夏休み某日

 快晴の日。A市の東南、三番駅に、天女が降り立った。
「あの……」
 彼女、西園寺環を迎えに来たのは、それはそれは野性的で……歳よりはるかに落ち着いた、確実に美男子と言える男、西川遼太郎。
「こっちだ。来い」
 彼は彼女の細い腰に手を回し、奇異と羨望の視線交わる駅内から自宅へと彼女を連れ去った。
 時刻は、約束の時間まであと十分。もうすぐ正午。遼太郎は腕時計をしていない。時刻は改造携帯で見た。
 歩きながら、彼は彼女に言った。
「昼だ、飯を食おう」
 彼は、いつもそうだが、こうしているとき彼女の顔を見ない。
「男所帯で悪いが俺の家でだ。嫌か」
「いえ……」
 彼女からも、彼の表情は見えない。彼女は決して背の低いほうではないが、彼の身長は平均値から見れば充分高かった。
「ならいい。家にはオヤジがいる。俺が作るが、料理は?」
 彼女に、料理は出来るかと問うている。
「あ……ええ、少しは」
「ならいい。手伝ってくれ。オヤジもまだ食っていない」
「……ええ」
 西川家は三番駅に近い。これだけ会話していれば、充分たどり着く。
「……いねえな」
 彼は気配で父親がいないのが分かった。
「いい、上がってくれ。遠慮しなくていい」
 彼女は緊張したおももちで言った。たとえ中に人がいなくとも。
「失礼、します」
 そんな彼女を見るでもなく、彼は台所方向を見て言った。
「和食か洋食か。中華か」
 なにを食べるか問うている。
「和食を……」
 彼女は、はきはきとはまた違う、凜とした声で応えた。
「そうか。悪いが作るのを見たい。やってくれるか」
「……え、ええ」
 彼女の緊張度は、少し増した。
 彼は台所に案内して、
「この辺のやつは使いたいように使え」
 駅で出迎えたその時から、二度目。彼は彼女を見据えた。
「じゃあ、座って待っていて下さい」
 彼女は、くるぶしまであるクリーム色のフレアスカートを翻した。

 それから、ひととき。
「準備出来ました」
 台所からの声に、彼は居間から応えた。
「早いな」
「そうでも……」

 彼女の、料理を台所から運ぶ細やかな仕草を、彼はつぶさに見ていた。静かに。
 居間のテーブルに食事が並ぶ。彩り、かおり、あたたかさ。
 女性。
 この家に欠けたもの。
 いただきますと声を重ね、二人は食事をとる。開口一番、彼は言った。
「……味付け、なぜ分かった」
 静かな声だった。
「お茶をすぐ飲んでいましたから」
 凜とした答えが返って来た。だがそう言われても、彼はすぐには分からない。
「すぐ飲むひとは薄めなんです。少し置く人は濃いめ」
「ふーん……」
 西川父は、船で沖に出ていた。今日、知り合いが来る。そう息子に言われたから。性別は訊かなかった。彼が斉志以外の誰かを連れて来るなど、一体いつ以来のことか。だから西川父は海に出た。
「ご馳走さん」
 奇麗さっぱり彼は食べ、両手を合わせて言う。ひといき置いて、立ち上がり、食器を彼女の分まで台所に運ぶ。彼女はやると言ったが、作ってもらったからと言って彼女を制した。
 食器を洗いながら。
「泳ぐか?」
 彼女に、今日来るときは水着も持ってくるように言っておいた。
「え? え、ええ」
 近くの浜辺で。
 彼は天女が、水を得た魚が、優雅に水と戯れるのを見た。

 夕方と呼べるかどうか……午後四時に。彼女は意を決して……
「あの……!」
「俺は自分から言う主義だ」
 卑怯だった。そんなことを言われたら、彼女はなにも言えなくなる。
 水色のワンピースの水着は、天女を引き立てる道具になっていたかどうか……中身までもが素晴らし過ぎた。
「と言ったら、あれもこれも全部言えなくなるな。飯、美味かった。ご馳走さん。送る。バイクは駄目か。電車だな」
「……ええ」
「どこまで?」
「一番駅まで」
「学校の近くか」
「ええ、割と」
「そうか」
 二人は浜辺を後にした。周囲の、小さな浜辺に来ている全ての人達の羨望を背にして。

八月三十一日

 本日はアホな梅子の誕生日。その為に斉志は、前々から着々と準備していた大量の獲物とともに西川父の車で斉藤家へ赴いていた。獲物とは去年同様、自分以外触れさせない、と思って止まない、梅子の体に纏うもの一式である。
 約束の朝九時丁度に到着。西川父は、斉藤家の両親にほんの少し挨拶して、荷物を降ろすとすぐに帰った。
 梅子はそれらをありがたくいただき、というかいただくしかなかった、ので、それらを開けて見るから、とかなんとか言って自室へ当人曰くぴゅーっと逃げた。斉志はそれを止めなかった。
 なぜなら、ここ最近の彼にみられる、一年前には考えられなかったことであるが、彼はおおいに反省していたからである。
 梅子は決して誰も糾弾しない。なにかあっても、誰のせいとも、悪いとも言わない。叱りもしない。いや、出来ない。糾弾すれば、誰かのせいと言えば、誰が悪いと言えばそれが全て自分に悪いように跳ね返って来るとよく知っている梅子。
 斉志が気付くべきことを、梅子が先に言う。斉志が先に言い出すべきことを彼に脅えながら、周囲を気にしながら梅子の方からお願いする。
 ──俺が先に言わなくてどうする。
 かくして斉志は明日の夏休み最終日、梅子に自宅でたっぷり休むように伝えた。なにも焦ることはない、彼の誕生日は決して逃げることはないのだから。