夏休み某日

 今日は漁業のお手伝いの日。ちゃんと事前に成田くんへ連絡した、よし。
 と、思ったのだけど。
 カッパズボンをはいて準備万端、父ちゃんの運転するバンに乗り込むと……車はいつもの船着き場そばの工場でなく、一路北へ。
 あ、あれー。
「と、父ちゃん。どこへ行くの?」
 運転席には父ちゃん、助手席には母ちゃん。普段はこの二人が仕事をするので、いつもはトラックで移動している。
「B市の知り合いの所へ手伝いに行く」
「え? B市?」
 となりまち?
「お前、ちゃんと挨拶するんだよ」
 とは母ちゃん。そりゃ挨拶は基本だし、ちゃんとするけど……B市に知り合いなんていたっけ。
 そ、それはともかく。わたし、一人旅を敢行しているのでは……あ、両親がいるか。でも、言った方がいいかも。
 とは思うものの、仕事をするときに携帯なんて持たない。一人旅でないことは確かなので、成田くんへは後で言おうっと。

 朝からずっとホタテ繋ぎをしておりました。ホタテの右耳をロープにくくりつけられたハリみたいなのに通すのです。単純作業を延々と。もくもくと。無言で。屋内での作業なので、日に焼けるとかそういうのはない。
 やっと十時のおやつとなりまして。ほっと一息。
 そしたら、父ちゃん母ちゃんは手伝いに来たというB市のひととおしゃべりし出した。それは、当然なのでいいのだけど、わたしは居場所がない。
 ちょっと一服しようか。
 とは言ってもタバコを吸うんじゃない。作業場を出て、海辺を散歩することにした。
 作業場は海のじきそば。だから、ふらふら歩いて行けば波打ち際にたどり着く。
 そこに、誰かが羽を休めていた。
 あれは……あの体型、長身で痩身、襟足の長い黒髪の後ろ姿は……
 わたしは近寄った。
「西川」
 呼んでも、しばらく返事はなかった。

 いつもならば集中している。西川はそういうひと。ただ今日は、羽を休めていた。別に、気を張っていたわけではなかった。だから声をかけた。
 たっぷり五分は待った後。
「……何故テメェがここにいる」
 海を見たままだった。
「手伝いに来たの」
「オトンオカンのか。なんで隣の市のこんな所にまで来やがった。漁業権はどうした」
 矢継ぎ早の質問。
「父ちゃんの知り合いのひとのところの手伝いに来たの。だから漁業権は関係ない」
 漁業権というものは、文字通りないと漁業が出来ない権利。これを持っていないひとが操業すると密漁になる。大抵、隣の市の漁業権を持っているひとはいない。
「テメェ、そこにいろ」
 西川は、最初からだけどわたしを見ることはなく、休んでいたところからだいぶ歩いて、なにやら誰かと携帯で電話をしていたみたい。声は全く聞こえないほど遠くまで歩いて行った。けど、いまここらへんには誰もいない。
 と思っていると、西川が歩いて戻って来た。ようやっとわたしと面と向かう格好になる。すると、やつは持っていた携帯電話をわたしに差し出した。
「出ろ。斉だ」
「え」
 な、成田くん?
「早くしろ」
「う、うん」
 言われるまま携帯を受け取って、出る。
「梅子」
「な……せ、斉志」
 ど、どうしよう。一人旅を敢行したなとか、言われるかな……
「全部遼から聞いた。遠くまで仕事に出ていたんだな。お疲れさま」
 ……なんか……ジーンと来ちゃった……
「う、うん、そう」
 涙がちょちょぎれる。さっきから単純作業ばっかりで、それが何時間もで、誰もがそんなの当たり前だと思っていて、誰もほめることはなくて……
 嬉しい。
「十時の休み、おわったんじゃないか? おやじさんやおふくろさんが心配していないか?」
 あ、そういえば。
 作業場の方を見る。父ちゃん母ちゃん、わたしを探しに出ていないかな。
 出ていないや。
「ううん、大丈夫」
「そろそろ戻らないといけないだろう? ご両親が心配するから、戻って」
「うん、そうする」
「明日は逢える?」
「うん」
「じゃあ午後からにしよう。梅子、お昼は家で食べて。一時半に、公衆前で待ってる」
「うん」
 そこで電話をぷつっと切る。さて、これを西川に返して……
 あれ? 西川……うわ、いつの間に。あんな遠い所にいる。
「西川ー!」
 大きな声を出して呼んだ。
「携帯ならそこに置け! さっさと仕事に戻れバカ!」
 む、ばかとはなんだー。その通りだけど。
 ここは作業場の近くの波打ち際というだけで、誰も泳ぎはしない。そんなところだから、足場は海水浴場のような奇麗な砂場じゃない。牡蠣やホタテの殻の細かいのが多い。あんまりこんなところに精密機械を置きたくない。
 わたしがひとりでいたもんだから、気を遣って成田くんに電話してくれたに違いない。だから、ちゃんと手渡して返したかった。歩いて近寄って、
 ……なにも離れて行かなくたっていいじゃない。
「ちょっとー! ちゃんと返したいんだけどー!?」
「置けと言っただろうが!」
「ちゃんとお礼を言いたいしー!」
「要らねェよそんなもん! さっさと帰れ! 仕事しろ!」
 海辺で大声合戦。カモメが鳴いていた。
「梅子ー!」
 あれ。後ろで母ちゃんの声がする。そろそろ時間だ、戻らないと。
「ちょっと待っててねー!」
 わたしは母ちゃんの方に振り向いて言って、しょうがないから西川に向かって走り出した。
 やつは、しょうがないと思ったのかな、足を止めて、わたしから逃げはしなかった。
「はい、これ」
 近寄って、ちゃんと携帯を返す。
 と思ったのだけど、携帯を手にした西川は、しばらくその体勢のままだった。わたしを見る。
 じっと……そう、その瞳は憶えている。よく、憶えている。ぬれた瞳。
 いつも見る瞳……
「あれ、テメェのオカンか」
「……う、うん。そう」
「テメェはどっち似だ。オトンか。オカンか」
 ……なんだ、そういうこと。
「うーん。どっちも、かな」
「テメェはいつもここに出没するのか」
 当然の質問だと思う。
「どうだろ。知り合いって言っていたけど、そうだとは今日になるまで知らなかったの」
「手伝い自体はいつもするのか」
「いつもってわけじゃない。けど、去年全然していなかったから、今年は少しはするんだ」
「他に知り合いはどこにいる」
「A市にはいると思うけど……」
「知らねェのか」
「うん」
「……ったく。ロクに散歩も出来ゃしねェ。テメェ、俺の家を知っているな。俺ん家の近くで仕事をする予定は」
 ないと思うけど……今日のようなことがあるかも知れない。
「ちょっと、分からない」
「今日みてェに遠出するなら、事前に斉に言っとけ」
 そうだよね、やっぱりそう思うよね。
「うん、そうなんだけど、作業着姿になってまで携帯は持ち歩かないし」
「そりゃ分かるがそういう時の為の携帯電話だ。持って歩けアホ」
 言われちゃった。
「ホレ行け」
「うん。ありがとう」
 ちゃんとお礼は言うだけ言って、作業場へ戻った。
 すると母ちゃんが、
「あれ、斉君かい? 久々だねえ、会うの。連れて来ればよかったのに」
 母ちゃんも目がいいんです。
「ううん、あれは違うひと」
 かなり似ているから、お正月以来会っていない母ちゃんが間違うのも当然だと思う。
「同じ部活のひとなんだ」
「そうかい」
 その日は夕方になるまでみっちりお仕事。こういう日はぐっすり眠るに限る。明日に備えて早めにおふとんにもぐった。