四月 始業式から四日目 放課後 店

 明美は一等最初にこの場所に来ていた。いつもはみんなとワイワイガヤガヤする為の場所、誰かがもう来ているものだ。だが彼女は、学校がおわったら即自転車を漕いでここへ来ていた。
 次から次へと来るいつものメンツ。しかし彼女だけは静かなまま。集まりつつある周囲から、何の用だよ、とか言われながら、しかし彼女は、最後の一名まで集まるのを待った。
 明美はあたりを見渡して、これで集まったなと確信を持ててから、第一声を言い放った。
「悪ぃなみんな、わざわざ集まって貰ってよ。早速だが、ウメコのことだ」
 みんなは、その話題だろうと大体話は読めていた。
「ナニ、入籍いつするって?」
「ケッコン式、挙げるとか?」
「合同でまた宣言するとかか?」
 梅子の件となればこれしかないと、この連中でさえ思っていた。
「大々的に喧伝して貰おう」
 明美の表情は、常の颯爽風味ではなかった。もうそれで、カンのいい者は気付いていた。そういう慶事ならば、明美は当事者のいないところで当事者より先に言いはしないと。
「ウメコは今月一日から就職活動をしている」
『……は?』
 これでかなりの者が気付いた。ここにいる全員が想定していた、斉藤梅子の就職活動時期は今月からなどではない。
「その先は二番駅付近にあってプログラム関連の会社だそうだ。現在既に、学校を引けた後即その足で制服のまま行って働いている。遅刻早退欠勤は勿論、仕事上のミスも一切許されない。来年から正式採用して貰うため、休みはビタ一日も無い。退勤時間は常に夜十一時を超えている。それが毎日、これからもずっと。
 携帯はプライベートと仕事用の二つの番号を持ち、プライベート用は以降一切不使用、仕事用の番号はその会社の人間以外誰も知らない。よってウメコへの接触連絡は以降全てあたしに預けて貰おう。ウメコがあんたらや他の誰かに連絡を入れた場合は当然その限りじゃないが」
 全員、全く想定外の事に二の句を次げない。そういう反応しか出来ないだろうと分かっていた明美は、だからこそこう言った。
「この話、成田は全部知っている。介入は一切許さない。文句があるなら成田じゃなくあたしに言え、いいな」
 イの一で藤谷が反応した。
「押さえ付けるとは貴女らしくない、その説明では納得行きません! 文句を言わせて貰いますよ明美さん、それではまるで、斉藤梅子さんはもう成田に逢うつもりはない、早い話があの二人の別れ話ではないですか!!」
「そうだ」
 藤谷だけではなく全員がガタンと立ち上がった。
「両名はっきりそう言っていないだけ、言いたくないだけさ。事実上の、今生の別れ話だ」
「明美さん!!」
 腕と脚を組み座り続けるのは明美だけだ。
「全てあの二人の意志だ」
 全員が沈黙した。
 たっぷり五分は待って、明美はアゴをしゃくり椅子を指し示した。冷静になれと、そう視線に込め。叫んだ藤谷が先に、納得という意味ではなく座った。それから次々とこの場の皆が着席する。しかし全員、次の句を告げないでいた。
「……明美ちゃんよ、ちょっといいか」
 どれくらい時間が経ったかはもう全員意識していないが、重苦しいだけの沈黙を最初に破ったのは片瀬だった。
「なんだい」
「俺ァ……耳聡い方だからよ、サイトーちゃんが永久就職するからって嫉まれてんの知ってんだ。……それでか?」
 明美は無言だった。いつも陽気な祭りの御輿、その彼女の視線は鋭い。
「……ちょっと待てよ」
「待てないどころかもう動いちまったんだよ」
「……そんな噂なんざ成田ならぶっ飛ばせんぞ。実際あいつはそうした、二年前!」
「そうだ、噂なんか関係ねえ。斉藤だって、そんなふうにどんだけ巻き込まれたって、それ跳ね返してD高へ来ただろ!?」
「あたしはもう動いちまったと言ったんだぜ」
「佐々木!!」
「クソゲス噂に振り回されても、成田に甘えて頼ることなく独り必死で事態をなんとかしようというやつになにをとやかく言う気だい」
 その場の皆はただ黙った。二年前だってそうだった。彼女はいつも独りで、鮮やかに。
「勿論あたしらに出来ることだってある。その為に呼んだ。
 ここにいる全員知っての通り二年前、ウメコは自分に一切非の無い下衆で最低な噂に巻き込まれ、身をもって解決した。あたしは動けず止められなかったが、それでも別な方法で事態を打開したつもりだ。今回はその手は使わない。意趣返しだ」
「噂を逆利用するのですね」
 カンも頭もいい藤谷、明美の考えにすぐ気付く。
「そうだ。ここにいる全員が噂なんざクソ喰らえないいやつ揃いだというのは分かっている。だが世の中にゃクソもゲスもいくらでもいるんだ、なにをやったって根性直せないやつがな。今回はそれがはっきりと分かったよ。清濁合わせ呑む。いいかみんな、事実を言ってくれ。事実だけをな。それから推察・憶測・下衆勘出来る派生話は全部クソゲス共に考えさせりゃいい」
 つまりはこうだ。あの二人は別れた。それはグズグズ言う自分達の、クソゲスな物言いから逃れる為だと。あんたらクソゲスが全て悪いと。そう噂を広めろと明美は言っている。
「よっしゃ分かった、やるぜ!」
 今度は誰も立ち上がらなかった。
「よし俺もやる!」
「俺も!」
「そういう事なら本意です。誠心誠意事実を広めてご覧に入れましょう」
 いい表情だった。
「あの二人に関する噂の周りは電光石火だからな」
「ああ、そうだった、そんなことすら管内一だ」
「これがウメコを助けることになる。頼むぜみんな!!」
『応!!』
 決して笑顔ではないとしても。
 笑顔などとても考えられなかったから……だからお祭り男のひとりが呟いた。
「……なあ、佐々木よ」
「木村。あたしらに出来るのはここまでだ」
「言いたいことは分かっているんだろ? ああそうさ、ここに坂崎がいるなら当人直で訊けとでも言うだろう、だが訊けねえよ!! なあ、斉藤をそれで助けたって成田はどうするんだよ!?」
「噂は広めますよ明美さん。ですが所詮は噂、根本的解決にはなりません。いえ、問題が全く違います。あの二人、……明美さん、正式採用でしかも毎日毎晩と仰いましたね。ならば高校を卒業しほとぼりが醒めるのを待って結婚、そうではない。逢う気は無い、いえ、それどころか別れると。本当に別れると。噂など、誰になにを言われるかなど一切関係なく、あの二人が本当に別れると、そうなのですね!?」
「そうだ佐々木!! 話広めるとかそれ以前の問題だろうが! マジ別れんのかよ、噂なんかクソ喰らえだろ!? 関係ねえだろ!? なあ、よくよく考えりゃよ」
「考えなくても別れるって方が大問題だろうが!!」
「そうだよ、それが問題だろうがよ!!」
 この場にいる全員がこれに気付かないわけもない、次から次へと口々に異口同音の言葉を繰り返した。勿論、明美は話を逸らす為に来たのではない。
「あとは当事者同士の問題だ」
 開口一番切り出した時と同じ口調で明美は言った。鋭くもなく短くもなく一瞬でもなく。あの時聞いたのと同じ、静かな口調で。
「あたしら第三者に出来るのはいつだってこの程度なんだよ」
 こういう物言いをされて反論出来る者はいつだっていなかった。
「あたしはあの二人が嫌い合ってこういう事態になったとは思っちゃいない。信じようぜ。あの二人を信じて待ちな」
 誰もが明美の言葉を否定はしない。抗えもしない。だが納得も出来ない。
「あの二人はこういう事態が起きると最初から分かっていたのさ。だからあれだけ引っ付いていた。それを見せつけ、あれだけ惚気ていた。婚約さえした! 信じろと、なにがあっても信じろと全員を納得させる為に、あれだけのことを最初からずっとしていたんだ!」
 やはり抗うことは出来なかった。それは積み重ねられた、直接見続けた事実だった。
「これ以上は当事者じゃないあたしが言うことじゃない。今日はもう帰りな。皆だって就職進学だろ、余裕無いだろ? かくいうあたしだってそうさ。話を広めた後は全員これから先自分のことだけに集中しな。でないとウメコ泣くぜ? あの病院のときみたく、さ……」
 今度イの一で反応したのはお祭り男・竹宮だった。
「よし佐々木、全部ひっくるめて納得した。元々俺達がどうこう言える話じゃねえ。成田なら、斉藤なら必ずやってくれる。俺は信じる」
 いい顔だった。
「おし。……確かに言えることはなにもない。あたしもそうする」
「うん、あたしも信じるよ。あの二人が嫌い合うなんて絶対似合わない」
 思い込みが激しかろうがなんだろうが曲げ得ぬ意志のこもった口調だった。
「嫌いだから別れる。そう言ったんじゃねえんだな?」
「そうさ、そんなことは一言も言っていない、どっちもな! だから全員、ウメコへも成田へも非介入だ、当人がなにか言ってこない限りはな!」
 希望はあった、だから、
「よっしゃ分かった!」
「そうだな! 俺も待つ。……斉藤が楽な就職先に納まって羨ましいって陰口叩かれてんのは知っていたさ。……言いたかねえが、俺もそう思っていたフシがある。斉藤、二年前、そう言われてD高へ来たんだよな、他人に喋ることはなにもないって言ってよ……」
「過ぎたことはもういいさ。いいか、ここからが勝負だ、ここにいる、いない高校三年生全員がな。人生の別れ道だ。もうあの時みたいにガキのままじゃいられない、ウメコはそれを誰より先に知っていた、そういうことさ!」
 納得した。力ずくではなく、言葉上だけではなく。もうこれ以上、言うことはなにもなかった。だから明美は立ち上がり、粋な物言いで宣言した。
「全員起立! ……解散」
 この場の人員構成にA高生はなかった。それでも翌日には管内のほぼ全員が知ることとなる。全員が知りたかった、いや耳に入るだろうと想定した内容とは全く違ったものだったとしても、電光石火、あっという間に広まった。
 今回は、誰かに向かっては爆発したりしなかった。
 曲げ得ぬ事実だったから。
 店に来た者たち以外の、初代と呼ばれる人物全員が当日中に事の次第を中途半端に知ることになる。
“斉藤梅子は四月一日から就職活動を開始、アルバイトとは名ばかりの就業中。一日も休まず遅刻早退は厳禁、帰りは夜半、すでに深夜。婚約者ともう二度と逢わない為に”
 何故中途半端か?
 まだその姿を見ていないから。半信半疑だったから。
 自分達全員が、二年前なにを思い、だからあの日席を立たなかったのか、ようやっと思い出したから、また、またあんなことを考え、そして憶測で、またひとりの人間を、会うことすら無く傷つけたと知ったから。

 A高三年A組の生徒は全員、永久に、とあるクラスメイトへ声を掛けなかった。