五月三日

 A高では旧校舎三階、右端の教室を除き、壮絶な神経戦の課外授業が続けられていた。B高、E高では三学年全員がやはり同じように神経戦、消耗戦を繰り広げていた。C高、D高ではA高より求人票が回って来なかった。
 誰もが同年の学生に敵対心を持っていた。この時期、それは当たり前で、だからそれはよかった。誰もがつい先日まで、ドス黒い心理を抱えていたと中途半端に分からされていた。
 だから誰もが、あの心理を忘れたかった。
 誰もがあの、糾弾し易い者へと再び牙を剥いたと分からされたドス黒い心理を忘れたくて、自分の人生へ目を向けた。
 この手の噂の流布が滅法早いこの管内で、今日中にはついぞ吉報は届かなかった。

五月四日 店

 この場にいる者は四名。片瀬十兵衛(鳶職人)、平松高彦(車屋)、藤谷明紀(花屋)、高木千代子(ケーキ屋)。俗に言う、手に職軍団である。
「なにか言ってよ」
 口火を切ったのは千代子だった。
 しかし残りの三名、ただ黙る。視線もあちこち行っている。
「ちょっと。暗すぎるよあんた達。キャラ違ってない?」
 そう言われても、何も言えない。
「言えってば。なにしに集まったのよ」
「ナニを言えっちゅーのよおチヨちゃん」
 片瀬も、平松も藤谷も下を向いたままだった。
「藤谷。成田の誕生日って確か昨日だったね」
 埒があかないと思った千代子、とにかく会話をしようとする。
「よくご存知で」
「職業柄」
 千代子はケーキ屋。誕生日だの、クリスマスだのには売り上げの上がる職業だ。
「有名人の誕生日付近となると売り上げが増大するんだ。こっちも当然その手はマークしている。……で?」
「噂に聞く、婚姻届とやらは出したか出さないか、ですか」
「……やっぱあるのか、そういうの」
 平松が訊いた。
「聞いたでしょうあの時」
 皆が高校一年だった合同で、梅子が倒れた病院先で斉志が言ったあの時のことである。
「婚約結婚、五月三日に入籍ですよ。あれをあそこまではっきり言えるということは、そういうものがあるんです。見たことなどありませんが」
「で、どうなんだ」
「出していればすぐ耳に入ります。……知っての通り音沙汰無しですよ」
 藤谷は二年前、斉志に乞われて一世一代の花束を作ったことがある。もし今度もそういうことがあれば、また自分になにか来る筈だ。それは確信していた。だが、なかった。
「……成田ちゃんってさ。まー……ゴーインじゃん。それこそキャラじゃないじゃん。無理矢理役所に出す、っちゅーのはナシ?」
 片瀬がこの場を盛り上げるかのように言う。だが、平松以下皆固い表情のまま。
「……そんなもんハンザイだよと言いたいところだけど……」
 千代子が足を組んで言う。
「今回はありっしょ。なあ、出さすべや。もう管内のクソゲス共ナットクしたってば、斉藤がそいつらに陰口叩かれたくなくて態度に出たってのはよ。もういいべや。くっつけさすべぇ」
「……当事者以外がどうしろというのです」
 藤谷は、先日の明美の言葉を思い出して言った。
 その言葉に、このメンツの中で一番年を食っている片瀬が爆発する。
「っガーーーーーーーーーーっ!! 俺もーアタマ来た!! こう、なんちゅーの!? じれってぇーーーーーんだよ!!! いーじゃんかムリヤリでさ!! こーなったら成田ちゃんとサイトーちゃんの家に殴り込みだ!! 両人の首根っこ引っ掴んでどっかの教会だか神社だかに連れ込んでやらせるべよ!!」
 しかし、誰も同意しない。
「……いい案だろうがー」
「だからあんたはダブりなのよ」
「それを言うかチヨ!!」
「何故今、我々手に職軍団が集まったか。お分かりではありませんか?」
 藤谷は冷静だった。
「分からいでか。へーへー、分かっておりやすよ……」
「コエーな。集団心理っちゅーもんはよ」
 この場にいる全員は、とっくの昔に就職先が決定している。
 だが、他の者は全員、面接先すら探せないでいる。そのアテが全く無い。高校新卒者を受け入れてくれる社があまりに少ない。公務員試験はあるが、それは一社に採用される為に互いが互いを蹴落とし合うライバルになるというだけだった。
 この話、本来であれば一ヶ月前ここに集合した全員がしたかっただろう。だがこの場にいるのは四名のみ。早い話、あとの全員が就職先を必死で焦燥の思いで探し回っていた。
 誰にも余裕は無い。
「お前達はまだいいよ、D高が三人。俺は現在C高で唯一の就職先決定者だ。居辛いなんつーもんじゃねえ。いーよなーアンタは先決まってさ。……って、目、目、目。俺、もう学校行きたくねえ」
 平松である。彼は集まった四人の中で、今日は最初から一番元気がなかった。
「って視線をA高で一身に浴びる大標的。それがサイトーちゃん」
 片瀬が同意する。なにせ自分も同志だ。
「いま籍など入れたら元の木阿弥です」
 藤谷が、だったらどうすればいいのか分からぬまま言う。
「焦れってー。うー、焦れってー」
 あの明美ですら必死であの足で就職先を探し回っているのだ。片瀬が頭をかきむしった。
「いま、人生の別れ道たる高校三年生共の前で浮き足立ったリアクションを起こして御覧なさい。多少納得反省したと言ってもクソゲス共の事、態度をコロっと変えるでしょう、手のひらを返すようにね。そうなれば、立場の弱い斉藤梅子さんが一斉集中砲火、もう打つ手はありませんよ」
 藤谷の言葉に、片瀬も千代子も同意する。
「あーあーそうだそうだ、やっとサイトーちゃんがあんなことをやっているのか分かったよ。つまり、今の俺達と問題にならないくらい、けど同立場、っちゅーワケだ」
「そう、なんだよね……。明美にあの話を聞いた時は思わずカっとなっちゃったけど。今、ここにあたしらしかいない、ってだけでもう、充分身にしみて分かったよ……」
 誰にも余裕は無い。
「とにかく待ちましょう。来月には合同もあります、嫌い合ってこんな事態になったのではないと、この目で分かるでしょうから」
「だぁな」
「非介入共同戦線です。解決は当人の問題。というよりも、僕達とてあだやおろそかな態度に出られませんよ。皆殺気立ってらっしゃいますからね」
 なにせ藤谷の妹、朝子ですらそうだ。藤谷は今、同じ高校の妹に気軽に声さえ掛けられない。
「全くオソロシーわ。こちとらやることやってっから手に職があるんだっての」
 この四人の中で最も鬱憤が溜まっている平松が吐き捨てるように言う。
「それ口に出したが最期、って雰囲気だよな」
 自分だって声を大にして言いたいぜ、と片瀬は思う。
「やり切れないよね。ウメコが学校をすぐ飛び出しているって気持ち分かるよ」
「なにせ俺もそうしているからな」
 四人はうんうん頷いた。
 話が梅子ではなく自分達のことになっていると思った片瀬。前から、明美から話を聞いたときから思っていたことを言った。
「あのさ、サイトーちゃん、そんな無茶苦茶なカセギしてカラダとか壊さねえのかな」
「ええ。他者の目などどうでもよろしい。僕もそれが心配です」
「いくらモンク言わせねえ為と言ってもさ……やり過ぎっつーかなんつーか……」
 毎日だなんて、労働基準監督署から文句を言われないのか? と平松が……思うわけはない。が、おかしいとどこかから文句を言われはしないのか、とは平松ですら思っている。
「ウメコ入院したじゃん。あの時、確かお父っつぁんさ、体力ないとかって言ってなかった?」
「あっても毎晩ならもう体を壊しています。言いたくは無いですがね……僕は、……壊して欲しいと思っています」
 それには三人が一斉に反論した。
『藤谷!!』
「……それが、……問題解決と、……なります」
 藤谷は目を瞑り、息を深く吐き出すように言った。
「そいつぁ言っちゃいけねぇよノリちゃん」
「悪いけどあたし、ウメコは根性で壊さないと思う」
「……やはり、ですか」
 四人はしばらく沈黙した。それを破ったのは年を食った片瀬。
「うし、止めだ止めだ。ここでナニ言ったって暗くなるだけさ。あーあ、お祭り男ズまで必死こいている現状だもんなー……」
「そう、ですね。僕もつい暗い隅の方へ思考が行きがち。帰りましょう。今はどの者へも浮いた話をしてはならない、これしか結論は出ません」
「だな。それがサイトーちゃんのタメになる、と思う」
「あー……なんっか、こうー……」
「重苦しい、ですね……」
「そう。息苦しいっていうか、さ」
「入試。三年生。つれェなー……」
 今、どの高校三年生も暢気に店などに来ない。今頃皆課外授業、もしくは引退を賭けて部活動の真っ最中だ。
 誰かが言った。
「……帰るか」
「そうですね……」
 慶事を誰もが期待していたような気がする。
 けれどそれをされたら、許容する余裕は誰にもないと知っている。

晩春

 斉藤梅子は世間がゴールデンウィークと言っている頃、最高で連続二十七時間勤務をこなしていた。彼女は取締役の肩書きを持つ一人を除き、既に未来の同僚達の信用を得ており、ためにこういう勤務表を抱え込んでいた。
 よって彼女は、アルバイト中に聞くとは間違っても思っていなかった言葉を社長から告げられる。
「斉藤、確か来月、合同とか言う行事があると聞いたが?」
「はい、そうです」
「出なさい。管内高校生にとっては一番のお祭りだろう。とは言え会社には出て貰うがね、お祭り中に体を休めなさい」
 主任の舌打ちが聞こえた。
「お父さん、アルバイトごときに休みを与えるのかよ」
「遊佐」
 社長が息子の名前を呼ぶ時は、いつも諌める時だった。そう、いつも。
「……はい」
「遊佐」
「……はい、社長」
 社長は常務を連れて社外へ出た。主任は入れ替わりにその席へ座った。それまでは事務所内で立ち続けだった。主任の席は社長の椅子で、他には無かった。主任は裸体の多い本を机に溜め込みそれを読んでいた。社長の机の上には、もうそういった本の方が多かった。
「いい気になるなよ斉藤」
「はい」
「お前の同僚が見ているぞ。いいな、休めるなんて。いい身分だよ、ってな」
「はい」
「はいしか言えないか」
「仕事に関係ない質問です」
「だったら仕事をして貰おう」
 彼女は直属の上司から仕事を言い渡されるのを初めて聞いた。ただし、それは帰り際だった。後日、あの業務一覧表、私が作らされたんだ。随分時間掛かったよ。そう疲れ切った未来の同僚が言って来た。なにも言えない彼女に、未来の同僚は言った。そりゃこんな会社辞めたいけどさ、こんなご時世、先なんて無いんだよね、と。未来の同僚は給料の未払いを何度かされていた。高卒で入った者だった。

 斉藤梅子は夜半自宅へ自転車で戻ると、制服のまま黒電話の受話器を上げた。背に一対の視線を浴びて。
「明美? 斉藤梅子、です」
 斉藤梅子からの電話を受ける時、佐々木明美の携帯電話の待ち受け画面には以降永久に“斉藤梅子(黒電話)”と出た。
「おー、どうしたウメコ」
「あのー、ね。わたし時間が空いたの。合同、見物に行っていい?」
「ほー。いいのかい」
「うん。なんかねえ、行事中に体休めなさいとか」
「へー。じゃあウメコ、今年はあたしとつるもうぜ」
「うん」
「じゃA高のバス停で待っているからさ。時間は……」
 佐々木明美は電話の後即座に同胞メールを打った。文面は、
“明日は出られる、と今知らせて来た”
 それだけだった。

 お祭りの全体会合は二度あったが、初代と呼ばれた連中は、それがあったことすら気にも留めなかった。
 初代と呼ばれない連中は、淡々と全体会合をこなしたという。
 初代と呼ばれた連中は、あのお祭りで、事の次第を知ろうと思った。自分の心理を誰かになすり付けるかのように。