四月二十九日 祝日 西川遼太郎の家、ボロアパート二階

 適当に乱雑な八畳一間の上座は西川遼太郎。左隣に西園寺環。二人に向かい合うは右から佐々木明美、坂崎哲也、成田斉志。茶と茶菓子がひとつづつ各人の前に置かれていた。誰もそれに手を付けないのを確認せず、部屋の主は第一声を言い放った。
「さーってお立会い。こんなメンツで会うことはもうねェだろうが俺様の為に集まってくれてあんがとよ。早速主題に入る。五年前のA高入学式当日、その次の日。この二日間A高で起こった出来事・タイムスケジュールおよび各人の思考・感想を詳細に尋ねたい。文言は可能な限り一字一句違えず、ワビは全部後だ。言い辛いことがあるのは百も承知、だが俺に免じてスッパリ喋ってチョーダイよ。本日のゲロ大会の目的はここにいない一番の当事者、現在は成田梅子の為一点にある。理由は悪いが訊かないでクレや。不平不満等々あるやつァ今のうちに言ってくれ」
「二日間だけか?」
 イのイチで反応したのは坂崎。常に変わらぬマイペースな口調だ。
「関連があるならその期間だけに留まらん。どこまでゲロするかは当人の判断次第だ。クソした時間等々余計なことァ喋らんでいい」
 坂崎が続けて質問をした。
「この話し合いがあったっての、隣の人に言うのか?」
 ホスト役の遼太郎が答える。
「そいつはここにいる馬鹿一番、成田斉志の判断次第だ。なにせ今からするのは単なるゲロ大会であって、そこから先は全部斉がやるんだからな。他には」
 坂崎の質問は終わったらしい。代って明美が口を開いた。
「あたしに文句はない。今更ながら自己紹介はしよう。佐々木明美、ウメコの親友、初めて逢ったのはそっちの入学式の次の朝、A高でだ」
 他の者に質問はないらしい。坂崎が明美にならって言った。
「俺目的者が高校一年の時隣の席、坂崎哲也。会ったのは入学式で」
 遼太郎も自己紹介をした。
「俺ァ何故か目的者の師匠になっちまった西川遼太郎。逢ったのは入学から三日目、昼、屋上で。この時は自己紹介無し。ただし斉の関連で、梅の字の名前と出身校だけは中二のおわりから知っていた」
 次に環。
「西園寺環です。梅子に逢ったのは五中で、中二のおわりでした」
 次に斉志。
「成田斉志。出逢ったのは中二のおわり、五中でだ」
 全員がゲロをするということに反論はないとみた遼太郎、マイペース男に向かって言った。
「というわけで坂崎、主題に沿ってトップバッターはお前さんだ。入学式の時から頼む」
 坂崎は間髪を容れずに発言を開始した。
「入学式のあった日はすぐに授業がある。だから入学式の事前に、荷物を教室へ置く必要があった。俺のクラス、1Fへ行くと、黒板に五十音順の席が割り振って書いてあって、その通りの席へ荷物を置いた。もっとも、こんなにマジメにその通りに座ったのはこのクラスだけだったみたいだけど。その時トーコちゃんって俺の女とその時話していた。残念、席、隣同士じゃないってね。一つ違いで、実際の隣の席は空席だった。強いて言えばこれが俺の隣の人の第一印象。
 トーコちゃんと一緒に第一体育館へ向かった。入学式は椅子を並べて第一体育館で。ひな壇近くからA組、あとはクラス順。席はひな壇向かって左から五十音順。野郎がひな壇に近い。俺はトーコちゃんって俺の女とその時後ろを向きながら話していた。さっきも言ったが俺の真後ろはトーコちゃんじゃなかった。入学式が始まるギリギリまで真後ろは空席だった。
 入学式は全員呼ばれてはいと立ち上がって一礼して座る形式。俺の真後ろで、この時はさすがにちゃんと座っていたらしい隣の人もトーゼンそうした。そしたら周りの空気が悪い意味で固まったのを感じた。例の噂でだ。
 成が西園寺を振った話はデカデカ聞いた。中三になるかならないかの時期だった。隣の人が邪魔をしている話は中三の五月になる前、近所の店と呼ばれる所をブラブラ歩いていたらそういう囁きが聞こえた。その後も、俺の中学でコソコソ言っているやつらの言葉を二・三度拾った。内容、苗字はともかく聞けば一発で憶える名前の女がベッピン男女二人の仲を邪魔したからあの二人は別れた。その女はベッピン女につきまとい、まとわりついてベッピン女は他の誰とも話すら出来ていない。お陰で勉強すら邪魔されて、だからベッピン女は成績が万年二位なんだ。
 どんな噂であれイチイチ確証を得ようなんざ思わない。メンドークセーし他人事。当事者三人のうち知り合いは一人だけだった。全員の言い分も聞かずアレコレは論外。俺にゃまるで無関係。そう思ってすっかり忘れていた。
 入学式、隣の人の名が読み上げられた時の雰囲気で、邪魔がどうしたという噂が生きていたのかと思い出した。そういえば西園寺という名も読み上げられていたな、そうか、噂に上った三人が同じ高校へ来たか、そう思った。
 入学式その時に騒いだり、私語を交わしたりはなかった。成が総代やっていたのを見て隣の人がどういう感想を持ったかは知んない、俺席その時は前だったかんな。式がおわってF組へ戻った。俺の左隣が隣の人。俺は後ろ扉直傍。
 入学式後がすぐ授業だった。三限目相当だった。授業始める前、自己紹介を兼ねて全員点呼された。その時隣の人はこう言った。
“斉藤梅子、五中から来ました”
 こんだけ。やっぱ周りの空気は同じように固まった。この時の俺の感想、噂はかなり蔓延していたのかも知んない、ひょっとしたら管内全部。理由、F組に五中出身者は他にいなかった。なのに固まった。俺も固まった人間の内に入ったかも知んないな。それで次の授業おわったらどう出るか、隣の人の反応を見てみる気になった。
 三限目おわると隣の人はすぐに机に突っ伏して、次の授業までそうだった。あんまいい雰囲気じゃねえ数人に囲まれていたのは見たが、誰も突っ伏した隣の人の髪を引っ張り上げて、とか話し掛けたりとかはなかった。感想、あの噂は大嘘だ。理由、もし邪魔しに来たならこの時点であんたらの所へ行っている。
 四限目がおわると援団のセッキョーが来た。新入生は全員そうだった。昼飯を食っている暇も無かった。クソした時間は除けと言われたが、とにかく五限目前に用足しして授業開始ギリギリで着席すると隣は空席。まさか入学したてでさぼりはないだろと思ったら五限目の授業が開始された。感想、いい雰囲気じゃないやつらは噂を信じ込んでいる連中、連れて行かれたか、蔓延していた期間は一年、長い、被害者に実害が出ていた可能性があるな。
 五限目は生物。先生はぽっかり空いた目立つ空席ひとつを早速見つけて憤慨していた。生物は授業のおわりに小テストがある。設問は八つ。隣の席のやつと解答用紙を交換する。俺の分はトーコちゃんにさせた。
 隣の人が教室へ戻るなら五限目おわりの休憩時間だろう。それでも来なかった。空席をチロチロ見ているやつらがいた。感想、そいつらは全員五限目の授業に最初から出られている、心配そうにも見ている、部分的には確実にこいつらが関わったんだろうが監禁暴力等犯罪行為で足止めはない。口先攻撃で大泣きでもして戻りづらくなったか? 成がF組の廊下にいたのは分かっていたが、噂は大嘘だ、隣の人とは関係ないだろうと思っていた。
 隣の人が教室へ戻ったのは六限目ど真ん中。前扉を開けて担任二人生徒三十九人の注目を浴びながら開口一番“さぼってすいませんでした”チロチロ見ているやつらなんざ目もくれず、教室を縦に突っ切って堂々と歩いて隣へ着席した。完全に五体満足、ツラもピンピン、事情釈明一切無し。感想、連れて行かれたとしても六限目の授業に出ることは可能だった、自分の意志でさぼったな。ほんでケーベツして隣の人を見た。そしたら怯むことなく堂々としていた。それで確信した。
 担任二人は隣の人を職員室へ呼びつけていた。ザマーミロと思った。
 次の日朝、成がまたF組の廊下にいたが昨日と同じでなにをするでも無し、興味無し。
 隣の人は遅刻ギリギリに来た。着席と同時に始業ベル、むしろ見事だった。いい度胸だ、そう思った。その手の人か、そう思った。一限目は生物、昨日さぼった授業だった。先生は隣の人に黒板を拭かせた。週番が一応拭いていたのにだ。ザマーミロと思った。それから以降、生物の授業前、黒板消しは週番でなくとも隣の人の役目になった。隣の人の黒板拭きは滅法上手かった。マジど綺麗だった。ちっと見直した。やっぱこの日も小テストはあった。設問数は昨日と同じ八つ。隣の人は授業さっぱ聞いていなくて当てたのは二つ。トーコちゃんの答案用紙じゃないしどうでもよかった。
 一限目はチャイム前におわった。生物は以降、いつもこのタイミングでおわる。この時初めて会話した。一字一句。
“あんなのがあるのかー……”
 これ隣の人。
“うん、昨日もあったよああいう小テスト。いつもやるんだって。だからみんな、結構真剣に授業聞いていたでしょ。昨日は、坂崎君の答案、私が添削したんだよ”
 これトーコちゃん。
“昨日はどうもね。トーコちゃん”
 これが俺。
 この直後、D高の中野真子がF組へ来た。思い込み激しすぎて口悪い、翳で下んないやつらとつるんで知りもしない他人をコソコソ言っている女。家が真向かいだったけど興味なし。俺とトーコちゃんのこともカゲで言っていたな。これ同じ中学の時の俺の感想。中野はF組の後ろ扉をガラっと開けて開口一発、
“ちょっと! 斉藤梅子とかいうやつ、いる!?”
“え、あの。わたし、ですけど”
 これ隣の人。咄嗟に答えたってカンジ。
“ちょっと! 西園寺とかゆーヤツ、どうなってんのよ!”
“は?”
“もう別れたんじゃなかったのかよ、嘘吐き!!”
 後ろ扉すぐにいた俺、多少は見知った顔な筈の、隣の人の前の席にいるトーコちゃんすら眼中に入っていなかった。視野が狭い、高校へ入れてもまだこれか、家の環境滅茶苦茶だけどこれじゃ自業自得だ。だがF組までどうやって来た? F組は正門の坂を上がった所からすぐ近くにあるがこの学校は建て増し続き、構造は複雑。自分で調べたか他人に教唆されたかどちらかだ。この言い様じゃ後者、噂で来たんだろうが俺が聞いた話とは別口だ。こいつは誰かに惚れハレ出来る神経の持ち主じゃなかった。杉慶がホレていたけどこの時点じゃ中野はまだ気付いていなかった。惚れハレの噂は聞いていても中途半端、せいぜい他人に踊らされただけだ。西園寺に恨みがあるやつにか、隣の人に恨みがあるやつにか。前者だ。これが聞いた時の俺の感想。
 この言葉の直後、隣の人の背後にいた左隣の席の奴が一番に反応した。
“別れたんじゃねえのかよ!?”
 それからつられるようにF組の連中は隣の人を糾弾した。タイミング的に、授業がおわってすぐにF組へ来た他のクラスや学年が違うやつらまで俺の頭越しに隣の人を糾弾した。その数ざっと三十人。
 廊下には佐々木他二名が既に来ていて止めろ、なにをやっているんだマコと怒鳴っていたが誰の耳にも届いちゃいなかった。止めに来るくらいだから、佐々木達は中野から直接、この日A高へ行く、とは間違っても聞いていない。朝学校へ行ったら中野はいなかった、じゃあサボリか、この程度にしか考えられない筈だ。中野の家庭事情を知っているやつらだ、だから単にサボリとは思わないで、行動理由がなにかあるなと思ってすぐに情報収集したんだ。とは言え他校に行ったなんてただ聞いて、ハイそうですかと思えるわけがない。間違いなく未確認情報だ。それでも来た。電話で知り合いに頼みもせず直接、速攻で。大したもんだ。行き先はA高、他校の見取り図を頭に入れている学生はいない、複雑な構造の校舎だ、程度は聞けただろう、だから手分けして探す為三人で来た。実際は正門の坂を上がってすぐの出入り口に入ったらどう聞いてもおかしな騒音があったから三名同時にF組へ来たんだろう。ならA高の先生もそろそろF組へ来るかも知んない、そういうタイミングで中野は糾弾静止他全部無視して隣の人に訊いた。
“なにを黙っているんだよ。あたしは他を訊きたいと思わない。あの西園寺ってのが、ピンなのか、そうでないのか、それだけ教えて”
 隣の人、
“知らない”
 あと順に、中野から。
“ホントに?”
“もし、そうだったとしても。わたしなんかに教えると思う?”
“そう?”
“そう”
 それで中野はF組を出た。佐々木達は中野を叱っていた。だがF組の連中プラスA高の連中は隣の人への侮蔑を止めはしない。荷担者達は最初、全員同時に怒鳴っていた。それが聞こえないと思ったのか、今度は一人一人、周囲の誰にも分かるようにこう罵った。誰が言ったかは知んない。
“なんとか言え!”“手前のせいだぞ!”“邪魔したんだろ!”“最低なんだよ!”“バーカ!”“ブス!”“わざと同じ学校まで来て!!”“付きまとってんじゃねえよ!”“どっかへ行ったら!?”“もう来るな!”“死ねよいっぺん!”“仲引き裂くなんて!”“酷い!”“あんなに!”“お似合いなのに!
 隣の人はこれに、はじめて大声を出し一喝した。
“うるさい!! 他人に喋ることはなにもない”
 約三十人プラス、侮蔑はしていなかったもののどうすればいいか分からなくて固まっていたF組の連中も、誰もその場を動けなかった。
 佐々木達は中野を捨ててどっかへ行った。俺でもそうした。そうやってA高の教師にとっ捕まっちまえばいい。だが隣の人は中野をひっ掴んで学校を出た。直後二限目の担当教師、F組の副担が来た。数学、歳若い。声を張り上げてどうしたんだこの騒ぎは、と言った。左隣の奴が言った。“この場にいない人のせいです”。三十人全員頷いた。副担は憤慨した。全員散らせて、授業中は隣の人の悪口オンパレードだった。空席を見つめて、わざと名前を言わないで、足切りで入った生徒だ、運動神経なんざ酷いもんだ、A高の恥さらし、昨日はさぼりで今日はこれか、退学だ、先生が受験の面接担当なら落としていたな、そう言った。
 俺反省した。昨日ケーベツしたからだ。トーゼン隣の人はそんなんじゃないって分かっていたし別件とは言え人を見切れなかった。
 ワビなしだから言う。なんでこの場に成と西園寺が来ないのかと思った。
 この騒動が起きるとは誰にも予測出来なかった。あんたらが一緒の学校へ入ったとしても、真実通り三人が三人別行動を取って一切接触しなきゃ自然に消滅する話だったし、隣の人はその通り行動していた。だからあんたらにだって、事前に表立って牽制しろとは言わないよ。振ったという話にしたこと自体がそうだったし、以降は付き合っているだの邪魔されているだの、あんたらに非のない大嘘を全て否定し続ければそれでよかった。噂なんてもんは流す下んないやつらが悪いんだからな。
 だが被害者が出たのならあんたら二人が大元の加害者なんだ。
 噂が広がり易いのは、確認せずホイホイ周囲に喋っても自分はなんの責任を負わなくてもいいからだ。噂を止め難いのは、下んないやつらはまず滅多に一同に会さないからだ。この騒動は噂を一挙一掃出来る絶好の機会だった。それをすべきはあんたらだけだ、隣の人の言う通り他人なんかじゃない。あんたら二人が隣の人が追ん出された後でもなんでも、来たら一発で解決出来た。成と西園寺の噂が出た切っ掛けはIQの件で二人共に市役所へ呼び付けられたことだった、だからどんくらいかはともかく顔見知りなのは間違いない。二人手を繋いでとは言わないが、とにかくF組へ来て雁首揃えてこう言えばよかった。
“こいつはあたし・俺とは全然関係無いんです、嘘っぱちを言って噂を変な方向に曲げちゃっていました、そんな噂で振り回して高校受験を邪魔し続け、あまつこんな騒動で名誉を傷つけごめんなさい斉藤梅子”
 高校受験は大学入試ほど早く開始されるわけじゃない、だがこんな田舎じゃ人生初めての選抜試験だった。人間そのものが試される場だった。全員が切羽詰っていた。嘘話の出たタイミングから言って、隣の人は高校受験真っ最中、自分に一切責任・関係の無い最低な噂ごときで延々勉強の邪魔をされ続けていたことになる。邪魔した加害者達は心理的余裕を確保したくて見下す誰か、つまり犠牲の子羊を妄想によって創り出し、受験期間中その存在を維持する為、真実を見ようとも考えようともしなかったんだ。これでよく受験に受かったもんだ。足切りなんて成績だったのはその影響を否定し切れない。これで俺は隣の人がかなり逼迫した状況に追い込まれていることを知った。このまま行けば最悪家族諸共管内にすらいらんない。
 二限目おわって、俺は大元の加害者のうち立場と影響力のでかい方へ行った。クラスと名前を全員の前で自分で名乗った総代。成は窓際の席にドンと座って動いていなかった。現場は旧校舎、大元の加害者がいたのはいずれも新校舎。その騒動が成の耳へ伝わったかどうか、俺は確証を得らんない。だがここには明らかに、さっきいた約三十人のうちかなりがすでにいた。コトを質すにゃ当人へ、やつらの前でが一番だ。一晩経って授業がおわってやっと動いた俺が言うのも筋違いだが成に訊いた。
“おいあんた! さっきこっちのクラスで、あんたの名前が出た騒ぎがあった。だからあんたに訊く。あんたは誰かと付き合っていたけど、どこかのやつに邪魔されて別れた、というのは本当か?”
 で、成。後は順。
“そんな事実はない。大嘘だ。俺は今まで誰とも付き合ったことはない”
“どこかのやつってはこっちのクラスのやつだ。さっきスッゲー大人数に侮蔑された。よくも邪魔したな、ってな。ほんで教室を追ん出された。多分学校も。じゃあそいつは全然関係ないな!?”
“ああ。全く関係ない”
“ほんじゃ全然関係ないのに責め立てられて、教室追い出されたんだな! そいつ学校帰って来れねえぞ! 酷ぇよな、最低だ!!”
“ああ。最低だ。人間のすることじゃない”
 閉鎖空間の田舎なら、最低話もそうでない話も噂が伝わるのは速かった。C組へ来ていなかった加害者の耳にも届いたかも知んない、なにせ陰でコソコソ言うしか能のないやつらだ、ネタがあったら使うだろう。案の定昼前までにはF組にも届いた。俺は教室内でチラチラ見られた。俺の隣のぽっかり空いた席を同情の目で見ていた。
 昼過ぎ、成が校内放送で呼び出された。F組の連中で騒動に加わったやつらはこれを聞いて全員硬直した。これで糾弾・侮蔑に荷担したF組全員の耳に大嘘だと伝わったと思えた。だが誰もそれ以上のリアクションは出来なかった。隣の人が自分たちにああ言ったからだ。そうやって、
 成。西園寺。あんたらが直に動いて解決すべきなのに、悪いのは終始一貫隣の人だと周囲全員に勘違いをさせた。大の被害者隣の人が庇ったのは直接一番の加害者、中野だけじゃない。大元の加害者、西園寺と成をも庇ったんだ。
 その後A高生は全員第一体育館で佐々木の演説を聞く。合同の話は付け足しだった。俺は佐々木が来ていたのを知っていた、だからそう思った。佐々木はあの騒動での隣の人の言動は一番の加害者を庇う為だと言った。これで騒動に関わった全員が大元の加害者の存在を失念した。これもすぐ噂となって伝わった。結果管内の全員、強いて言えば大元の加害者とその相棒、俺、たった四名を除き二千九百二十九名プラス各校教師全員が隣の人の思惑通り、手のひらの上に乗った。
 佐々木の演説後、A高生は全員めいめいのクラスへ戻った。その時はもう、手のひらのA高生徒のうち間接の加害者達までもが実に都合のいい誤解をしまくっていた。騒動を自分が止められなかった、とな。止めるもへったくれもない、糾弾され責任を取り詰め腹を切らされるべきは大元の加害者と一番の加害者、直接の加害者だけだ、他人は一切関係ない。
 F組へは隣の人が一人先にいた。隣の人はこの時点で、これはヤマカンだが、まずA高へは戻っていた。おそらく先生の説教は食らっている。成が呼び出され、それから佐々木の演説が開始された。授業を潰しているということは、成が潰させた。演説出来るということは学校側は事前に佐々木の演説内容を知っている。なら隣の人はあの演説を体育館で聞けている。それからF組へ戻ったに違いない。理由、演説のあと佐々木はたった一人が起こした拍手の方を見て手を挙げていた。あれが隣の人だ。佐々木の視線がそうだと言っていた。ほんでそうじゃないかなと憶測出来た。隣の人は佐々木が自分を庇うもの言いしたのを聞いている。さぞほっとしたに違いない。佐々木、そしてA高の教師を含めた全員が自分の思惑通りになってくれたな、と。
 隣の人の考え通り実に都合よく誤解続行中な俺達のクラス全員は、隣の人がF組へ一人先に戻っていたのを見て実に教室へ入りづらかった。これは当然俺もだ。だがトーコちゃんが、トーコちゃんは隣の人の席の前だかんな、隣の人は前の人とか呼んでいた。いずれトーコちゃんが隣の人との仲裁役を買って出た。俺惚れ直したね。
“あのね斉藤さん。ちょっと……その、入りづらい。その……えっとー! 私達、今日の騒ぎを止められなかったでしょう。それにー! えっと、ほら誤解とか、実はしちゃってて、その”
 止めるもへったくれもないし誤解の内容がまるで違う。見事トーコちゃんも誤解していた。
 そしたら隣の人、
“いいんじゃないの! 別に。フツーのクラス、っていうか、クラスメイト、っていうか、でいいんじゃないの!? 教室入ったら? ここのクラスでしょう”
 トーコちゃんはこう言った。
“……入りづらいよ”
 俺も周りもそう思った。したら隣の人、
“どうして? フツーに授業受ければいいでしょう。さぼんないで。フツーの日常っていうか会話して。それでいいんじゃない? あとはわたし、バカだから分かんないや! ほら入ってこないと鞄。帰れないよー”
 ほんで全員フツーに教室へ入れた。この時点で、F組の連中は俺も含めてワビを入れるべきだった。だが隣の人はそれを有耶無耶にした。何故か? 簡単にワビ入れてはいお終い、な事件じゃなかったからだ。隣の人はワビを絶対入れさせないことで直接・間接の加害者である俺も含めたF組の連中全員の反省を促した。
 その後大元の加害者が一人でF組へ来た。
“私、1Dの西園寺環って言います! いろんな噂ありますけど全部嘘、私がずっと好きなのは梅子ひとりです!!”
 完全に保身した物言いだった。自分一人だけが傷つかなければ後は野となれ山となれ、こんな事態を招いたのが誰かとも言わず、ワビ文も入っていないのには憤慨したが、一晩経ってやっと動いた真っ赤な他人の俺がどうこう言えた義理じゃなし、ほんでも当日中に来たからよしとした。それで俺は、隣の人がこの大元の加害者しか友達がいないと知った。
 隣の人はやっぱ大元の加害者を糾弾したりはしなかった。それが出来たのにな。その場にやっと来た、隣の人に関する噂の全てを確実に知っていたであろう大元の加害者に、なんで最初からそうやってみんなの前で言ってくんなかったんだ! と言いもせずさっさと帰った。これで隣の人はさらに、事もあろうに問題解決のひとつも出来ない大元の加害者さんったら潔くってエライわ、と加害者だらけなF組の連中に思わせることにすら成功した。西園寺も結構な噂を流されていた人物だが、なんとこれでそれすら帳消しになった。
 俺も人生短かったけど、こんだけのことやったやつ初めて見たよ。こんなん出来るなんざ、ソートー場数を踏まされていたんだ。間違いなく一年間。自分は一切悪くない噂に振り回されていただけじゃなく、腰の重い大元の加害者を直近で見ていながら糾弾もなじりもせずいたんだろうな。俺そんなん出来ないね。マジよく学校に入れたなと思ったよ。これじゃ足切り成績で当然だ。
 隣の人は友達が他にいなかったのにこの二日間たった一人だった。スッゲー寂しかったと思うぜ、なんにしたって初めての環境だ。だが唯一の友達の所へ行こうともしなかった。自分が動けば唯一の友達に迷惑が掛かると知っていたからだ。
 ところがまだあるんだよな。俺もその日の内に知ったけど? 学校にいた内にメールが随分入っていて、留守電は満杯だった。全部D高のやつからだった。演説に来た佐々木、中野の腕を引っ掴んで出て行った隣の人。関連があるのかと思って、放課後学校を出て聞こうか読もうかとマナーオフにしたらガンガン鳴り続けた。もうD高のやつらだけじゃなかった。こりゃキリがない、アタマ冷静になろうってんで、電話に出ないでメールを読んだ。
 その内容がとんでもねえ。隣の人が中野を送り届けてD高で筋違いのワビを入れさせて、殴り込み事件なんて汚名を自分で着て来た? そこまでやるか。隣の人に頭を下げる以外ない中野が、どこをどうやったらD高の連中に頭を下げる話になるんだよ。そんなことをやったら中野は助かるが隣の人は助からない、汚名を着るだけだ。
 D高生は殴り込みは見てもその切っ掛けである騒動は見ていない、俺に連絡したやつはみんな、今日A高生で、こうこうこういう大したやつがいたんだが知っているか、だった。そういうやつにはふーん凄いじゃんって返しといた。D高以外のC高・B高・E高からも同内容のメール・デンワは後から来た。俺に連絡取って来たやつは全員噂を知らないか、知っていてもはっきり大嘘と分かっていて、顛末を聞いてもそんな噂まだあったのかよ、と憤慨したやつばっかだった。
 中には騒動の顛末を聞きつけていたやつもいた。その情報源だろう佐々木達は騒動に無反応だったA高生から確証を得ようとは思わない。自分の実感だけで噂は大嘘だと言っただろうから、周囲のやつらが俺に確認を取ったんだろう。こっちからデンワして一部終始を言った。俺同じクラスで隣の席、騒動時無反応、ってな。そいつは六中出のやつ(藤谷明紀)だった。そしたら成の邪魔ってなんだ、あの美人とは振ったことにしとけって、それだけだったんだぞ、だと。六中だろあんた、邪魔話聞いていなかったのかよと言ったら、初耳だ、成は女っ気無しどころじゃない、中三から突然本気の集中力を発揮され、相棒さえ近寄れなかった、六中生はA高よりB高へ行ったやつらが多かったとも言っていた。確かにA高とB高はランクとしてはほぼ同じ、六中からの距離も同じだ、ちんたら歩く必要のあるA高より駅のど真ん前なB高へ行くのも頷ける。実際F組にゃ三中と四中のやつらが多くて六中出はゼロだった。
 当日中に管内中で殴り込み事件は隣の人が起こしたと思われたことによって、騒動そのものは有耶無耶にされ、全種類の加害者の罪すら隣の人はひとり引っ被った。愕然としたよ。全加害者から雁首揃えて土下座されるべき隣の人は、騒動の時点で既に退学を言い渡されていたも同然だったのに、誰をも糾弾さえ出来ず人生を捨てさせられたんだ。それを自覚出来たかどうかは知んないが、とにかくD高の連中は佐々木、あんたを含めてほぼ全員隣の人を庇うためその場で直に動いた。D高の連中だって全員真っ赤な他人揃い、あの時点じゃ騒動なんか知らないだろうに。隣の人のツラを知らずとも邪魔話を聞いて隣の人に憤慨していたやつらはA高生並にいた筈だ。それでも一階一学年のほぼ全員が動いた。直後に全学年が動いた。感動したよ、D高に。隣の人、D高へ入っていたらさぞ幸せだっただろうな。佐々木のさ、斉藤のさ。西園寺のさだの、坂崎のさよりはこっちの方がいいに決まっているんだ。
 D高で五中のやつにも知り合いがいたんでそいつにはこっちからデンワした。そっちに殴り込んだこっちの学校のやつがいただろ、ってな。確かにいたけど、と言っただけで後は話を逸らした。間違いなく隣の人のツラを知っているやつだ。ほんで六中のやつに言ったのと同じ内容を喋った後に、邪魔したって話を知っているだろ、あの噂一年間は出回っていた筈だけどあんたら五中のやつってそんな大嘘話で受験期どーゆーふーに隣の人をいたぶっていたのかって訊いたらデンワ切れた。五中出で隣の人以外俺と会話したやつはこれ以降今日まで西園寺、あんたも含めて一人もいないしこれからも会話する気はない。
 隣の人は中野を引っ掴んで出て行ったが、その足で警察に駆け込まれたらどうなった? いつでもいくらでも出来た、この事実は学生はおろか学校側だって絶対に覆い隠せない。後で誰がなにをしようと関係なく芋蔓式に何十人と捕まった。あの時点で隣の人にとって誰が他人かそうじゃないか知んないが、あのセリフは自分だけを犠牲にして自分以外の他人全員を助けるという隣の人の大宣言だった。こんだけの他人に有象無象の誹謗中傷糾弾をされながら、隣の人だけがこの事態の全てを把握していたんだ。
 隣の人は損するタイプだ。真っ赤な他人の責任すら全て自分が引っ被り、見返りに自分の人生を捨てようともな。よく生きて来た。これからだって無事に人生を送れるか、この時点で不安になったよ。
 二日間、と言ったな遼太。これが以上」