一月七日

 無い。無い。無い。
 ……なにも無い、です。職種全滅。知らなかったけど失業手当出ません。八月三十一日生まれのサイトウウメコさんなんて雇用保険資格届けは出されていません、とか、……そんなもうのいい……。
 とにかく職が無い。高卒、女子。どれだけ厳しいかよく知っている。わたし事務系じゃないし、……そんな贅沢言ってられないと思ったらそういうのすら無い。パートとかアルバイトならあるけど、フルタイムじゃない、食い繋げない……。
 ……。
 なにも無い……。
 公務員試験? 今更? そんなの無視していた高三の一年間。高校の勉強内容なんてもう忘れている。
 職があっても就職試験や面接は当然ある。わたしはそれすら無視していた。どうやるか全然分からない。けどそんな泣き言言っても始まらない、書店へ行ってそれ関係の本を買った。なにせ職安は午後五時なんてとんでもない早い時間におわってしまう。仕事なんてそこからが本番でしょう……。しょうがなく家へ帰った。何だか久し振りの感覚。
 それから家へ戻って本で勉強。これまた久々の感覚。
 なんて感慨にふけっている暇、ない。
 もう、お先真っ暗だ……。

一月八日

 今日も職安に行こうとすると、母ちゃんに止められた。
「どうせ職なんて何もないよ」
 うっ……ひとが気にしていることをずけずけと……
「それより梅子。ちょっと母ちゃんに付き合って。行きたい所があるんだ」
 なによー。どこに。
「B市の温泉に。やっと牡蠣剥きがおわったんだ、のんびり湯につかりにだよ。ああ、梅子も温泉入らない?」
 牡蠣剥き、とは、養殖牡蠣を殻から剥いて取ることを言う。寒波厳しい朝の三時からお昼まで立ちっぱなし。その重労働たるや、わたしが働いていた時の比ではない。でも。
「なに言ってんの、わたしは職探しで忙しいの!」
「どうせ何もないよ」
 ううー言い返せない事を言うなーーー。
 かくしてわたしはしょうがなく、母ちゃんとのんびり温泉につかりに行くことに。こんなことしている場合じゃないのに……
「梅子。ところでお前、運転大丈夫なんだろうね」
「なに言ってんの、わたし免許取ってからずっと無事故無違反だよ」
「そんなのは当たり前なの!」
 言われてしまったァー。
 A市とB市の間には、わたしがかつて自転車で行ってしまった三番駅への道のりよりも高くて険しい峠がある。今は冬なので、当然圧雪。路面はつるんつるんのぺろんぺろん状態。だから昔はスパイクタイヤを履いていた。いまでも、チェーンを巻くことがある。
 わたしはチェーンを巻いたことがないので、それなしでこの峠を越えようとしたのだけれど。
「う、梅子、なんだかタイヤ滑ってないかい」
「き、気のせいだよっ母ちゃんっ。あはっあはっあははははっっっ」
 気のせいではなく、車が……圧雪状態の路上でお尻振って走っている……

 B市の温泉宿に到着出来たのは、奇跡以外のなにものでもなかった。
「もーお前の車になんか乗らないよ!」
 ソウデスカ……
「でも母ちゃん……帰りは?」
「父ちゃんに来てもらうよ。お前は一人で帰っておいで!」
 つ、つめたーーーい……
 ……しょうがないから、親子三人車は二つ。のんびり温泉の湯につかりました……
 まさかこれが、最後の家族旅行になるなんて、この時は思いもしなかった。

同日 A市一番駅近く 坂崎旅館

 ここの宿屋の旦那・若旦那は、気まぐれにしか料理をこさえない。特に旦那は。その旦那──坂崎真也という──は旅館に顔を見せること自体稀である。
 若旦那、坂崎哲也は連日気まぐれに飯をこさえ、この宿では一番の上部屋に持って行った。迎え入れる方も、客も、どちらも無駄口は叩かない。
 だが今日は、そろそろ慶事が近いこともあり、若旦那が口を開いた。
「どうすんの」
 何をとも、誰をとも言わなかった。
「おふくろさんに頼んだ。温泉だと」
 誰をとも、どこへとも言わなかった。
「ここ?」
 固有名詞は使わなかった。
「バレるからな」
「そ」
 食器の全てが空けられたあと、若旦那はぽつりと言った。
「前祝いしたいとか言っているけど」
 誰々がとも、何をとも言わない。
「未だ極めていない」
「そ」
 若旦那は、別にいいじゃん、という返答をしなかった。ここでそういう催しを開いていいかどうかの確認だった。宿泊客の参加を請う気はない。
「いいのか」
 事前に彼女に極めなくても、と訊いている。
「逃げるからな」
 誰がとも言わない。
「もう逃がさん」
 独り言のようだった。
「抱いたら、もう離さん。誰の目に晒す気もない」
 宿屋の若旦那は、常の相槌も打たなかった。
「世話になった」
 宿泊客がここへ泊まることはもう無い。
「感謝する」
 宿屋の若旦那が無言で退室したあと、静寂が部屋を支配した。