四月二十九日 おうち

 発端と奴は言ったが、前日の俺がハエに言ったことではなく、振ったことにしておけと言ったのを指していると思った。だから横島が田上に梅子を中三の一年間調べ上げさせ、俺が梅子に惚れ抜いていたことを見抜かれ、あの騒動で田上=横島に止められたとばかり思っていた。
 梅子が中三の一年間、接触した人間がたったあれだけだったのなら、主な対象者たる大恩人が田上=横島と接触していたかどうかをはっきり直で訊けば、あんな詮索方法など取らなくて済んだ。梅子ひとりに訊けばそれでいいと、その程度に考えていた。
 真相は全く違った。
 校長は高校に来てまで不抜けた事態を同じクラス内でさせたくなくて、俺と大恩人を別のクラスにした。なにせ俺は立場と影響力が強い、一番と二番の成績のやつが恋愛し合って成績を落とし合ったら勿体無い、そうは思っていただろう。しかし邪魔しているやつと同じクラスにする気はなかった。
 あの騒動が起きるかどうかは誰にも分からなかった。だから主要登場人物をC組・D組・E組・F組へ配したのは、いずれも特に意味は無かった。なにせ当事者が目的のクラスへ出向けばすぐ噂になるんだからな。
 横島は間違いなく俺と田上を同じクラスへ配した。だが生徒会長として介入したのはそれだけだ。校長へどう言ったかまで憶測出来る。自惚れが過ぎてもこの場合はいい、自分の知り合いとこの俺に知己を得させたい、その程度は言っただろう。だがそれだけでよかった。この時、梅子は完全にノーマークだった。気にも留めていなかっただろう。俺は誰かに邪魔をされてタダで済ますような人間じゃない。五中方面になど行きもしない俺が誰かと付き合うも邪魔されるもありはしない。六中の人間なら噂を耳にしたとしてもまた嘘話か、俺が中三になってようやっと本性を出したか、せいぜいそう思っていただろう。俺が高校までは管内へ居座るつもりだったなど横島なら知っていた。だから俺がA高へ行くのは当然だった。
 だが大恩人は? 下衆な噂に散々苦しめられたのに敢えてA高へ。横島達に分からなかったのは、むしろ大恩人の行動だった。俺と梅子、そして大恩人。三人が同じ学校へ行くとなればひと騒動ある、そういう予感があったのかも知れん。
 俺が窓際の席を好むなど横島なら知っていた。俺が中学や高校の授業などまともに受けはしないと知っていても、窓の外ばかりを見てハエなど眼中にもなく、教室を突然飛び出し旧校舎へ行けばおかしいと思うのは当然だ。だからと言ってまさか梅子に惚れていたなど分かるわけがない。六人組に詰め寄られた、いや、ひょっとしたらその仲間と思ったかもしれない連中の中から、女一人の襟首を引っ掴んだ。坂崎も遼も大恩人も、この時点で俺が梅子に惚れていたと気付いた、そう言っていた。俺もそうかと思わんでもないが、引っ掴まれた女が誰かは分からない。だから確証を得たかった。
 最悪、奴はこの時点で梅子の顔を見てもいない。それでも梅子に接触、最初に苗字を呼んだ。何故か?
 襟首を引っ掴んで旧校舎から新校舎へ連れて来た。理由はともあれ授業はある。渡り廊下を女が一人で旧校舎方面に通れば教室へ戻ったと理解出来た。顔も名前も知っている必要はない。俺はソワソワしていたが、さすがに入学式当日誰かをさぼらせたら、首の涼しい話が出るからか? そう思っていただけだ。実際そう言っていた。
 だから職員室前で張った。下駄箱がどこか、襟首を引っ掴まれたやつが実際どのクラスかなぞ考えなくてもよかった。職員室へ入った梅子はすぐ生徒指導室へ連れて行かれた。職員室を出る生徒ならいくらでもいた、だがその日生徒指導室へそんなルートで入る女。こいつだ、そう思っただろう。そして下駄箱の内履きを戻した瞬間苗字とクラスを特定、すぐに噂の邪魔者だと判断した。坂崎はああ言っていたが、惚れているなら我ながらもう少しまともな助け方をする。襟首を引っ掴むなんざ、さあこれからリンチをかましてやろうかという行動にも見えたに違いない。あれは俺が喧嘩を売った行為だったのか、ならば噂は本当か。驚いたに違いない。
 だが相手は全くの他人にコロっとついて来た。本当に邪魔をしているなら、C組の頭がいいやつと言えば当然それが誰か分かる筈なのに、知りもしなかった梅子に、やはり驚いたに違いない。せいぜい噂でしか梅子を知らなかった奴らこそ、この時点では事実など知らなかった。俺のその日中の行動も合わせ、おかしい、さぞおかしいと思っただろう。
 罪作りだね、それだけは俺の耳に届いた。梅子は単にさぼらされただけなのに真っ青になって、どの面下げてここにいるんだろうわたし、と言った。
 邪魔などしていない。いや、したくないとずっと思っていたやつだ。これでは誰が聞いてもそう思える。梅子の成績も噂の口端にのぼっていた。横島なら受験生の成績データも入手出来る。A高は管内では一番レベルの高い学校、坂崎の推察通りのことをこの時点で一瞬で考えたに違いない。
 そして俺。教室外でこの光景を見た。梅子に俺は見えなくとも、奴は俺が廊下にいたと気付いていた。さっき襟首を掴んだ、総代でもなければ首が涼しい思いをさせられただろう生徒がここにいるぞと俺に言った。
 それを聞いて、加害者の俺がただ教室の外で立ち尽くすか? 俺は奴なぞ存在すら無視していた。だからあの教室では二人っきりじゃない、梅子だけがいた。なのに俺は梅子へワビを入れにも行かなかった。罪作りだ、それは梅子が俺のせいで処分もしくは小言をくらって来たぞという宣言だった。それでも俺は教室へ入らなかった。自分の教室へ一人でいる被害者を無視? おかしい、さぞおかしいと思っただろう。
 梅子はこの時点で処分を受けた。
 自分のせいではないのに処分と聞けば自分のせいだと思い込んだ。だから翌日あの台詞。俺をどう止めればいいかなど、横島なら片手間だ。
 入学式の放課後。梅子と別れた田上は俺にああ言った。邪魔はするなと噂はともかく、他は単に本当にそう思って言っただけだ。これだけは完璧に当たっていた、事実の通りだった。間違いならば俺は奴なぞただでは済まさなかった。大嘘なら殴りかかっていただろう、だがそんなことはしなかった。なんのリアクションも示さなかった。そう、既にこの時点で立場で動いた。立場で動けなど横島なら、噂に一切関係なくいつでも言っただろう。
 俺が大恩人を追い掛けもしなかったことで、付き合ってもいないというのは噂ではなく、その目で見た事実として確信したに違いない。その後俺がハエ共に言った話は単に駄目押しだった。
 そして俺を止めたあの一言。あの騒動は目には入ったが、声は新校舎、D組より奥のC組になど届いてはいなかった。C組の、いや新校舎のクラスの窓際の連中だけが、F組で異常事態が起きたとだけは思えただろうが、あれで梅子になにかがあったと思えた新校舎の人間は間違いなく俺と大恩人だけだ。だが俺は立ち上がった。奴はあのひと、と言った。苗字も名前も言いはしなかったのに俺は止まった。俺が止まるべきF組の人間、梅子しかいない、瞬時に判断しただろう。大恩人など連れて行かずとも、俺が行けばあの騒動はすぐに止まった。そうなれば、俺の立場も影響力も奴らにとってはさらに最悪の方向へ強まった。だからああ言った。本当に俺は動かなかった。誰かの命令にこの俺が従うか? この瞬間、奴らは俺が梅子に惚れていたと確信したに違いない。その後俺は横島の真ん前で梅子の名を口にしたが、あれで気付いたのではなく、これも単に駄目押しだっただろう。

 こうして一字一句きっちり聞けば何故大恩人へああ言ったのかまで推察出来る。
 奴の言葉で俺は動かなかった。大嘘の噂話を根元から止められる人間が坂崎であるなど間違っても考えなかった奴は、残る可能性のある者、大恩人を止めることを思い付いた。俺を止めた後、D組でもそうだったように、C組でも囁かれた騒動の顛末の情報収集をしながら窓の外を見続け、大恩人を止める為にはどうすればいいかひたすら考えたに違いない。坂崎の推察通りの思考経路で。
 奴は梅子が、俺の邪魔など絶対出来ない人物だと瞬時に判断した。なぜなら、もしそれが事実で、それで俺が梅子へ接触したならもうあの時点で梅子は学校になど居はしない。だが実際は五体満足で生徒指導室へ向かっただけ。噂が出てから約一年間、ずっと大恩人の邪魔をしたくないと、さらに高校へ入ったら離れようと考えていたことすら判断出来ていた。あの渡り廊下から梅子は自分の意志でD組へは行かなかったからだ。正に坂崎の推察通りだった。そうじゃないかと予測をしてああ尋ねた。そして思った通りだった。
 奴は自分とクラスの違う大恩人にこれ以上動いて欲しく無くて、釘、いや、とどめを刺す為過去の憶測だけではなく、未来の予想までしてああ言った。受験時期は中学にも高校にもある。影響力と立場のある人間が、それのない人間へその時期勉強を教えればどう口性無く言われるか、そういう意味では俺と大恩人は梅子にとって正に似た同士、それこそほぼイコールだった。坂崎の推察通り俺と大恩人は接触があった、佐々木の考え通りあの言葉が俺の耳に入ることも予測していた。それがいつであっても俺は混乱しただろう。
 俺を止めたあの言葉は大恩人のそれに較べれば短かった。なにせ大恩人は梅子と一年間付きっきり、俺は梅子に逢いもしなかった。噂が情報源だからこそ、それ以上言えるわけが無かったんだ。
 意気揚々とC組へ戻った奴はさぞ愕然としただろう。さぞ焦って横島へ翳でコソコソ連絡を取っただろう。その横島の元へ佐々木が来た。横島は佐々木の提案を校長室でA高生の誰より先に聞いた。それは梅子を救う絶妙の案だった。もしも一人で聞いていたなら握り潰していただろう。だが校長がいた。校長は佐々木の提案を悪くない話と認識し、即座に梅子の立場を配慮した。これで横島は握り潰せなくなった。いくら如才なくとも横島では事態を展開させることなど出来はしない。森下に話を振ってもよかったが、森下ならば何故同校生で近所後輩の俺がいるのに自分を先にしたのかと即座に問い返しただろう、森下とて奴を毛嫌いしていたんだからな。奴はパイプを維持したい校長の前で自分の無能な姿を曝したくなくて俺を呼んだ。F組で散々名の出た俺を佐々木に糾弾させる為に。だが佐々木は噂話などもう考慮すらしていなかった。佐々木こそ自分は動けなかったと思い込んでいた。その目で見た事実だけで他校へ乗り込んで来た佐々木にとって、A高生は全員動かなかった自分と同立場だった。当事者ではない者が糾弾されたその現場を見た佐々木は、梅子を救うことしか考えていなかった。糾弾など考えもせず俺に助力を求めた佐々木を見て、横島はさらに焦ったかも知れんが、俺は佐々木へ名乗りもしない。梅子に対してやはり隙だらけの俺を、より永くほくそ笑みたくて森下へ主導権を渡さぬよう如才ない行動に出た。あの殴り込み事件で店へ来た連中は全員梅子を認めていたが、それは森下も、前野も渡辺も藤代もだった。あの連中へ話を通したことによって横島は沈黙せざるを得なかった。下手な動きに出れば、あの連中ならば即座に状況を把握しようとするんだからな。
 奴のあの言い様は、坂崎が思わず言葉を失うほど当たっていた。たとえ真実の側面だけ、根本的な解決策ではなかったとしても。大恩人への言葉が言い過ぎかどうかはともかく、いくら頭に血が昇っていたとしても鵜呑みにしてしまうほど当たっていた。あの言葉は謎でもなんでもなかった。立場で動いた俺にとっては文句など言えぬ正論、まさに如才ない言葉だった。
 それが謎となり、謎が解かれる日がいつか来ることになったのは奴らが全く歯牙にも掛けていなかった、邪魔者としか噂の端に上らなかった梅子が事件を解決して来たからだ。その事実は曲げようも止めようもなかった。あの時点で、似たもの同士に言い放った正論はいつか解かれる謎と変容した。
 それでも奴らは自ら舞台から引こうとしなかった。それがいつか芽吹くと知っていたからだ。それら全てすら梅子が身をもって解決するなど思ってもいなかったに違いない。
 田上も横島も大学は県外。佐々木のあんな文面の招待状が届いた時、管内へ戻り、憶測通り勝手に梅子を一方的に調べていたならまたなにかを勘付けただろう。なにせ梅子は前職を辞めた後ですら、俺以外への就職活動をしていたんだからな。だが奴らはそれをしなかった。
 それ以上が出来るなら、二度の記名式生徒会役員選挙で信任投票などしてはいない。大勢の前で身を晒しての行動など出来るわけがない。その程度の、単にその辺の下らぬ奴らと同じだったんだ。

 梅子は、いくら勝手なことを言う奴らの言い様を耳に入れなかったとしても、俺が大恩人と接触があり、あんな噂が出て、あまつ自分が邪魔者と思われていたことなど厭という程分かっていただろう。自分に非が全く無い他人事でさえ人生捨てる思いをさせられた。俺が梅子に惚れた時期を言ったのは確かに婚約後だったが、ならなぜその後一年間梅子を放って置いたのかは言わなかった。言えなかった。梅子はそれを詮索して来たりはしなかった。大恩人へも詮索などしてはいまい。誰より梅子が訊きたかっただろうに。ずっと不安だっただろう。
 似合いがどうの、そう梅子は考えていた。遼に窘められ、その相手を大恩人とは考えなくなった。だがそれだけだった。元々逃げる性分だった。俺からあんなことを聞かされ理由も尋ねられず不安を抱え、あんなことをして一年以上経っても、ちょっと言うのを遮っただけで俺はそれ以上踏み込もうとせず、挙句有耶無耶にし、ワビすら入れない。周囲の口性ない、下らぬ物言いなど、俺が梅子を両親ごとこのうちへかっ攫ってエリート校へ行けばそれで済んだ。だが梅子はそうやって、自分のせいで俺が勉強以外に目を向けるのを最初から厭がっていた。だから梅子は俺から離れた。
 坂崎の言う通り、梅子は俺の反応を見てから行動する。梅子の立場が確定し、就職出来た後俺はまたも梅子を放って置いた。いくらでも直に逢えたのに俺はそれをやらなかった。ならばと俺を突き放した。全ての現象が三年前と酷似した。
 梅子は自分が出来ることをしよう、そう思って勤め続けた。実家へ金銭的負担を掛けたくないとは子供の時から、いや物心付いた時から思っていた。俺の、いや、誰の手も借りず、誰にも負担を掛けず、誰の邪魔もせず、誰にも世話にならず生きる、それをやりたかった。ひょっとしたら生まれてからずっと。だからあんな怪しげな、どうしようもない会社といえども勤め上げた。
 惚れる以外なにもしないこんな俺などさぞ忘れたかったに違いない。
 なのに梅子は言ってくれた。望外の言葉を。なにも言わない俺に、逃げる性分の梅子にうちをひとりで探索させ、またも浮かれた俺に愛想も尽かさず。うちを出さないと言ったのに腕時計に発信機を付ける俺を詮索も糾弾もせず。
 なんでこれで梅子は俺を許す? 甘えてばかりの俺。
 だがそれでいいと。
 それでいいと……切れ切れに言って来た。
 俺は墓に入っても梅子のだ。墓に入っても幸せにする。俺は梅子の、梅子は俺の。俺の女房は成田梅子、梅子のボンクラ亭主は俺。
 それにしても強引自己中がいいと言われるとは思わなかった。俺の悪点らしいんだが。梅子にだけは優しくしようと思っていたんだが考えてみれば最初から地は出まくりだった。命令口調もいいと言う、命令が似合うと言う、プライドが高いぞと言ったらそうでないと厭だと言う、自惚れが過ぎるんだぞと言ったらそうでないと俺じゃないと言う。
 ……。
 梅子は間違い無く俺よりも俺を把握している。俺の想像を遥かに超えることを言うしやる。事前に予測出来たこともない。このままだと墓に入ってもそうだ。その度真っ白舞い上がり、墓に入っても敵わん。
 ……それでいい。

 梅子は、ついでというかどうせだから、そう言って入学式からその週の金曜日までのことも言った。
 さすがに一字一句では無かったが、俺にとってみれば、俺を振ったが後悔して、佳い女の前で愚痴をこぼしながら一晩中泣き尽くした、という話を梅子の口から聞けただけで充分だ。
 それにしてもまさに錯綜していたな。廻り廻って巡り巡って。……それでいい。
 その後の一週間はもう思い出したくもない。梅子はちゃんと勉強したのに模試は散々だったと言っていた。俺も散々だった。島国の試験なんざ鬱憤晴らしにもならん。それは言わんが……。俺はどうだったと訊きたさそうだったから、我ながら爆発的大集中で真面目に授業を受けたと言った。なにせその通りだからな。C組の連中は二年になる前にいくらかいなくなったがそれも言わん。

 結婚年齢が野郎は十八というのがようやっと分かる。だがあの届け出用紙は必ず全廃してやる。
 もっとも俺がそれに触れることは無い。
 そうだよな、梅子。