春 サッカー部くん

 浜風を受けながらR134を道なりに。別に急ぐ必要はねえ。追い抜く必要も蛇行運転をする必要もねえ。速度を周りに合わせる。そうすると景色がよく見える。湘南のシンボル、江ノ島。サイッコーのロケーション。
 偶然と運と、あと日頃の行いで。これまたサイッコーのロケーションな住処を手に入れた。十数分に一度通る電車の駅のそば。海の見える踏切近くにあるアパート、その二階。一階は駐車場。クルマを買うのもいいが、勤めに出ないうちはバイクでいいと思っている。この風、この風景。全身で浴びていたい。
 一階を突っ切って、鈍速のエレベーターは使わず階段で二階へ。その方が早い。六室並ぶうちの一番右の部屋へ。これが俺の家。玄関ドアにデカデカと部屋記号“F”が張っ付いている。
 あんまりサイッコーのロケーションなもんで、このアパートはまず人の入れ替わりがないそうだ。そのキモチ分かるな。大学入りたててなんだけど、どこ勤めるにしてもここからにしてえ、そう思う。
 鼻歌交じりってワケじゃないが、それで部屋に入ると誰かがいた。
「あ!!??」
 ちっと待て、なんで誰かがいるんだ、っつーか、
「テ、テツ!!?? なんでここにいるんだ!?」
 そこにいたのはどっからどう見ても天下一品のマイペース男、坂崎哲也(AB。生まれはイヴだと)だった。
「おかーえりー」
「いやおかえりじゃねえっつの、なんでここに、っつーか住所もバンゴも教えてねえ、ってなに家宅侵入してやがる!! 転がるな、寛ぐな!!」
「あ、トモ。冷蔵庫の酒全部空けといたから」
「あああああーーーのなああああああああああ!!!!」
 テツの野郎はFZRで京都から一路湘南くんだりまでなんとなくやって来て、とにかく休憩なしでガス欠になりそうだったから近場に潜り込んだらそこが俺の家だった、なんて言いやがった。どこの世の中にそんな誰も信じねえような言い訳するやつがあるか。
 で、文無し。ハラ減ったとか言いやがってマジで冷蔵庫がカラになっていた。ハラ立ったもんだから、近所のコンビニ行って買って来いっつっておつかいを頼んだはいいがその金だって俺んだ。この分だと帰りのガソリン代まで俺が払わされる。どういう根性してんだこいつ。
 てなことを、さっきまでぶつくさ言ってやったが相変わらず飄々としてやがる。なんとかの耳に念仏って諺が浮かぶだけ、空しいからこれ以上言うのは止めた。俺だってハラ減ってんだ、そう思って台所に立っていると、
「へー、俺と同じじゃん」
 居間からどう考えても人のケータイを勝手に操作している音が聞こえる。あのさあ。それ今穿いている俺のズボン後ろのポケットに突っ込んでいた筈、なんだが。
「俺住所一定していないんだ女んとこ渡り歩いてっから。鍵は渡せないぜ、持ってないしー」
 ここの部屋のオリジナルキーは三本ある。一本は俺が持っている。あとの二本は予備にここへ置いてあるが、どうもそのうち一本は既にかっぱらわれ済みのようだ。
「ってなワケでー、こっち来る時は事前に言ってくんない? 最中の時踏み込まれても俺は構わないけどあいつらにケーレンされると困るしー」
 俺が行くことは知らないうちに確定済みの上、女が複数いやがるようだ。
「メシ食ったらサーフィンしようぜー。あ、借りじゃなくてちゃんと買うからさスーツとボード。置く場所あるよな」
「誰が作ったメシを食うんだ。スーツとボードってなんだ、誰が金払うんだ」
「トモ」
「あのなあ……」
 お望み通りスーツとボードを買ってやった。さっきのお使いで自分のパンツ靴下その他も既に購入済み、ひとの家のロッカータンスにテツエリアを設けてそこに置きやがった。確かにテツは俺よか背は低いがそれにしたって僅か数センチ差、体格はほぼ同じ、俺の服が今日中にかなりなくなってどっかのエリアへ消えてった。当人流に言やあ、ほんでサーフィンやらかして。こいつ管内の住所確かそう海辺じゃねえ筈なのに激烈上手いでやんの……。9Bもそうだったが、なにやってんだ普段。しかも限定解除していやがった。そりゃ俺もだがこちとら通学で毎日使ってんだ。テツは高校まで歩き通学、いつそんな腕磨けんだよ。つい先日まで壮絶な受験戦争やらかしていただろうが。
 もう勝手知ったる我が家って感じでフロは勝手に入る、メシ食って片付けねえ、挙句気が付くとフトンを占領してとっととグースカ寝てやがる。どういう神経してんだ一体。
 ほんでさあ、もう夕方過ぎてんだけど。こいつ西の京大だろうが学校。厳しいんだろうが。
 高校も三年になったら空気がガラっと変わった。入りづれえ教室、やりづれえ部活。放課後、運動部以外は全員教室に残って課外授業。真剣なんてもんじゃねえ、焦燥、そういう面続行で毎日が続く。俺達部活をやっているやつらは大会終了後、その課外へ実に出づらかった。今更来やがって、そういう目。
 俺と同じ進学先のやつはいなかったが、それでもやっぱ周りの全員がライバルだった。蹴落とすべきライバル。高校受験なんざメじゃなかった。あの時は倍率せいぜい二。大学入試は平均で五。厳しさがまるで違った。
 だから犠牲の子羊という名の捌け口が必要だった? いいや、そんな口を叩けるやつなんか存在させちゃいけねえ。だがA高では推薦のやつ除き、そういう感覚の受験生はほとんどいなかった。
 成田は一番で一番の大学の一番の学部へ行った。誰でも知っている国内最高峰のエリートコース。両親はいないという成田。管内を出た成田。その成田から離れた斉藤。
 卒業式、俺は出なかった。そういうやつはかなりいた筈だ。そうしなくてはならない日程のやつも、そうしなくていい日程のやつも。
 管内のやつらは四月になってもやっぱ離れ離れ続行の斉藤に、なにかを言うことは諦めたようだ。そりゃあ誰もなにも言えねえだろう、それが高校入ってすぐの、俺達の心境そのものだった。
「っかー、よく寝た……あー久々だぜ独り寝」
 起きたのはいいがよ……。
「あのさあテツ。もう陽落ちてんぞ。一体何時間掛かるんだ京都まで。大体来るか普通バイクで知らない道なんてよ。っていうかさ、いい加減教えろよ俺の住所どうやって知ったとか」
「ナイショ」
「そうかいそうかい。で、どうするんだ帰り」
「トーゼン泊まって行くけど」
「そりゃいいがな、だったら小遣いの一つも持って来いや。どこの世の中にサイフは持たないが人の家の鍵は持っていくなんて旅をするやつがあるか、ってここにいるな……。まあいいか。テレビでも観るか……ってもう点けていやがるし。ヘイヘイ、夕飯作れってんだろ……作りやすよ。なあ、手伝えとは言わないからさ、これだけ教えてくれよ。テツ料理出来んのか?」
「絶品」
 自信たっぷりでやんの。
「……なんとなく、懐石料理あたりか?」
「ぴんぽーん」
「ふーん。だったらここじゃ作れなさそうだな。よし、そっちへ行くのはいい。そういう環境の女ん所に転がり込んだら言ってくれ」
「リョーカイ」
 まあこいつは自分のことを、間違ってもペーラペラ喋るようなやつじゃねえ。ついうっかり、なんて文字がこの世で最も似合わねえやつだ。俺としてもこの飄々っぷりは別に嫌いじゃあねえ、っつうか、気に入ってもいるんだろう。
 で、食うだけ食って。そりゃあいいが、こいつさっき昼寝っつーかしていたよな。どう見たって睡眠時間長いタイプじゃなさそうだ。まさか満腹になったからまた寝るかとか。
「ほんじゃ行こっかトモ」
「……ハ?」
 どこに。
「ここらあたりだとー。あ、バイク無理だからな」
 なに言ってんだこいつ。どこに電話してんだ。だーかーらー。その携帯は俺んだっつったろうが。
「あ・俺、哲也。そ。この番号の一名追加。ケッコ慣れてる。ノーコーなの乱発でヨロシク」
 なに言ってんだこいつ。イヤな予感がするのは気のせいか。
「そ。もう来てるんだ。さっすがー手回しいいね。お代? 初回はタダが相場だろ」
 コメントする気もなくなって来た。
「大丈夫だからさートモ。全員性病チェックしてあるから。しかも三重。ナマでもいいって」
 ……なんで俺はこいつの後をただついて行くだけなんだ?
 ……なんでアパートのど真ん前に黒塗りのクルマが停まっているんだ? 随分でけえぞ? あのさあ、なんで後部座席が向かい合うような型なんだ? これってヤの付く自由業な方々御用達車じゃねえのか? どこへ連れて行かれたんだ? 随分眩しいような気がすんぞ店内。なんでどう見てもプロな女が雁首揃えて全員こっちを見てんだ? 他の客いねえのかよ。でさー、なんでー。
 なんで二桁の手馴れた女に服脱がされた挙句なこと、されるがままなんだ……。

 俺がそれから気が付いたのは、自力でシャワーを浴びている時だった。無意識で髪を洗っていた。場所は一番最初の店でもねえ、もう何件回ったか分かりゃしねえ。全部出し尽くした。今何月の何日なんだ一体……。
 当然服もどっかへ行った。今着てんのは新品らしいが、そんなんどうでもいいさもう。帰れるかな五体満足で。こういうのったら、後は人生下働き直行、なんじゃねえ?
 イヤな予感を通り越し、路地裏人生を考えながらその部屋を出ると、またまたプロな女が雁首揃えて出口までの道を両脇に立っていて、またのお越しをお待ちしておりますなんて言っていた。安心してくれ、今度来る時は人生変わってら。
 ほんで赤絨毯踏み締めて、その店を出たらやっぱ黒塗りの車が止まっていた。リムジンだ。でけえ。時間は既に日中だった。太陽がやけに眩しかった。だから俺の人生直滑降だと直感出来た。
 ガタイのいい男が恭しく開けたドアの向こう、後部座席には黒幕・テツがドンと座っていやがった。
「感想は?」
「……これからどんだけ稼ぎゃいいんだ?」
「いいコメントじゃん。初回はタダ」
「それってさ。最初の店の最初の女の一発目はタダだけど、他は全部とんでもねえ有料、ってゆーふーにしか聞こえねえんだが」
「いいカンしてんじゃん」
 また目の前が真っ暗になってその車に乗っかって、黙ってアパートへ帰った。テツの野郎は俺の、一応あったサイフから札を抜き取って、ほんじゃガソリン代ね、っつって帰って行った。
 それでも請求書は俺とテツで半々らしかった。
 俺はその日からバイトを日に五つ入れた。夜間だの早朝だの、耳につんざく肉体労働が一番稼ぎがいいと分かったんで、そればっかやっていたらちっと講義が聞き取れなくなっていた。
 後で、テツの野郎があの大学の最難関な学部へ上から五番目の成績で入ったと知る。結局、テツが学業で本気を出したのは本番だけだった。獲物を狙う猛禽類のように、入試の時だけ本性を発揮していた。
 入学式は着流しで臨んだ。そりゃいいが、場所柄が場所柄だし。テツの周りは半径五メートル全部女、全員プロ。当然そこの学生じゃねえ。当地の芸妓勢揃い、誰も追い出せなかったどころか式もほどほどに新入生全員そいつらと写真撮影に興じちまったという。お陰でウケは大層ヨロシクて、新入生一同プラス助手だ教授だ講師だ学校のほぼ全員から確実に一目置かれていると。今度の通り名は京大の名物男。その悪名は既に轟きまくって有名大学で殊に顕著、向こうからテツの野郎を頼って遊興ツアーとかをやらかしているそうだ。全国各地のその手の店、しかも老舗、特に大手の上層部じゃあ上客常連で通っているらしく、行けば常に貸し切り状態となる。単にテツの名を出したら門前払いで二度はねえが、当人がその場にいるとサーヴィスは極上、値段はかなり据え置かれ、安心確実の上玉揃いのパラダイスが展開されるという。テツは指南役なのでそういう場合自分のお代を払うことはねえ。
 っておいおい。
 そりゃいいさ。別に。
 だーかーらー。
 俺を巻き込まねえでくれるとありがてえんだが……。