冬 サッカー部くん

 地元へ久々に帰ったはいいが、こうしていると実感する。ここは本当になにもねえ。
 いや、別にその手の女がどうとか、じゃあねえが。遊びに行くったってでかい歓楽街はねえし、峠ったって攻め厭きているし、突然出て来る対向車なんて心配はねえと知っている。
 たくさんあると、そのうちのひとつへ行きたくなるが、ひとつしかねえと、なにもねえという実感が湧くだけだ。
 遊び部屋はとっくの昔に潰されて、今は空き地だった。
 テツの実家、ってのかな、へ初めて来た。一番駅近くもいいとこで、駅から暖簾が視界に入る。バイク通学前は確かに、ふーんここがあの坂崎の、なんて思ったもんだ。それから早朝、学校まで部のウェアでダッシュで通った。
「ちーーっす……」
 客用の玄関じゃなくて、裏の勝手口から入った。テツからは、俺がここを出入りする時はこっからな、と言われてある。つまり俺は客じゃなくて……
 家族?
 ……なーんてな。考えるだけでこそばゆい。
 とにかく初めて入るんで、そろそろと通ると眼前にでけえ割烹着がいた。
「まーまーよーーーーーーこそいらっしゃいトモチカ君!!」
「知治です……」
 相手は俺の考えがわかったんだろうか。そうかも知れねえ。とにかくでけえ。声もそうだが横幅が特に。
「あーーーーーらいやだわホーッホッホッホそれはともかく」
「それはってあの」
「もーーーーーー大顰蹙ドラ息子で! どーーーーーせ散々迷惑掛けているでしょぉーーーーーーっホッホッホッホ!! こんなどうしようもない遊興子馬鹿タレと関わるなんてなーーーーーーーんて目がないと言いたいけどそこはぐーーーーーーーーーーっと我慢してにっこり笑って気にせずどーーーーーーにかして頂戴!!」
「はぁ……」
 つうことは、これがあの、あのテツの母親、らしい。
「さっどーーーーーーぞどーーーーーーーーーーぞ遠慮なく!! トモノブ君の家だと思って、充分暴れて頂戴!! あーーーーーーーーら大丈夫よお代はドラから搾り取るから!! いつもニコニコ現金前払い、坂崎旅館をどーーーーーーーーぞ宜しく!!」
「知治です……それはとどのつまり宿代払わねえと家に上げて貰えないっつーこってしょうか……」
 なにせ俺の現在地はまだ裏玄関先だ。テツの野郎は余程慣れていやがるのか、おふくろさんの横幅の脇をすすいとすり抜けている。
「あぁーーーーーーーーらイヤだそーーーーーーーんなその通りの意味じゃ」
「ってなワケでトモ。上がってよ」
「……いいのか?」
 手招きされても俺はテツじゃねえ、そこをどいてくれねえとこの場に留まるしかねえんだが……。
「イヤーーーーーだわ一泊な」
 な、っておい。まさか七万円とか言いたいんじゃ。いや、七十万円とか言いそうだこの親子。
「オフクロ」
 おっと珍しい、低い声だ。ドスまで効いてら。
「あーーーーーーーーあもう誰に似たのかこのガンタレ! お前将来ロクなアホになりゃしないよ!!」
「親いいからな。宿代なら雁首揃えて払ってあんだろ」
 ? 宿代って雁首揃えるもんなのか? 払っている? 誰かいんのか? っているか、宿屋だもんなここ。
「チっ。しょうがないねえ」
 いやあの……。御迷惑なら……。
「あーあーもう分かったよそんなに睨まないで頂戴! ハイハイ、トーコちゃんと井上サッカー部君にだけは心行くまでおもてなし、分かってます!」
 ……。
「ハイハイ、お風呂ね? さ、どうぞどうぞ、上がって頂戴。荷物はこれ?」
「……はぁ」
 なんとなくその場のノリっつーかで結構重い荷物を渡すと、おふくろさんは職業柄慣れた手付きで両手に持って、廊下を歩いて階段を上がって行った。
「トモ」
「……あ、ああ」
 思わずその場に立ち止まっていた。靴は脱いだが、お邪魔しますと言って上がったらなんか失礼なような気がして、なにも言わず歩いて、促されるまま二階にあるらしいテツの部屋へ向かった。
 どれだけとんでもねえ代物が置いてあるかと思って入ったテツの部屋。広さは十二畳ほど。小説家か学校の先生が好んで使いそうな古めかしい書斎、だった。
 何十年も使われ続けている年代ものの箪笥、机。時代を感じる褪せた色の柱、障子、本立て。
 夕焼に雨た色。
 憧憬。
 大昔、誰かに手を引かれなくちゃ歩けなかったくらいの時に見た風景。
 電気のない部屋だった。
 高校までは机の上にランプを置いていたらしいが、今は全部取っ払って、建設当時、つまり大正時代そのままを再現しているそうだ。明かりは菜種油だという。
 テツはこういう“空間”を大事にする人間だ。毎日いろいろありながら、ふ、とした時間を贅沢に。寛いで貰いたい。そう思っている。
 生まれながらにして宿屋の若旦那。それがテツ。
「気ぃ悪くしなかった?」
「……え?」
「オフクロ」
「あ、ああ……いや別に……」
「あの通り。大の節介世話好き」
「……ああ、成る程……」
 つい思わずいろいろ納得しちまった。まあ……なんか、テツにゃ似合わねえな、気遣いなんてさ。イロイロ考えてんのは分かってっけど、気ぃ悪く、なんて。
「テツ」
「?」
「俺はいつからあんなフルネームになっちまったんだ?」
「愛嬌」
「そうかいそうかい……」
 俺を家族にどう吹聴しているか、聞いてみたい気はするが……。止めた。触らぬなんとかに祟り無しだ。
 ちっと遅めの昼飯は大食堂じゃなく台所で。坂崎家はいつもここで食う。テツいわく放蕩親父は現在も放蕩中、つうか年中ほっつき歩いてまず滅多にいねえ。おふくろさんが一人旅館を切り盛りしていてテツは宿代集金係。それでバイクの腕も磨いていたっていうがどうなってんだ一体。
 テツが料理しているところを初めて見た。親父さん直伝だと。ってのは節介世話好きなおふくろさんのぴーちくぱーちくトークで知ったが、そのおふくろさんでさえ、テツの料理を口にしたことはないという。小松でさえも。
 もっと正確に言えば、小松はテツがメシをこさえられることすら知らねえそうだ。そこまで俺は聞かなかった。
「ちょっと哲也、お母さんにくらい食べさせて頂戴よ、お前と来たらもう。父ちゃんそっくりなんだから、まぶたの母をいつも足蹴にして」
 てなワケで、おふくろさんがこさえてんのは自分が食う分で、今いる泊まり客とテツと俺の分はテツがこさえている。
 親子二人こさえおわると、テツは文字通りおふくろさんを足蹴にして、ホレ持ってけと客へ出す分だろう一膳分をおふくろさんへ持たせて台所から追い出した。いいのかよオイオイ。おふくろさんの分冷めんぞ。
「さっさと食おうぜトモ。静かなうちに」
 そう言われれば応としか言いようがねえ。だが、かっこんで食うには勿体ねえし、テツだってそう急いで食っちゃいねえ。いつもどおり。こいつ食い方上品なんだよな……。
 食っているうちは、テツは喋らねえ。俺もメシ時はそう。まったくマジ美味え。絶品だ。
 食うとココロが軽くなる。ふっと……ほんで楽しくなるんだ。
「ご馳走さん」
「お粗末さん」
 二人ほぼ同時に食いおわると、やっとおふくろさんが台所へ戻って来た。
「まーお前もう食っちゃったのかい!」
「ほんじゃ後片付けヨロシク」
 っていいのかよ。ぴーちくトークを背後にまたしてもテツの手招きで隣の部屋へ。なに、ここで歯を磨け? 了解。

 テツと一緒に一番駅近くの坂崎旅館から二番駅近くのフォーマル仕立て専門店へ電車で。俺にとって二番駅は通り過ぎるだけの地点で、ここで降りるのは久し振りだった。
 二番駅から歩いて五分もないところにあるその店は昔ながらの店構え。奥に通されると見知った顔があった。といっても、お互いマトモな自己紹介もなかったが。
「おー、サッカー部! ひっさびさじゃん」
「……井上だ」
 片手を上げて挨拶をするそいつの名前は勝負沢朝子。苗字を呼ばれるのを大層嫌う、藤谷の双子の妹。高一の時に病院と文化祭で、高二の時に合同で少々すれ違った程度なんで、今でも俺のフルネームは言えねえだろう。そりゃいいが。
「そうかそうか、あんたの分か。ホラこっちに来な、試着だ」
 ハンガーに下げられた、落ち着いた色の服、おそらくスーツを手渡され、試着室へ向かった。そこでゴソゴソ着替えていると、外でテツとの会話が聞こえた。この間もだけどいいのかな俺。全部聞こえてんだが。こいつの体型記録しとけ、とか伊藤博文の黒文字ピン札だとっとけ、とかどこで使えってんだ一枚ぽっきりかよ、とかツッコミがいのある生々しい会話を交わさねえでくれねえかなあ……。
 ほんで一応着ることは着て、試着室を出る。勝負沢はすぐ仕事の目になって服の端々までサイズの確認をしていた。
 微調整して出来上がるスーツから着替える為、もう一度試着室へ入るとまた会話。あのさあ、少し声を顰めてくれるとありがてえんだが……。
「お届けは明日朝、俺の家な」
 おいテツ。伊藤博文って随分前の千円札だろうが。ピン札ったって一枚ぽっきりで届けに来いはねえだろ。
「何が明日だ! のんびり三日後だあんたが取りに来やがれ!」
 のんびりっておい。
「やだね」
 あのさあ……。
 どういうツラして試着室出りゃいいか分からなかったが、そんでも着替えてここを出てスーツを勝負沢へ返す。体型変えんな維持しとけよ、だと。そりゃいいが、ってそれはつまりここのお得意先になれって意味か?
 その店を出て、来た時と同じく歩きで二番駅へ。にしても千円……。
「いいっていいって、藤の野郎にゃツケたんまりあるからさ」
 藤の野郎にゃ少々あっても妹にゃまるでねえだろう。
「俺の家のさ。表玄関の花、藤の家にさせてんだ、代々」
「ふーん……」
「ほんでガキの頃から双子と知り合い」
 ……テツって自分の昔話なんて、しねえんだよな……滅多に。
 ん? 待てよ。
「っておい。ひょっとしてツケってテツの家が藤谷んとこにあるんじゃあ」
「ぴんぽーん」
「……あのなあ……」
 それ以上どうツッコみゃいいのか分からなかったんで、ひとまず帰りの切符を買う。
「トモ。そっちじゃない」
「へ?」
 後ろにいるテツの手が伸びて来て、切符販売機のボタンを押す。一番駅への百四十円じゃなくて、……百八十円? 駅二つか。どこ行くんだ? 二枚? まあ、俺とテツの分ってことだろうが。
 ってちょっと待てよ。駅二つ? つうことは一番駅じゃねえ。……四番駅だ。
 下りじゃなくて上りのホームで次の電車を待つ間、テツが俺の携帯をかっぱらってどっかへ電話した。
「チワー、哲也でーす。今から行きますんで。ええ、宅の息子さんと一緒に」
 っておい。おいおいおい。
「テツ」
「?」
「そろそろツッコんでいいか?」
「やっと?」
「……あのさあ……」
 ツッコミどころは満載だった。なんで俺んちの道順を知ってんだ、そっちは近道だ、A市のやつがB市の小道をすすいと歩いてんじゃねえ。なんで俺の両親と多々知った仲ってカンジなんだいつの間に。使い慣れたマイ茶碗とかマイカップとかマイ座布団とかマイスリッパとかがなんであるんだもう既に。
 ほんでさあ。なんで俺の部屋のタンスにさあ。とっくの昔にテツエリアが出来上がってんだ? しかも領域がどうたらじゃねえ、全部と来た。遠慮ってもんがねえのかよ。あったら見たい。毎度思うがどういうマイペースっぷりだ。なにが一目置くいい男だ。
 いろいろあり過ぎるんでいろいろ順番全部すっ飛ばして、ひとまず訊いた。
「なにに使うんだあのスーツ」
 現在地、俺んち一階の喫茶店。メシの礼ってんじゃねえが、テツへ紅茶を。珈琲もそうだがストレート。
 今までどんくらいいたかは数えてねえが、来た客の中でも最も品良くカップを傾けて飲むテツ。
「トモが着る」
 こういう場合……あんがとよとでも言やいいんだろうが……。
 まあ、なんつーか……わざわざ口に出す方が、……やぼったいっつーか。
「成人式に」
「は?」
「トモまだ十九だよな」
 そりゃあまあ。……ああ、成人式か。そういやそういう時期だな。
「トモのアパートに知らせのハガキ来ててさ。勝手に見るだけ見て言うのも渡すのも忘れてた。ゴメン」
 だから、……さあ。
「いいっつの。別に」
「そ?」
「……テツってこういうの淹れんのも得意なんじゃねえ?」
「茶道なら」
「ああそうか。あの抹茶みてえなやつ?」
「そ」
 俺はそっちは守備範囲外なんだよな。テツが和で俺が洋ってとこ。……ってことは。
「テツってさ。何着て成人式に出るんだ?」
「トーゼン和服」
「滅っ茶似合うよなあ、そっち系。ああ、ひょっとしてさ。大学出ても普段着それか?」
 テツは湘南へ来る時は和服じゃねえが、京にいる時はいつも和服だ。
「そ」
「テツなら着流しでFZRに乗りそうだ」
「それもやっている。トーゼンパンチラ」
「マジかよ!?」
 思わずハラ抱えて涙流して大爆笑。しかも毎回褌で臨んでいるっつーんだから大した根性だよ全く。