四月 始業式

 A高三学年は私立文系が二つ、私立理系が二つ、国立理系が二つ、国立文系が二つ、の計八クラスに分かれる。
 私立文系のうち一クラスは就職組も含まれる。
 三年のクラス分けは成績順である。一番悪いのがA組、私立文系・就職組。一番良いのがH組、国立文系。
 斉藤梅子の所属するクラス名は3A。別名、隔離教室。
 三年H・G・F・E。国立クラスのこれらは旧校舎一階、職員室の横に並ぶ。正門を通ってから教室へ辿り着くまでの距離を短く、職員室の直近に、という配慮からで、入試を控え殺気立つこの階には一・二年生は勿論、旧校舎二階左に配置されている私立の三年B・C・Dクラスの者すら近付く事は出来ない。
 3Aは旧校舎三階、右端にある。正門からも、職員室からも距離が最も遠い。私立文系と就職組が一緒になったこのクラスの時間割は、他の三学年のそれとは大きく異なる。体育や美術/音楽といった選択科目が無くなるのは同様だが、他の選択科目は全て他のクラスの者が優先される。他のクラスでその教科の選択者が多ければ3Aの者はいくら希望しても望まぬ教科へ振り分けられる。公務員試験の為の時間割で組まれ、現国、数学、英語以外は簿記や公務員模試、模擬面接の時間が割り当てられる。土日は休み、夏・冬休みはあるが模試も中間も期末試験も課題も無く、当然大学入試の模擬試験も無い為、その連続、課外授業も土日・夏・冬休みを問わず正門が閉まるまで続く他の三年生から軽蔑と恨みの視線を受けるクラスとなる。
 3Aで私立文系を選択した生徒はほとんど、公務員試験も視野に入れている。だが自分は大学へ行くのだ、そういう態度でクラスにいた。就職組の生徒は、もう全員が焦っていた。景気は上向いている、そんな報道の中だけの言葉など誰も信じない。田舎の有効求人倍率は、いつだって厳しい。だが誰も大学入試は目指さない。
 そういう成績なのだから。

四月 始業式後の三限目

 斉藤梅子は旧校舎三階、右端の教室のどこかに座っていた。知人は誰もいなかった。
 西川遼太郎は旧校舎一階、職員室に近い3Gと呼ばれる国立理系教室の、教卓直下の席に座っていた。
 西園寺環は同教室の、廊下側真ん中の席に座っていた。
 坂崎哲也は同教室の、窓際後ろから三番目の席に座っていた。
 井上知治は同教室の、窓際の一番前に座っていた。
 成田斉志は旧校舎一階、職員室直脇、3Hと呼ばれる国立文系教室の、窓際後ろから二番目に座っていた。その後ろには、もう誰かが座っていた。
 その生徒、田上真木は成田斉志が自分の前に着席した瞬間静かに言った。
「なぜ一年間、君は逢わなかった? 彼女を放って置いてもいいと思ったのか? 彼女は一見、あの通り。男好きする体型でもなかった。だから放って置いても構わない、と。
 君は彼女に逢う資格など無い。これからもずっと」

四月 始業式の翌日

 某県第四管区、通称管内と呼ばれるエリアには五つの高校がある。そのうち、A高、およびD高にはこの時期似通った不文律が存在する。
 D高生は、他校の入学式の翌日に、誰も遅刻・欠席・早退をしてはならない。
 A高生は、自校の入学式=始業式翌日の一限目おわり、誰も席を立ってはならない。この日の二限目に、教室移動の必要な時間割は組まれない。一限目の授業は早めにおわる。
 二ヶ月後に控えた行事が存在する限り、この不文律も存在した。例外は一度だけあった。

四月 始業式の翌日 一限目おわり A高

 奇妙な時間だった。九百余名の生徒全員が休憩時間、目を瞑って席に座り続ける。奇妙な時間だった。この島国の、他のどの高校でも、そんな風習はなかった。
 だからこの時間、誰かが動いたなら、それは誰にでも分かった。わずかに動く気配を察せる程の者でなくとも。
 動いた生徒がいた。
 A高、旧校舎一階。後ろ扉の、開閉された音はやけに響いた。時間は一限目終了前、授業を早めにおわらせた教師が前扉から静かに出て行った、直後。
 動いた生徒の名は西園寺環。
 静かな、静かな動作だった。立ち居振る舞いのきびきびしている彼女は、椅子から立ち上がる時も、音を出さず、立ち上がっても誰も、声を上げることすら出来ず、そういう風を纏い、彼女は動いた。行き先は旧校舎三階、右端の教室。
 その教室に残された生徒も、扉が開閉された音を聞いた生徒も、しかし全員動かなかった。全員目を瞑り微動だにしなかった。西園寺環は、他では有り得ぬ、休憩時間中一切の物音のしない校舎をひとり、あの日と同じように颯爽と歩いた。
 もうすぐ二限目が始まる、そういうタイミングで西園寺環は3Gへ戻った。誰も微動だにしなかった。誰も彼女を見はしなかった。そのまま二限目は開始された。
 西園寺環も永久に、斉藤梅子からの電話を受けなかった。

四月 始業式の翌日 昼 A高屋上

 西川遼太郎は西園寺環を伴い、ここ屋上へ来ていた。互いに弁当も持たずに来ていた。
 西川遼太郎は、先程の、西園寺環の行動理由を尋ねたりはしなかった。ただ単に、二年前のあの時間の行動内容を尋ねただけだった。今になってようやっと、環は二年前のこの時刻にも同じ行動をしていなければならなかったのではないかと気付いたから。
 A高新校舎一階、図書室隣の部屋は既に閉鎖されていた。この後約半年間、長く埃を被り続け、その後は永久に封鎖された。