第三回合同祭

 合同祭三日目。
 今日も明美は梅子との待ち合わせ場所のバス停にいた。しばらくして到着したバスから降りた梅子の、どれだけ眠っても取れぬ疲れを見て、今日も寝てろと言った。しかし。
「ううん、今日は起きてる」
「……いいから寝てろよ」
「あのね、わたしそういえば、まともにお祭りを見たことないんだ」
 なにせ斉志に抱き締められているもので……そんなことは、言わなくても分かり切っている二人。
「お祭りも今日で最後でしょう。だから、見学する。いい?」
 そう言われれば、何も言えない明美。
 だからこそ、明美にはすぐに分かった。あのお楽しみ競技、梅子は出る気がない。個別にいる姿を管内三千人によくよく見せつけ、別れたと喧伝する気でいるな、と。
 すぐに分かった。そしてそれは、その通りになった。
 誰より彼に。
 電話で遮られたあの言葉を、彼女なりに伝える為に。

 明美と梅子は二人して開会式に出た。誰にも言わなかったのに、友人知人の誰もが彼女達を取り囲み始めた。
 だがそんな者達に、明美は態度で“非介入”と伝える。
 彼ら・彼女らに、梅子は答えた。
「みんな、久し振り」
 その表情は、すでに学生のそれではなかった。
 確かにここにいる全員が将来を賭している。だがその先を、誰も経験してはいない。
 本来、嫉むべきはその先をいち早く決めたという事実にだった。このご時世でそんなに早く就職先を一人決めやがって羨ましい。
 本来そう考えるべきであるし、その程度は誰であっても考える筈だった。けれど誰も、誰一人そこまで頭が回らない。
 そんな安易な嫉妬を、彼女に向けた者は誰一人としていなかった。そんな安易な嫉妬を、彼女はただの一度もされはしなかった。
 結局彼女と今日一緒に回ると言い出した者はひとりもいなかった。

 明美とともに、梅子は第一校庭・白三年の陣地で、今日の主な出し物である陸上競技を見物した。きゃあきゃあと声を上げて、凝った競技を明美と一緒に見る梅子。その二人の周りを取り囲む者はもういなかった。斉志が独りテント下にいたから。梅子は彼を見向きもしなかったから。
 午前中の競技がおわって、お昼。二人はその場で食べても良かったが、梅子があえて場所を移動しようと言って来た。陣地の3Bは初めて行くから、と。
「そういやあんた、うちの学校へ、結局校舎内は入らなかったんだよな」
 と明美が言うと、
「ああ、そうだね」
 梅子が返事をする。
「今年はこっち、体育祭だしな」
 文化祭と違って、体育祭に他校生は入れない。
「もし行けても多分今みたいにお休み貰えないと思うし」
「そうか」
 明美は梅子が通う会社のことなど知らないが、未成年を毎日遣っているところからして、今日のように休みを貰えるだなぞ考えない方がいいな、と思う。
「そういえば明美とごはん食べるの初めてじゃないかな」
「そういやそうだな」
 正確には、みんなで遊んだり坂崎旅館でどんちゃん騒ぎをしているとき食べているのだが、梅子は全部斉志と二人ではい・あ~んなので、明美と食べた、という概念がない。
「明美、お弁当箱おっきいね……それでそんなに背が高いの?」
「わーるかったな大食漢でよ!」
「そ、そうは言ってないー」
 この時点でも、斉志はただテント下にいた。独りで。飯なぞ喉を通る筈もなく。

 午後の競技もほぼおえて、斉志の考え出したお楽しみ競技が開始される。
 ふたり分がぽっかり空く筈のスタート地点は、最終的には予定参加人数全員が揃った。補欠として入った二人は、……それはそれは別嬪で、それはそれは野性的だった。躊躇う事無く別嬪を抱きかかえた野性的な男の顔に笑顔は無かった。別嬪の顔にも。誰の顔にも。
「やっぱり、いいな」
「なにがだい」
 明美と梅子は第一校庭へ戻っていた。別に一番前などという場所でもなんでもなく、ただ二人でいた。
「環と西川のこと。環美人だし、西川ってよく見るとそういえばハンサムのような気もするし」
「似合いってか?」
「似合いがどうのって当人が言ったんじゃないなら考えるな、って西川に言われたことある」
「それじゃなんだよ」
「相応しい、かな。なんてね、これ聞かれたら、当人がそう言ったのかよって西川に怒られるから耳ポイね」
「あたしはあの二人、似合っていると思うぜ。実際付き合ってんだし、怒りゃしないだろ。そんなに気ぃ遣うことないよ」
「そうかな」
「そうだよ」
 明美は、さてと、などと言いつつ腰を上げる。
「あたしゃリレーがあるからな、行って来るぜ。今年こそあの西園寺とのケリを付けたらぁ。ウメコ、あんたは当然あたしを応援するよな」
「えー」
 梅子の反論に、明美は怒る。
「えー!? なんだそりゃあ、あたしに負けろっていうのかい!? いい度胸じゃないかウメコ!!」
「えー、だって環も明美も親友だし……」
「ッカー、なんてやつだ!!」
「ぅーぅーいやその……。が、がんばってねリレー! 行ってらっしゃい!」
 明美はその場を離れつつ、バッキャローと言った。梅子は手を振って明美を見送る。
 そして最後の競技、男女別ベストリレー。
 第一校庭で、それぞれ座っていた者達が立ち上がり、ゴール地点へ向かって行く。選ばれた男女四十八名とスターターの慶のみ反対方向へ。
 梅子は動かなかった。人垣をよけて、などとは考えていなかった。ただ、ぼーっと見られればそれでいいと。
 しかし、その手首をがしっと掴む者がいた──マコ。
「え!? え、え、マコ!?」
「お返しだよ! 来なウメコ!」
 マコは大きな声で怒鳴った。
「ちょっと、悪いけど道空けてくれる!?」
 すると、振り向いた者達がいた──皆、知っている顔ばかり。
『おっしゃ!!』
 みるみる間に空けられて行く道。まっぷたつに割れる人垣。その壁となる者達は、元F、店に来た連中、2B諸姉。それらの顔があって、しかし全員、誰もなにも言わなかった。
「ちょ、ちょっとマコ!」
 彼女はあの日マコにしたように、鮮やかに連れ攫われ、ついには目の前に誰もいない、ゴール地点特等席へとたどり着いた。
「あのマコ……」
「なんだよ」
 マコの表情は、キラキラと輝いていた。
「別にわたし、後ろの方でも……」
「うるさいな、来たモンは来たんだ! ホレ始まるよ!」
 その声を合図に、バァン、と音が鳴った。

 明美と環は去年と同じく同着でゴールした。梅子は思いっきり拍手する。どちらも勝者だ、そう思って。
 環はゴールすると、去年は明美と握手したものだが、今年は反対方向へすぐに駆け寄った。つまり、梅子の元へ。
「環! すごかったね、一着だよ!! おめでとう!」
 自分の元へ来た環を、梅子は精一杯祝福する。
 しかし環に笑顔はない。祝辞もそこそこに、すぐに梅子の背後へと回り込んだ。
「え・え、どうしたの環」
 環は梅子の両肩をがっしりつかまえて俯き、ただ無言。
「環……」
 その地点はゴール直脇。一番の特等席だった。
「環」
 梅子は見ていた。第三走者の地点を。
「なに?」
「環も見て」
「ええ」
 環は校庭の真ん中でバトンを待ち、それを渡す人物のみ見た後は、俯き肩を掴む力を強くした。
 マコも明美も、ウメコと環へ近寄れなかった。
 そしてこの場の全員が、三千人が知っている。この二人は本当の、ずっと前からの親友であると。その事実をどれだけの他人が無視し、挙句どれだけの罵声を浴びせたのかを。
 今から駆けて来る二人を。
 全員が知っていて、だからもう、誰も西園寺環と斉藤梅子に近寄れない。
 慶、ピストルを上に。
 バァン

 環が顔を上げたのは二番目の走者の時だけだった。
 梅子が認識したのは二番目の走者からだった。
 群集が見ていたのは走者だけではなかった。
 この日、最後の競技において、一番最初に駆け抜けたその時点で。
 環は手の力を緩めた。祈りを込めて。
 梅子はゆっくり歩き出した。周囲の人垣は自然二つに割れた。その真ん中を、あの表情で、たった独りで歩いて行く。
 梅子の姿が校庭から消えると、沈黙の中から嗚咽が漏れた。
 誰かが言った。
「身、引いたんだな」
「ああ」
 三回目を数えた行事は後々まで涙の合同祭と呼ばれた。

祭りの後

 決別をその目で見た者達は以降完全に沈黙し、全員が自分自身の将来のみに目を向けた。

晩夏

 斉藤梅子は職場で十八歳になった。