第三回合同祭

 明美は自分が指定した、A高バス停前でぶらぶらと梅子を待っていた。今日はA高が最も人の流動の激しい日。ここも幾人かの待ち合わせ場所になっている。見落としたりしなければいいが。
 明美が来て数分で、予定していたバスが来た。梅子は始発から乗っているので、ヘマしなければ座って来られる。
 明美は人より背が高いので、梅子が降りて来たのが見えた。
 ──よしよし。
 梅子も明美の姿を捉えられたようだった。
「おっはよー」
 梅子は、四月一日からこっち、もっとも輝いた笑顔を見せた。が。
「あっぎゃー!」
 普通の声量で驚く明美に、梅子は思わず周囲を見渡す。
「え、え、なに!?」
「アッホー、あんたにだよ。なんっつーツラ色だい」
「え、つ、ツラそんなに悪いかな」
 梅子はついさっき、自分は会心の笑みを浮かべたと思っていたのだが。
「ツラも悪いが顔色も悪い」
 梅子は気落ちした。
「そこまで言うかな明美……」
 しかし、梅子のツラも色も悪いのは事実。そして、この二人が直に会ったのは年越し忘年会以来久々だったからこそ分かる。梅子はまた体重が落ちていた。
「あんたまたあたしの与り知らぬ所でブっ倒れて、挙げ句心配させる気じゃないだろうな」
「うっ」
 それは梅子も自覚していた。社長に休めと言われているくらい、体調が万全ではないということを。当然である。
「いいかウメコ。はっきり言ってあんたはスポーツの戦力にゃならない」
「うっっ」
 まったくその通りである。梅子に反論権などなかった。
「その上試合中お倒れ遊ばして、関係者全員右往左往させる気じゃないだろうなあ前科者」
「うぅっっ」
 梅子が何も言い返せないのをいいことに、梅子の得意技(といったってしょうもないことだが)腰に手をやるあのポーズをして明美は言った。
「行事中体を休めろって言われたんだろ? なら大人しく保健室へ行ってな。ミニサッカーの連中にゃあたしが言っておく」
 とは言われても、梅子は今日は体を動かしに来たのだ。それがどんなにしゃーないものだとしても、とにかくそういう予定だったのだ。
 しかし反論は出来ない。
「返事ぁどうした」
「……は。ハイ……」
「気合いが足りないッ!」
「ハイッッッッ!!」
 保健室へ行くのに気合いはどうよと思うが、梅子は口には出さなかった。

 二人は、他の誰もが第一校庭へ向かう中、正門からの坂を上がり切り、校舎前で左に折れ、左階段入り口から保健室へと靴を脱ぎ、スリッパも履かないくつしたのまま向かった。保険医はただ、どうぞ休んでいなさい、とだけ言った。
 明美は梅子にお休みと言うと、すぐに校舎を出て第一校庭へと向かった。
 去年まで、彼女はひな壇上にいた。
 ──あれは自分の役目だ。
 そうは思っても。
「ただ今より第三回合同祭を開会します」
 B高二年、山川新一の宣言通り、たった今からお祭りが開始された。だが初代の連中は、誰も壇上に立つ者を見なかった。誰もがこう思った。去年までとは較べ物にならないな、と。両脇を固めるあの二人の姿がない。壇上に立つ、自校体育館へ颯爽とやって来て演説したあの姿がない。だから誰も今年のマイクを持つ者のそれは見なかった。
 誰もがその後ろ、運営テント下にいる独りを見てはいられなかった。遠巻きに、誰も近寄れなかった。
 別れたのか、本当に。管内高校生三千人全てがそう思った。
 明美も遼太郎も、誰も斉志に近付こうとはしなかった。運営テント下は、もう本来の機能を果たしていない。今回の合同では誰も運営メンバーを名乗る事は出来なかった。以降、そもそも“運営”とは人物を指す呼称ではなくなった。
 初代の連中は、ほんの一握りを除き誰もなにも言えなかった。言う資格は無かった。これを見た今の自分、見もしなかった二ヶ月前。
 ふたりの姿を、ドス黒い心理で見つめられる者は、ほんの一握りを除き初代の連中にはいなかった。人間のすることではなかったから。
“斉藤梅子は四月一日から就職活動を開始、アルバイトとは名ばかりの就業中。一日も休めず遅刻早退は厳禁、その日中にも帰れていない。婚約者と決別する為に”
 明美はわざと周囲に知り合いのいない位置で開会宣言を聞いていた。だが目立つオーラを持つ明美のこと。知り合いは向こうからわらわらとやって来た。
 それは明美には止められない。来たか、とは思っても、一人一人に言うのは面倒だ。全員が揃ってから言おうと思った。知り合い──つまりは管内有名人──達は、明美がいたぞ、こっちだ、などと言って集まっていた。
 集団になった彼ら・彼女らを代表するかのように、マコが言った。
「明美、ウメコは!? 今日来てるんだろ!?」
 昨日メールで知らせて来たのに、肝心の主役がいないじゃないか。そういう思いながら。
「あいつなら具合が悪いそうだから、あたしがさっき保健室へ押し込んどいた。待ちな!!」
 保健室と聞いて、思わず駆け出そうとしたマコを始め数人の足を明美が制する。
「あたしは非介入と言った筈だ」
「でも!」
 マコの顔は、もう泣き顔だった。
「まさかただ単に具合が悪いとでも思っているのかい」
 マコを始め、その場の全員がはっとする。そういえば。単に風邪で、疲労で、梅子がいるわけがない。明美からのメールのあの時間。
「ベッドに横になったらすぐに寝たよ。ぐっすり眠らせてやってくれ。頼むぜみんな」
 明美はきっぱり頭を下げた。
「……頭上げろよ佐々木」
「俺達はもうワビは見たかねえんだ」
 お祭り男ズの、滅多に聞かない暗い声。
「ごめん明美、つい……アタマに血が昇って」
 マコ。たとえ親友にであっても、昏倒したかのように眠り込む所へ来られたところで、今の梅子にとっては単に邪魔でしかなかった。

 斉志は淡々と行事をこなしていた。来てくれることだけを祈って。バスケの、あの特等席には誰もいなかった。去年は全員が妬ましく思っていたのに。
 バスケがおわるとテント下へ。ミニサッカーにもいない。
 昼時間といっても全員が一斉に休憩とはならない。競技時間はずらされており、日程を効果的にこなすようになっている。
 第一校庭で競技を行う者は全員、ある一箇所を一瞬捉え、そしてそれ以降、再びその場所を見はしなかった。

 明美はひとり保健室へ向かった。梅子と一緒に弁当を食う気でいたのだ。だが完全に疲れ切った表情で寝ている梅子を見ると、起こすこともなく、ただ付き添って、ひとりで飯を食った。
 そしてそれは、翌日もそうだった。
 だから、色々な場所で。陣地たる校舎から、各校庭・体育館から。声が聞こえた。こんな内容だった。
「別れたんだな」
「ああ」
「マジだったんだな」
「ああ」
 男女、学年の別なく。
「……別れたんだ」
「そうだね」
「ホントだったんだ」
「みたいだね……」
 決して、当事者の目の前などではなく。
「楽しちゃってさー、っていうモンクを……」
「言わせない為に……」
「とんでもない働き方してるって……」
「毎晩、なんでしょう……?」
「そ、遅くまで……」
「なんとか法違反とかって、ないの……?」
「この御時世、だよ……」
「それ、辞めちゃえば……」
「またモンク誰かに言われるから……」
「だから辞められない、んだってね……」

 白三年の陣地たる、ここA高三年B組では、寄り固まってヒソヒソコソコソ囁きあう集団がいた。俗に言う、手に職軍団である。しかし、今回はプラス数人がいた。
「よー、就職先から内々定貰ったマエツヨ君」
「しーっ、大声出さないでよ」
 気弱な彼の声は小声だった。
「大塚ちゃーん、大学推薦決定おめでとう」
「だから大声を出さないで貰いたい」
 大塚の声も小声だった。
「よーこそここへ、うっふふっふ」
 手に職軍団は、仲間が出来て嬉しかった。
「鼻歌うたっている場合ではないでしょう」
「おし。つーワケで、だ。藤谷、あと頼むわ」
 あまり頭の回りのヨロシクない、と自覚している手に職軍団の三人。議長役をすぐに藤谷に回す。
「あのですね……。まあとにかくあの二人は嫌い合ってはいない、と思いますよ僕は」
「……それだけかよ……。大塚もアタマいいだろうが……」
 平松が助け手を求めるように大塚にすがる。
「こっちを飛びぬけたのが当事者の片方だぞ、どうこう出来る訳がない」
「なー、ゴーイン成田ちゃんって何であのアシで役所駆け込まないワケ?」
「知らないよそんなん……」
「もーいーじゃんかさ、他人は関係ナシ、ヨユーねえほうが悪いんだっつーの!!」
 片瀬の考えは、いつだって即物的だった。
『しー、しー!!』
 3Bには他にも人はいた。片瀬の言葉を抑える者達はあせって周囲を見渡す。こんなことを、いつもしなければならない自分達。
「っはー……圧迫感っつーかなんつーか」
「やり切れないよね……」
 千代子も嘆く。
「聞いたけどさ大塚。相棒も東大だって?」
「そうだと。その形相たるやもう、近付けもしない。なにせ相棒の成田は間違いなく一番で同じ大学へ入るだろうからな。その相棒が滑った転んだ、などとてもとても」
『言ってるって』
 全員が突っ込んだ。
「こーゆー場合は一目置く男、だろうけど」
 坂崎のことである。
「京大だって?」
「それにしたって実にかなり厳しいんだろ?」
 大塚はおおいに頷く。
「間違いなく厳しい。だがあっちは相変わらず飄々としている。はっきり言うが、斉藤さんの件で知恵を出せる余裕があると言ったらあの男だけだろう」
「そういう過度の期待はお止めになった方がよろしいかと。それに僕が思うに、坂崎は節介嫌い。間違いなく非介入を貫くでしょう。当人直男です、その案があったとしても口には出しますまい」
 藤谷と坂崎は、ガキの頃から知り合いだ。藤谷の家の生花店が坂崎旅館へ花を入れている頃から。
「あーちょっとちょっと」
 千代子が教室の外を見て皆に言う。
「あ? なんだチヨ」
「あれ見て、あれあれ」
 教室の隅に寄り固まっていた五人は千代に言われるまま窓際へ寄って行った。
「ほれ、あそこ。……自転車置場かな?」
「ああそうだ。誰か集まっているな……」
 お祭りの応援をしているにしては、おかしな集まり方をしている一団があった。千代子は目聡くその中の人物名を言った。
「ねえ、あの中心にいるの、坂崎じゃない?」
「……だわ。テっちゃんだ」
 誰にでもちゃん付けする片瀬が反応する。
「囲まれていますね」
「……何だ何だ、お祭り男ズに韋駄天男、図体でけえのに、……おいおい、合同の役員連中全員と違うか大塚」
 平松が言う。
「……ああ、そうだ。よく見れば見知った顔が勢ぞろいだ。運営はいないが……」
「ってかさ、運営って文字もうねえんだろ?」
 もう誰も、そんな単語に反応しない。
「うん、僕も実は役員だったりするんだけどね、まだ生徒会長の任期あるから……だって佳い女に女史に秀才君にその相棒だよ、あの四人は超えられないよ」
「そいつぁいいとして……あれかやっぱ」
「ええ、事態の解決方法を坂崎に訊ねている、というところですね」
 六人は互いに顔を見合わせた。
「やっぱりか……」
「だが、坂崎だからこそ何も言わないだろう。あの男程、他人が介入してはならない事態を突き放せる者はいない」
 大塚が、その場の成り行きを想像しながら言う。
「……そうだけどさー」
「せっかく楽しいお祭りなのに、……っていう雰囲気じゃ全然、ないね」
「ねえ、来年どうなるのかな。言いたくないけど山川とか小野寺とか、頼りないよ」
「マエツヨに言われちゃお仕舞いだ」
「いいさ来年なんかもう。あー、やり切れねえ……」
 片瀬が天を仰いだ。