藤谷明紀からの手紙

 成田夫妻が新婚旅行中のある日、彼らのマンション入り口の郵便受けに藤谷明紀からの手紙が届いた。
 藤谷は斉志から見ても普段セコいが、本職の家業に関しては別人である。藤谷が斉志と同じ街にいるのなら、斉志は植物関係を全て任せていただろう。しかし藤谷は明美と同じで地元人、大都会になどたまにしか来ない。
 藤谷に冠婚葬祭で招待されれば斉志は当然行った。だがこの便りは招待状ではなく、結果報告書だった。
 藤谷はこのたび目出度くも結婚した。相手は十六歳、隣接管区出身らしいが詳細は藤谷が知っていればいい。斉志は式にも披露宴にも招かれなかったが、その理由をかいつまんで言えばこういう事だ。

藤谷明紀華燭の儀

 A市内、二番駅近くの結婚披露宴出席人数はざっと百名。既に宴もたけなわ、歓談の花があちこちに咲いていた。主役二人は何度目かのお色直しもし、参加者の間に酒も程よく回っており、もうそろそろお開きか、そんな時間となった頃、誰かが思い出したかのように新郎・藤谷明紀へこう言った。
「そういやさー、藤谷バカップルと知り合いだろ? 呼ばなかったのか?」
「まさか。新婚の我々よりお熱いシーンを眼前で展開されろとでも仰るので?」
「そうだなあ!!」
 その声を皮切りに、藤谷と同世代の者達が騒ぎ出す。
「全くいつも引っ付いてくれやがったもんな!」
「他所でやれってんだ!!」
「いいよねー、あーんだけとんでもないヒトと結婚出来てさー」
「三食昼寝付き永久就職?」
「あー羨ましいー」
 披露宴と来れば無礼講、それは当然だった。呼ぶからには知り合いであり、何の遠慮も無く気兼ねも無く、お気軽に心境を呈していた。話は新郎新婦を通り越し、別な者達が酒の肴となった。こんな時、冷徹な新郎は常に変わらぬ慇懃な口調で言った。
「そうやって他人を口先で攻撃する分には簡単ですよね、自分は一切傷つかなくて済むのですから。ああ楽だこと」
 藤谷はそれまでの表情を崩さず小指を立てながらマイクを持ち普通に喋った。
「攻撃された側は死ぬまで傷つき続けるのですよ。たとえ自分に一切非が無かったとしても。それに。何ですか? そのとんでもない人と結婚出来たというのは。新郎の僕の立つ瀬が無いじゃありませんか。言った人、立ちなさい」
 既に出席者のほぼ全員は黙っていた。
「羨ましいって言ったやつも、考えたやつも。立てよ」
 出席者の一人、井上サッカー部くんが座ったまま大きな声で怒鳴りつけても、誰も動かなかった。すでに場は白けていた。それでも五分、沈黙は続いた。
「立つ勇気もない皆さん、全員聞きなさい。僕があの二人をわざと呼ばなかったのです。何故か? 呼べばこういう誹謗の嵐を一切非の無い成田梅子さんがその身に喰らう羽目になるからです。血の滲む努力をし続け嫉妬と羨望の眼差しを一身に浴びるべきは成田斉志のみなのに、誰も本人へはそのような事を言えもしない。あなた方が文句を言い易い成田梅子さんを中傷して自らの膿を吐き出す事など予想しておりましたよ、だから呼ばなかったのです。最悪な事に、呼ばなくてもこうして披露宴の雰囲気はブチ壊し。花婿の僕の気分も最悪です。どう責任を取ってくれるのです? こんな長口上の間にも立ち上がろうとさえしない、下を向くしか能のないあなた方」
 無能な輩からはさっきの饒舌が消えていた。
「そうやって何度も何度も成田の女房をコケにし続けてよく飽きねえよなてめえら」
 これを言ったのは相馬だった。
「殴り込み事件から何年経っても旧姓斉藤は文句を言われ放題。当人に非があったという話は一切無い。当人が誰かを糾弾したという話も一切無い」
 座ったまま言うサッカー部くん。相馬とは席は別だった。別にアイコンタクトを取っている訳ではない。共に全く別方向を向いて喋っているだけだ。
「中三の一年間見もせず知りもせず何を言い続けました? 高三の一年間誰を犠牲の子羊に見立てました? 合同、文化祭、そしてあの披露宴の時どういう心境になりました? それが今になっても変わらずとはね」
『可っ哀相ー』
 マイクを持とうが持つまいが声を揃えた人物達は全く別方向に顔を向けて普通に言った。彼ら以外の、成田夫妻により関わりのある人物達の内、女性陣は座ったまま全員沈黙を守った。俎板の上の鯉が同性だったからだ。自分達が煽る言い回しをすれば逆効果だと、それを熟知しての沈黙だった。
「全く気分は最悪です。ああ言って置きますけれど、いつかあなた方とてご結婚なさるでしょうがあの二人はお呼びにならない方がいいですよ。呼べば自分達よりお熱いシーンを拝まされる羽目になりますし、呼ばなくても僕のように必ず気分が悪くなります。これはあなた方の為を思って言って差し上げているのですからね」
「あの二人にご祝儀を払ったやつはビタ一人もいなかったっつーしー」
 マイペース男は実に彼らしい金勘定をした。あのド派手な合同成人式はあくまで成人式であって、そんな時祝儀袋を包むやつなどいはしない。あの時の花婿はそんなものを誰にも要求しなかった。
「じゃあ話が決まったところで常識ある普通のやつは坂崎旅館へ二次会と行くかアニキ!」
 これを言ったのは勝負沢朝子。花婿とは双子の妹にあたり、雛壇から最も遠く離れた席へ座っていたのでちょっとデカい声で普通に言った。
「そうしますか。あ、坂崎。ツケは成田へ回して下さいよ」
 双子の兄は変わらず小指を立てながら言った。どうも妙な癖らしい。
「ご祝儀貰いまくってたじゃん藤」
「そう固い事言いなさんな」
 立ち上がるどころか微動だに出来ぬ一般参加者を置き去りにして、普通にその身を自由に動かせる普通の者達は和気藹々と喋りながら披露宴会場をあとにした。

坂崎旅館一階ブチ抜き宴会場

「……っぷ」
「……く、……くっくっく……」
「あっはっは……」
『ぎゃーっはっはっはっは!!!』
 しばらく普通の大爆笑が続き収まらなかった。
「バッカでーーー!!! 三食昼寝付き永久就職が羨ましいなんざ誰でもだってーの!!」
「言いたくもなるよな毎度あんだけノロケられてりゃーよ!!」
「それを?」
「ちょっと?」
「長口上の口先三寸で丸め込まれたからって?」
「ぎゃーっはっはっは! 黙りこんでやんの! 文句あるならてめーの身ィ晒して言やいいんだよ!!」
「ガタンと席を立ち、おーおーオレサマ文句あんぞと啖呵切られりゃ誰も言い返せなかったっつーの!!」
「当事者いないしー」
 ぽそっとツッコミを入れるのは勿論坂崎テツ。
「それを?」
「毎度?」
「翳でコソコソ匿名でなら言える癖に?」
「はっきり名乗って表立ってはダーレも言えないっっっっ!!」
「ひーっひっひっひ! 全くクソゲスっつーなあ根性直せねえもんだなあ!」
「そんなやつらなんか直す必要ないじゃん」
 またまたテツ。
「全くだ。だがこれでもぉ分かっただろ、他人は他人、自分は自分。今までやって来た事がこれからを反映するってな。大した事してなけりゃ大した未来なんてある訳がない。自分の嫁さんを永久就職させるだけの努力を成田はし続けていたんだ。それを嫉むのは分かるけど? んなことしたって意味ないっつーの、空しいだけさ」
 明美が常の表情で言う。
「そうそう。共働きだー地道に稼ぐだー、のどこが悪いっちゅーねん。大体あんなん見せつけられるなんざもう腹一杯だ! なんだっけ? 二年の楽園生活? で、ジューブンさ!」
「だよね!!」
 それはともかく片瀬が訊いた。
「まーいいんだあんなやつらなんかよ。ときに佐々木ちゃん。俺耳聡いから知ってんの。あんた市役所勤めになるんだって?」
 すると周囲が騒ぎ出した。
「えーーーっ??」
「え、え、そうなの?」
「初耳ーー!」
「明美、銀行の窓口おネーサンだったよな。なに、公務員試験受けたの?」
「転職?」
 周囲の当然の質問に、片瀬が応える。
「ああ、違うぜ。市の連中にー、招かれたの!」
『えーーーーーーーーっ!!??』
「な、なにそれ??」
「どういう意味!?」
 坂崎旅館はしばらく疑問符付きの叫びが止まなかった。
 実はシャイだったりする佐々木明美。自分の功績をぱーぴー吹聴するような性分ではない彼女は、毎度管内規模の行事を開催し、鶴の一声とばかりに四桁の人間を動員する。先日の、滅多にっていうかこの先もないだろう(恥の文化って言葉知ってっかって全員ツッコミ入れてはいたが)前代未聞なイベントはまたしても好評(かどうかは知んないが)ののち幕を閉じ、明美の輝かしい経歴にますますハクが付いた。
 現在の日の本は若いモンが次から次へと都会へ出て行っちゃって過疎化が進みまくっている。それをなんとか地元に繋ぎ止め、それだけではなく観光客とか呼び寄せて、イロイロお金を落して行って欲しい。それに足るだけのソフトも欲しい。だが哀しいかな、イナカの宣伝力なんか知れたもの。どんだけこんないいもんがあるんですよっつったって見向きもされない、人も来ない。これが狭い島国列島各地ド田舎共通の、アタマを悩ませている案件だ。それでも何かしなくちゃいけない。
 勿論ド田舎の我らがA市とてその悩みを抱えている。そこで明美に目をつけた。いっそのことそれなりの肩書を持って、これからもそういう楽しいイベントを考案実施してみちゃあどうかとA市側から打診があったのだ。
 彼女とてサラリーマン生活が合う性分ではないという自覚はある。じゃあ親方日の丸生活が合うのか、といったら、そうでもないと思うが、明美の場合はかなり特殊な立場となる。右から左の単純作業などではない。それでも明美は既に合同成人式終了後、A市側に諾の意を伝えていた。
 という事を、結構シャイだから熱弁振るうこともなく、方々端折って他人事のように言いおえたあと、一升瓶を一気飲みして、
「っつーことだから、まあヨロシク」
 とおトボけた。
 その後友人その他から激励賞賛の嵐が吹き荒れた。
「そもそもさー、こんなイナカで祝儀返ししなくて済む、後顧の憂いのない方法のケッコン式、てのだって大したアイディアなんだぜ。それすら自慢しないんだもんなー。マジ、かなりシャイだろ?」
 坂崎テツ。ボケよかツッコミが彼の役。らしい。
「あの方法でケッコンだ披露宴だするやつなんざ他にはいないさ、誰の何の前例にも参考にもなりゃしないよ」
 言ってる間に彼女の周りに空の一升瓶が都合四・五本転がった。
 ちなみにこの手の役職とて前例がある。結局上手く行かなかった、という前例が。前例のないアイディアを出し続けなければならないということがどれ程ストレスになり続けるか、それを知らぬ明美ではない。それでも彼女は自ら歩を進めた。この先なにが待っているか、それは分からない。それでも彼女は自分が誰かの引いたレールの上には乗り続けられないことをよく自覚していた。

 藤谷明紀はこの顛末を斉志に手紙で報告した際、実にセコくて夫妻両名の性格をある程度以上に知っているので、会話の一部、特に、見せつけられるのはもう勘弁とか、ノロケなんざ聞きたかねえとか、舅イビリとか、三食昼寝付きとか、そんなん女房のせいじゃねえっつーの、な部分はセコく取り外してこう書いた。
“僕結婚しちゃいました。ですがご安心を。招待状を送らなかったワビにこのお代は全員のワリカンに処すとこの僕が誠心誠意説き伏せて置きましたから”
 新婚旅行から帰った斉志がこの手紙についてどう感想を持ったかは省こう。とにもかくにも、誰がどう考えたって幸福の絶頂な成田夫妻。
 少なくとも夫妻のうち、妻は確実にそう思っていた。
 しかし夫はそうではなかった。なぜなら季節は春四月。そうです四月、そして五月。
 さーあ彼は過去この時期一体、どーんなヘマをやり尽くしましたっけェ~~~~~~~??