放って置いた俺。自信がないだの言い訳をして一度も庇えず、勉強を教えられないからと言い訳して受かるかどうかも分からん成績と知っていながらなにもせず。
 その間、どれだけの逆境に直面してもたった独りで跳ね返す力を持った、持たされた、それ程の地獄をたったひとりでくぐり抜けて来た梅子。だから、
「梅子は生まれてこの方本当の意味では、一度も誰かを頼ったことはない。勉強を教えてくれた最初の親友、その後出来た二人の親友、友人知人、唯一の師匠、最も信頼した男、挙げ句二親すらな!」
「──」
「俺なんざ眼中にもないだろ」
「違う。なんでそこまで卑下して言うの。おこるよ」
「なら言え。俺にとってだけ都合のいい上っ面じゃなく、梅子がいま確実に思っていることをな。このあいだみっともないとこでも見せると言ったろ。そうだ、あれがいい。俺にいつも全部見せろ。全部晒せ」
「……」
「なんで梅子が誰も頼らず抱え込むか言ってやる。誰も信じていないからだ」
「違う」
「所詮人類皆他人、頼ったところで誰しも必ず自分を捨てる。そう思って誰も信じないんだ。俺なんか要らないんだ。そうやって梅子は俺を捨てるんだ」
「違う!」
「なら言え」
「おうちは」
「うん」
「斉志のにおいがする。だからおうちで待つの。庭は違う。だから」
「この庭だってうちだ。塀の中は詰め所を除き全部うちだ」
「斉志。この星一番の寂しがり屋は誰だと思う?」
「俺だ」
「わたし。理由、生まれてから雪の日までずっと独りぼっちだった。斉志は何人お友達いたの」
「……」
「生きてさえいればいいなんておためごかしだよ。誰からもなんの期待もされないでずっとひとりぼっちだったんだよ。
 人生捨てさせられたって言ったよね。そう、あの時退学だって思った。でも、その時わたし、家業で食い繋げばいいなんて間違っても思わなかった。一人っ子でも実家出ようと思ってたよ。
 あとはずーーーーっとずーーーーーーーっとひとりだと思ったよ、あの時。
 斉志はあのときひとりだった?」
「……」
「いまは違う。こんなにしあわせ! だから斉志のいないとこ厭」
「梅子。俺はな」
「うん」
「俺がうちへ帰った時、陽も浴びず不健康な顔色の梅子に出迎えられるのが厭だ」
「……」
「こんなんな俺がさらに狂っても梅子の躯に悪いことしないのはその為だ。それとも何か梅子。そんなことをさせ続けた挙げ句事前予知も出来ん病気が発生し続け病院生活が日常になって、俺をうちへ帰らせず詰め所通いしろとでも言うのか」
「そんなこと言わない」
「なら散歩しろ」
「……」
「よし分かった。梅子。こうしよう。
 俺が日中の時間帯うちに一週間以上帰らなかったら……分かっているだろうなわざと帰らんなぞ出来ないからな……散歩する」
「……むー」
「食品日用雑貨洗濯物の補充は当然俺の役目だ」
「うん!」
「だが、これまたなにかしら理由があった場合は梅子がすること。いずれの場合も俺は私用電話出来んかも知れんからな、タイミングは梅子が判断する」
「むー」
「なんだ」
「むー」
「いざっていう時はなんだってあるだろ。そういう場合だけだ」
「……むー」
「梅子がなんとかになった緊急時はすぐ帰る。その為のモニターカメラだ。大丈夫だ梅子、その時の職場がどういう状況であっても辞表を叩き付けて帰るから安心していい」
「むー!?」
「それとも何か梅子。俺に、妻がなんとかになっても仕事し続けた御立派な人だったとでも世間に言わせたいか?
 さっき言ったな梅子、生きていればいいなんざおためごかしだと。そうだ、生きてさえいれば何とでも言えるがそうでない場合は誰にもどうにも出来ん。梅子がどうにかなれば俺もどうにかなる。それは分かっているな」
「……うん」
「梅子。いい加減、俺が女房のせいで成績がどうの大学がどうの仕事がどうの思われると考えるのは止めろ。女房の為ならいつだってなんだって捨てると誰もが知っていてさえ、どんな場でも望まれる、俺はそれ程の男だと、この星の誰にも絶対に言わしめる、そうなる為に今までがある、その為のこの手だ、その為の集中力だ!!」
「……」
「そうだと梅子が信じてくれなかったら、俺の今までは一体なんだ!? そんなに俺を認めてくれんか、そんなに俺が要らないか!!」
 梅子が俺の腕のなかで動く。俺を見て言う、その為に。
 腕の力を弱めて、梅子の瞳を貫いた。
 まっさらの、ガラス玉のような瞳。──雪の日の瞳、そのままで。
「……せいじ」
 声、ちいさい。
「うん、梅子」
「……ごめんなさい。わたしがわるい、です。わたしが間違ってた、です」
「そうだ、梅子がわるい。だが間違ってはいない」
「……どうして」
「俺と一緒に庭を散歩したいと思っている、そうだろ。うん、そうだ。俺もそうしたい。いや、そうする」
「……うん」
「それでも言ったのはな、梅子とことん心配性で、その上先を見過ぎるからな。ありとあらゆる緊急事態を考えているだろうが、自分から言い出すとじゃあねと言っているのと同じ、挙げ句尻ペンペンと考えているだろうと思って言った」
「うん。……せいじ」
「うん?」
「わたしのこと、……ほっとかないで……」
「俺と梅子の辞書にそんな文字は無い」
「……うん」
「大丈夫だ梅子。梅子をそんな目に遭わせるようなら俺はそれまでの男だ。そこまでの恥知らずなんざどんな場でも不要だろうからな、そう言われる前にさっさと辞表退学届叩き付けてうちへ帰って梅子を一生ベッドの刑にする。墓に入れば未来永劫絶対に抜かん、俺とふたりっきりでずっとヤりまくる、安心していい梅子」
「……、……、……安心します……」
「よし、じゃあお白州だ。この塀の内側は詰め所を除き全部うち。梅子は俺がうちにいない時、晴天の日中に限ってうちのどこへ行ってもいい、ただし最上階を出る時は必ず外出着に身を固めること。
 詰め所はうちじゃない。一階はなにがあっても絶対に行くな。二階の病院は、俺がうちにいない時梅子が具合悪くなったり怪我した場合、腕時計のボタンを押した後になら行っていい。ただし動ける場合はだ。絶対に無理するな。行けない、動けないと少しでも思ったらその場に留まれ、絶対に動くな。いずれの場合もモニターカメラを通じ俺が即判断し、状況によって医療スタッフを最上階へ上げる。
 梅子は俺に厭がることされてもいいなんざ言わん思わん考えん、もしされた場合は俺に即言ってその場でぷりぷり怒ること。いいな!」
「……ぅぅ」
「返事はうんだ」
「うん。せいじ」
「なんだ」
「あのね」
 ……梅子があの扉に手を掛けるような事態になったら俺は梅子に尻ペンペンされるそうだ。ぷりぷり怒るような事態になっても以下同文だそうだ。
 ……。
 ……。
 ……。

梅子

 それだけは勘弁してくれと言われました。そうですか、やっとわたしの心境を分かって下さいましたか。
 分かってくれたようだから、区別付かないこと言わないで、うん、分かった、ちゃんとぷりぷりおこる、不健康なことしない、斉志のおしりぺんぺんは勘弁してあげるって言いました。えらい自分。

斉志

 俺はペンペンを免れたが、梅子にペンペンするのはいいって梅子言ってくれた。えらい梅子。俺は墓に入っても梅子に敵わん。それでいい、実にいい。
 うんと安心して空の弁当箱と箸を持って梅子をだっこ。行き先は当然うちへ通ずる玄関だ。
 隣の一階店舗は素通り。梅子は一瞬躯を硬くする。そうだ、梅子は俺をひとりにしたくない。だがそこから先の出来事は俺が考える、俺の役目だぞ梅子。
 エレベータに乗り、いつもなら真っ直ぐうちへ。だが、行かない。
「梅子」
「うん?」
「目、瞑ってろよ」
「うん」
 俺にぎゅっと抱き着く梅子。最上階を出る時、悶絶以外は車に乗るまで必ず目を瞑る梅子。
「いいか梅子。いま、エレベータを出で最上階にいる。言っておくが説明しているだけだからな」
「うん」
「ここにはエレベータがふたつある。ひとつは今出た、最上階と一階玄関を往復するエレベータ、もうひとつは、最上階と隣の詰め所二階の病院を直行で往復するものだ」
「……そう、なの?」
「うん。あとな、電気がどうのとなった場合に備え、階段も二つある。役目はそれぞれエレベータと同じだ」
「……そう、なんだ」
「うん。梅子。俺、うちにカットバンだのは置いているが薬はどんなものでも置かないだろ。それはな、……その、……俺がいない時梅子に……間違った用法のものを間違った用量で飲まれるのが厭だからだ。……おこった?」
「……おこりたいような、でもわたし、間違って飲んじゃうかもと思うような……」
「そう、か?」
「うん。我ながらなんといいますか……うん、斉志の判断は、いつもだけど正しいです」
「そうか。……それでだな。今、ここからエレベータを使って病院へ行く」
「厭!!」
「また俺のこと信じてないだろ梅子」
「だ、だって──」
「泣くな! いいか梅子、俺が目を瞑れと言った理由はいかにもさっきと同じような状況だからだ。俺は梅子に泣かれたくない。……その、……信じろ」
「──うん──」
「俺が病院へ行くと言ったのはだな、間違っても梅子をさっきみたいな目に遭わせたいからじゃない。例外連中と会う時の事前練習をする為だ」
「──え?」
「医療スタッフには話は通してある。看護婦さんと女医さんを例外連中と思って挨拶してみて、梅子」
「──……」
「どうだ。いい案だろ?」
「……うん」
「さっきあんなふうに泣かされたのに、さらに同じことされると思いやがったな梅子。よくも俺のこと信じないで……」
「……ごめんなさい……」
「分かったか」
「うん」
 ぎゅっと目を瞑ったままの、泣き虫な梅子の涙を嘗め取った。もう日常になっているな。……だがいい。なにせ……。
「本当だろうな」
「うん。信じる」
 俺の胸に顔埋めて、すりすりして言う梅子。
「ならこの件はこれで以上。だがうちへ帰ったら尻ペンペンだ、……と言いたいところだが」
「……?」
「俺、お返しにされたくない」
「そ、そんなことしない。なにがあっても絶対しないって言ったもん。信じて」
「うんと信じているぞ梅子」
 言い切ってやった。
「ぅ。その、も、もしもその、そういうときはぷりぷりする。斉志、全然わるくない」
「俺もそう思わんでもないが、なにせ状況がさっきと似たり寄ったりだ、梅子が思わずそう考えるのも無理はない。それに、……病院への行き方を教えるつもりがあったのも事実だ。だからいい。だが」
「うん、信じます。えっと、……その、いかにも! な時であろうとそうでなかろうとなにがあっても絶対信じます、えっと、……ふんぞり返ってしんじますーーー」
「そうだ。自信たっぷりに俺を信じろ、梅子」
「うん!」
「梅子。いま、どうして俺が梅子を自信家と言ったのかと思ったな」
「ぅ。その通りですーーー」
「じゃあ、その理由を言うから俺のこと見て、梅子」
「うん」
 すぐ顔を上げ、目を開けて、俺だけを見る梅子。俺だけを視界に入れる梅子。梅子はそうだと、もう分かっているから本当は練習なぞさせんでもいいが、この手は特に念には念を入れねばな。
「梅子。教室攻撃がなんだか知っているな」
「え!? とつぜん……そ、それは知ってます、というよりその……」
「誰が元Fを攻撃したと思う?」
「え?? そ、それはそのー、せいじがしました」
「梅子がした」
「ええーーー。え、え、え、……その、いっくらなんでも、……ええい、信じるけど斉志もしたでしょうーーー」
「なんだそのええいってのは。まあいい、そうだ、信じろ梅子。俺もしたが、梅子が先にしていた」
「??? あの、そこまで言われると信じるがどうのじゃなくて、もうわけが分からない……」
「梅子。俺はだな、知っての通り世話になりまくりな隣のやつを含めたF組の連中全員に丁寧に挨拶しようと乗り込んだ。さあ教室攻撃だ、と思って後ろ扉を開けようとしたら梅子の声が聞こえた。
“わたし、自分のことだけ言う。好きなのは止められない。なんとかになんてなれない。直接なんとかって言われるまで。それまで止めない”」
 思い出し、照れながら思わず視線を下に逸らす梅子。だが、俺を見なければどうなるかよく知っている梅子はすぐに視線を俺に戻す。聞いてたの? と顔に書いてある上目遣いの真っ赤な梅子。可愛い。
「梅子に関する俺の辞書になんとかなんざ文字は無い。だが俺に関する梅子の辞書にはありまくりだと思っていた。いまは違うがあの時は特にそうだった。なにせ俺は梅子をあんなんで病院送りにし、事前の許可も得ず、というより事前に言うなと言われていたのをうんと無視して管内の連中に宣言したからな、さぞなんとかと思っている、思うだろうから先手必勝躯に言わせてやろうと乗り込んだらこの名文句だ。
 俺はこれを聞いてまた真っ赤になったよ」
 聞かれていたとは思わなかったと言わんばかりな梅子。だがこんなんな俺が真っ赤になるとは、と思ったな。なったぞ俺……。
「俺しか入れんと正真正銘プロポーズされたあの時な、アイシテルとまで言われて俺、生まれて初めて真っ赤になったんだ。さらにこんな凄いプロポーズ、皆の前であんなに自信たっぷり言い切ってくれて、……俺、うんと浮かれていたんだ……」
「……そ、……そ……う?」
「うん。俺、なんとかなんざ絶対言わないし思えないだろ、だから梅子ずっとずっとずーーーーーーっと俺のこと好きなんだって、……俺、いつも梅子に惚れ直してるけどな、いつも梅子に完敗で全敗だけどな、照れ屋の梅子が人前でこんなに惚気てくれたって、……うんと舞い上がっていたんだ……」
 そう言えば人前で俺を好きと言ったのは、あれが最初で最後かも知れない、と思っている梅子。そうだ、俺、こんなんだけどな、それだけは……もっと言ってと思っていたんだぞ……。
「俺の宣言で、なんとか連中は全員俺が梅子に絶対なんとかなんざ言わないって知っていたんだ……。それであの名文句だろ……なんで俺あの時押し倒さなかったのか、いまでも分からないんだ……」
「……あ、あの……」
「……うん?」
「そ、そういうときの、……斉志自覚してないでしょう、もう……斉志の目、……うんとあっついんだから……」
「いつもだろ……」
 梅子だって、……そうだぞ……もうあんな表情、させないからな……。
「練習、しようと思ったけどな……」
「……、……」
「いま、扉の前なんだ……」
「……、……」
「梅子……?」
 結局俺が目を瞑った梅子を詰め所二階へ連れて行ったのは、職に就く直前の一度だけだった。
 詰め所一階の連中も、自分達こそが練習台になる、なんとか連中とはどうせ男の比が多いだろう、ならば自分達の方がいいテストケースだと体のいい事を言っていたが誰が会わすか契約外だ。
 その手の役目ならば自分達こそが相応しいと名乗り出た、同区内のおナワ夫婦がいたが誰が呼ぶか。ただし梅子を、詰め所を除いた塀の中なら日中に限っていつでも出す、あとは梅子の判断だ、そう言った途端さっさと承服しやがった。まあいい。

梅子

 夕ご飯食べながら食べられて(……)そのあと食べて(……)ベッドへ担がれて食べて食べられて(……)もう何回目か分からない(……)あとに。
 わたしがせいじを腕枕、です。と言ってもわたしの場合はせいじのあたまの下にわたしの腕があるんじゃなくって、わたしのむねの真ん前に斉志がいる(……)のだけど。
 おっきなあったかい両手でぷにぷに、わたしのむねを揉んで、くちで乳首、あまく噛む斉志。わたしがその、……したあと、息が整うまで、というか、……そうです、これは小休止なんですーーーいいですーーーわたしもすきですせいじもすきですーーー。
 それでその……。わたしが腕枕しながら、せいじのあたま、髪を撫でてる。そんなときに。斉志が、取り留めなく……そんな感じで言った。
「……梅子……」
「……うん?」
「あのな……」
「うん……?」
「梅子……」
「うん……」
「俺が梅子の名前、……呼んだ時が生まれて初めて……だろ?」
「……え?」
「泣いたの……」

梅子と斉志

 なんで分かるの?
 貰ったからだ。

梅子

「──せ、──い、じ──」
「……うん?」
「ぅ──、ぅ──」
「うん……うん……」
「──にも、──だもん──」
「……うん?」
「あ゛、──と、──に゛、も゛、せいじだけ──、ど──してあの、とき──来て、くれなかったの──」
「……ごめん……」
「来て、──くれ゛、なくて、──た、──すけて、ぅ、ぅ、ぅーー──」
「俺が助けなかったから梅子泣いたのか……?」
「ぅん──」
「それ、あの時は言えなくて……俺が助けてやれなかったって思わせたくなくて、……ああ言ったのか……?」
「ぅん──」
「梅子が泣くのは……」
「ぅん──」
「……後にも先にも、……俺の為にだけだ……そうだな……」
「ぅん──」
「梅子……」
「ぅ、ん──?」
「いっぱい泣いて……」
「──ぅん」
「なにも抱えるな……」
「──ぅん」
「泣いた時は、……理由とか、あんまりくちで言いたくないよな……うん、俺、理由、知りたいけどな……それは、……理由が分からないときだけだ」
「──ぅん」
「だから……もう言わなくていい」
「──ぅん」
「もう分かるからな……全部分かるからな……」
「──ぅん」
「けどな……梅子びっくり箱だろ。そういうときは俺、分からない方が愉しみだ。分かるのも分からないのも生き甲斐だ……」
「そ──う?」
「そうだ。分からの時は躯で言わせてヤる」
「ぅぅ──そ、それでいい──のぞむところだーーー」
「うん……」
「──せいじ」
「うん……?」
 せいじ、わたしに覆い被さって、……涙、嘗めて貰う。いつも、……舌、あっつい、なんだかそうして欲しくて泣いてるような気がする……せいじ……
「せいじ──せいじ──せいじ──」
「うん……」
 あっつい……。
「せいじ──とけてる──わたし──とけてる──」
「うん、梅子、……俺も……」
 もう、躯……。
「ばくばく──いってる──」
「うん、聞こえてる、梅子……俺も、一緒だ」
 もう、全部、……考えてることとか、思ってることとか、……感じてること、ぜーんぶ……。
「せいじ、せいじ、──たべて、もらって、いっぱい、も、も、──なにがなんだか、分からない──」
「……俺のこと……」
「すき──ほれてる、しんじてる、くるってるの、溺れてて、うんと甘えて、いっぱいたよって、せいじ、せいじ、──アイシテル──」
「……それ以外、もう考えるな梅子……」
「ぅん──」

 あれからあんまり泣くことなくなった。だってうんと信じてアイシテルから、泣く必要全然ない。おこる必要もない。うんと安心、とろけてる。
 これが日常。

斉志

 下らん付き合い飲み会も、職へ就く準備もある。これまでよりも出掛ける機会は増える、帰る時間も夕方ではなくなる。
 梅子にそう言うと、うん、行ってらっしゃいと笑顔で言う。ささやかではなく、なんの遠慮もない、なにも抱えていない、素のままの笑み。
 あれから梅子はヤってる時以外いつも笑顔。俺にとけ、俺に惚けて甘えて頼って狂って溺れてイっている。感じまくりの梅子。
 それが日常。