斉藤梅子は週番の為、職員室へ寄り週番日誌を届けた。久しく寄っていなかった職員室、よって自分の担任がどこに座っているか分からなかった。ひとしきりあたりを見渡すと、手近にいた見知らぬ教師にそれを尋ねた。
「失礼します。早坂先生の席、ご存知ないでしょうか」
「……3Aか」
 今年赴任したばかりの教師は梅子の組章を見たのではなかった。ねめまわすように胸を見ただけだ。
「そうですが」
「就職クラスが何様だ。こんな所へ来る暇があったら求人票でも漁っていろ」
「斉藤」
 会話に割って入り、彼女に声を掛けたのは一年の時の副担だった。
「はい」
「早坂先生の席ならここだ」
「若造が口を挟むな」
 赴任したばかりの教師は中年だった。
「斉藤、毎日休まず遅くまで大変だろうがな。一年で百五十番成績を上げ一度も下げなかったお前なら出来る。先生、信じているぞ」
「ありがとうございます」
「ふん、それだけケツの成績を取っていたんだろうが」
「斉藤、この場は先生に任せろ。遅刻は厳禁なんだろう? 前も言ったが自己管理には気を付けろよ、ここへ来るときは先生を訪ねるといい」
「担任の先生が両方いないときはそうします」
「もう行け」
「はい」
 斉藤梅子が一年の時の副担の名は加山と言う。
「随分ひとの顔に泥を塗るのが得意じゃないか。大秀才を抱えた学校だと誇るのは結構だがな、受け持てもしないだろうに」
 梅子が退場してから、中年の教師は言った。
「そちらもでしょう」
 中年の教師は私立文系、3Eの主担だった。加山は私立理系、3Bの副担だった。
「そうか、余程首を飛ばされたいか」
「首が飛ぶ思いをさせた生徒でしたよ」
「ほう、墓穴はもう掘っていたか」
「入試成績は足切り、運動神経は最悪、目が飛び出る程の大美人でもなんでもない、通知表に現れる才能はなにも無い生徒です」
「自分がそれだけ成績を上げてやったと自慢したいわけか」
「そんな生徒がその直後、三千弱の学生を動かしました。本当は一晩ですらない、一瞬でです。それが合同祭という行事ですよ後藤先生。県内一のエリート校から赴任なすったあなたにもこの名は知れ渡っている筈ですが?」
「大秀才が片手間でやったという評判なら聞いたがな。あんなものは誰でも思い付く」
「思い付かせたのが斉藤ですよ。思い付いた生徒は管内一の佳い女と称されました。大秀才ですからね、自分が全部やったなどとは間違っても吹聴しませんよ」
「あれしきを吹聴するような器じゃないのは間違いないな」
「ではなにを吹聴するか、訊いてみては如何です? もっとも大層な集中力で誰の授業も聞いていないそうですからね、六大学二浪の後藤先生のお話なら喜んで聞くでしょう。加山がそう言っていたとよくお伝え下さい」
「そうか。校長室で待っていろ、明日と言わず今日貴様の席は無い」
 後藤という名の教師はそう言うとすぐさま職員室を出、直近の、課外授業中の教室へ真っ直ぐ向かって前扉を平然と開け、とある男子生徒へ歩み寄った。
「おい」
 彼はそちらの方など見なかった。
「ほう、大秀才ともなると一教師が呼び付けても聞く耳も持たんか」
「どういったご用件でしょうか」
「入試など片手間だろう、こんな腐った学校の教室でなど話せんよ。校長室へ来い」
 彼は自分を呼び付けた教師とやらが視界から消えたあたりで教室を出、校長室へ向かった。そこには先客が二人いた。この場にいる全員を呼び付けた後藤は、応接の椅子へどっかり座って、誰とも視線を合わせず言った。
「先生は先程どこかの若造にいたく侮辱されてな。なに、気にするな。今日中に職は解いてやる」
 A高校長は静かに言った。
「どうしました後藤先生。我が校が誇る秀才と私の部下まで呼び付け、目の前でその身分を左右する話をなさるとは。余程お怒りですな」
「大したことはありませんよ校長。なに、私物を整理して来た加山とかいう若造が私にこう言ったんです、大秀才など目でもない生徒を自分が教えた、とね」
「ほう、それは大層な生徒ですな後藤先生。その名を是非訊きたいものです。成田君。君もそうだろう」
「はい」
「就職組の胸だけが取り得の生徒でしたな。確か斉藤とか言っておりましたが……こんな素晴らしい高校には相応しくない。どうです、この加山とセットで首を飛ばすというのは」
 言われた加山も静かに言った。
「成田君。私はこの通り力の無い若造なんだ。毎度申し訳ないが協力して欲しい。知っての通り私が一番斉藤を侮蔑し続けた学校側の人間だ。悔いが残っている。代わりと言ってはなんだが私が在任中はもう二度と職員室を汚さぬよう約束する」
「常に私の婚約者を守って戴き感謝します、加山先生」
「ほう、大秀才が婚約者か、いい気なものだな」
 校長は後藤の言葉の続きを遮った。
「後藤先生、その生徒は我が校が誇る平凡な生徒でしてな。思い起こせば二年前、その生徒を救う為、初対面である他校の生徒会長と校長先生がその日のうちにこの部屋へ駆け付けて下さいましたよ。教師生活何十年もやって来ましたがあんなことはもう無いでしょう。ときに成田君、知っての通り私も力など大して無くてね。懲戒免職は今日付けで我慢してくれ給え」
「いつも素晴らしい対応に感謝します、校長先生」
 その後の、後藤という教職にあった中年の生死は現在でも不明である。A高職員室に籍を置く者はその理由を全員骨の髄まで叩き込まれ、とある女生徒が職員室を訪ねた時はおろか、校舎敷地内でも知己ある教師以外、誰も会話をせず、姿を視界に入れもしなかった。