一月六日 午前六時

 起きたらこんな日付だった。真っ青になった。
 無職──無職──無職
 生きる? それはなに? お金。
 お金が無いとひとは決して生きられない。どうやって得る? 働いて。
 働いて?
“クビだ”
 働いた。確かに、あの時までは働いた。だから生きて来られた。
 やっと分かった。ひとは、言葉では決して傷つかない。金、それが無くなるとすぐに死ぬ。やっと分かった。
 生きて行くのに優しい言葉も汚い言葉もなにも要らない、お金がないとその場で死ぬ。
 わたしにはなにも無い。
 なにも無い。
 空洞だ。
 すぐに家を飛び出し職安へ行こうとしたら母ちゃんに止められた。その格好をなんとかしなさい、と。格好なんてもうどうでもいい、そう叫んだら、そんな格好じゃあどこも雇ってくれないよ、そう言われた。
 どこも・やとって・くれない・よ。
 わたし。こんなわたし。高卒、女子。これで雇ってくれる、そんな条件は有り得ない。しかもこの職種、もう縮小傾向にある。ううん、どんな職種もそれは同じ。
 こんなわたしになにがあるの?
 それはいつから自問して来た? 生まれた時からずっと。
 なにも無い。そればかり。
 空洞、だ。なにも無い、なにも無い、なにも無い。
 真っ青な顔でお風呂に入った。真っ青な顔でお風呂から出た。真っ青な顔、ぼさぼさの髪、荒れた肌。頬がこけている、目のまわりも窪んでいた。けどもう化粧なんてする気はなかった。
 なにも無い? そう言うだけだったらどうなる? 死ぬ。すぐに。
 ご飯をかき込んで頭を切り替えた。なにも出来ないと言うだけで布団を被っていたって始まらない。なにかしよう。ううん、なにかする。
 携帯は必須、今まで番号を二つも持っていた、冗談じゃない、そんなお金ない、一つは廃棄。
 少し落ち着こう。焦って操作してミスしたら取り返しが付かない、だから正確に、落ち着いて、それでいて素早く。それを叩き込まれた今の今まで。それを帳消しにする気? わたし。ううん、そんなことはしない。落ち着いて、考えよう。
 とにかく携帯は必須。履歴書も必要。写真を貼って。あーああ、こんな顔じゃなにかの犯人だ、元々がこうなのに。母ちゃんありがと止めてくれて。こんなんじゃ車の運転もおぼつかない。焦ってミス、それはタブー。頭を冷やさなきゃ。とにかく午前中は考えて、午後動こう。するべきことがたくさんある時は一番最初に何をするか、どれに時間をより割けばいいか。
 考えろ、考えろ、考えろ。

 考えて、落ち着く為、黒電話に向かった。この受話器を上げるのは久し振り。背後にどんな気配を背負おうとももう関係ない。この時間ならまだ居る筈。
 元気を、少し下さい。
「おはようございます。斉藤、です。宅の明美さんはいらっしゃいますか」
「前口上が長ぇウメコ! さっさと言え!」
 さっさと言うことにした。こういうのは躊躇っていいことない。
「わたし、リストラされましたっっっっっっ!!」
 何だか以前を思い出す。開けづらい扉をさくっと開けた、首の涼しかったあの頃。みんなのあきれたリアクションは別にどうでもよかった。
 それはいいけど明美、何か言ってよ……。
「ぎゃーーーーーーーーっはっはっはーーーーーーーーー!!!」
 ……予想通り、です。明美は元から声がでかいけど、これが今まで聞いた中で一番でかい。
「あたしみんなに言うぜ!! 文句はないよな!!」
「……御座いません……宜敷くお引き回しの程を……」
「がーーーーっはっはっは!! そぉかそぉか、いつクビすっ飛ばされっかと思っていたけどついになぁ!」
「……そぉですか……」
 そんなに、そんなに嬉しそうにデカい声で言わなくったっていいのではないでしょうか……。
「で、あんたどーすんの」
「……ちょっと頭冷やして就職活動します。午後から、……ううん、今から就職情報誌買って職安に行って職を探します。履歴書、……あー、実は書いたことないんです……」
「アホか、あたしゃ山程書いたぜ。ま・せーぜー自力で頑張りな。世間の風は冷たいぜ」
 うっ。
「……分かっています。今すぐ行きます!!」
「じゃあな。言っとくが職安は五時十五分までだ、のーのーと長居出来ると思うなよ」
「五時? なんでそんな時間に!? これからじゃない!」
「アッホー。世間の風は冷たいんだぜ。んなチンタラ窓口開けとく程職はない!」
 ひとが一番気にしていることをぐさぐさとーーーっ。
「じゃね明美!」
 電話なんかガンと切ってやった。五時? 全然時間ない。今すぐ行かなきゃ、午後なんて駄目! なにをのんきなこと言ってるのわたし!!

遡って 十一月

 某県、第四管区。通称“管内”。
 田舎丸出し閉鎖空間のこの町には、滅法噂好きで祭り好きの世代がいた。これを通称“初代”という。
 当然管内のみに通じる用語だった。二代も三代もないがとにかく連中は初代と呼ばれた。噂好き、祭り好きの彼ら、彼女ら。
 元々、初代と呼ばれた切っ掛けはとあるお祭りだった。一校だけに留まらない、管内五校全ての高校生が一箇所に集い、高校の別なくてめェの体を動かすお祭り、“合同祭”。この祭りが催されたときの高校生、特に開催に尽力した学年、一年生を中心に初代とひと括りにして呼ばれた。祭りは毎年同じ時期に開催された。第一回、第二回。共に盛況なうちに幕を閉じた。祭り好き、噂好きの彼ら、彼女ら。
 そんな初代がある日を境に突然そのなりを潜めた。
 お祭りな筈のその行事。第三回目は、……何一つ盛り上がらなかった。
 初代が高校を卒業したと同時に、管内は沈黙した。重い空気だけを残して。誰もがそれを吹き飛ばすことも、払いのけることも出来なかった。
 第四回合同祭の内容は後々まで誰の記憶にも残らなかった。残ったのは“開催が危ぶまれた”というたった一行のみ。第四回もそうだったが、第五回以降、もう何の伝説も生まれなかった。単に大きな体育祭となった。確かに高校の別は取り払われた。垣根は祭りの度に低くなっていった。けれど誰も、もうこの言葉は使えない。
“管内一”
 初代の連中は全員無意識で乱発しまくりに使っていたが、この言葉を冠せたのは初代の学生のみだった。祭りを提唱した人物を称して管内一の佳い女、から始まる一連の尊称は多種多様な表現を生み出して行く。
 管内一のバカップル、管内一の韋駄天男、管内一のマイペース男、管内一のおちょくられ男、等々……。
 管内一、この枕詞を使えたのは初代の人物のみだった。その後にも、その先にもこの言葉を用いる程の人物はいなかった。出て来なかった。だから管内は沈黙した。
 先達の個性があまりに強烈過ぎ、後塵を拝した後輩達は誰一人名乗り上げられなかった。生徒会を中心にその可能性のある者はいたかも知れないが、残念なことに、その生徒達は全員単に同情されておわった。あまりに強烈過ぎる個性の先輩達、その次世代を担った者達は全て初代の華やかさと較べられ、誰一人、打たれる杭にすらなれなかった。
 そんな初代の全員を沈黙させた中心人物二人。
 誰も、その二人に肝心の要件を訊けなかった。その親友も。その相棒も。その両親すら、誰も。
 だから祭りの提案者にして、四桁からの人物達を盛り上げられるお祭り好きの最たる佳い女から、こんな内容の手紙が届いた時、初代と呼ばれる連中はさぞ歓喜したに違いない。ほんの、ほんの僅かな者達を除いて。

“っちース! 佐々木明美だ。
 来る一月十一日は成人式、これは知っているな。あたしが音頭となれば対象者は当然管内の全員だ。場所はB市立体育館、管内一デカいハコで合同成人式を開催するぜ。
 この日、あのバカップル共の結婚披露宴もとり行う。だから合同。
 もうあたしら学校の別なんざないよな。だからA高のやつらだけじゃなくてみんなに、あいつらがどーんだけのバカップルか見せてやるよ。楽しいお祭りだ、もうみんなオトナだからな、とんでもねェ惚気話が炸裂するだろうけど一々驚いたり固まったりするなよ?”

 必ず来いだの是非参加をだの陳腐な表現は一切ない、佐々木明美式颯爽風味なキッパリ招待状はのべつまくなし無差別攻撃、問答無用であの成人式対象者全員に送り付けられた。
 こんな文面の招待状を受け取った者達が、実際それをどう思ったか? それは一月十一日のB市立体育館で明らかになる。
 この招待状を受け取っていない、わざわざ受け取る必要のない数人のうち、とある人物は焦燥感丸出しで職探しをしていた。受け取る必要のない別な人物はたったひとつしか提供する気の無い就職口を、約六年前からたったひとりの為にずっと用意していたので、成人式そのものに出る気はさっぱりなかった。