三月

 いつもの待ち合わせ場所、公衆電話前で成田くんを待つ。バイクから降り立つその姿は、雄。いつだって見蕩れる、いつも見蕩れていたい。
 ヘルメットを取って。
「梅子。今日は遠出をしよう」
 と言われて、ああそういえば一年前、連れて行ってもらったなと思い出した。
 あれからわたしは豆が切れるまで淹れ続けてみたのだけれど、結局駄目。成田くんちでも淹れては貰わなかったし。だからインスタント以外を飲むのが久しぶりで、成田くんのこの言葉に、あああのにおいの中にいられるのだな、と思ってわくわくした。
 バイクに乗って、成田くんの腰にしがみつく。バイクにも冬タイヤというのはあるんだそう。成田くんの運転だから、なにも心配することない。安心して目を瞑った。

 久々に訪れた、茜屋さん。店外にいても分かる、この圧倒的なにおい。覆い包まれるような、むせるようなこのにおい。──これがいい。
 ウェイターさんが水の入ったグラスを手に持って来てくれる。成田くんが注文した。ブレンド二つ。今日は買う豆の量を多くしてもらおう。
 けど、この味を憶えて再現しようなんて考えない。それは意味のないこと。ただ飲む。それだけ。
 たばこの煙に焼けた本もそのままに。一年経っても変わらずそのままにここはある。
「ちょっと遠いのが難点だね」
 わたしは成田くんに言った。別に成田くんをおいてきぼりにはしないけど、一人でふっと来たいなあと考えても、わたしじゃ無理だから。
「そうだな。だがそれがいい。憶えるんじゃなく、ただ飲むというのがな」
 ああ、わたしと同じこと考えている……嬉しいな。

 一杯堪能して、店を出る。そのままバイク置き場へ行く。ゆっくりと。だから言った。
「あの……斉志?」
「うん?」
 去年、ひとりだった。だからお願いした。
「今日は斉志の家に行こう?」
 ぬれた瞳で。いつも見るあの瞳。そのままに──お返し。
「……抱いて……」
 成田くんは困ったという。なぜならそう言われたら、今すぐ脱がしたくなるから、って。

 成田くんの家に着いて。玄関を通って鍵を掛けるなり、成田くんはわたしにキスをした。激しいの。もう、一時でも待ってはいられない、そんなふうに。
 わたしも求めた。成田くんを。去年のあの日、さみしかった。なにもされないなんてもう厭。食事なんかとらなくていいから斉志が欲しい。
 時間的に、一度しか出来ない。だから前戯もたっぷりと。待たされるのもいい、焦らされるのも。
 猛々しいのも──とても好き。

 夕方まで睦み合って。
 いつだって思う。帰りたくない。このままでいたい。そう出来たらどんなにいいか。わたしだって考えているんだよ──出掛ける旦那さまに行ってらっしゃいって言って、その間おうちを守って、帰って来たらおかえりなさいって言って──そんな日常。
 でもなにも言わないの。無言で帰された。理由なんて分かる、そんなこと口に出して言ったらさいご、その通りにしなきゃ気が済まないって。成田くんの全身がそう言っている。いつも、いつも、帰したくない、ここにいてって。
 愛情よりも激しくて、欲情よりもいとしくて。

三月三十一日

 毎日行った。毎朝行った。
 そうしてわたしは求められる。
 そうしてわたしが縛り付ける。