十八歳 四月一日

「いっぴ」と呼ばれるこの日、斉藤梅子は一枚の紙キレを受け取った。代表印が捺かれたA4の書類、辞令。
「就職後三年は給料泥棒だ」
 これが主任の、梅子に対する正式採用通知の言葉だった。
 部下へ渡した辞令はこれきりだった。本来これは代表取締役の業務であったが、社長は今日この日から以降会社にあまり来なくなり、子息である主任がその席に座り続けた。
 休日は無い。労働者ではなく役員扱いで、彼女は雇用保険には加入していない。つまり退職した場合一般に失業手当と呼ばれる金銭は一切入らない。
 彼女は一年間のアルバイト期間で得た収入で中古のAT軽自動車とスーツ一式数着を購入した。どちらも友人を頼って買ったものだった。
 スーツは間違ってもオーダーメイド一点ものではなく、自分の懐故、それは単純に既製品だった。この手に詳しく自分より遥かにセンスのある友人と一緒に購入したが、その友人も、サイズを全て合わせようとはしなかった。
 中古の車の代金は今日払いに行く予定だ。下見にと整備工場の友人宅を訊ねたのは数日前だが、その日の時点で、これにしろ、保険タイヤその他丸ごと込みだ、いいから今日運転して持って行け、予行演習だ、何時間掛かってもいいから自宅へ辿り着け、何かあったらすぐ俺の携帯へ電話しろ、金は払える時に持って来いと言ってくれていた。
 土日が休みという職種ではなかった。だからGWも夏休みも課題も海も冬休みも盆暮れ正月も無い。曜日も無く、日付も無く、処理する仕事は減らず、しかし溜め込みはしなかった。

 彼女は、ひょっとしたらそれを嬉しくすら感じていたかもしれない。去年からずっと。職場にいて何もしない事は、何も出来ずただ座っている事は社会人にとって最も堪えること、そう彼女は知っていた。だから嬉しくすら感じていたかもしれない。毎日何かすることがある、自分が何かをしている、自分のみ、自分の行いだけが評価の対象になる。だから嬉しくすら感じていたのかもしれない。彼女はひとりだったから。
 ずっとそうだった、だからこれからもずっと、自分でしたことが全て自分に跳ね返り、自分の前にも後ろにも誰も存在せず、ただ自分の身ひとつで勝負する。自分の価値観は自分の力のみで決める。
 彼女は嬉しくすら感じていた、今までそんなことは有り得なかったから。助けられたあの日から、あらん限りの秀逸な人物達に囲まれ引き上げられていた。ふと足下を見た時、いや、常に見ていた、そこには自分の力ではない巨大な空間があった。その上に、フラフラしながら、決して自分の力では無い、強大な力に支えて貰ってようよう立つ自分がいた。
 いまその空間は既に無く、一年前に捨てた空間は、白くもなく黒くもなく何の実体もない空間は制服とともに捨て去った。

 新入社員となった彼女は意識のほぼ全てを仕事へ向けた。四月二十五日、新券にて頂戴した給料袋を開封せず両親へ差し出す。茶の間で、正座し頭は擦り付けず手を付いて可能な限り頭を下げた。就職出来たなら、子が親へ必ずするべき事である。
 母はそれをそのまま娘名義の通帳へ入れた。子に対し、親が必ずするべき事である。
 娘は以降銀行振り込みとなった給料から家賃として定額を家へ入れた。社会人が親と同居する場合、必ずするべき事である。

 新入社員となったこの一年、彼女の意識が少しでも向いた事柄はある。
 親友、中野真子は杉本慶と共に関東へ。マコ自身は大学へは入らなかったが、慶は有名な陸上部のとある大学へ推薦で入学しており、二人共和子の元を離れ同棲している。
 親友、佐々木明美は銀行員になっていた。一番駅前支店に勤める明るくキッパリ窓口おねえさん。就業場所へは鼻歌と共にベスパで通っている。松田優作ファンだ、と珍しくミーハーな事を言っていた。
 友人のタカコ、あすみ、朝子、木村、竹宮はともに市内へ就職。手に職集団はそれぞれ家業を継いでいた。ゴンや相馬らは進学するとだけ聞いた。

 あの日から二年間、彼女の意識が全く向かなかった事柄もある。
 生涯初めての親友、西園寺環は高校三年生となった最初の面接で躊躇いも無く希望大学・学部を担任の教師、熊谷へ告げると、にべも無く無理と断言された。なにを夢見ているのか、そんな大学など天国の向こうだ、大人しくランク三つは下げろ、と。
 その面接の場にはもうひとり生徒がいた。希望大学が一緒で、A高国立理系クラスでその大学を希望したのは環とその生徒の二人のみだった。熊谷はもうひとりの生徒をその場に呼んでおきながら、一度もその生徒へは話し掛けなかった。その生徒が環の成績を超えたことはただの一度も無かったので、環だけに言えばそれで話は済んだ。熊谷は単願で行け、落ちたら大学そのものを諦めろ、新卒でもなんでもなくなるが高卒で就職だ、それでもいいなと問うと環はこれにも躊躇い無くはいと答えた。
 一年後、環ともうひとりの生徒は共に希望大学のランクを下げることなく合格する。もうひとりの生徒、西川遼太郎は下町の川沿いにある六畳一間のオンボロアパート二階へ、マシン三台をそのまま持って来たので、一番最初にやったことは配電盤の違法改造だった。
 熊谷は担当したクラスの生徒との面接順をランク順とした。だからこの二人が最後に教室へ入った。
 その直前に面接した人物は熊谷の授業を三年生になる以前受けたことがある生徒だった。熊谷はこの生徒の希望大学を見て、おう、宿屋巡りか、と気軽に話し掛けた。その生徒、坂崎哲也は飄々と、生まれ故郷ですから、と答えた。熊谷は、そうかそうか俺は八つ橋食い飽きたからな、と言うとその生徒は、穴場な一見お断り宿で馴染みの芸妓でも呼びますか、と答えた。それで面接は終了した。
 一年後、この生徒は着流しで入学式に臨んだ。実に結構お茶目なやつで、周囲の大勢に早速一目置かれることとなる。彼は恋人に、同じ府内の学校へ行こうと誘ったが、彼女はそれを辞退し、県内に残って進学した。
 この面接の何番か前に、その生徒の親友も面接したが、いいのか推薦枠を使わないで、と熊谷の問いに、一般入試で行きます、そうでなければJリーガーになっています、今頃。それだけを答えて面接をおわらせた。
 一年後、特攻野郎こと井上知治は東海方面でやはり朝練も昼練も真面目に勤め上げるフツーの大学生となった。

 斉藤梅子は自動車通勤をし出すと季節感を失った。自転車通学時と違い、風もアスファルトの照り返しも田舎特有の草木の香りも虫の音もひんやりとした空気もつるべ落としの陽も欠け行く月も朝靄もちらつく雪も意識になかった。
 意識のほとんどを仕事へ向けた彼女は、だから母親に、誰かが家へ来たら携帯へ電話するよう言っていた。その知らせは、高校三年生の時買って以降何度も機種と番号を変更した携帯へは一度も入らなかった。それでも彼女は何度も母親に言った。何度も母親の味付けではない夕食にありついたが、彼女は一度も残さなかった。元々彼女は食事を一度も残したことはない。ほんの僅か記憶のある祖母が、ご飯を残すと背が伸びないよ、視力が悪くなるよと諭したのをよく覚えていた。そして子供の頃は牛乳を飲むのを欠かさなかった。