成田夫妻 おうち

 後で、斉志に言われた。
「梅子。前の生理、いつ来た?」
「え?」
「不順だっただろ、今まで」
 ……。
 確かに、その通りで……
 高三になったあの日から不順だった。ほんの二・三日でおわって全部軽くて、来ているか来ていないか分からないくらいの量。次いつ来るかなんか全然分からなかった、貰われた日からの習慣でずっと基礎体温は付けていたけどそれじゃ分からなかった。一番長くて四ヶ月来ない時があった。とにかく全部軽かった。鈍痛もなくて、それはそれでいいって思ってへっちゃらに考えてた。
 それを全部言うと。
「医者が言うには、次にいつ来るか分からないが、血量が多いそうだ。梅子、トイレに備えてあるからそれ使って」
「うん……」
「生理が来たら時計のボタン押して」
 けど、それだと……斉志が授業中に押してしまうかも……
「急用の時は講義どころじゃない、それは大学側も分かっている。単位なら取れるだけ取ってある。梅子が心配する事はなにもない」
 けど……
「あのね、斉志。生理は病気じゃないし……ちゃんと具合が悪いときとかに押したい。だから、大丈夫だから」
「駄目だ梅子」
「でも」
 押し問答になってしまって。けど、立場の弱いわたし。結局生理でも単に蹴躓いて床にすっ転がってもボタンを押す、ということになって……。

 生理が来たと気付いたのは、ううん、気付かされたのは四日後の朝、十時。斉志にいってらっしゃいと言って。これ言うときいつも、俺厭々我慢して大学へ行く、キスも我慢する、押し倒しもしないで忍耐で行くってそういうふうにして行くって分かってるんだけど!
 ……忍耐して貰いまして。そうして送り出して、さあお掃除を、そう思ってちょっとはその……集中して。バケツとぞうきんを持って、それから。
 唐突に気付いた。
 すぐトイレへ駆け込む。駄目、下着に染みている。しかも大量に。室内着のズボンも駄目、けどトイレから出られない。籠りっ放し。何も出来ない、ただ座っているだけ。血がベロベロ出る。ちゃんと出す方がいい。
 斉志は必ずお昼に電話を入れる。梅子集中すると時間忘れるだろ、って。お昼ちゃんと食べてって。勉強の邪魔したくないから、心配なんてさせたくない。掃除していて時間を忘れたのは最初の日だけだったのだけど、ずっと斉志は電話をして来る。わたしも声を聞きたくて、それでいつも電話してて。いつもそう、会話になんてなってないのにとにかく声は聞きたくて。だから来る、電話が来る。いつも同じ時間で。
 悟られるのは恥。けど、これは尋常じゃない。だってにおいで分かるもの。
 トイレに入っている机の引き出しから出す。これもオーダーメイドの生理用品。ショーツもナプキンも。して、時計のボタンを押した。
 思った通りすぐに掛かって来た。トイレの中にも設置してある電話を取る。
「梅子!! すぐ帰る、待ってろ!」
「あの、あの、具合悪いとかじゃないの、生理なの! 大丈夫だから、学校にいて!」
「駄目だ!! 電話切れ、寝てろ!!」
「待って、待って斉志! お願い、お願い、お願い」
「いい!! 頼む、頼む梅子……」
「ちゃんといて、帰っちゃ駄目、駄目」
「梅子!!」
「ちゃんといて……」
「泣くな!!」
「お願い……」
「梅子!」
「……せ、斉志が大学、ほっぽったら、──泣くもん──」
「分かった! いる。だから寝てろ、頼む」
「──うん」
「こっちおわったらすぐ帰るから。出迎えなくていい、寝てろ。……な?」
「うん……」
 やっぱり心配させてしまった。けど今日、多分明日も、だけは……。心配させないなんて無理、だってわたし、もう唸っているもの。量は多い、鈍痛は酷い、におい、自分でも分かる。生理独特のにおい。溜まりに溜まったツケが来たんだと思う。
 斉志が帰るのは日暮れ前、それまでになんて済まない。止まらない。寝てるなんて無理、絶対洩れる。においに気付かれるのも厭、これが日常と言っても厭。
 おうちの玄関扉が開いた音がする。斉志はまっすぐこっちへ来た。
「梅子。何も言わなくていい。今飯作る。食えなくてもいい、作るだけ作って台所に置いておく。俺は食ってる。ロフトで寝る。明日も予定通り講義に出る。電話しない」
 トイレの扉ごし。斉志、においも多分気付いたと思う。
 その後、食事置いとくから、俺書斎へ行っているから、朝に昼の分も作って置くから起きなくていいって。
 わたしも、この体勢をずっとは無理があるので、トイレを出た。重ねて、こわくて、シーツを汚すのは厭。多分、ううん、斉志とはすれ違いもしないと思う。このうちでそんなことは初めてだけど今日明日だけはわたし余裕ない。
 食事、ゆっくりとだけど全部食べた。
 うとうと眠った。眠いけど恐くて何度も起きてトイレへ行った。食器を洗って、拭いて、元の所へも置いた。
 朝、もう斉志は出掛けていた。朝食とお昼が準備されていた。
 鈍痛は引いた。だから今日が本番。量が凄い。これをやり過ごせばいい、それがあの日までのわたしの周期だった。とにかく時間が経過するのを待った。
 夕方、斉志が来る前にベッドへ戻った。帰って来た斉志はまっすぐここへ来た。
「ただいま梅子」
「おかえりなさい、斉志」
 とにかく、今日までは無理。
 寝室の扉がまた開いて、斉志は無言で食事をテーブルの上へ置く。サンドイッチと牛乳。片手でとれる軽食。わたしがありがとうって言うと、何も言わないで、けど微笑んで出て行った。
 今日まで、明日になったら。明日はお願い、元に戻って。
 夜、何度もトイレへ行ったけど、日付も変わって、もう眠ってしまった。それで朝飛び起きる。急いでトイレへ行って替えた。危なかった、ギリギリ。
 斉志はやっぱりいなかった。昨日と同じ軽食が朝とお昼の分用意されている。斉志はその、えっと。お握りは作りません。はい、わたしの名前があのその、でして。俺梅子食べるけど。そういう食べ方じゃないから、って。
 ……。
 サンドイッチをほおばりながら。
 あ、大丈夫。そう思った。
 もう気分はすっきりしていた。
 そう、わたしはそうなんです。とにかく酷い二日間。これがおわるともうすっきり! 昨日までうんうん唸っていたのが嘘のよう。すっきりでーす。昨日と今日のわたしは別人なのだ! だから以前三番駅まで自転車でなんて怒られるようなことをしでかしたのだ!
 いくら斉志でもこの開放感は分からないでしょう。わーいわーい。
 ……自慢することじゃないか……。
 歯を磨いてシャワーを浴びる。おっきな浴槽の方じゃなくて、舟みたいな、洋画に出て来るような方へ。うーんと気持ちいい。
 お掃除、しよっかな。電話しよう、いつも斉志が掛けてくれる時間帯に。そして帰って来たら出迎えて、おかえりなさいって言うの。チュー、したい。その、……は駄目だけど。朝、行こう、かな。
 ゆっくりお掃除して、無理しないで。あのときの服は廃棄。あれだけ染みたらシルクはもう駄目だから。今度から気をつけなくちゃ。
 初めて、わたしから電話した。
「あ」
「梅子!! ……どうした?」
「うん、あの、その……ひと段落付いたと言うか、その」
「……いい、のか?」
「うん! 大丈夫、わたし」
「予定通り帰る。待ってて」
「……うん」
 斉志が帰る時間前にお風呂に入って支度した。それから玄関前で待って。ぽーん、って音は斉志が帰って来ましたよって合図。わたしが手を掛けることはない玄関扉が開く。
「おかえりなさい斉志!」
「……ただいま、梅子」
 隙なくスーツをきっちり着こなす斉志。その姿は威圧感さえあって、いつも見蕩れて。けど今日はわたしから近寄って、背伸びした。最初は触れるだけ、わたしを抱き締めもしない斉志。
 そんなの厭。
「斉志。好き」
「……うん。好きだ、梅子」
 あとはいつものように。何時間も、ううん、何日も触れられなかった分を取り返すように。
 それから食事の準備を。言われた通り食材を準備してお米を研いでいる間斉志はシャワーを浴びる。共同作業。いつかわたしが自分で出来ればいいなと思う。いつまでも甘えてちゃ駄目だもの。
 斉志がお風呂から出て来る。同じにおい。上気した斉志の体温。好き。
 それから斉志のお手伝いをしようと思ったら。
「梅子。今日はソファで待ってて。俺、……その」
 ……ハイ、分かりました……。ええ、夫婦ですから。成田くん化していますからわたし。なにを言いたいかなんて分かります。
 大人しくソファで待ちました。エプロンも付けないでご飯もよそわないで待ちました。だってまだ駄目なんだもの。やっぱり朝は行っちゃ駄目かな……。
 久し振りにふたりで夕食を。お箸は二膳、斉志に乗りもしないでとる食事もはい・あ~ん、です。ふたりで食べるとき、このおうちではそれ以外の食べ方はありません。
 斉志の表情は心配と、うるんだ瞳両方が入り混じっている。生理のときばっかりは遠慮する、って言ってた斉志。ご飯を食べおわって、ふたりで食器を片付け……ようと思ったらそれも駄目とのこと。ハイ、分かりました……。
 ふたりで並んで歯磨き。これは一緒に。斉志は立ち居振る舞いがぴっとしている。わたしはというと指摘されるまで分からなかったけど、なぜか両足をふんばって片手を腰に当てて磨くんだそう。
 それからわたしはおっきなベッドへ。斉志はロフトへ。お休みなさい、って言いあって別れた。
 さみしいな、もう気分は大分よくて、もう、……いいのにな。やっぱり朝、行ってみよう。

成田夫妻 おうち

 梅子のことだ、意地でもボタンを押すまいと思っていただろうが……連絡が来たから、それはいい。
 だがこれはさすがに口に出しては言わん。体温が……なくなったかどうか分かるように、指輪にはもう細工してある。歯にも。お互い、そう分かるようにしてある。
 念には念を、歯にも仕込む。何かあったら反応するように。考えたくもないが……、梅子なら……分かるだろう。
 だからこんな状況で朝、梅子がロフトの階段を登って来るなんざ予測もしなかった。来る気配は分かった、だがな、俺が止めろなんて、来るななんて言う訳ないだろ梅子。理性無いって言っただろ、男が朝どういう状態になっているかなんざ……。
 知っている筈無いか。言ってないもんな俺。梅子は絶対知らん、もし知っていたら……。
 待て、待て俺。理性だ、無いか。忍耐……違うか。いやそんなものはどうでもいい、問題は梅子だ。なんでそんな瞳で朝っぱらから来る。俺、何日ヤってないか分かってるだろ、梅子まだ生理だろ? 俺、梅子の厭がること二度としない、誓ったんだ、このまま理性の欠片もない俺が、だからそんな誘う瞳で見るな、いや普段はいい、いつも見て欲しくて正面から、って違う、見えてるだろ、分かれよ、なのになんで布団を剥ぐ梅子、
 ……剥がれた。
 見られた。
 ……。
 当然真っ赤な茹でダコ一丁上がり。これは予想通り。だから待てと言、……ってないか。梅子に。口で。
 口、で……。
「口、で……」
 なにを言っているんだ俺……。
「……して……」
 なにをさせているんだ俺……。
「もっと……」
 ……も、……。
「舐めて……」
 ……久々、で……。
「手、……で」
 ……扱いて、欲しくて、含んで、欲しくて、そんな瞳で見上げて欲しくて、
「胸、……で」
 どういう状態の女房に何をさせているんだボンクラ亭主……。
「よ過ぎ、る……梅子……」
 耐えられ、ない……。
「飲んじゃ、……」
 ……え、よ。

 俺にはどこかに理性の欠片があるらしい。確かに料理をしている時だの生理中だの意識が無い時だのはあるような気はする。やばメなヤり方もせん。そこまで無かったらさすがに愛想……誰がするか。
 だがな梅子。
「……戴いちゃった」
 は無いだろ……。
「食べちゃった、斉志のこと」
 俺。……ヤられちまった。
 地獄の三年弱、全く逢えなかった暗黒の二年弱、ひとりで過ごしたこのロフトで舞い上がるとは……真っ白になるとは……。
 ……。
 惚れたあの瞬間から勝とうなんざ思っちゃいない。一生完敗だ、梅子。

成田夫妻 おうち

 怒られました。絶対怒られると思ったんだけど、その……成田くん化です! 開き直って言いました。実は生理の五日目は無いも同然だって。予備日みたいなものです、って言ったら。意識はかろうじて持たされて、その、……してる途中ずっと言うの。
「怒った。俺、怒った」
 ……。
「怒ったから、する。俺、食べられた。戴かれた。梅子、俺三日目から絶対容赦しない。食べて。戴いて。俺ロフトで待ってる。帰りも。夕飯の時押し倒して。ヤりまくって」
 ……。
 行くんじゃなかった、行くんじゃなかった……。そうです、斉志はそういうひと。分かってて行くわたし。
 ……。